未練なんてありませんが?

 王太子の結婚時のような、民をも巻き込む盛大な式ではなかったが、それなりに派手な結婚式を挙げた。
 神の前で誓いの口づけを交わす二人は、その見目麗しさもあり、神々しささえ感じられた。
 ポーリーンは幸せの絶頂で……。
 これから先も、この幸せが続くものだと思っていた。彼女だけではなく、ついてきた護衛五人、全員がそう信じていた。なのに──

 式が終わった日の夜。
 妖艶な夜着に身を包んだポーリーンの元へやって来たシリル。これから二人の初夜が行われる……はずだった。
 だが、完遂されることはなかったのだ。何故なら、ポーリーンがその前に眠ってしまったから。

 二人の寝室は、メイドたちによってムード満点の演出が施されていた。
 女性をより美しく照らし出す明かりに、男性の気持ちを昂らせるような夜着、女性の精神をリラックスさせる香もたかれ、準備万端だった。
 にもかかわらず、シリルがやって来て、ポーリーンを抱き寄せた後の記憶が彼女にはなかった。
 彼女が目覚めたのは次の日の昼前であり、もうシリルの姿はなかった。ポーリーンは己の身体を確認し、初夜がなされていないことを知るや、シリルの元へ突撃した。
 執務中ではあったが、この時は部屋に入ることが許された。そして、シリルから驚くべきことを告げられる。

『よほど疲れていたのだろう。私が抱き寄せると、安心したように眠ってしまったんだよ』

 ポーリーンは、羞恥で顔を真っ赤に染めた。シリルはそんな彼女に、気にしなくてもいい、気持ちが落ち着いてからで構わないと言ってくれた。
 なにせ、グランデ王国に来てから、さほど日にちを置かずに結婚したのだ。普通なら、王族の婚姻には年単位の日数がかかるものだ。それを、わずか数ヶ月で行ったのだ。
 ポーリーンもグランデに来て間もない。環境に慣れるだけでも大変だ。式の緊張もあったろうし、疲れが出てしまっても仕方がない。

「シリルが今すぐにでも結婚したいってことで、準備期間も最短にしたんでしょう? なのに、ひどいわよね」

 それなのに、結婚後のシリルはポーリーンに対して素っ気ない。
 ポーリーンも護衛たちも、シリルの気持ちがわからず首を傾げるばかりである。

 そこで、なんとか不機嫌な彼女の気分を変えようと、ジェイクが新しい話題を提供した。

「そういえば、エイベラルでは新しいオマリー絹(シルク)が登場し、女性が夢中になっているそうですよ」
「オマリー絹(シルク)? 色がダサくて、興味ないわ」
「いいえ、違うのです! これまでの色とは違い、鮮やかな色や淡い色のものが出てきたのですよ」
「なんですって!?」

 ジェイクは、エイベラル王国に婚約者を残してきている。
 彼の婚約者、クララ=アシュベリー子爵令嬢から、祖国の最新情報は常に入ってくるのだ。

「私も欲しいわ!」
「エイベラルでもなかなか手に入らないそうですが……クララに頼んでみます」
「よろしくね、ジェイク!」

 ジェイクに笑顔を見せるポーリーン。その逆側にいるフランシスは、僅かに顔を背けた。

 もし、ニコラとの婚約を継続していたら、ジェイクなどよりも手に入れられる可能性が高かったのに。

 いまだにこんな風に考えるほど、フランシスはニコラに未練を残していた。
 ただし、それは自分にとって都合のよい駒としてだが。
 フランシスは、眉間に皺を寄せる。

 俺を愛しているはずなのに、どうしてあんなに簡単に婚約解消したんだ? いつもくっついているあの忌々しい義弟のせいか?
 どうにかして、あいつは早々にニコラの元から離すべきだった。全部あいつ、エヴァンのせいだ。許せない。

 フランシスの心に、どす黒い炎が上がった。それは、少しずつ燃え広がり、彼の心を蝕んでいく。

「私も、お父様やお母様、ヨハン兄様におねだりしておこうかしらね。ニコラに頼んでも、どうせ聞いてくれないんでしょうし。本当に忌々しいったら……」

 違う! あの小賢しいエヴァンが、ニコラにおかしな入れ知恵をしているだけなのです。でなければ、あの優しかったニコラがあんな風になるわけがない!

 そう叫びたい気持ちを抑え、フランシスは優しい笑みを浮かべた。

「ポーリーン殿下、私たちは、あなたの願いを叶えるために精一杯尽力する所存です」
「あなたのため、望むものを手に入れましょう」

 フランシスとジェイクの言葉に、ポーリーンは微笑みを向ける。

「ありがとう。期待しているわ」

 だが、この数日後、彼らは現実を思い知らされることになる。
 三ヶ月後に開催される予定の、友好国エイベラルとの産業振興を深めるための夜会。この王家主催の夜会に、新オマリー絹(シルク)が国王夫妻に献上されるとのことだ。
 オマリー絹(シルク)は、エイベラルでも注文が殺到しており、生産が追い付いていないらしい。故に、献上されるのは国王夫妻にのみ……。

 このような状況で、ポーリーンが手に入れられるはずもない。
 このことを聞かされた後、彼女は部屋に戻り、歯噛みしながら手当たり次第に辺りの物を投げつけ、破壊したのだった。