学校へ向かう道を歩きながらも、
燈子の頭から手紙のことは離れなかった。
おかあさんへ。
たったの六文字。
それだけなのに胸が苦しい。
信号が青に変わる。
横断歩道を渡ろうとした時だった。
「おはよう」
後ろから声がした。
振り返る。
朝比奈雪人だった。
黒髪は少し長めで、 前髪が風に揺れている。
制服はきちんと着ているのに、 ネクタイだけ少し緩い。
片手には文庫本。
もう片方の手には温かい缶コーヒーを持っていた。
「おはよう」
燈子も答える。
雪人は歩きながら本を鞄にしまった。
しおり代わりに使っていたらしい古い切符が、 ひらりと落ちそうになる。
慌てて押さえる姿が少しだけ可笑しかった。
燈子は思わず笑う。
「また落としそうになってる」
「三回目」
雪人も笑った。
「新しいしおり買えばいいのに」
「これの方が好きなんだ」
そう言って切符を見た。
少し擦り切れていた。
「変わってるね」
「そうかな」
雪人は首をかしげた。
本当に不思議そうだった。
少し歩いたところで、
雪人が燈子の顔を見る。
「眠れてない?」
燈子は驚いた。
「え?」
「少しだけ」
雪人は空を見た。
「顔色悪い気がしたから」
責めるような言い方じゃなかった。
ただ心配しているだけだった。
燈子は少しだけ視線を落とした。
「そんな顔してる?」
「少しだけ」
雪人はそう言ったあと、
それ以上聞いてこなかった。
その優しさに、
燈子は少し救われる。
・・・・・・・・・・・・・・・
夜。
燈子は再び夜間郵便局を訪れた。
炭は入口の前で丸くなっていた。
「また来たか」
「うん」
「よほど好きらしい」
「何が?」
「不思議なものを追いかけるのが」
炭は立ち上がった。
燈子は少しだけ笑う。
佳がいつもの場所に立っていた。
やわらかな灯りの中で微笑んでいる。
「手紙の続きですか」
燈子はうなずいた。
便箋を開く。
・・・・・・・・・・・・
おかあさんへ
きょうは
いっしょにケーキをたべました
たのしかったです
またいっしょに
たべたいです
・・・・・・・・・・・・
読み終えた瞬間、
甘い匂いがした。
いちご。
生クリーム。
笑い声。
白い皿。
けれど。
顔だけが思い出せない。
「思い出せませんか」
佳が静かに言う。
燈子はうなずいた。
「うん……」
佳は灯りの向こうを見る。
「失くした記憶ほど、
人は探したくなるものです」
燈子は便箋を見つめた。
知りたい。
思い出したい。
なのに少し怖い。
その時だった。
紙の端に、
昨日までなかった文字を見つける。
・・・・・・・・・・・・
またあしたも
いっしょにいたいです
・・・・・・・・・・・・
燈子は息を止めた。
「増えてる……」
炭の尻尾が揺れる。
佳は静かに微笑んだ。
「手紙はまだ終わっていないようですね」
燈子は便箋を握りしめる。
十年前の自分は、
あと何を書いたのだろう。
つづく
燈子の頭から手紙のことは離れなかった。
おかあさんへ。
たったの六文字。
それだけなのに胸が苦しい。
信号が青に変わる。
横断歩道を渡ろうとした時だった。
「おはよう」
後ろから声がした。
振り返る。
朝比奈雪人だった。
黒髪は少し長めで、 前髪が風に揺れている。
制服はきちんと着ているのに、 ネクタイだけ少し緩い。
片手には文庫本。
もう片方の手には温かい缶コーヒーを持っていた。
「おはよう」
燈子も答える。
雪人は歩きながら本を鞄にしまった。
しおり代わりに使っていたらしい古い切符が、 ひらりと落ちそうになる。
慌てて押さえる姿が少しだけ可笑しかった。
燈子は思わず笑う。
「また落としそうになってる」
「三回目」
雪人も笑った。
「新しいしおり買えばいいのに」
「これの方が好きなんだ」
そう言って切符を見た。
少し擦り切れていた。
「変わってるね」
「そうかな」
雪人は首をかしげた。
本当に不思議そうだった。
少し歩いたところで、
雪人が燈子の顔を見る。
「眠れてない?」
燈子は驚いた。
「え?」
「少しだけ」
雪人は空を見た。
「顔色悪い気がしたから」
責めるような言い方じゃなかった。
ただ心配しているだけだった。
燈子は少しだけ視線を落とした。
「そんな顔してる?」
「少しだけ」
雪人はそう言ったあと、
それ以上聞いてこなかった。
その優しさに、
燈子は少し救われる。
・・・・・・・・・・・・・・・
夜。
燈子は再び夜間郵便局を訪れた。
炭は入口の前で丸くなっていた。
「また来たか」
「うん」
「よほど好きらしい」
「何が?」
「不思議なものを追いかけるのが」
炭は立ち上がった。
燈子は少しだけ笑う。
佳がいつもの場所に立っていた。
やわらかな灯りの中で微笑んでいる。
「手紙の続きですか」
燈子はうなずいた。
便箋を開く。
・・・・・・・・・・・・
おかあさんへ
きょうは
いっしょにケーキをたべました
たのしかったです
またいっしょに
たべたいです
・・・・・・・・・・・・
読み終えた瞬間、
甘い匂いがした。
いちご。
生クリーム。
笑い声。
白い皿。
けれど。
顔だけが思い出せない。
「思い出せませんか」
佳が静かに言う。
燈子はうなずいた。
「うん……」
佳は灯りの向こうを見る。
「失くした記憶ほど、
人は探したくなるものです」
燈子は便箋を見つめた。
知りたい。
思い出したい。
なのに少し怖い。
その時だった。
紙の端に、
昨日までなかった文字を見つける。
・・・・・・・・・・・・
またあしたも
いっしょにいたいです
・・・・・・・・・・・・
燈子は息を止めた。
「増えてる……」
炭の尻尾が揺れる。
佳は静かに微笑んだ。
「手紙はまだ終わっていないようですね」
燈子は便箋を握りしめる。
十年前の自分は、
あと何を書いたのだろう。
つづく
