その後、彼とは少しずつ親しくなった。
基本的に、日本人と積極的につるむつもりはなかったけれど、他の国から来た留学生を交えてみんなで食事をしたり映画を見たり、パブで飲んだり、という時間はとても楽しく、そこにはいつも彼が――憧くんがいた。
一見、人とコミュニケーションをとるのが苦手のようでありながら、実は寂しがりやなのか、一人でいることはほとんどないのが憧くんだ。同じクラスの誠二くんとよく一緒にいるし、ものすごく背の高いスイス人・マヌエルとも仲がよさそうだ。
逆に、私は授業で死ぬほど神経をすり減らしているのもあって、Tea breakの時間には中庭で一人でいることが多かった。そして、テキスト片手にぽつんとベンチで紅茶を飲んでいると、決まって憧くんは隣にやってきた。
『女の子には優しくする主義だから』なんて、しゃあしゃあと言い放つ。
そこにほんのり下心があるのは、すぐにわかった。そして、さほど隠そうともしない潔さには、感嘆すらした。舌なめずりして獲物にまっしぐら、という感じはまったくないくせに、躊躇なくぴったり寄り添ってくるわ、キスでもするみたいに突然顔を近づけてくるわ、やけにぐいぐい迫ってくる。
嫌だとは微塵も思わなかった。そもそも、憧くんはど真ん中と言わないまでも、かなり私のタイプだった。
どうやら、向こうも私の顔や容姿は好みらしかったから、お互い最初からうっすら意識はしまくっていた、というわけだ。
日本にいたときのように、大人しくふるまう必要なんて、どこにもない。周囲の目を気にしなくてもいい。遠慮とか、なんなら配慮だって最低限度でいい。きちんと勉強して、12月に受ける予定のケンブリッジ英検にパスしさえすれば、あとは好きにしよう。
今あるのは『留学生』という肩書だけ。休学している大学も、日本にいる家族も、そして恋人ですら、私を縛ることはできない。
翼を授けられ、空を思う存分飛びまわれる鳥にでもなった気分だ。
どうせ、来年の3月に帰国したら、またがんじがらめの日々がやって来る。
くだらないルールと、息がつまるような同調圧力。正しい、とされる規範をはみ出ることが許されない、窮屈な世界。絶えず周囲の目を気にして、適切にふるまうことが求められるつまらない毎日を、延々と繰り返す生活に舞い戻る。
妙な話だ。日本にいる頃は、そこまであの場所に嫌悪を覚えてなどいなかった。それなりにちゃんと幸せだと思っていたはずだ。
数人の親友と、大学院生の恋人。地元ではそこそこの知名度のある、いわゆる『お嬢様大学』に通う平凡なごく普通の大学生。過不足ない日々だったはずだ。
なのに、今の私の目にはなんとつまらなくて、くだらないことか。
なんなら、反吐さえ出そうなほどだ。
そんなことを、一ミリの違和感もなく思えてしまうくらい、あの頃の私は鼻持ちならないクズ中のクズだった。
自分勝手で、傍若無人で、その瞬間だけしか見えていない、そんな愚かしい昔の私。
かつて大事に愛おしく思っていたもの全て忘れ、自由にふるまう快感を知った私は、それ以降、どんどん違う自分へと変わっていった。
他の日本人女子にどう思われたって、かまわない。どうせ、あのコミュニティーに入るつもりはない。
例外は、同じ日に入学した二人――浩美ちゃんと綾乃ちゃんは、なぜか私を避けもせず、見かけると笑顔で話しかけてきた。穏やかで善良なあの子たちを、決して嫌いにはなれなかった。
普通の感覚を持って、健全な留学生活を送る二人は、どんどんおかしな方向へと逸れていく自分を現実につなぎとめてくれる軛のような存在にも思えていたのだった。
でも、憧くんと一緒にいると、躊躇なく素の自分のさらけ出してしまう。
『好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの』
さすがにドン引いて呆れかえった風ではあったものの、彼の目の奥にも一瞬揺らぎがあったのを、私は見過ごさなかった。
欲しい、欲しい。
何もかも解放して、溺れてしまえるような、激しい何かが。
私のドロドロした欲望が、彼にはなぜかはっきりと見えていたらしい。
そして、あの晩――憧くんはなんの躊躇もなく、手を伸ばして私の奥からそれをずるりと引き出したのだった。

