そもそも、これだけかわいいコに、彼氏がいないわけないんじゃなかろうか、と思っていたら、やはりオレの勘は正しかった。
その週の金曜の授業後、学校の隣の寮で恒例の映画観賞会が開かれることになっていて、皆楽しみにしていた。
ここラッセルヒルは、ロンドンの中心からはかなり離れた北部に位置していて、閑静ないい街ではあるが、反面、娯楽施設に乏しく端的に言えば遊ぶ場所がほぼない。そういうわけで週末のこうした行事はとても人気が高く、クラス問わずこの語学学校に通う生徒の大半が参加する。
ピザをつまみながら映画をたっぷり楽しんで、そのあとは誰ともなしに感想を言い合ったり、ちょっとしたディスカッションになったりと、授業の延長のようにな流れに初めは面食らったものの、違うクラスのメンバーとも交流できる上、上手な留学生の英語を聞いて盗むこともできる。かなり有意義なイベントなのだった。
当然、優依もその晩は参加していて、今週新しく入った3人――優依と、浩美、綾乃は簡単な自己紹介をして、皆からあれこれ質問されたりとなかなか盛り上がっていた。途中から酒が入っていたのもあって、やめておけばいいのに誠二は余計な質問をしてしまう。
「Have you been going steady with somebody in Japan?」
日本で誰かとつきあってるの?
不躾というか、失礼というか――いや、自爆しても知らんぞ、と内心ため息をついていたら、案の定、優依はこともなげに言い放った。
「Yes, but I'm not sure if he's gonna be waiting for me, and actually, I hope not.」
いるよ。でも、あの人が私を待ってるかどうはわからないし、実は、待ってなきゃいいな、なんて思ってたり――
おそらく冗談だと思われたのだろう、周りにはちょっとウケていた。一部、真ん中よりも下のクラスの連中にいたっては、意味がよくわからないのか首を傾げていたりもした。
誠二は最初の「Yes」だけで相当なダメージをくらったらしく、そのあとずいぶんおとなしくなってしまった。自業自得とはいえ、少しばかりかわいそうになってきて、一応オレはフォローを入れておいた。ま、たぶん冗談だろうから、気にすんな、と。
冗談なんかじゃないだろうな、とうすうすわかっていたけれど、一応確かめてみるか、と映画会がお開きになったあと「家まで送ろうか?」と優依に声をかけた。お互い、ステイ先がまあ近い。
緯度が高いせいで、夜9時を回ってもまだ夕暮れ時のように明るい。そんなラッセルヒルの町を並んで歩きながら、オレはさっそく優依に尋ねてみた。
「さっきのあれ、マジなのか?」
「どれのこと?」
「彼氏いるけど、別に待ってなくてもむしろいいな、ってやつ」
優依はきょとんとした顔でこっちを見て、ふっ、とさも可笑しそうに笑った。
「ん-、まあ嘘はついてないよ。だって、1年近くも放ったらかしてこっち来てるんだし、どうなるかなんて、わからないでしょ」
「それでいいわけ?」
なぜか咎めるような口調になって、自分でも焦った。関係ないくせに、なにを口出ししてんだよ、と自分に腹も立ってくる。
「私のことはいいじゃない。憧くんだって、彼女いるでしょ?」
「え」
明後日の方向からジャブが飛んできて、再び焦る。適当に誤魔化すこともできずにうっかり黙り込んでしまうと、優依は大笑いし始めた。
「あっははは……やっぱり。憧くん、あからさまにそういう感じだもの」
「そういう感じって……なんだよ、それ」
「彼女がいる男の余裕、みたいのが駄々洩れ。誠二くんみたいにわかりやすくない。でも、女の子にはわりとフランク。勘違いさせるタイプだね。罪な男」
私は勘違いなんてしないけど、と暗に言われているようで、当然面白くない。そして、心当たりがないわけでもないから、ばつが悪くもある。面倒だから黙っていることにした。
「で、ここからはわたしの想像。聞きたい?」
「……勝手にすれば」
送ろうか、なんて言ったことを後悔しながら、オレはそっぽを向いた。
傍らで、やけに楽し気な優依の声が風に乗る。
「留学前に、別れようかどうしようか迷って、結局は宙ぶらりんのまま来た、とか。あわよくば、自然消滅すればいいな、なんて思ってるんじゃない?」
「……ひどい言い草。オレ、どんだけ悪もんなんだよ」
「図星?」
ふう、とため息を吐く。なんなんだ、こいつ。どうしてこうもあっさりお見通しなんだ?
