入り口のすぐ横にあるオフィスに顔を出すと、校長先生のMegがすぐに気づいて、こっちよ、と中に入るようジェスチャーで促してきた。言われた通り、オフィスの扉を開けると、別の女性が笑顔で椅子から立ち上がった。
「Hi, Yui. Nice to meet you. I'm Lucy. You're in my class」
「Nice to meet you, too. Also, I'm glad to be a student in your class」
さっそく行きましょうか、と促されて教室へと向かう。そこはなんとAdvanced class――さんざん熟読してきたパンフレットによると、この学校の最上位クラスで、ケンブリッジ英検のCAE(1級)とCPE(特級)を受験する生徒のためのクラスだった。
何かの間違いでしょ、と冷や汗をかいているとLucyがにこにこしながらこう言った。
「Actually, you've got full marks in the grammar quiz yesterday. Well-done!」
実はね、昨日の文法のテストで満点よ。よくできました。
まあ、文法はね。大学で英文学科なんだし、英検2級より少し上くらいのレベルの文法問題なら、朝飯前だ。ああ、こんなことなら少し手を抜いておくんだった、と後悔する間もなく席に促される。
すでに来ていたクラスメイトは、ほぼ全員がヨーロッパからの留学生だった。フランス人、ドイツ人、フィンランド人、イタリア人、チェコ人、ロシア人。おそらくみんな10代後半から20代前半。自分と年が変わらないはずなのに、そろいもそろって彫の深い美男美女ばかりで、気後れしそうになる。とはいえ、侮られても悔しいから、なるべくポーカーフェイスできちんと挨拶しておく。それから、いつもは遅刻魔だというブラジル人の女の子・ルチアナと、やたらと調子のいい韓国人の男の子・ヨンミンがぎりぎりに滑り込んできて、授業が始まった。
予想はしていたけれど、授業の冒頭で簡単に自己紹介させられる。
「I'm Yui. I used to go to a university in Hokkaido, northern island in Japan. I major in English literature」
優依です。日本の北部にある島、北海道の大学に通っていました。専攻は英文学です。
内容を吟味する余裕がなかったから、当たり障りのないつまらない自己紹介になってしまう。ただ、うっかり口を滑らして英文学専攻、なんて余計なことを言ってしまったせいで『Whose work?』と間髪入れずに訊かれてしまう。仕方なく正直に「ジェフリー・チョーサーのカンタベリー物語のゼミにいる」と小さな声で答えておいた。嘘ではないものの、卒論は別の作家、別の作品にすると決めているから、ちょっと後ろめたい。
英文学の名作古典だから、当然めちゃくちゃ興味を持たれてしまい、ああ、完全に墓穴を掘ったな、と後悔しながら、あとで何か突っ込まれた時に備えて、ひとまず、日本で暗唱練習を必死にやったGeneral Prologueを記憶の底から引っ張り出しておくことにした。中英語(中期英語・中世英語)の響きがすごく好きで、一時期ハマりにハマったとはいえ、あまりに奥深すぎて慄いてしまい、飽きっぽい私は結局挫折してしまったのだった。
その後、先生に促されたクラスメイトが時計回りに簡単な自己紹介をしてくれた。さっき少し話したあとだから、すんなり名前を覚えられそうでほっとする。
1時間目の授業は、テキストの新しいUnitの導入として、自分の好きな映画をディスクライブして、パートナーにタイトルを当てさせる、といういきなり高レベルなお題のアクティビティから始まった。
1分考えて、パートナーと当てっこし合う。あまり映画に詳しくない私は、『アマデウス』を選んだ。緊張のあまり、正確に説明するだけで精一杯で、ひっかけを用意したりわざとわかりにくくしたりといった工夫をする、なんて気の利いた真似もできず、あっさり当てられてしまった。
