夕方。
及川は医局の端で、修正した資料と向き合っていた。
結局、午後のほとんどを藤崎先生の指導に費やした。
指摘されたところを直してみれば、確かに資料は良くなっている。
画像所見も、改めて確認すると見落としていた部分があった。
悔しいけれど、勉強になっている。
だから文句も言えない。
少し席を外そうと立ち上がり、医局を出た。
「及川」
声に顔を上げると、桐谷先生が立っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
桐谷先生は及川の顔を見て、すぐに笑った。
「藤崎に絞られてる?」
「……分かります?」
「分かるよ。あいつ、怒ってる時ほど綺麗に指導するから」
「……やっぱり怒ってるのか」
「昨日は貰い事故だったけどな」
「そうなんですよ」
及川は思わず身を乗り出した。
「俺、昨日は本当に何も悪くないですからね」
「うん。昨日はな」
その言い方に、及川は目を細めた。
「ということは、やっぱりさっきの……」
「何かしたんじゃないの?」
「……」
「その顔、身に覚えあるだろ」
桐谷先生は完全に面白がっている。
「大したことは言ってません」
「何言ったんだよ」
及川は、食堂でのやり取りを簡単に説明した。
聞き終えた桐谷先生が、一瞬黙る。
「……及川」
「はい」
「勇者だな」
「そんな大したこと言ってないでしょう」
「いや、十分だろ」
「昨日、俺だって散々な目に遭ったんですよ。ちょっとくらい仕返ししたくなるじゃないですか」
「だからって、そこ行く?」
桐谷先生は笑いながら首を振った。
「昨日のお前は完全な貰い事故だったけど、今日は違うぞ」
「……」
「王子だけど、敵に回すと魔王寄りだからな」
「それ、昨日教えてほしかったです」
「昨日のお前は被害者だったから」
「今日は?」
「自業自得」
即答だった。
及川は何も言い返せなかった。
桐谷先生はまだ笑っている。
「まあ、勉強になってよかったじゃん」
「他人事だと思って」
「他人事だからな」
「……」
ひどい。
その時、桐谷先生が及川の後ろを見て、口元を上げた。
「魔王の登場だ」
「誰が魔王だって?」
聞き慣れた声に、及川の肩が固まる。

振り返れば、そこには白衣姿の藤崎先生が立っていた。
いつもの、非の打ちどころのない王子の笑顔で。
「お前だよ、藤崎。後輩を怖がらせてる時点で魔王だろ」
桐谷先生は遠慮なく楽しそうに笑う。
「俺は丁寧に指導したつもりだけどね」
藤崎先生はくすっと笑い、今度は及川を見る。
「でも、及川に何か思い当たる節があるなら」
そこで、ほんの少し間を置いた。
笑顔は崩れない。
「反撃する相手は、選んだ方がいいね」
「……はい」
完敗だった。
目の前にいるのは、院内で王子と呼ばれている藤崎先生。
ただし。
敵に回した時だけは、どうやら魔王になるらしい。
及川は二度と、綾瀬のことでこの男を煽るのだけはやめようと決めた。
及川は医局の端で、修正した資料と向き合っていた。
結局、午後のほとんどを藤崎先生の指導に費やした。
指摘されたところを直してみれば、確かに資料は良くなっている。
画像所見も、改めて確認すると見落としていた部分があった。
悔しいけれど、勉強になっている。
だから文句も言えない。
少し席を外そうと立ち上がり、医局を出た。
「及川」
声に顔を上げると、桐谷先生が立っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
桐谷先生は及川の顔を見て、すぐに笑った。
「藤崎に絞られてる?」
「……分かります?」
「分かるよ。あいつ、怒ってる時ほど綺麗に指導するから」
「……やっぱり怒ってるのか」
「昨日は貰い事故だったけどな」
「そうなんですよ」
及川は思わず身を乗り出した。
「俺、昨日は本当に何も悪くないですからね」
「うん。昨日はな」
その言い方に、及川は目を細めた。
「ということは、やっぱりさっきの……」
「何かしたんじゃないの?」
「……」
「その顔、身に覚えあるだろ」
桐谷先生は完全に面白がっている。
「大したことは言ってません」
「何言ったんだよ」
及川は、食堂でのやり取りを簡単に説明した。
聞き終えた桐谷先生が、一瞬黙る。
「……及川」
「はい」
「勇者だな」
「そんな大したこと言ってないでしょう」
「いや、十分だろ」
「昨日、俺だって散々な目に遭ったんですよ。ちょっとくらい仕返ししたくなるじゃないですか」
「だからって、そこ行く?」
桐谷先生は笑いながら首を振った。
「昨日のお前は完全な貰い事故だったけど、今日は違うぞ」
「……」
「王子だけど、敵に回すと魔王寄りだからな」
「それ、昨日教えてほしかったです」
「昨日のお前は被害者だったから」
「今日は?」
「自業自得」
即答だった。
及川は何も言い返せなかった。
桐谷先生はまだ笑っている。
「まあ、勉強になってよかったじゃん」
「他人事だと思って」
「他人事だからな」
「……」
ひどい。
その時、桐谷先生が及川の後ろを見て、口元を上げた。
「魔王の登場だ」
「誰が魔王だって?」
聞き慣れた声に、及川の肩が固まる。

振り返れば、そこには白衣姿の藤崎先生が立っていた。
いつもの、非の打ちどころのない王子の笑顔で。
「お前だよ、藤崎。後輩を怖がらせてる時点で魔王だろ」
桐谷先生は遠慮なく楽しそうに笑う。
「俺は丁寧に指導したつもりだけどね」
藤崎先生はくすっと笑い、今度は及川を見る。
「でも、及川に何か思い当たる節があるなら」
そこで、ほんの少し間を置いた。
笑顔は崩れない。
「反撃する相手は、選んだ方がいいね」
「……はい」
完敗だった。
目の前にいるのは、院内で王子と呼ばれている藤崎先生。
ただし。
敵に回した時だけは、どうやら魔王になるらしい。
及川は二度と、綾瀬のことでこの男を煽るのだけはやめようと決めた。

