燈子と猫の郵便局

雨はまだ降り続いていた。

薪ストーブの火が小さく音を立てる。

真鍮の時計は、相変わらず少しだけ遅れた時間を刻んでいた。

女性は濡れた傘を入口の脇に立て掛けた。

雨粒がぽたりと床に落ちる。

佳はカウンターの前の椅子を勧めた。

「どうぞ」

女性は一度ためらってから腰を下ろす。

白い封筒はずっと手の中にあった。

大切な物というより、

手放せなくなった物みたいだった。

燈子は向かい側の椅子に座る。

炭はカウンターの上からその様子を見ていた。

ぼたもちはもう無い。

代わりに湯飲みだけが置かれている。

「その手紙を預けたいのですか?」

佳が静かに尋ねた。

女性は封筒を見つめた。

すぐには答えなかった。

答える代わりに、

指先が封筒の端をなぞる。

何度も。

何度も。

まるで確かめるように。

やがて小さな声が落ちた。

「捨てられなくて」

外では雨音が続いている。

女性は少し笑った。

笑ったはずなのに、

その表情はどこか寂しかった。

「もう五年になるんです」

燈子は思わず顔を上げる。

五年。

その長さだけで、

何かが胸に残った。

女性は続けた。

「本当は渡すつもりでした」

封筒を見つめる。

「でも渡せなかったんです」

郵便局の灯りが静かに揺れた。

炭の耳が少しだけ動く。

「相手は?」

燈子が聞く。

女性は少し驚いたように燈子を見た。

そして。

ほんの少しだけ優しく笑う。

「友達です」

そう言ったあと、

しばらく黙り込んだ。

友達。

でも。

その言葉だけでは足りないような気がした。

女性の指先は封筒を握ったままだった。

「大切な人でした」

小さな声だった。

窓の外を雫が流れていく。

真鍮の時計が時を刻む。

カチ。

カチ。

カチ。

燈子はポケットの中の手紙に触れた。

十年前の自分。

母への言葉。

届けられなかった想い。

形は違っても、

何かが似ている気がした。

佳がお茶を差し出す。

湯気が柔らかく立ち上る。

女性は両手で湯飲みを包んだ。

その時、

燈子は気付いた。

女性の左手には、

細い銀色の指輪があった。

けれど薬指ではない。

意味があるのか。

たまたまなのか。

燈子には分からなかった。

ただ、

その人の人生のどこかが見えた気がした。

女性は小さく息を吐く。

そして封筒を見つめながら言った。

「約束したんです」

燈子は顔を上げる。

「約束?」

女性はうなずいた。

「でも守れなかった」

その瞬間。

郵便局の空気が、

ほんの少しだけ揺れた気がした。

炭がゆっくり目を細める。

佳は何も言わない。

雨の音だけが聞こえていた。

女性は封筒を胸元へ引き寄せる。

まるで、

失ってしまうのを怖がるみたいに。

燈子は思った。

この手紙の中には、

まだ誰にも言えなかった言葉が入っている。

外では雨が降り続いている。

夜間郵便局の灯りは静かだった。

そして。

その一通の手紙は、

ようやく語り始めようとしていた。

つづく