未練なんてありませんが?

「どうして私がこんなっ! それに、このドレスを偽物呼ばわりするなんて、あの女……許せないっ!」

 強制退場させられたというのに。そして、そのドレスが偽物だとあの場の誰もが認めたというのに。
 それを認めていないのは、彼女ただ一人だ。
 シリルは、ギャーギャーと喚きながら歩く妻の姿に嘆息した。

 ポーリーンが何か企んでいることはわかっていた。
 自分の護衛たちを使って第三者と接触し、王都の外れにある空き家で職人たちに作業させていたことも、彼は全部把握していた。
 だが、あえて放置していた。
 止める必要などない。何故なら、シリルはポーリーンが何かをやらかすその瞬間を待ち構えていたのだから。
 そして、彼女はまんまとやらかしてくれた。

 よりにもよって、オマリー絹(シルク)の偽物を作るなんてね……。そして、大事な夜会にそんなもので仕立てたドレスを身に纏うなど。
 それに、仮に本物だとして。
 オマリー絹(シルク)の技術は、確か特許を取得していなかったか? それを無断で使用したとすれば、犯罪じゃないか。

 ポーリーンの人となりはわかっているつもりだったが、知れば知るほど驚かされる。
 有能だと認めている、あのテレンス=エイベラルでさえ手に負えないというのだから、ある程度は覚悟していた。だが、それ以上だった。

 なにせ、話が通じない。
 自分の都合のいいことしか脳が認識しないのか、都合のいいように勝手に解釈されるのか、返ってくる言葉はいつも的外れ。
 侍女をつけてもしょっちゅうクビにするし、注意も聞かない。助言などしようものなら烈火のごとく怒りだす。
 だから、もう好きにさせることにした。彼女を世話する侍女たちにも、何も言わなくていいと言ってある。言われたことをそのままやればいい、と。

 だから、あの下品なドレスを着ていても誰も何も言わなかった。
 王も王妃も王太子も王太子妃も皆、眉を顰めながらも見て見ぬ振りをした。
 問題のある人物だと知りながらも、シリルの意思を通し、グランデ王家に迎えてしまったから──。
 彼らは今、それを心底後悔していることだろう。

 ポーリーンが、いつか大きなやらかしをすることはわかっていた。そして、それが今夜であることも。
 彼女は、見事シリルの期待に応えてくれた。想定以上だ。

 今夜の目玉ともいえるオマリー絹(シルク)のドレス(しかも偽物)を着て、あろうことかオマリー商会に喧嘩をふっかけた。
 ニコラ=オマリーに個人的な恨みがあるのか、得意げに、堂々と、とんでもないことを言い放ったのだ。

 それに対し、相手は冷静だった。
 おそらく、ポーリーンのドレスがオマリー絹(シルク)の偽物であるとすぐに見破ったのだろう。淡々と言い返していた。
 ポーリーンが反論しても、ことごとく返された。彼女に為す術はなかった。呆気なく返り討ちにされてしまったのだ。

 あれで審美眼を誇っているのだから、笑える。

 いまだ喚き散らしているポーリーンを横目に、シリルは皮肉げに口角を上げる。そして、彼女の護衛たちに視線をやった。

 護衛五人の反応は様々である。
 ポーリーンと一緒に憤っている者、がっくりと肩を落としている者、半々といったところか。
 面白いのが、彼女の一番のお気に入りの護衛の表情が冴えない。というか、忙しげに視線をきょろきょろと動かしている。

 ふーん……。何かするつもりなら、手を貸してやろうか。

 オマリー商会に喧嘩を売ったことも大きなやらかしだが、まだ少し足りない。できれば、それを上回るようなとどめの一撃が欲しい。
 もしかすると、彼がそれをシリルに与えてくれるかもしれない。いや、くれそうだ。

