未練なんてありませんが?

「私は……姉上に何かあれば、自分がどうなるかわかりません」
「エヴァン?」

 エヴァンの瞳が心細げに揺れる。
 それは、うちに来たばかりの頃のエヴァンを彷彿とさせ、私は思わず立ち上がり、エヴァンの隣に座ってぎゅっと抱きしめた。

「そんなこと言わないで。エヴァンは大丈夫。何があってもだいじょう……」
「大丈夫などではありません」

 私の言葉を遮り、エヴァンの腕が私の肩に回る。そして、更に引き寄せられた。

「エヴァン……」
「ずっと……ずっと、姉上をお慕いしていました。……初めて会った時から」
「エヴァン?」

 驚いて、エヴァンから離れようとした。
 けれど、エヴァンが私を離さない。それどころか、私の顔を覗き込み、切なげな瞳を向ける。
 心を鷲掴みされ、私はどうしていいのかわからなくなった。

 エヴァンは、私をずっと大切にしてくれた。
 いつだって助けてくれた。
 ──二つ年下の、可愛い義弟。
 ずっと守っていくのだと決めていた。けれど、いつの間にか私の方が守られていて……。

「姉上……いえ……ニコラ」
「!」

 名前を呼ばれた瞬間、心臓が大きな音をたてた。と同時に、バクバクと暴れ始める。

 どうしよう。顔が、身体が熱い──。

「私は、あなたを愛しています」
「……っ」

 しばらくの間、呆然とする。息をするのを忘れるほど。

 エヴァンが……私を……?

「まだ、伝えるつもりはありませんでした。この夜会を無事に終えて、帰国し、全てを整えてから……そう思っていたのです。ですが、あんなことがあり、いつ何があるかわからないと痛感しました。何があっても私の気持ちは変わりません。ですが、一刻も早く伝えたい、伝えなくてはと思ったのです」
「……」

 エヴァンが、少し困ったような顔をした。

「けれど、明日にならないと伝えられない。そう思ったら、なんだか眠れなくなってしまったのです。そこで、外の空気を吸って落ち着こうと思いました。そうしたら……あね……ニコラがいた」

 姉上、と言いかけ、名前に言い換える。
 それが妙におかしくて、そして──愛おしいと思った。

 フランシスに襲われた時、私は何を思ったか。誰を思ったのか。
 今でもはっきりと覚えている。
 私は、お父様でもお母様でもなく、エヴァンに助けを求めたのだ。
 他の誰も思い浮かばなかった。

 あの時、私は自覚したのだ。
 私の中でどんどんエヴァンの存在が大きくなっていって、エヴァンがいないことなんて考えられなくて。そして、誰よりも大切に思っている。……もう、弟ではなくなっていたんだと。

 それが、いつからなのかわからない。
 フランシスとまだ婚約が継続していた最中なら、心の中だけだけれど、私は浮気をしている。

「私……ね、あの時、ずっとエヴァンを求めてた。そして、信じていたの。エヴァンは絶対に来てくれる、私を助けてくれるって」

 そう言って笑うと、エヴァンの瞳が大きく見開いた。

「あの時、エヴァンのことしか考えられなかったの。……私、フランシスのことをとやかく言えないわ。いつからかわからない。私がエヴァンを……弟として見ていなかったなんて」
「……ニコラ!」

 きつく抱きしめられる。それが、泣きたいくらいに嬉しくて。
 ──こんなのもう、弟なんかであるはずがない。

 でも、もうここまできたら認めるしかないではないか。
 私も。私だって。

「エヴァンを愛してるの」
「……私は、夢を見ているのでしょうか」
「夢なんかじゃないわ」
「だとしたら、もうすぐ天に召されるのでしょうか」
「それは困るわね。私を一人ぼっちにするつもり?」

 エヴァンが泣き笑いの顔になる。そして、何度も首を横に振った。

「絶対にしません!」

 顔を見合わせ、笑みを交わす。
 薄闇に輝く銀の髪、そして、深い藍色の瞳。淡い明かりの中でも、その藍は髪の銀より印象的だ。
 見惚れていると、エヴァンが私の髪をひと房掬い、口づけた。

「エヴァンっ……」

 私の髪は明るめの茶色で、貴族にも平民にも多い色だ。
 こんな時、エヴァンみたいな綺麗な銀だったり、フランシスみたいな見事な金色だったらよかったのに、なんて思ってしまう。
 ポーリーン殿下も美しい金髪で、いつも自慢していた。そして、平凡な私の髪色をよく貶していた。
 なんでもない振りをしていたけれど、密かに傷ついていた。髪色のことは、コンプレックスでもあったから。
 だから、つい呟いてしまった。

「私も、もっと綺麗な髪色だったらよかったのに」

 すると、エヴァンは驚いたように目をぱちくりとさせ、クスッと小さく声を漏らした。

「何を言っているんですか。ニコラの髪の色は明るくて、優しくて、温かい。この柔らかな茶色が、私の一番好きな色です」
「……っ」
「あ、しまった。澄んだ水色も大好きです」
「……っもう」

 水色は、私の瞳の色だ。
 エヴァンの言葉に、ますます顔と身体が熱くなる。きっと、私の顔は真っ赤に染まっている。

「ニコラ」

 おずおずと顔を上げると、こちらを射るように見つめるエヴァンの顔が目に飛び込んできて、息を呑む。
 エヴァンは私の手を取り、甲に唇を寄せた。

「私と結婚してください」
「……エヴァン」
「学院を卒業したら、すぐに。そうですね、来年の春には」
「え? ちょっと待って」

 エヴァンが卒業するまで、あと二年あるのだけど? 来年の春は無理じゃない?

 そう言おうとしたけれど、その前にエヴァンが言った。

「飛び級します。問題ありません。飛び級しても、優秀な成績で卒業しますよ」

 その言葉に、私は肩を竦める。

「……わかっているわ。エヴァンのことだし、主席なのよね?」
「もちろん狙います」

 思わず笑みが零れた。
 エヴァンならやってしまうのだ。易々と。
 けれど、影では必死に努力していることを私は知っている。
 そんなエヴァンだから……好きなのだ。

「で。ニコラ、結婚してくれる?」

 今度は、首を斜めに傾け問うてくる。
 きゅるんと瞳を輝かせ、まるで子犬のようである。

 ……くぅっ! 可愛いがすぎる!

 可愛くて、格好よくて、頼りになって。
 令嬢たちがエヴァンに群がるのが痛いほどよくわかる。
 だけど、本当に申し訳ないけれど、私は気づいてしまった。
 気づいたからには、もう戻れない。

 ごめんなさい。エヴァンは誰にも渡したくないの。

 私は、エヴァンににっこりと微笑み、大きく頷く。

「……はい!」

 エヴァンの顔が、幸せそうに破顔した。