同じ大学に通うひとつ上の彼女とは、半年ほど付き合っている。後期にたまたま同じ授業になって向こうから声を掛けてきて、まずまず美人だったし断る理由もなかったから、とりあえず一緒にいる感じだった。
1年間留学することにした、と言うとものすごく困った顔をされてしまった。せめて2年まで大学に通ってからにすれば、なんて勝手なことまで言われて、なんだかすべてが面倒になってしまった。
「……待ちたかったら待ってれば、って確かに言ったな」
「待ってると思う?」
「さあね」
結局は、オレもさっきの優依の台詞と同じ気持ちだった。
待ってるかどうかわからないし、言ってしまえば、待ってなきゃいいな、ってな感じだ。手紙は2度来たけれど、返事は1回書いたきり。そもそも、気が向かないのだった。
日本でのあれこれが嫌になってこっちに来た以上、今は何も考えたくない。なんなら、全部きれいさっぱり消えてしまえ、くらいの気持ちでさえあった。それがたとえ、曲がりなりにも付き合っている彼女であっても、だ。
「優依こそ。彼氏、どうすんの?」
「だーから、私のことはいいじゃない、別に。あ、ニュースエージェントまだ開いてる。新聞買っていい? Times、安くて勉強になるよね。今朝買いそびれちゃって」
ラッセルヒルの中心街、まさに丘の上にある小さな店――新聞とちょっとした軽食や飲み物などを扱っている売店でもあるニュースエージェントの扉を優依が押し開ける。
まさか、これからまだ勉強するのか、こいつ、とちょっと呆れながらもこっそり感心した。こういうところは、尊敬せざるを得ない。
なんとなく面白くないから、わざと呆れた風を装ってみた。
「夜に朝刊買ってどうすんだよ? 夕刊紙にすりゃいいだろ?」
「あー、確かに。ま、ニュースがどうこうっていうより、ただの勉強のためなんだけど……とはいえ、一理あるね」
「オレは、Evening Standardをたまに読んでる。読みやすいから、ストレスもないし。同じタブロイドでも、The Sunよりはずいぶんましだよ。ゴシップ記事はないし。優依には簡単すぎるかも、だけど」
1か月早くこっちに来ているから、ちょっと先輩面なんかしてみると、優依は素直に夕刊紙を物色しはじめた。
「どれどれ……あ、なるほど。量も少なくて手軽でいいかも。ありがと、これにする」
にっこり笑って一部取って代金を払う優依に倣って、オレも久しぶりに買って帰ることにした。見習うべきところは、見習うか、と。
勉強に関しては、やはり真摯だ。かわいらしい風貌と相まって、やっぱり好みだな――なんて思いかけていると、いつの間にか優依のステイ先に着いていた。
「ね、憧くん?」
「なに?」
優依はどこか意味ありげに微笑んだ。
「ま、お互い日本を離れて自由の身、ってことだね」
どういう意味だ、となんとなく落ち着かない気分になりかけていると、可笑しそうにくすっと笑って、優依は手を振った。
「送ってくれてありがと。おやすみー」
その週の金曜の授業後、学校の隣の寮で恒例の映画観賞会が開かれることになっていて、皆楽しみにしていた。
ここラッセルヒルは、ロンドンの中心からはかなり離れた北部に位置していて、閑静ないい街ではあるが、反面、娯楽施設に乏しく端的に言えば遊ぶ場所がほぼない。そういうわけで週末のこうした行事はとても人気が高く、クラス問わずこの語学学校に通う生徒の大半が参加する。
ピザをつまみながら映画をたっぷり楽しんで、そのあとは誰ともなしに感想を言い合ったり、ちょっとしたディスカッションになったりと、授業の延長のようにな流れに初めは面食らったものの、違うクラスのメンバーとも交流できる上、上手な留学生の英語を聞いて盗むこともできる。かなり有意義なイベントなのだった。
当然、優依もその晩は参加していて、今週新しく入った3人――優依と、浩美、綾乃は簡単な自己紹介をして、皆からあれこれ質問されたりとなかなか盛り上がっていた。途中から酒が入っていたのもあって、やめておけばいいのに誠二は余計な質問をしてしまう。
「Have you been going steady with somebody in Japan?」
日本で誰かとつきあってるの?
