君のとなり〜拓実と〜

 文化祭実行委員の仕事が始まって、数日が経った。

 放課後の廊下には、体育祭と文化祭、それぞれの準備をする生徒たちの姿が増えていた。

 十月の体育祭。

 その先に待っている十一月の文化祭。

 まだ暑さの残る校舎の中を、私は文化祭の資料を抱えて歩いていた。

「これ、視聴覚室に持っていってくれる?」

 先生から渡されたファイルは、思ったより多かった。

「はい」

 両腕いっぱいに抱える。

 前が少し見えにくい。

 それでも落とさないように、慎重に廊下を歩いていた。

 曲がり角に差しかかった、そのとき。

「危ない」

 突然、目の前に手が伸びた。

「あ……」

 一番上に乗せていたファイルが、腕から滑り落ちる。

 床に落ちる――。

 そう思った瞬間、その人が片手で受け止めた。

「はい」

 顔を上げる。

 そこにいたのは、見覚えのない男子だった。

 私よりずっと高い身長。

 すらりとした身体に、きちんと着こなされた制服。

 そして、シルバーのネクタイ。

 私たち一年生の赤とは違う色。

 二年生なんだ。

 そう思った。

「ありがとうございます」

「大丈夫?」

「はい。すみません」

「ならよかった」

 そう言って、その人は笑った。

 その笑顔が、妙に自然だった。

 そのとき。

「……あれ?」

 少し離れたところから、女子の声が聞こえた。

「拓実先輩じゃない?」

「ほんとだ」

「何してるんだろ」

 私はそちらを見る。

 女子たちがこちらを見ている。

 そして、ひそひそと話していた。

「二年の拓実先輩だよ」

「知ってる。すごく人気ある人」

「今日もかっこいいな……」

 そんな声が聞こえてきて、私は少しだけ目を瞬いた。

 人気者なんだ。

 そう思って、もう一度目の前の先輩を見る。

 確かに。

 背が高い。

 顔立ちも整っている。

 笑うと柔らかい雰囲気になるけれど、黙っていると少し大人っぽく見える。

「これ」

 先輩が、拾ったファイルを私へ差し出した。

「ありがとうございます」

「文化祭の実行委員?」

「はい」

「やっぱり」

「え?」

「さっき職員室の前で見た」

 先輩はそう言って笑った。

「俺も実行委員」

「そうなんですか?」

「うん」

 先輩が胸元のシルバーのネクタイを軽く指でつまむ。

「二年」

 それから、少し首を傾けた。

「瑠夏ちゃん、だよね?」

 私は目を瞬いた。

「……どうして?」

「実行委員の名簿」

「あ……」

 そういえば、最初の顔合わせのときに名簿が配られていた。

「覚えてたんですか?」

「名前くらいはね」

 先輩が笑う。

「よろしく」

「よろしくお願いします」

 私は小さく頭を下げた。

「そんなに固くならなくていいよ」

「え?」

「文化祭、一緒にやるんだから」

 そう言って、先輩は私が抱えているファイルを見る。

「それ、一人で持ってくの?」

「はい」

「半分持つよ」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃなさそう」

「え……」

「ほら」

 返事を待たずに、先輩はファイルを半分受け取った。

 急に軽くなった腕。

「これなら前見えるでしょ?」

「あ……はい」

「じゃ、行こう」

 先輩が歩き出す。

 私は慌てて、その隣を歩いた。

 初めて話したばかりなのに。

 不思議と気まずくなかった。

「瑠夏ちゃんって、新体操部だよね?」

「はい」

「やっぱり」

「知ってるんですか?」

「体育館で何回か見たことある」

 私は少し驚いた。

「そうなんですね」

「うん。結構すごいよね」

「え?」

「リボン」

 先輩が笑う。

「あんなに高く投げて、よく取れるなって思ってた」

 私は思わず笑ってしまった。

「たまに落としますよ」

「そうなの?」

「はい。普通に失敗します」

「全然そんなふうに見えないけど」

「そんなことないです」

「いや、本当に」

 そう言われると、なんだか照れくさい。

 私は小さく笑った。

 先輩も笑う。

 廊下に、二人の足音が並んで響いた。

 視聴覚室に着く。

 ファイルを机の上に置いた。

「ありがとうございました」

「うん」

 先輩は手を上げた。

「じゃあ、また明日」

「はい」

 一歩、歩き出した先輩が、ふと思い出したように振り返る。

「瑠夏ちゃん」

「はい?」

「文化祭、楽しもうね」

 そう言って笑った。

「……はい」

 先輩は今度こそ廊下の向こうへ歩いていった。

 私は、その背中を見送った。

 高い身長。

 シルバーのネクタイ。

 そして、さっきの笑顔。

 確かに。

 学校で人気があるのも、少し分かる気がした。

 でも――。

「……あれ?」

 私は首を傾げた。

 そういえば。

 あの先輩、名前……なんだっけ?

 さっき、廊下で女子たちが何か言っていた。

 たしか……。

「……拓実、先輩?」

 自信なさげに呟いて、私は小さく笑った。

 まだ私にとっては。

 今日初めて話した、少し気になる先輩。

 それだけだった。