作者より
第一章「黒猫の案内人編」を読んでくださり、本当にありがとうございます。
燈子と炭、そして佳の小さな物語を最後まで見届けていただけて、とても嬉しいです。
第二章「手紙たちの行方編」では、夜間郵便局を訪れる様々な人たちの物語が始まります。
誰かの「ありがとう」。
誰かの「ごめんなさい」。
誰かの「好き」。
そんな言葉が、燈子の世界を少しずつ広げていきます。
そうして、もしかしたら、その中に皆さまと少し似た誰かがいるかもしれません。
雨の日や帰り道に、ふと思い出していただけたら。
これからもゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。
冬灯
・・・・・・・・・・・・・
雨が降っていた。
十一月の終わりにしては少し暖かい雨だった。
商店街の屋根を叩く雨音が、途切れることなく続いている。
店のシャッターはほとんど閉まっていた。
それでもパン屋の明かりだけはまだ残っていて、焼きたての甘い匂いが雨に混じって漂っていた。
燈子は傘を閉じる。
少し濡れたコートの袖を払ってから、夜間郵便局の扉を開いた。
カラン──
真鍮の呼び鈴が鳴る。
いつもより少し湿った音だった。
郵便局の中は暖かい。
入口の近くには小さな薪ストーブ。
その上ではやかんが静かに湯気を上げている。
古い木のカウンター。
壁一面の郵便棚。
天井近くには真鍮の時計。
振り子がゆっくり揺れていた。
見慣れたはずの景色なのに、外の雨のせいか今日はどこか違って見えた。
「遅かったな」
炭が言った。
カウンターの上で丸くなっている。
長いひげが落ち着きなくぴくぴく動いていた。
黄色い瞳は真剣そのものだった。
目の前には湯飲み。
そして。
なぜか小さなぼたもちが二つ並んでいる。
「また食べてるの?」
燈子は笑った。
「失礼な」
炭はひげをぴくりと動かす。
「まだ食べてない」
佳が奥から現れた。
湯気の立つ急須を持っている。
「三つ食べました」
「二つだ」
「三つです」
燈子は吹き出した。
雨の音が少しだけ遠くなる。
その時だった。
カラン──
呼び鈴が鳴る。
佳が入口を見る。
炭も顔を上げた。
燈子は振り返る。
入口に一人の女性が立っていた。
紺色のコートの肩は雨に濡れ、ところどころ色が濃くなっている。
濡れたビニール傘を握りしめていた。
使い込まれた革の鞄。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
整った顔立ちだった。
けれど。
その目だけが、ずっと遠くを見ているようだった。
まるで、探しているものの場所が分からなくなってしまった人みたいに。
女性は少し迷うように店内を見回す。
そして小さな声で言った。
「ここは……」
佳が優しく微笑んだ。
「夜間郵便局です」
その言葉を聞いても、女性の表情は晴れなかった。
代わりに、どこか安心したような顔で小さくうなずく。
女性は鞄を開いた。
少し時間がかかった。
中から出てきたのは、何度も開いた跡のある白い封筒だった。
端が少し擦れている。
長い間持ち歩いていたのかもしれない。
女性はそれを見つめる。
言葉にするより先に、その仕草が彼女を語っていた。
この手紙には。
簡単には言えなかった言葉が入っている。
その封筒を見た瞬間、燈子はポケットの中の手紙を思い出した。
この人にも。
届けたい言葉がある。
そんな誰かがいるんだ。
外では雨が降り続いている。
商店街を流れる雨音。
薪ストーブのぬくもり。
真鍮時計の音。
小さな灯り。
そして。
一通の手紙。
夜間郵便局の夜は、まだ始まったばかりだった。
つづく
第一章「黒猫の案内人編」を読んでくださり、本当にありがとうございます。
燈子と炭、そして佳の小さな物語を最後まで見届けていただけて、とても嬉しいです。
第二章「手紙たちの行方編」では、夜間郵便局を訪れる様々な人たちの物語が始まります。
誰かの「ありがとう」。
誰かの「ごめんなさい」。
誰かの「好き」。
そんな言葉が、燈子の世界を少しずつ広げていきます。
そうして、もしかしたら、その中に皆さまと少し似た誰かがいるかもしれません。
雨の日や帰り道に、ふと思い出していただけたら。
これからもゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。
冬灯
・・・・・・・・・・・・・
雨が降っていた。
十一月の終わりにしては少し暖かい雨だった。
商店街の屋根を叩く雨音が、途切れることなく続いている。
店のシャッターはほとんど閉まっていた。
それでもパン屋の明かりだけはまだ残っていて、焼きたての甘い匂いが雨に混じって漂っていた。
燈子は傘を閉じる。
少し濡れたコートの袖を払ってから、夜間郵便局の扉を開いた。
カラン──
真鍮の呼び鈴が鳴る。
いつもより少し湿った音だった。
郵便局の中は暖かい。
入口の近くには小さな薪ストーブ。
その上ではやかんが静かに湯気を上げている。
古い木のカウンター。
壁一面の郵便棚。
天井近くには真鍮の時計。
振り子がゆっくり揺れていた。
見慣れたはずの景色なのに、外の雨のせいか今日はどこか違って見えた。
「遅かったな」
炭が言った。
カウンターの上で丸くなっている。
長いひげが落ち着きなくぴくぴく動いていた。
黄色い瞳は真剣そのものだった。
目の前には湯飲み。
そして。
なぜか小さなぼたもちが二つ並んでいる。
「また食べてるの?」
燈子は笑った。
「失礼な」
炭はひげをぴくりと動かす。
「まだ食べてない」
佳が奥から現れた。
湯気の立つ急須を持っている。
「三つ食べました」
「二つだ」
「三つです」
燈子は吹き出した。
雨の音が少しだけ遠くなる。
その時だった。
カラン──
呼び鈴が鳴る。
佳が入口を見る。
炭も顔を上げた。
燈子は振り返る。
入口に一人の女性が立っていた。
紺色のコートの肩は雨に濡れ、ところどころ色が濃くなっている。
濡れたビニール傘を握りしめていた。
使い込まれた革の鞄。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
整った顔立ちだった。
けれど。
その目だけが、ずっと遠くを見ているようだった。
まるで、探しているものの場所が分からなくなってしまった人みたいに。
女性は少し迷うように店内を見回す。
そして小さな声で言った。
「ここは……」
佳が優しく微笑んだ。
「夜間郵便局です」
その言葉を聞いても、女性の表情は晴れなかった。
代わりに、どこか安心したような顔で小さくうなずく。
女性は鞄を開いた。
少し時間がかかった。
中から出てきたのは、何度も開いた跡のある白い封筒だった。
端が少し擦れている。
長い間持ち歩いていたのかもしれない。
女性はそれを見つめる。
言葉にするより先に、その仕草が彼女を語っていた。
この手紙には。
簡単には言えなかった言葉が入っている。
その封筒を見た瞬間、燈子はポケットの中の手紙を思い出した。
この人にも。
届けたい言葉がある。
そんな誰かがいるんだ。
外では雨が降り続いている。
商店街を流れる雨音。
薪ストーブのぬくもり。
真鍮時計の音。
小さな灯り。
そして。
一通の手紙。
夜間郵便局の夜は、まだ始まったばかりだった。
つづく
