その日以降、オレは気づくと優依を目で追うようになっていた。
と言っても、クラスが違うから、朝授業が始まる前や、休み時間やランチの時間、放課後などに限られる。放課後のイベントなんかにはクラスメイトと連れ立ってやってくるくせに、他の時間はポツンと一人ぼっちでいることが多いのだと気づいた。
ある日のTea breakの時間にも、やはり優依は紅茶のカップ片手に中庭のベンチでテキストを広げていた。当然、一人だ。
近づいていって、勝手にすぐ隣に腰かける。隣いい? と尋ねもしないオレにすでに慣れっこなのか、特に何も言わずテキストに目を走らせたまま優依は顔すら上げなかった。ブルーの細かな横縞のカットソーに、紺色の膝丈の巻きスカート。今日は少しヒールのあるローファーを履いていた。
「優依って、友達いないのか?」
切りのいいところまで読んでいるのか、少しの沈黙のあと、ようやく優依はオレを見た。
「クラスメイトとは、授業中とか放課後は普通に話すよ。電池切れ起こしたくないから、休み時間はちゃんと一人で休みたいだけ」
「電池切れ?」
「英語、ずっとしゃべってると神経が参っちゃう。言葉がなかなか出てこなくなって、もうスッカラカンな気分……そういうの、ない?」
自分からしゃべるというより、聞き役に回ることが多いオレには理解できない世界だ。
「そもそもそのレベルじゃないっていうか……」
「私だって大したことないもの。だから、電池が切れる前にひとりでクールダウンするの」
「あっちには混ざんないの?」
このベンチから少し離れたリンゴの木の下で、ピクニックみたいに敷物を広げておやつを食べている日本人の女の子たちがいる。
だいたいがオレのクラスより一つ下のIntermediate か、さらにその下のPre-intermediateのメンバーばかりだ。どちらも日本人が固まっているクラスだ。
「別に。たぶん、私、嫌われてる」
「かもな」
優依が他の日本人女子とつるんでいるのを、見たことがない。嫌われている、というか、優依から積極的に絡まないせいもあって、遠巻きにされているといった感じなのだろう。Advancedクラス唯一の日本人、というのは当然みなに知られていて、近寄りがたく思われているのかもしれない。
例外は浩美と綾乃の二人くらいだ。同じ日に入学した縁で、クラスは違うものの、今もわりと親しくしているらしい。ホームステイ先に招いてホストマザーに紹介した、なんてこのまえ言っていた。
二人はいつもセットで、今リンゴの木のところにいるグループと一緒のこともあるし、そうじゃない場合もある。今日は見当たらないから、二人で廊下かどこかにいるのかもしれない。
優依はテキストを膝にのせたまま、紅茶のカップに口を付けた。不思議そうに尋ねてくる。
「憧くんは、どうして私にかまうの?」
「女の子には優しくする主義だから」
まさか、見た目がかなり好みだから、なんて言うわけにもいかないし、適当に答えておく。まあ、まるっきりでまかせ、というわけでもない。
「それはどうも。そこに下心もあったりするの?」
「……失礼だな」
「年上、好きだって言ってたじゃない」
ああ、余計なことを言ったんだな、オレとしたことが。日本にいる彼女のことを突っ込まれて、そういえば正直に白状してしまったのだった。
「かわいがってもらうのが、好きなだけ」
「ふうん。かわいがってほしいの?」
からかうように言われてカチンときたから、開き直ることにした。
「頼めばやってくれるわけ?」
わざと腕同士がくっつくほど詰め寄り、まるでキスでもするみたいに顔を近づけてみる。ちょっとは怖がらせてやろう、という気分で。
ところが、優依は全く動じた風もなく、あろうことか至近距離でオレの顔をじっと見つめてきた。
黒目がちの大きな目が、逸らしもせずに真っすぐ視線を絡めてくる。やはり、腹が立つくらいかわいい。そしてこの気の強さというか、やけに挑発的な態度に、知らず知らず心臓が早鐘のように速度を増していく。
こっそりどきどきしながらも、こちらから仕掛けた手前、あっさりひよるわけにもいかない。絶対に目を逸らすものか、と半ば意地になってオレは優依を見つめ返していた。
たっぷり15秒はそのままだった。おそらく、向こうのリンゴの木の下にいる連中からは、やばい雰囲気だと思われかねない危険な距離感で、15秒。
「……あるんだね、下心」
ふっ、とものすごく可笑しそうに笑うと、優依は唐突にオレにデコピンしてきた。
「痛って……何すんだよ?」
「正直なのは、いいことだよ。みんな嘘吐きだもの。もっと正直になればいいのにさ」
「は? どういう意味?」
パタン、とテキストを閉じ、残っていた紅茶を飲み干した優依はカップをベンチに置いた。古い木と無骨なボーンチャイナが触れると、コトッとやけに軽い音がした。
「好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの」
からかう響きも、冗談めいた朗らかさもない反面、きっぱり、あっさり、実に明快だった。
そして、本気で言っていることだけはよくわかった。綺麗な形の唇がやけに色っぽく撓っている。
知らず知らず、オレは身震いしていた。
こいつ、絶対にやばい女だ。関わったら大変なことになる――本能的にそう感じた。
怖くなって、返事もせずに立ち上がると、オレはベンチを離れた。
見た目は最高かもしれないが、とてもじゃないが恋人に選べるような女じゃない。もう、かまうなよ、こんな女。君子危うきに近寄らず、だ。
そんな理性の声に反して、優依の言葉はしっかりオレの中に刻まれてしまった。
好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。
せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの。
教室に戻りながら、何度も首を振った。
ぞくっと胸の奥が疼いていた。