 シリルは呼吸を整え、柔らかな表情を作った。そして、妻の名を呼ぶ。
 ──彼女の意識をこちらに向けるために。

「ポーリーン」
「え? あ、はいっ。シリル……私……」

 今更だというのに、ポーリーンは上目遣いで瞳を潤ませ、シリルをじっと見つめてきた。
 何も知らなければ、庇護欲をそそられる表情。しかし、知っているからこそ醜悪に見えてくる。
 つい舌打ちしたくなる気持ちを抑え、シリルは彼女を慰めるように言った。

「君は、何者かに騙されてしまったんだね」
「そ、そうなの! 私、オマリー絹(シルク)だと言われて買ったのよ。それなのに、偽物だったなんて……!」

 涙を浮かべ、肩を震わせる。

 彼女は王族ではなく、役者になるべきだったな。

 内心でそう呟き、シリルは彼女の肩を抱き寄せた。

「それは災難だったね。でも、エイベラル王国の王女だった君が、本物と偽物の区別がつかないなんて……何か深い理由でもあるの?」
「あの、えっと……お、お姉様と、あのニコラ=オマリーが、オマリー絹(シルク)を独占したの! 購入しようにも、あの二人に邪魔されてっ……」
「そうか。だから、君は本物を見たことがなかったんだね」
「そうなの! 酷いでしょう? 私、あの二人から嫌われているの……。特に、ニコラからは憎まれているわ」

 ポーリーンは俯き、はらはらと涙を流す。

 よくもまぁ、これだけスラスラと、息をするように嘘をつけるものだ。
 いや、これが真実だと思い込んでいるのかもしれない。
 そう思えるほど、彼女の言葉は真に迫っていた。

 ニコラ嬢から憎まれるのは当然だろう? 婚約者を奪っておきながら、何を言っているのか。

 呆れ果てながらも、シリルも負けじと演技を続ける。
 と同時に、彼女の護衛の一人がいなくなっていることを確認した。

 堪らず、行ったか。

 シリルは密かにほくそ笑みつつ、彼女に慰めの言葉をかける。
 やがて、ハッと気づいたようにこう言った。

「あれ? 君の護衛が一人足りないようだよ?」
「え? あら、本当だわ。フランシス、フランシスがいない! ねぇ、フランシスはどこ?」

 護衛たちも今初めて気がついたようで、皆が顔を見合わせている。
 一人がどこかへ行ってしまったにもかかわらず、誰も気づかないとは……。

 ポンコツにも程があるな。

 もう呆れるを通り越して、笑えてくる。
 シリルは、残りの護衛に命じた。

「フランシスを探してくるように。あぁ……もしかしたら、婚約者に会いに行ったのかな? 彼は、ニコラ嬢の婚約者だっただろう?」

 この言葉に、ポーリーンが激しく反応する。

「違うわ! フランシスとあの女は、もう婚約を解消しているのよ!」
「そうなの? でもここにいないということは、会いに行った可能性が高いんじゃないかな?」
「どうして?」
「彼の方に未練があるのかも」
「そんなっ……そんなはずないわっ!」

 ポーリーンはそう叫び、くるりと踵を返す。そして、一目散に駆けだした。彼女の護衛たちも、慌てて追いかけていく。
 彼らの後ろ姿を眺めながら、シリルは肩を竦めた。

「やれやれ……旦那を置いて護衛を追いかけるって、不貞を証明しているようなものだよね」
「シリル殿下、どうされますか?」

 付き添っていた衛兵たちが、戸惑いの表情で尋ねてくる。
 シリルは微笑み、「放っておいて。あと、各自持ち場に戻っていいよ」と彼らに命じ、再び歩みを進める。
 衛兵たちは訝しげにしながらも、それに従うしかない。

「はっ」

 彼らがこの場を後にする。
 シリルはそれを確認し、ポツリと呟いた。

「さて、最後の仕上げといこうかな」

 その微笑みに、嗜虐性が潜んでいることは誰も気づかない。
 知っているのは、シリル本人だけだった。