未練なんてありませんが?

「どうしたんだ?」

 馬車の窓からエヴァンが問うと、護衛は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「実は、五日ほど前にこの町で魔獣の襲撃があったそうなのです」
「魔獣の襲撃!?」
「え? 大丈夫なの!?」

 町の様子がそれほどひどい状態に見えなくて、わからなかった。きっと、残骸の片付けだけは終えているのだろう。
 とはいえ、襲撃があったのなら、貴族を招き入れるのは難しいかもしれない。町の復旧作業で大忙しだろうし。
 隣国での予定が後ろ倒しにできるなら、私たちもそれを手伝いたいところだけれど、王家主催の夜会となるとそれは無理だ。

「魔獣はすぐに討伐されたとのことです。ですが、火を吐くタイプだったそうで、宿屋にかなり被害が出たと」

 この町では、他と比べて宿屋が多く営まれている。隣国へ向かう際、ここで宿泊するのが一番効率がよく、客が集まるからだ。
 でも、そこに被害が出たとなると……

「宿泊は難しそうかしら?」
「他の貴族家の方々との兼ね合いもあり、予定の部屋数は確保できないとのことでした。オマリー伯爵家は、一室だけとのことです」

 エイベラル王国から招待された他の貴族家も、ここで宿泊する予定だったらしい。
 まぁそうなるだろう。
 また、他の宿屋に被害が出たせいで、そちらの客も流れてきているとのことで、他の家も予定した部屋数を減らしての宿泊となっているそうだ。
 というわけで、この町で一番立派な宿屋に泊まれるのは、主人格の者だけだと。
 侍女や護衛は、簡易宿泊所が作られているそうなので、そちらになるらしい。

「場所は近くだそうで、護衛の交代には支障はないと思われます」
「そう……。確認してくれてありがとう」
「とんでもないことでございます」

 つまり、予定の宿屋に泊まれるのは、私とエヴァンだけということだ。
 他家も、当主夫妻だけなのだろう。

 ……夫婦なら同じ部屋で問題ないけれど、私たちはどうしたものかしら。

 皆も気が動転しているだろうし、ここで私が不安げ顔を見せれば、ますます動揺させてしまう。だから冷静を装っているけれど、内心は冷や汗ものだった。

 子どもの時ならいざ知らず、今の私たちが同じ部屋で泊まるのって……大丈夫?

 いや、大丈夫じゃない。全然ない。
 婚約者でもない男女が同室で一夜を明かすなど……。婚約者でもそうそうないことなのに。

 すると、エヴァンがナンシーに言った。

「ナンシーが姉上と一緒にいるといい。その方が何かと便利だろうし」
「いえ、それはできかねます。主と使用人が同じ部屋に泊まるなどありえません。ましてや、もう一人の主を追い出してなど!」

 まったくの正論だけど、ナンシー、ちょっと考えてみて?

 婚約者でもない、血も繋がってない男女が同じ部屋で過ごすのと、主と侍女が同じ部屋で過ごすのと、どっちがありえない? まだ同性の方がましなのでは……?

 え? 本当に? あぁ、なんだか私もよくわからなくなってきたわ。

「ナンシー、私は男だよ? 私が姉上と同じ部屋で一晩泊まるとなれば……」
「何か問題が?」

 にこにこにこ。

 ナンシーが満面の笑みを浮かべている。心なしか、圧がある。しかも特大の。
 私だけでなく、エヴァンまでその笑顔に引いている。

「ナンシー……?」
「宿屋には、ニコラお嬢様とエヴァン様が泊まる、ということでよろしいですね? 私はお嬢様の寝支度を済ませた後、簡易宿泊所の方に泊まります。朝もきちんとお迎えに参りますのでご安心を」

 そう言って、ナンシーは恭しく一礼した。

「わ……わかった」

 エヴァンが折れた。

「あの……それでは、そのように宿屋の主人に伝えてきますがよろしいでしょうか?」
「よろしく頼む」
「はっ」

 護衛が宿屋の方へ駆けて行った。

 ……あれ?

「姉上、申し訳ございませんがご了承ください」
「え、あ……はい。……わかったわ」

 ここでだめだと言えるはずもなく、私たちは、なし崩し的に同じ部屋に泊まることになってしまったのだった。