未練なんてありませんが?

「ニコラ、本当に申し訳なかった」

 皆のところへ戻った私に、グローリア殿下が開口一番そう言った。
 私は小さく首を横に振り、軽く一礼する。

「とんでもないことでございます、グローリア殿下。……本当は、あんな風に衆人環視の中で明かすことは避けたかったのですが」
「あれは仕方がない。シリル殿下の取りなしを無視したあいつが悪いんだ。あそこで下がっていれば、あんなことにはならなかった」
「……」

 ですよね、と心の中で同意しつつも曖昧に微笑む。

 ポーリーン殿下があんな暴挙に出た以上、そのままにしておくつもりはなかった。けれど、それは夜会が終わった後、もしくは最中であっても裏側で追及すべきだと考えていたのだ。彼女のためにも、それが最善だと……。
 シリル殿下もそう考えたからこそ、早々に下がらせようとしたというのに。

 二人の仲は、一見すると良好。けれど、よく見ていればわかる。
 ポーリーン殿下は、相変わらず自分のことしか考えていない。そしてシリル殿下は、そんな彼女に辟易している。彼女への対応は丁寧だし、優しそうな表情ではあったが、目が笑っていなかった。

 それでも、彼は彼女にとって最悪な状況にならないよう心を配った。
 しかし、その思いは届かなかった。

 なんだかやるせない気持ちになっていると、エヴァンが労わるように声をかけてくれる。

「姉上、お疲れ様でした。予期せぬ出来事がありましたが、オマリー絹(シルク)の献上は無事終えましたし、国王ご夫妻からもお褒めの言葉もいただきました。あとは、この夜会を楽しみましょう。皆様も姉上とお話したくて、うずうずしていらっしゃるようですよ」

 エヴァンの言葉に周りを見渡してみれば、皆がこちらの様子を窺っている。

「本当ね。あと、素敵なご令嬢もたくさん。きっと、エヴァンとお話したいのね」
「姉上……」

 ジトリと恨めしげな視線を寄越すエヴァンに、クスクスと笑みを漏らす。
 そして私は、改めてグローリア殿下と両親、エヴァンに向き直った。

「グローリア殿下、お父様、お母様、エヴァン、見守っていてくれてありがとうございました。おかげで、あの状況でも毅然としていられました」
「ニコラ……」

 私の言葉に、皆が優しく微笑む。
 そして、私たちは再び社交に勤しむ。
 こちらが一段落したのを察した人々が、わっと集まってきた。

 皆の反応は凄まじい。
 ただでさえ注目されていたというのに、あんなことがあったせいで更に注目されてしまったようだ。
 貴婦人たちの話は尽きないし、商人もあの手この手と策を講じてくる。
 皆が、一刻も早く新オマリー絹(シルク)を手に入れるために、躍起になっている。
 それぞれに対応しているうちに、私たちはまた散り散りになった。

 ずっと話していると、喉が渇いてくる。
 皆も時折給仕からグラスを受け取り、喉を潤している。

 すごい熱気……。私も喉が渇いたし、何かいただこうかしら。

 私がそう思っていると、ちょうど飲み物を給仕している使用人が側を通りかかる。

「あ、その飲み物はお酒かしら?」
「いいえ、果実水でございます」
「そう。一ついただける?」
「かしこまりました」

 私は、グラスに入った果実水を受け取った。
 ひんやりした果実水が喉を通ると、ひとこごちつく。

「オマリー伯爵令嬢、それでこちらのオマリー絹(シルク)は……」
「この見事な光沢と虹色は……」
「我が商会では、新オマリー絹(シルク)をより多くの国々に……」

 あら……疲れが出てきたのかしら? 皆の声が遠くなっていく。それに、景色もなんだかぼんやりと……。

「オマリー伯爵令嬢、大丈夫ですか?」

 気づくと、私の身体は誰かに支えられていた。
 この人は確か、さっき果実水を持ってきてくれた人だ。
 どうしてまだここにいるのかわからないけれど、とりあえずお礼を言わなければと、自分の足で立とうとする。でも、うまくいかない。

「この熱気にあてられてしまったようですね。一度休憩室でお休みになられた方がいいでしょう」
「でも……」
「ご案内させていただきます」

 休憩室に行くなら身内に声をかけてからと思ったのだが、その給仕は私の身体を支えて強引に連れていく。
 強引とはいえ、乱暴ではない。でも、こちらの意思をきちんと確認しないまま、こんな行動に出るなんて腑に落ちない。普通じゃない。
 怖くなって声を出そうとしたけれど、これもうまくいかなかった。
 ──身体の自由が利かない。

 この人は……誰なの? この人の持ってきた果実水を飲んでからおかしくなった。もしかして、あれに何か入れられていた?
 どうしよう、どこに連れて行かれるの? ああ、声が出ない。身体に力が入らない。

 さっきまで話していた人たちは、私のこの状態がわからないようだ。

 どうして? こんなに不自然な状況で、どうしてわからないの? 誰か気づいて!

 給仕は、私を支えながらも動きに淀みがない。
 私は、どんどん会場から離れていく。
 誰も見咎めないことから、彼が私を自然にエスコートしているように見えるのだろう。

 どうしよう、どうしよう、誰か助けて! 誰かこの人を止めて! お願い……!

 恐怖を感じながらも、意識が朦朧としてくる。意識を失ってはいけないとわかっているのに、抗えない。

 怖い、助けて、怖い怖い怖い……! 助けて……エヴァン!