帝都の夜にあなたを拐う〜怪盗と華族令嬢の恋〜


ネヲン看板が、雨上がりのアスファルトに秘密を隠して反射している。尾灯を引いて走る円タクやどこからか聞こえてくるジャズの音色。

情緒的な色彩に染まると、追っ手の警笛の音が遠ざかり、煩わしさという余韻すら消えていく⋯。

「もう安心ですよ。お嬢様。ここなら、誰も僕たちを邪魔できない」  
 
彼の腕の中にいるという高揚感が、高鳴る胸を激しく支配していた。 

満足そうに彼は微笑むと、息を弾ませている私をそっと降ろした。

そして、魔術師のように、ふっと、空中から草履を出すと、跪き、私の白い足袋が汚れぬようにと履かせてくれた。金粉が施された華やかでお洒落な草履。

火遊びでもしていたかのように熱を帯びた頬を冷たい夜風が撫でる。

「あなたの火照ったその顔が、最高に愛らしい」

立ち上がった彼が、夜風に揺れる私の髪飾りにそっと触れると、鈴のような音色が響いた。

「一緒に踊りませんか?」 

「ダンスは苦手ですの⋯」

思わず、嘘をついた。

見上げる彼の顔が、仮面に覆われたままだったから。
嗚呼、寂しい。なんて寂しいのでしょう。

私は静かに彼の仮面に手を伸ばした。

『あなたの顔が見たい。あなたの本当の姿をこの目に焼き付けたいの』

初めてブランデーを口にしたあの日より、喉が熱い。心の声が喉元まで熱く込み上げてくる。

その瞬間、今まで余裕綽々たる態度を崩さなかった彼の心が一瞬だけ解(ほど)けた気がした。いつの間にか固結びになってしまった赤い組紐が解(ほど)けるように。

  
彼は、絹の白い手袋に覆われた手で、自らの仮面に触れる。

「待って。まだ仮面は外さないで」
 
「やはり、僕の素顔を見るのが恐ろしくなりましたか?」

「いいえ」 

私はきっぱりと否定した。あなたを肯定するために。 

その仮面は、あなたが本当に外したいと思った時に外してください。

私は決して、先程まで読み耽っていた小説から抜け出して来たような、紳士的な探偵の風貌や、美少年を望んでいるわけではありません。あなたが世にも醜い容貌の持主であったとしても全く構わないのです。

ただ、ひとつだけ。
  
私の心を今宵の満月のように、ロマンスで満たし続けてください。私という人間を鮮やかに盗んだのですから、それくらいは当然のこと。覚悟もお有りでしょう。
 
そうでなければ、私はあなたのその美しい藍色の目を盗んで、他の人の腕の中、或いは、この帝都の群衆の中に、消えてしまうかもしれませんよ。

誰も盗むことができない真珠の涙と共に。


「わかっていますよ、お嬢様。あなたが飽きる暇もないくらい、愛すると誓います。怪盗デイドリーム(白昼夢)は蘭子様を溺愛、致します」  



(完)