未練なんてありませんが?

 ポーリーンの夫となった、グランデ王国の第三王子であるシリル=グランデは、他の王族たちと違って少々癖のある人物だ。
 しかし、一見そうは見えないし、見せない。
 彼の内面までを知らない国民や貴族たちは、彼のことを有能且つ容姿端麗な男、という印象を持っている。なので、婚約者がいなかった頃の彼の人気は途轍もないものであった。否、妻を迎えた現在もそう変わらない。
 シリルが友好国であるエイベラル王国から妻を娶ったという話が国内に広がった時、どれほどの令嬢が悔しがり、涙を流したことだろうか。この件は、どんな有力貴族も横槍を入れる隙などなかったほどの早業だった。

 そんな彼は、根っからの研究者気質だ。薬草学の第一人者としても名をはせている。彼が考案し、作られた薬は、傷にも病にもよく効く。
 かつて、グランデ王国が流行り病に襲われた時は、彼の作った薬が救世主となった。これで命拾いした者がどれほどいることか。それは、平民、貴族、王族問わずであった。

 そんなこともあり、シリルは王族ではあるが、他の兄弟よりも自由を保証されている。が、たった一つだけ自由にならないことがあった。
 それが、婚姻である。

 幼い頃から天才の片鱗を見せ、容姿も飛びぬけてよかった彼を、放っておく貴族はいない。
 皆がなんとか自分の娘を嫁がせようと躍起になったし、令嬢たちも進んで彼の歓心を買うことに夢中になった。
 ……おそらく、それが行き過ぎたのだろう。物心つく頃には、シリルはすっかり女性嫌いになっていた。

 それに、学び舎で薬草学を専門に学ぶようになってからは、そちらの研究に没頭した。女性を相手にするより、薬草を相手にしている方が何倍も楽しかった。
 年頃になり、そろそろ婚約者を……と言われても、のらりくらりと躱してきた。婚約者がいても、そちらに構う余裕などないのだから、そもそも必要ない。

 しかし、そろそろ逃げられなくなってきた。
 どうしようかと思案していると、親交のあったかつての友から、とある提案を持ち掛けられた。
 ──妹を娶らないか、と。

 その友は、隣国エイベラル王国の王太子、テレンス=エイベラルである。
 彼の妹といえば、たった一人。ポーリーン=エイベラル。
 彼女の情報は、テレンスからももたらされていたが、シリル自身も把握していた。

 シリルは研究者として顔が広く、その伝手も使って情報収集も得意としている。
 己の研究に役立つものだけでなく、他国の情勢や重要人物の動きや人柄など、そういった情報も掴み、王や王太子に渡している。これもまた、自身の自由を担保するための対価であった。

 ポーリーンの人となりも、もちろん把握している。……これ以上なく、正確に。
 にもかかわらず、シリルはポーリーンとの婚姻を承諾した。
 両親は、彼女について少なからず知っていたので、かなり心配した。だが、シリルがせっかくその気になったということもあり、結局は折れた。彼の思うようにさせてくれたのだ。

 そして、ポーリーンをグランデ王国に迎える。
 少しの婚約期間を経て、すぐに婚姻となる。
 シリルは、できるだけ婚姻の時期を早めた。それを疑問に思われないよう、ポーリーンと顔を合わせてからは、とにかく彼女を優先し、甘い言葉で懐柔した。
 シリルの思惑どおり、ポーリーンは己が見初められ、溺愛されていると思い込んだ。彼女は、あっという間にシリルに夢中になった。
 だが、祖国から連れてきた護衛五人を常に側に置くことはそのままに、誰一人として帰国させようとはしなかった。

「ここで全員を帰国させていたら、私の胸も少しは痛んだかもしれないな」

 そう呟き、フッと小さく笑う。それは、自嘲的な笑みだった。

 そもそも、他国への輿入れに護衛騎士を五人も連れてくるなどありえない。
 それは「貴国の護衛では、自分の身の安全は守れない」と言っているも同じ。迎える側としては、喧嘩を売られたようなものである。
 連れてくるとすれば、心を許した専属侍女数名くらいが妥当だろう。だが、彼女についてきた侍女は一人もいなかった。

「自国では、誰からも愛され大切にされてきた、なんて言っていたのに。ついてきたのは、媚を売って骨抜きにした護衛(バカ)五人だけ」

 本当に皆に愛され、大切にされてきたのなら、身近にいた侍女はついてきたはずである。なのに、一人もいなかった。
 それを尋ねた時、彼女はなんと言ったのか。

『皆、祖国に想う殿方がいたのですわ。想う男女を引き離すなど、私にはとてもできません! だから、専属侍女たちにはついてこなくても大丈夫だと言いましたの』

 これを聞いた時、シリルはつい笑ってしまいそうになった。

「それなら、どうして婚約者がいる護衛は連れてきたんだ? 矛盾しているだろう」

 五人のうち、二人には婚約者がいた。そのうち一人は、婚約が解消されたという。
 想う二人を引き裂いておきながら、どの口が言うのか。

「いや、男の方はもう婚約者に気持ちはなかったか。だとしたら、婚約解消して正解だな。ポーリーンが一番気に入っている護衛、フランシス=オークウッドだったか。彼の婚約者は……ニコラ=オマリー。彼女なら、嫁として引く手数多だろう」

 ニコラ=オマリーは、グランデ王国にも支店を持つ大商会の娘であり、各国で高い評価を得ているオマリー絹(シルク)を発案し、生み出した者でもある。近々開催される夜会にも出席する予定のはず。

「会えるのが楽しみだな。さぞや、聡明なご令嬢なのだろう。……だが、我が妻が何やら画策しているようだ。いったい何をやらかしてくれることやら」

 シリルの口角が、皮肉げにクイと上がる。

「ニコラ嬢には申し訳ないけれど、ポーリーンにはぜひ頑張ってもらわなくてはね」

 妻の努力は、明後日の方向であると心得ている。
 しかし、シリルはそれを望んでいた。──そう、心から。