不躾というか、失礼というか――いや、自爆しても知らんぞ、と内心ため息をついていたら、案の定、優依はこともなげに言い放った。
「Yes, but I'm not sure if he's gonna be waiting for me, and actually, I hope not.」
いるよ。でも、あの人が私を待ってるかどうはわからないし、実は、待ってなきゃいいな、なんて思ってたり――
おそらく冗談だと思われたのだろう、周りにはちょっとウケていた。一部、真ん中よりも下のクラスの連中にいたっては、意味がよくわからないのか首を傾げていたりもした。
誠二は最初の「Yes」だけで相当なダメージをくらったらしく、そのあとずいぶんおとなしくなってしまった。自業自得とはいえ、少しばかりかわいそうになってきて、一応オレはフォローを入れておいた。ま、たぶん冗談だろうから、気にすんな、と。
冗談なんかじゃないだろうな、とうすうすわかっていたけれど、一応確かめてみるか、と映画会がお開きになったあと「家まで送ろうか?」と優依に声をかけた。お互い、ステイ先がまあ近い。
緯度が高いせいで、夜9時を回ってもまだ夕暮れ時のように明るい。そんなラッセルヒルの町を並んで歩きながら、オレはさっそく優依に尋ねてみた。
「さっきのあれ、マジなのか?」
「どれのこと?」
「彼氏いるけど、別に待ってなくてもむしろいいな、ってやつ」
優依はきょとんとした顔でこっちを見て、ふっ、とさも可笑しそうに笑った。
「ん-、まあ嘘はついてないよ。だって、1年近くも放ったらかしてこっち来てるんだし、どうなるかなんて、わからないでしょ」
「それでいいわけ?」
なぜか咎めるような口調になって、自分でも焦った。関係ないくせに、なにを口出ししてんだよ、と自分に腹も立ってくる。
「私のことはいいじゃない。憧くんだって、彼女いるでしょ?」
「え」
明後日の方向からジャブが飛んできて、再び焦る。適当に誤魔化すこともできずにうっかり黙り込んでしまうと、優依は大笑いし始めた。
「あっははは……やっぱり。憧くん、あからさまにそういう感じだもの」
「そういう感じって……なんだよ、それ」
「彼女がいる男の余裕、みたいのが駄々洩れ。誠二くんみたいにわかりやすくない。でも、女の子にはわりとフランク。勘違いさせるタイプだね。罪な男」
私は勘違いなんてしないけど、と暗に言われているようで、当然面白くない。そして、心当たりがないわけでもないから、ばつが悪くもある。面倒だから黙っていることにした。
「で、ここからはわたしの想像。聞きたい?」
「……勝手にすれば」
送ろうか、なんて言ったことを後悔しながら、オレはそっぽを向いた。
傍らで、やけに楽し気な優依の声が風に乗る。
「留学前に、別れようかどうしようか迷って、結局は宙ぶらりんのまま来た、とか。あわよくば、自然消滅すればいいな、なんて思ってるんじゃない?」
「……ひどい言い草。オレ、どんだけ悪もんなんだよ」
「図星?」
ふう、とため息を吐く。なんなんだ、こいつ。どうしてこうもあっさりお見通しなんだ?
同じ大学に通うひとつ上の彼女とは、半年ほど付き合っている。後期にたまたま同じ授業になって向こうから声を掛けてきて、まずまず美人だったし断る理由もなかったから、とりあえず一緒にいる感じだった。
1年間留学することにした、と言うとものすごく困った顔をされてしまった。せめて2年まで大学に通ってからにすれば、なんて勝手なことまで言われて、なんだかすべてが面倒になってしまった。
「……待ちたかったら待ってれば、って確かに言ったな」
「待ってると思う?」
「さあね」
結局は、オレもさっきの優依の台詞と同じ気持ちだった。
待ってるかどうかわからないし、言ってしまえば、待ってなきゃいいな、ってな感じだ。手紙は2度来たけれど、返事は1回書いたきり。そもそも、気が向かないのだった。
日本でのあれこれが嫌になってこっちに来た以上、今は何も考えたくない。なんなら、全部きれいさっぱり消えてしまえ、くらいの気持ちでさえあった。それがたとえ、曲がりなりにも付き合っている彼女であっても、だ。
「優依こそ。彼氏、どうすんの?」
「だーから、私のことはいいじゃない、別に。あ、ニュースエージェントまだ開いてる。新聞買っていい? Times、安くて勉強になるよね。今朝買いそびれちゃって」
ラッセルヒルの中心街、まさに丘の上にある小さな店――新聞とちょっとした軽食や飲み物などを扱っている売店でもあるニュースエージェントの扉を優依が押し開ける。
まさか、これからまだ勉強するのか、こいつ、とちょっと呆れながらもこっそり感心した。こういうところは、尊敬せざるを得ない。
なんとなく面白くないから、わざと呆れた風を装ってみた。
「夜に朝刊買ってどうすんだよ? 夕刊紙にすりゃいいだろ?」
「あー、確かに。ま、ニュースがどうこうっていうより、ただの勉強のためなんだけど……とはいえ、一理あるね」
「オレは、Evening Standardをたまに読んでる。読みやすいから、ストレスもないし。同じタブロイドでも、The Sunよりはずいぶんましだよ。ゴシップ記事はないし。優依には簡単すぎるかも、だけど」
1か月早くこっちに来ているから、ちょっと先輩面なんかしてみると、優依は素直に夕刊紙を物色しはじめた。
「どれどれ……あ、なるほど。量も少なくて手軽でいいかも。ありがと、これにする」
にっこり笑って一部取って代金を払う優依に倣って、オレも久しぶりに買って帰ることにした。見習うべきところは、見習うか、と。
勉強に関しては、やはり真摯だ。かわいらしい風貌と相まって、やっぱり好みだな――なんて思いかけていると、いつの間にか優依のステイ先に着いていた。
「ね、憧くん?」
「なに?」
優依はどこか意味ありげに微笑んだ。
「ま、お互い日本を離れて自由の身、ってことだね」
どういう意味だ、となんとなく落ち着かない気分になりかけていると、可笑しそうにくすっと笑って、優依は手を振った。
「送ってくれてありがと。おやすみー」

