未練なんてありませんが?

 半年前にオープンしたそのカフェは、広々とした明るい店内にテラス席も完備していて、雰囲気も硬すぎず、でも品はよく、あっという間に大繁盛となった。
 貴族、平民問わず、というところもよかったのだろう。
 さすがに公爵家や侯爵家のような高貴な方々に対しては、彼ら用の個室が用意されているけれど、それとは別に、予約すれば誰も使える個室もある。
 オーナーのこだわりと、細かな心遣いを感じる店だ。

 同世代の友人たちとの話題には必ず出てくるし、私もずっと気になっていた。
 行ってみたいけれど、一人で行くのは寂しいし、かといって、友人たちと予定をすり合わせることも難しかった。
 だから、ようやく来ることができて嬉しい!

「とても素敵ね。調度品もセンスがいいわ。それに、とってもいい匂い」

 時間的に、お茶だけというよりは食事をしている人たちがほとんどだ。
 友人同士で語らう女性たち、カップルで訪れている人たち、皆の表情が明るい。

「姉上、個室を予約しています」
「そうなの? いつの間に……」

 工房を視察しようとなったのは、ほんの二、三日前だったような気がするのだけれど。
 その時に予約を入れたとして、よく取れたものだ。個室は人気で、なかなか取れないと聞いていたから、いっそう驚いてしまった。

「実は、高貴な方用の個室なのです。オーナーがオマリー絹(シルク)の大ファンだそうで、都合してもらえたのですよ」

 他の人に聞かれないよう、こそっと耳元で囁かれる。
 その瞬間、辺りがざわめいたのがわかった。小さな悲鳴も聞こえる。

「ちょっと、エヴァン!」

 周りの人たちからすると、私たちが恋人同士で、彼が私に甘い言葉を囁いたようにでも見えたのだろう。
 ……だって、今のエヴァンからは色気が駄々洩れているから。

 店員に案内され、個室に入る。
 高貴な方用とはいえ、店の雰囲気を損なわないデザインになっていた。
 ただ、ちょっとだけ豪華な花が飾られていたり、テーブルも椅子も他より上質なもので、椅子のクッションもふかふかだったりする。

「夕食もレストランを予約していますので、ランチは軽めにしておいてくださいね」
「え? レストランを予約しているの? どんなレストラン? もしかして、この格好じゃ入れないようなところじゃ……」

 私が冷や汗をかいていると、エヴァンは軽くトンと胸を叩いた。

「問題ありません。アルヴァの近くにオマリー商会の宝石店があります。そこに衣装一式を用意していますので」
「~~~っ!」

 どこまで用意周到なのだろうか。

「準備がよすぎない?」
「これくらい当然ですよ。オマリー商会の店舗視察を兼ねての王都散策ですし、夕食の時間には邸に戻れそうもありませんでしたからね。だったら、一流レストランで食事もいいでしょう。社交以外での紳士淑女の情報収集もできますしね」

 抜け目のないエヴァンに、私は肩を竦める。
 本当にちゃっかりしている。
 しかし、次の瞬間には優しげに目を細め、小声で言った。

「というのは建前で、私はデートだと思っていますけどね」
「エ、エヴァン……!」
「揶揄ってなんかいませんからね?」

 そう言って、上目遣いで見つめてくるのは反則だと思う。
 混乱していつまでもメニューを決められないでいる私を見て、エヴァンが勝手にオーダーを済ませてしまう。でも、それが私の好みにぴったりだから、これまた困ってしまう。
 そして、極めつけはこの一言。

「ここで一番人気のフォンダンショコラも、ちゃんと頼みましたからね」
「……ありがとう」

 もう、タジタジなんですけど!

 美味しいランチとお茶を済ませた後は、オマリー商会の関連店舗を回る視察……も兼ねての王都散策。
 久しぶりにのんびり歩く王都の町は、相変わらず活気があって人も多い。
 貴族令嬢がこんな風に町を歩く時は、侍女や護衛をつけるのが普通だけれど、それだとなんだか仰々しくて、私はあまり好きではない。それに、護衛を連れていると、町の素の姿が見れない気がするのだ。

 かと言って、令嬢と令息だけというのは危険が伴う。特に、私たちは伯爵家で、オマリー商会の人間。金銭やその他諸々を狙っての誘拐などもあり得る。
 そういう訳で、オマリー伯爵家が雇っている腕利きの諜報部員を、護衛がわりに連れている。彼らは身近にいるけれど、姿は見せない、所謂「影」だ。

 王家や高位貴族家では当たり前のようにいるけれど、伯爵家では珍しいかもしれない。
 しかし、オマリー伯爵家は普通の伯爵家ではないので、かなりの数の影を雇っている。
 商会にとって、情報はまさに糧であり、命綱であり、金塊にも勝るもの。その情報を扱う我が家の諜報部員たちは、皆優秀で腕が立つので、護衛としても申し分ないのだ。
 一見、私たちは二人きりで歩いているように見える。けれど、周囲には、町の風景に溶け込んだ護衛たちがいる、というわけなのである。

 でも、エヴァンがいるだけで結構な戦力なのだから、影までは必要ない気もするんだけど……。

 華奢な貴公子に見えるが、エヴァンはこう見えて鍛えている。
 剣に槍に弓まで使えるのだからとんでもない。騎士団にだって、きっと入れると思う。
 護身のために習い始めた武術だったけれど、凝り性のエヴァンは、あれもこれもと次々にマスターしてしまったのだ。
 ……本当にとんでもない。

 そんな私たちは、オマリー商会の店はもちろん、他に気になった店をあちこち見て回り、気に入ったものをあれこれと買って、王都の散策を存分に楽しんだ。
 その後は、オマリー商会が営む宝石店の一室を借りて着替えを済ませ、高位貴族御用達の一流レストラン「アルヴァ」へと繰り出し、贅沢なディナーを堪能。
 視察と言いながら、まるで休日のような一日を過ごしたのだった。