未練なんてありませんが?

 貴族学院の卒業式の後には、卒業パーティーが控えている。
 卒業生はもちろん、在学生も希望すれば出席できる。それだけでなく、出席者のパートナー(ほとんどは婚約者)も申請して参加できた。
 私は、フランシスが卒業する時と自分が卒業する時の二度、このパーティーに参加している。
 が、どちらも良い思い出ではない。

 結構な人数になるパーティーだけれど、学院の講堂はそれを見越してか、かなり広く作られている。
 フランシスが卒業する年は、第二王子のヨハン殿下も在学していた関係で、元々生徒数が多かった。その上、在学生もほぼ参加し、そのパートナーもとなると、とんでもない数となる。広々とした講堂が、やけに狭く感じられたことをよく覚えている。

 入場だけは、フランシスと一緒だった。けれど、彼はすぐに私から離れ、親しい友人たちの元へ行ってしまう。
 私は当時一年生で、他のクラスメートたちも参加していた。けれど皆、パートナーとともにいる。楽しそうに語らう彼らの間に入る勇気などなく、私は会場の隅で壁の花と化していた。

 フランシスの友人たちもそれぞれにパートナーがいるはずなのだが、同じ学年同士で一緒にいるカップルはいいとして、彼と同じように相手をほったらかしにしている人もいる。
 どうりで、私と同じように壁の花になっているご令嬢もちらほら見かけるはずだ。
 パートナーに大切にされていない人は、私だけではない。
 そう思うと、ほんの少しだけ慰めにはなったけれど、淋しさや悲しさが紛れるわけではなかった。

 結局、私は最後までフランシスに放置されていた。
 帰りはかろうじて馬車まで送ってくれたけれど、婚約者なら家まで送るのが普通だ。なのに、そこで終わりだった。

 当時の私は、それがすごく恥ずかしくて、情けなくて、両親にはとても話せなかった。
 けれど、私の様子がおかしいことに気づいたエヴァンにはすぐさま白状させられ、話を聞いたエヴァンはフランシスに抗議してやると家を飛び出して行こうとした。
 私は必死にそれを止めた。あの時は、本当に大変だった。

 私自身の卒業の時も、ほぼ同じ。
 入場だけは一緒だったけれど、すぐさま放置された。

 というわけで、卒業パーティーに良い思い出はない。私にとっては致命的な弱点、黒歴史と言って差し支えない。
 なのに、私は今、再びその舞台に立っている。

「ニコラと一緒に参加できるのは嬉しいし、ある程度わかってはいたのですが、これほどまでに注目を浴びるとは……」
「大丈夫よ、エヴァン。あなたが注目を浴びるのはいつものことでしょう?」
「違います! 皆がニコラの美しさ、愛らしさに視線が釘付けなんです!」

 いえ、絶対に違うからね!

 今日、エヴァンは貴族学院を卒業した。
 一緒に入学した仲間たちは、まだ在学中である。エヴァンは飛び級制度を利用し、一年早く卒業したのだ。
 その中にはなんとウィリアム殿下もいて、今回も参加者数がとんでもないことになっている。

 私は今日、エヴァンの婚約者としてこのパーティーに参加しているのだ。
 貴族学院の卒業パーティーは、これで通算三度目となる。

 エヴァンは品のいい礼服を着こなしており、いつもよりずっと大人っぽい。
 服の色は瞳に合わせた藍色で、銀色の髪がより一層際立っていた。
 私はというと、揃いの藍色のドレスに銀の刺繍が施されたドレスを身に纏っている。
 もちろん、オマリー絹(シルク)で仕立てたものだ。そしてそれは、エヴァンも同じ。私たちの衣装からは、見事な虹色が浮き出ている。

 エヴァンの言うとおり、私たちは注目を浴びている。
 でもそれは、エヴァンの見た目があまりにも素敵すぎるせいだろう。
 王族であるウィリアム殿下も見目麗しい男性だけれど、それに全然負けていない。

 ……恐るべし、エヴァン。

 もしくは、私たちの衣装に注目しているのだと思われる。
 オマリー絹(シルク)で仕立てたものを身に着けているのは私たちだけではないけれど、同じオマリー絹(シルク)とはいえ、等級がある。私たちのものは、当然最高級品だった。

