学校一の王子様は、私にだけ甘すぎる。


「日向さんって、休みの日とか何してるの?」

話しかけてきたのは、隣のクラスの男子だった。廊下で呼び止められて、茜は少し戸惑いながらも「え、えっと、特には……」と答える。

「よかったら今度、一緒に――」

その先の言葉は、横からすっと差し込まれた声に遮られた。

「茜、次の授業移動だよ」



気づけば蓮が隣に立っていて、当然のように茜の名前を呼び捨てにしていた。相手の男子生徒が驚いた顔で蓮を見て、それから気まずそうに「あ、じゃあまた」と離れていく。

「……今、呼び捨てにした?」

「だめだった?」

「だめっていうか、急に」

「茜のほうがしっくりくるから」

あまりに自然に言われて、それ以上何も言えなくなってしまった。教室に向かって歩き出す蓮の後ろを追いかけながら、茜は自分の顔が熱くなっているのを自覚していた。

「今の、絶対タイミング狙ってたよね」

追いついてきた果穂が耳打ちする。

「狙ってないと思うけど」

「いやいや、あれは狙ってたって。私の目は誤魔化せないから」

果穂の確信めいた口調に、茜は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。



昼休み、購買に向かう途中の渡り廊下で、茜は珍しく一人になった悠真とすれ違った。

「あ、悠真くん」

「やあ。一人? 珍しいね、蓮がいないの」

「蓮くんはいつも一緒ってわけじゃないよ」

「そう? 俺には、あいつが暇さえあれば茜の教室のほう見に行ってるように見えるけど」

「そんなわけ」

「ないと思う?」

悠真は面白がるように笑いながら、手すりに軽くもたれかかった。

「なあ、さっきの男子に声かけられてたやつ、蓮に見られてたの気づいてた?」

「え……」

「見てたよ、結構前から。授業移動の時間まで、ずっと」

そんなに前から見られていたなんて、思ってもいなかった。茜は返す言葉を探して口ごもる。

「別に何もおかしなことじゃないでしょ、ただの立ち話だし」

「うん、普通はね。普通は」

含みのある言い方に、茜は思わず聞き返した。

「どういう意味?」

「さあ。俺の口からは、やっぱり言えないなあ」

悠真はそう言って肩をすくめると、「じゃ、俺そろそろ行くわ」と手を振って去っていった。残された茜は、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、購買へ向かう足を止めていた。



放課後、教室の掃除当番が茜と蓮の二人だけになった。二人きりで机を運んでいると、蓮がふと手を止めて口を開いた。

「さっきの人、仲良いの?」

「さっきの人って?」

「昼休み前に声かけてきてた人」

何気ない調子で聞かれたが、その声には、いつもより少しだけ低い響きがあった。

「ううん、そんなに話したことないよ。隣のクラスってだけで」

「そう」

それだけ言って、蓮はまた机を運び始めた。ほっとしたような、それでいて何かが引っかかるような、蓮の横顔だった。

「もしかして……嫌だった?」

思わず口をついて出た問いに、蓮の手が止まった。数秒の沈黙のあと、彼はいつもの涼しい顔に戻って言った。

「別に。ただの確認」

「そっか」

それ以上、二人とも何も言わなかった。ただ、机を運ぶ足音だけが、静かな教室に響いていた。

掃除を終えて教室を出るとき、茜はふと思った。

(誰にでも同じことをしてる、にしては)

さっきの一瞬の間。あの声の低さ。

何かが少しずつ、自分の中の「誰にでも」という言い訳を崩し始めていた。

夕焼けに染まる廊下を歩きながら、茜は隣を歩く蓮の横顔を、そっと盗み見た。