ペアを組んだドイツ人・クリスティアンは惚れ惚れするほど流暢な英語を駆使し『ニューシネマパラダイス』を描写する。私も大好きな映画だったから、なんだか嬉しくて少しだけ緊張がほぐれた。
とはいえ、とにかく表現も、言葉の選び方も、何もかもが段違いのレベルで、度肝を抜かれたのは事実だ。しかも彼はとても紳士で、私のへたくそな英語にちゃんと耳を傾け、馬鹿にしたりなどが一切ない。救いではあったけれど、一体どう思われてるのだろう、と冷や汗が出る思いだ。
21年間生きてきて、たった1時間半の授業でここまで強いストレスにさらされたのは、初めてだった。時差ボケもあって、変な汗をかいているのがよくわかる。ようやく休み時間になり、死ぬほどほっとした。
「We have 20 minutes' "Tea break" before the next class」とクリスティアンに教えてもらって、キッチンへ促された。
数人のスタッフが、ずらりと並んだマグカップにティーバッグを放り込み、そこにケトルから熱湯を注いでいる。
黒々と濃い紅茶が出来上がると、まるでタンクのようなの巨大ボトルから牛乳が注がれる。綺麗なキャラメル色になったミルクティーのカップを、待ちかねたように次々やって来る留学生たちが手に取っては、ジンジャークッキーの空き缶に、50P硬貨を入れている。
なるほど、日本円で80円くらいか、と思いながらお財布からコインを取り出し、カップをひとつ手に取った。「Thanks」と声をかけると「Enjoy your tea break, dear」と優し気な笑顔が降ってきて、ほんの少しだけ緊張がほぐれた。
クリスティアンが気を遣って待っていてくれたから、少し話をした。
22歳で大学院生、建築を勉強している、なんて教えてくれる。
「ロンドンの街並みになじむ古い家はすごく素敵だよね」と言ってみると「そう、そう。散歩してるだけで本当に幸せだ」なんて笑顔を見せる。
彼は人気者らしく、すぐに他のクラスメイトに呼ばれたから、そのタイミングで私は中庭へと回ってみた。ちょっと一人になって休憩したい、というのが正直な気持ちだった。
「Hi, Yui. Nice to meet you. I'm Lucy. You're in my class」
「Nice to meet you, too. Also, I'm glad to be a student in your class」
さっそく行きましょうか、と促されて教室へと向かう。そこはなんとAdvanced class――さんざん熟読してきたパンフレットによると、この学校の最上位クラスで、ケンブリッジ英検のCAE(1級)とCPE(特級)を受験する生徒のためのクラスだった。
何かの間違いでしょ、と冷や汗をかいているとLucyがにこにこしながらこう言った。
「Actually, you've got full marks in the grammar quiz yesterday. Well-done!」
実はね、昨日の文法のテストで満点よ。よくできました。
まあ、文法はね。大学で英文学科なんだし、英検2級より少し上くらいのレベルの文法問題なら、朝飯前だ。ああ、こんなことなら少し手を抜いておくんだった、と後悔する間もなく席に促される。
すでに来ていたクラスメイトは、ほぼ全員がヨーロッパからの留学生だった。フランス人、ドイツ人、フィンランド人、イタリア人、チェコ人、ロシア人。おそらくみんな10代後半から20代前半。自分と年が変わらないはずなのに、そろいもそろって彫の深い美男美女ばかりで、気後れしそうになる。とはいえ、侮られても悔しいから、なるべくポーカーフェイスできちんと挨拶しておく。それから、いつもは遅刻魔だというブラジル人の女の子・ルチアナと、やたらと調子のいい韓国人の男の子・ヨンミンがぎりぎりに滑り込んできて、授業が始まった。
予想はしていたけれど、授業の冒頭で簡単に自己紹介させられる。