苦しいくらいに、何かがオレを急き立てていた。
と言っても、クラスが違うから、朝授業が始まる前や、休み時間やランチの時間、放課後などに限られる。放課後のイベントなんかにはクラスメイトと連れ立ってやってくるくせに、他の時間はポツンと一人ぼっちでいることが多いのだと気づいた。
ある日のTea breakの時間にも、やはり優依は紅茶のカップ片手に中庭のベンチでテキストを広げていた。当然、一人だ。
近づいていって、勝手にすぐ隣に腰かける。隣いい? と尋ねもしないオレにすでに慣れっこなのか、特に何も言わずテキストに目を走らせたまま優依は顔すら上げなかった。ブルーの細かな横縞のカットソーに、紺色の膝丈の巻きスカート。今日は少しヒールのあるローファーを履いていた。
「優依って、友達いないのか?」
切りのいいところまで読んでいるのか、少しの沈黙のあと、ようやく優依はオレを見た。
「クラスメイトとは、授業中とか放課後は普通に話すよ。電池切れ起こしたくないから、休み時間はちゃんと一人で休みたいだけ」
「電池切れ?」
「英語、ずっとしゃべってると神経が参っちゃう。言葉がなかなか出てこなくなって、もうスッカラカンな気分……そういうの、ない?」
自分からしゃべるというより、聞き役に回ることが多いオレには理解できない世界だ。
「そもそもそのレベルじゃないっていうか……」
「私だって大したことないもの。だから、電池が切れる前にひとりでクールダウンするの」
「あっちには混ざんないの?」
このベンチから少し離れたリンゴの木の下で、ピクニックみたいに敷物を広げておやつを食べている日本人の女の子たちがいる。
だいたいがオレのクラスより一つ下のIntermediate か、さらにその下のPre-intermediateのメンバーばかりだ。どちらも日本人が固まっているクラスだ。
「別に。たぶん、私、嫌われてる」
「かもな」
優依が他の日本人女子とつるんでいるのを、見たことがない。嫌われている、というか、優依から積極的に絡まないせいもあって、遠巻きにされているといった感じなのだろう。Advancedクラス唯一の日本人、というのは当然みなに知られていて、近寄りがたく思われているのかもしれない。
例外は浩美と綾乃の二人くらいだ。同じ日に入学した縁で、クラスは違うものの、今もわりと親しくしているらしい。ホームステイ先に招いてホストマザーに紹介した、なんてこのまえ言っていた。
二人はいつもセットで、今リンゴの木のところにいるグループと一緒のこともあるし、そうじゃない場合もある。今日は見当たらないから、二人で廊下かどこかにいるのかもしれない。
優依はテキストを膝にのせたまま、紅茶のカップに口を付けた。不思議そうに尋ねてくる。
「憧くんは、どうして私にかまうの?」
「女の子には優しくする主義だから」
まさか、見た目がかなり好みだから、なんて言うわけにもいかないし、適当に答えておく。まあ、まるっきりでまかせ、というわけでもない。
「それはどうも。そこに下心もあったりするの?」
「……失礼だな」
「年上、好きだって言ってたじゃない」
ああ、余計なことを言ったんだな、オレとしたことが。日本にいる彼女のことを突っ込まれて、そういえば正直に白状してしまったのだった。
「かわいがってもらうのが、好きなだけ」
「ふうん。かわいがってほしいの?」
からかうように言われてカチンときたから、開き直ることにした。
「頼めばやってくれるわけ?」
わざと腕同士がくっつくほど詰め寄り、まるでキスでもするみたいに顔を近づけてみる。ちょっとは怖がらせてやろう、という気分で。
ところが、優依は全く動じた風もなく、あろうことか至近距離でオレの顔をじっと見つめてきた。
黒目がちの大きな目が、逸らしもせずに真っすぐ視線を絡めてくる。やはり、腹が立つくらいかわいい。そしてこの気の強さというか、やけに挑発的な態度に、知らず知らず心臓が早鐘のように速度を増していく。
こっそりどきどきしながらも、こちらから仕掛けた手前、あっさりひよるわけにもいかない。絶対に目を逸らすものか、と半ば意地になってオレは優依を見つめ返していた。
たっぷり15秒はそのままだった。おそらく、向こうのリンゴの木の下にいる連中からは、やばい雰囲気だと思われかねない危険な距離感で、15秒。
「……あるんだね、下心」
ふっ、とものすごく可笑しそうに笑うと、優依は唐突にオレにデコピンしてきた。
「痛って……何すんだよ?」
「正直なのは、いいことだよ。みんな嘘吐きだもの。もっと正直になればいいのにさ」
「は? どういう意味?」
パタン、とテキストを閉じ、残っていた紅茶を飲み干した優依はカップをベンチに置いた。古い木と無骨なボーンチャイナが触れると、コトッとやけに軽い音がした。
「好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの」
からかう響きも、冗談めいた朗らかさもない反面、きっぱり、あっさり、実に明快だった。
そして、本気で言っていることだけはよくわかった。綺麗な形の唇がやけに色っぽく撓っている。
知らず知らず、オレは身震いしていた。
こいつ、絶対にやばい女だ。関わったら大変なことになる――本能的にそう感じた。
怖くなって、返事もせずに立ち上がると、オレはベンチを離れた。
見た目は最高かもしれないが、とてもじゃないが恋人に選べるような女じゃない。もう、かまうなよ、こんな女。君子危うきに近寄らず、だ。
そんな理性の声に反して、優依の言葉はしっかりオレの中に刻まれてしまった。
好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。
せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの。
教室に戻りながら、何度も首を振った。
ぞくっと胸の奥が疼いていた。
苦しいくらいに、何かがオレを急き立てていた。