 商会を商う者として、こういった場は、商品を存分にアピールできる良い機会。これを逃す手はない。
 まぁ……私たち自身がオマリー絹(シルク)をとても愛しているし、ほら、素敵でしょう! と見せびらかしたい気持ちも多々あるのは否定しないけれど。

 そういうわけで、本当に皆の視線が私に集まっているわけではない。それはエヴァンの妄想だ。
 にもかかわらず、エヴァンはさっきから周囲を警戒し、威嚇しまくっているのである。

「あぁ……いっそどこかに隠してしまいたい」
「そうしたら、ご令嬢はこぞってエヴァンに集まるんでしょうね。ふぅーん、エヴァンはそうなりたいんだ?」
「違います! 愛らしいあなたを、他の男に見られるのが嫌なのです!」
「相変わらずの溺愛っぷりだね、エヴァン」
「……ウィリアム殿下!」

 いつの間にか、ウィリアム殿下が私たちの側まで来ていた。傍らには、彼の婚約者もいる。

「オマリー卿のお気持ちはわかりますわ。だって今日のニコラ様は、月の精のようにお美しいですもの」
「おわかりいただけますか!」
「ええ、それはもう」

 クスクスと小さな笑い声を含ませながら、ウィリアム殿下の婚約者、ミリアム=フリッジ侯爵令嬢がエヴァンに同意した。
 嬉しそうに顔をほころばせるエヴァンに、やれやれと呆れているウィリアム殿下。

 グランデ王国でのあの一件以来、私たちはウィリアム殿下とも親しく会話するようになった。
 それに、ウィリアム殿下とエヴァンはクラスメートになり、より親密な関係を築いていったのだ。
 冗談だと前置いてはいたけれど、側近になってほしいと、殿下は何度かエヴァンに打診していたほどである。

「それはそうと、エヴァン。三対七で、私のそ……」
「お断りいたします」

 にっこり。

 遠巻きでこちらを見つめているご令嬢方の悲鳴が聞こえる。

 まぁ、彼女たちはこちらが何を話しているのかわからないものね。普通に笑顔だと思うわよね。
 ……目は全く笑っていないのよ? 怖いわね。

「エヴァン!」

 いくら親しいとはいえ、第三王子殿下の話を途中で遮るなど不敬だ。
 私が焦ってエヴァンを窘めると、エヴァンはフイと横を向いてしまう。

「いいのですよ。いつものことですから」
「ちょ……」
「大丈夫ですよ、ニコラ嬢。彼の言うとおり、いつものことです。いやね、彼を私の側近にと口説いているのですが、どうにもいい返事がもらえなくて……」
「ウィリアム殿下、いい加減諦めてください。それに何です? 冗談の比率がどんどん下がっていっているじゃないですか!」
「私の本気度が上がったと言ってほしい」
「上がっても下がっても、答えは同じです。変わりません」
「あー、最後までふられっぱなしかぁ」
「ウィル、そろそろ引かないと。ふられるどころか、嫌われてしまうわよ?」
「それは困る!」

 彼らの会話を聞いて、内容を察する。
 三対七というのは、三割が冗談で七割が本気、ということなのだろう。
 最初の比率は知らないけれど、ウィリアム殿下がエヴァンを欲する気持ちは、いまやほぼ本気といったところ。
 その気持ちは私にもよくわかる。だって、エヴァンは優秀だもの。
 でも──

「ウィリアム殿下、大変申し訳ございません。けれど、エヴァンを殿下に取られてしまうと、私はとても困ってしまうのです」
「ニコラ……」

 エヴァンの目が大きく見開く。
 まさか、私がこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。しかも、王族相手に。
 ウィリアム殿下も、ミリアム様も、きょとんと驚いた顔になっている。
 でも、私だって言う時は言うのだ。相手が例え、王族であっても。

「オマリー伯爵家、オマリー商会にとって、エヴァンは絶対に必要な人です。そして彼は、私にとってかけがえのない、大切な婚約者なのです。だから、いくら殿下のお願いとはいえ、承諾できかねます」