「I'm Yui. I used to go to a university in Hokkaido, northern island in Japan. I major in English literature」
優依です。日本の北部にある島、北海道の大学に通っていました。専攻は英文学です。
内容を吟味する余裕がなかったから、当たり障りのないつまらない自己紹介になってしまう。ただ、うっかり口を滑らして英文学専攻、なんて余計なことを言ってしまったせいで『Whose work?』と間髪入れずに訊かれてしまう。仕方なく正直に「ジェフリー・チョーサーのカンタベリー物語のゼミにいる」と小さな声で答えておいた。嘘ではないものの、卒論は別の作家、別の作品にすると決めているから、ちょっと後ろめたい。
英文学の名作古典だから、当然めちゃくちゃ興味を持たれてしまい、ああ、完全に墓穴を掘ったな、と後悔しながら、あとで何か突っ込まれた時に備えて、ひとまず、日本で暗唱練習を必死にやったGeneral Prologueを記憶の底から引っ張り出しておくことにした。中英語(中期英語・中世英語)の響きがすごく好きで、一時期ハマりにハマったとはいえ、あまりに奥深すぎて慄いてしまい、飽きっぽい私は結局挫折してしまったのだった。
その後、先生に促されたクラスメイトが時計回りに簡単な自己紹介をしてくれた。さっき少し話したあとだから、すんなり名前を覚えられそうでほっとする。
1時間目の授業は、テキストの新しいUnitの導入として、自分の好きな映画をディスクライブして、パートナーにタイトルを当てさせる、といういきなり高レベルなお題のアクティビティから始まった。
1分考えて、パートナーと当てっこし合う。あまり映画に詳しくない私は、『アマデウス』を選んだ。緊張のあまり、正確に説明するだけで精一杯で、ひっかけを用意したりわざとわかりにくくしたりといった工夫をする、なんて気の利いた真似もできず、あっさり当てられてしまった。
ペアを組んだドイツ人・クリスティアンは惚れ惚れするほど流暢な英語を駆使し『ニューシネマパラダイス』を描写する。私も大好きな映画だったから、なんだか嬉しくて少しだけ緊張がほぐれた。
とはいえ、とにかく表現も、言葉の選び方も、何もかもが段違いのレベルで、度肝を抜かれたのは事実だ。しかも彼はとても紳士で、私のへたくそな英語にちゃんと耳を傾け、馬鹿にしたりなどが一切ない。救いではあったけれど、一体どう思われてるのだろう、と冷や汗が出る思いだ。
21年間生きてきて、たった1時間半の授業でここまで強いストレスにさらされたのは、初めてだった。時差ボケもあって、変な汗をかいているのがよくわかる。ようやく休み時間になり、死ぬほどほっとした。
「We have 20 minutes' "Tea break" before the next class」とクリスティアンに教えてもらって、キッチンへ促された。
数人のスタッフが、ずらりと並んだマグカップにティーバッグを放り込み、そこにケトルから熱湯を注いでいる。
黒々と濃い紅茶が出来上がると、まるでタンクのようなの巨大ボトルから牛乳が注がれる。綺麗なキャラメル色になったミルクティーのカップを、待ちかねたように次々やって来る留学生たちが手に取っては、ジンジャークッキーの空き缶に、50P硬貨を入れている。
なるほど、日本円で80円くらいか、と思いながらお財布からコインを取り出し、カップをひとつ手に取った。「Thanks」と声をかけると「Enjoy your tea break, dear」と優し気な笑顔が降ってきて、ほんの少しだけ緊張がほぐれた。
クリスティアンが気を遣って待っていてくれたから、少し話をした。
22歳で大学院生、建築を勉強している、なんて教えてくれる。
「ロンドンの街並みになじむ古い家はすごく素敵だよね」と言ってみると「そう、そう。散歩してるだけで本当に幸せだ」なんて笑顔を見せる。
彼は人気者らしく、すぐに他のクラスメイトに呼ばれたから、そのタイミングで私は中庭へと回ってみた。ちょっと一人になって休憩したい、というのが正直な気持ちだった。

