特別支援学校の窓から

 先日、勤務校の実践報告会で、小学部から出たある「実践」報告に戸惑いをおぼえているところです。
 その実践とは、「中華中華」という「まねっこ歌遊び」です。
 教員が中華ハットをかぶり、「中華中華♪」と歌いながら、指で耳を折ると「ギョーザ」、人差し指で髪の毛をくるりと触ると「やきそば」、手のひらでほっぺたを覆うと「にくまん」といったような動作をしてみせ、子どもがそれをまねる、という内容です。
 言葉のない子どもが、中華ハットを取り出し教員に示して「中華中華」をやってほしい、と求めてくること、言葉の出てきている子どもは、教員と歌いながら歌詞に沿った動作ができること、敏感な子どもは、顔などに触れられることへの抵抗感から、「中華中華」の歌遊びの楽しさと期待感をもてるように導いていくことなど、子どもの実態に応じたさまざまな目標設定と具体的な実践例が、小学部の教員から報告されました。
 学校には、複数の中国ルーツの子どもが通っています。日本名を使って学校生活を送っていたある卒業生は、在学中に「私んち、父も母も中国人で、うちに帰ったら家族同士中国語で話している。私、中国人なのかなあ?」とつぶやいていました。中国だけでなく、フィリピンや韓国など、外国につながる子どもも少なくありません。
 中国=中華ハット=「定番の中華料理」、というステレオタイプなイメージを子どもに刷り込んでいくような実践に、抵抗感を覚えます。日本人のアジアに対するぬきがたい「上から目線」をどうしても感じてしまうのです。
 もしも、仮にどこかの国で「ニッポンニッポン♪」という「まねっこ歌遊び」があって、教員が「サムライ」のチョンマゲハットをかぶり、握りこぶしをつくって「おすし」、手を広げて「てんぷら」、髪の毛を指でぐるりとさわって「すきやき」と言いながら楽しく遊ぶ実践が行なわれ、それが国境を越えていろいろな国の子どもたちの「大好きな遊び」となり、多くの学校で、子どもたちが教員にチョンマゲハットを示して「ニッポンニッポン」をやって遊ぼう!と求めている光景を想像したら、一体どうなのでしょうか。心から歓迎する、自分もチョンマゲハットをかぶって、一緒に「ニッポンニッポン」で楽しく遊ぼう、という気持ちに、報告者の教員が素直になれるならば、私は「うるさい」ことを申し上げるつもりはありません。
 特別支援学校では、私の知る限り、中国をはじめアジアの文化や歴史を子どもたちに伝える取り組みは、全くと言っていいほどなされていません。以前、給食メニューの説明に、ナムルが「中華料理」に入れられていたので、給食担当の教員に、ナムルは韓国・朝鮮料理で中華料理ではない、と言いました。担当教員は、給食は「和食」「洋食」「中華」のカテゴリーで献立を作っているのだから、ナムルは中華に入るのだ、と返されてしまいました。近くにいた子どもが「中華料理も韓国料理も、どうせ変わらないでしょ?」と言ったので、私は「中国と韓国・朝鮮は料理も言葉も大きく違うよ」と言いました。隣国の文化を正しく伝え、尊重しようとする気持ちのない教員から、子どもはちゃんと「学んで」しまうのです。「中華中華」の実践が、このような中でどのような意味をもつのか、それを話せる人は、残念ながら誰もいないのが現状です。