未練なんてありませんが?

「ふぅ……。やっと一段落といったところかしら」
「ニコラお嬢様、午後からはこちらの封書をご確認くださいませ」

 執事が山のような封書を持ってきた。それをチラ見し、私は肩を落とす。

「きっと、オマリー絹(シルク)を都合してほしいっていう依頼よね。市場ではなかなか手に入らない状態だから、直接連絡してくるなんて……」
「皆様、それほどまでに熱望されているのですよ」
「ありがたいことだけど、困ったことでもあるわね。……ありがとう、そっちに置いておいて」
「かしこまりました」

 執事が部屋を出て、私は大きな溜息とともに机に突っ伏した。

 オマリー絹(シルク)のカラーバリエーションが広がって以来、私とエヴァンは毎日目の回るような忙しさだ。
 私たちはこの事業の立ち上げから関わっているけれど、立ち上げ自体、中心になって動いていたのはお父様である。私たちもそこそこ忙しくはあったけれど、お父様に比べればそこまでではなかった。
 でも、正式にこの事業を受け継いだ後は、お父様はあくまで相談役で、実際に指揮を執るのは私とエヴァン。これまでのオマリー絹(シルク)の販売に関してはある程度落ち着いていたのだけれど、新しい色が続々とお目見えしたことで、市場はひっくり返った。

 元々人気があったということもあるけれど、大きかったのは、ドラン公爵夫妻が主催する夜会に私が新しいオマリー絹(シルク)で仕立てたドレスを着て参加したことだろう。
 あの時、庭園で踊る私たちを目撃した貴婦人たちが、私のドレスについていい噂を広めてくれたのだ。

『あの上品な光沢と虹色の反射はオマリー絹(シルク)ならではですわ。その上、淡い青色のドレスは、ニコラ嬢の瞳の色そのもので、彼女の美しさをより引き立てていたわね』
『とても綺麗な色のドレスで、思わず見惚れてしまいました』
『月の光に照らされて浮かび上がる虹色に、神々しさを感じましたの!』

 などなど。

 でも、私とエヴァンよりも更に忙しくなっているのは、職人たちだろう。
 ルアンスパイダーの糸を紡ぐ職人、糸を染色する職人、布を織る職人……。
 それぞれが高い技術を要するので、人材育成に力を入れているとはいえ、一人前に育つまで少々時間がかかる。だから、常に不足している状態。
 でも、ものすごい数の注文が入っても、職人たちを酷使するわけにはいかない。人が手で作業している以上、品質を維持するためには作業環境も快適に保つ必要がある。要は、きちんと休息を取ること。
 オマリー絹(シルク)は大量生産できない。だからこそ、希少価値があるのだけれど。

「工程も一つ多いのよね……。ルアンスパイダーの糸は、そのままでも使えないことはないんだけど……」

 そのまま使うなら、糸を紡ぐ工程は省略できる。これだけでもかなり違うのだが、ここはどうしても譲れなかったのだ。

「ここまでとは想定していなかったけど、こうなることはわかっていたのだし、仕方ないわね」

 本当は、全ての注文に迅速に対応したい。でも、それが不可能なのは最初からわかっていた。
 私は軽く頭を振り、思考を切り替える。そして、執事が持ってきた封書を確認し始めた。

「え……これは……」

 一番上に乗せられていた封書を見て、大きく目を見開く。
 明らかに他とは違う上質の紙に、高貴な封蝋。そして、その紋に驚愕する。

「ちょ、ちょっと待って! これって……!」

 その時、タイミングよくノックの音がした。

「姉上、今よろしいでしょうか?」
「エヴァン! ちょうどよかったわ、入って!」

 私は大慌てで、部屋の扉を開けたのだった。