燈子と猫の郵便局

郵便局の中は、外よりも少しだけ暖かかった。
古いランプの灯りが、ゆっくりと揺れている。
その揺れは、空気の奥行きをそっと撫でているように見えた。

燈子は封筒を持ったまま、動けずにいた。

月城佳は静かに言った。
「開けなくてもいいんですよ」

その声は、夜の空気に溶けるようにやわらかかった。
耳で聞いたというより、空間のどこかが震えて言葉になったような感覚だった。

「十年前のあなたが書いた言葉は、
あなたが読みたい時に読めばいい」

炭がカウンターの上に飛び乗る。
その瞬間、床がほんの少し沈んだ気がした。
猫の重さでは説明できない、“層の揺れ”のようなものがあった。

「読まないなら置いていけ」

「置いていけって……」

「ここはそういう場所だ」

佳が微笑む。
「届けられなかった言葉を預かる場所ですから」

燈子は封筒を見つめた。
白い紙の向こう側に、十年前の空気が薄く重なっている気がした。

その時、扉が小さく鳴った。

カラン──

音は確かに扉から聞こえたはずなのに、
少し遅れて、別の層から同じ音が返ってきた。
郵便局の空間が二重に響くような、不思議な音だった。

一人の女の子が入ってきた。
高校生くらい。
扉をくぐった瞬間、彼女の影が一瞬だけ二重に揺れた。
手には、しわくちゃの便箋を握っている。

「……あの」
声が震えていた。

佳が優しく迎える。
「どうされましたか」

女の子は便箋を差し出した。
「ありがとうって……言えなかったんです」

炭が尻尾を揺らす。
その揺れに合わせて、ランプの灯りがふわりと形を変えた。

「また“重い”言葉だな」

燈子は胸が少し痛んだ。

女の子は続ける。
「本当は言いたかったのに、言えなくて……
そのまま、もう会えなくなって……」

佳は便箋を受け取り、そっと目を閉じる。
その瞬間、空気がひとつ増えたように感じた。
郵便局の奥にある“時間の棚”が、かすかに揺れた気がした。

便箋が白い切手に変わった。

灯りがふわりと揺れる。
揺れは天井へ昇り、見えない層の向こうへ消えていった。

「ありがとうは、届きますよ」

女の子は泣きながらうなずいた。

燈子はその姿を見て、
自分の胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

手の中の封筒が、
十年前の空気を思い出したように
小さく震えた。