 エヴァンは、感激したように声を震わせる。

「ニコラ……私にとっても、あなたはただ唯一の存在。あなた以上に大切人などいません」

 目を合わせると、蕩けるような微笑み攻撃が待っていた。

 うっ……倒れそう。耐えるのよ、私。

「ウ……ウィリアム殿下。私、ミリアム様はお美しいばかりでなく、ファッションセンスも抜群だと常々思っているのです。ミリアム様をオマリー商会のファッション部門の顧問にお迎えしたいと考えているのですが、どうかお許し願えますでしょうか?」
「へ?」

 ウィリアム殿下が素っ頓狂な声をあげた。ミリアム様もポカンとしている。
 それくらい、今の私の申し出は突拍子もないものだった。
 エヴァンだって目をぱちくりとさせている。

 でも、殿下がエヴァンに請うているのは、こういうことなのだ。

「あっはははははは!」

 それがわかったのか、ウィリアム殿下が声をあげて笑った。
 ミリアム様も理解したのだろう、小さく肩を震わせている。その口元は、扇子で覆い隠されていた。

「これは一本取られたな。参りましたよ、ニコラ嬢」
「そうですわね。オマリー卿、ニコラ様に救われましたね。これで、ウィルはあなたを諦めざるを得なくなりました。一安心ですわね」

 ……それなりに交流があるからこその返し。
 笑い飛ばしてもらえてよかった……。

 ホッと胸を撫で下ろしたその瞬間、私はエヴァンの腕の中に捕らわれた。

「エヴァン!」
「ありがとうございます、ニコラ」
「……べ、別に、そんな、お礼を言われるほどじゃないわ」
「そんなことはありません。哀れな私を助けるために殿下をやりこめるだなんて、それほどまでに想ってもらえて幸せです。私は今……この上なく嬉しいのですよ」

 やりこめたとか、人聞きの悪いこと言わないでーっ!

「やれやれ、エヴァンはニコラ嬢が絡むとデレデレのポンコツになるな。ミリアム、私たちは他の皆に挨拶に行くとしようか」
「ふふ、そうね。それではオマリー卿、ニコラ様、私たちはこちらで失礼いたしますわね」
「デレデレのポンコツは同じでしょうに。……ウィリアム殿下、ミリアム嬢、ご卒業おめでとうございます。今後も、オマリー商会をどうぞよろしくお願いいたします」

 私も慌ててお二人に卒業祝いの言葉を述べる。
 お二人は笑って手を振り、歩き出した。すると、あっという間に人の輪に飲み込まれてしまう。

「さすが、大人気ね」
「お二人とも優秀で、教師生徒問わず慕われていましたからね」

 エヴァンの声に顔を上げる。
 ん? と首を傾げるエヴァンに、私は言った。

「エヴァン、そろそろ離してくれないかしら?」
「嫌ですよ。このままこうやって閉じ込めておけば、ニコラを他の男から隠しておけますからね」
「ちょっ……エヴァン!」

 ポカポカと胸を叩くけれど、それは全く無駄な抵抗で。
 私がそこから逃れようと何かする度に、エヴァンが破顔する。

 ああ……ったく。

「降参だわ。せっかくの卒業パーティーなのに、知らないわよ?」
「構いませんよ。私にとってパーティーとは、美しく着飾ったニコラを一番近くで愛でられる最上の機会。それ以上でも以下でもないですから」
「~~~っ!」

 ゾクリとするような甘い声でこんなことを囁かれてしまえば、もう為す術はない。
 観念したように彼にもたれかかると、周りから黄色い叫び声があがった。

 見なくてもわかる。
 エヴァンは今、満面の笑みを浮かべているはず。

「今日は、私にとって最高の日です。まぁ、結婚式には負けるでしょうが」
「……エヴァンったら」
「楽しみです」
「でも……同意するわ」

 小さく呟くように答えると、私の瞳にエヴァンのとびっきりの笑顔が飛び込んでくる。

 良い思い出のない卒業パーティー。
 でも今日、それが大きく塗り替わった。

 ──卒業おめでとう、エヴァン。
 


 了