特別支援学校の窓から

4月より、都内の肢体不自由特別支援学校に異動となりました。配属は、病院内の分教室です。生まれて初めて、気管切開や胃ろうのある人たちと出会いました。学校時代の隣の机のクラスメートとしてではなく、教員と生徒という関係で彼らと初めて出会ったということは、決して幸せなことではないと痛感しています。
 分教室の「先生」方を見ていて気になるのは、生徒を「ちゃん」づけで呼ぶこと、生徒に猫なで声で話しかけること。小学生はもちろん、中学生にまで「みほちゃん」「たあくん」式の呼び方をするのを、毎日のように耳にします。猫なで声で生徒に話しかけているのを聞くと、自分の息子や娘、甥姪にも同じ言い方で話しているのかな?といぶかりたくなります。自分自身も気がつくと「ちゃん」付けで生徒を呼んでいたり、変な猫なで声を出していたりしています(反省)。
 最大限「善意」に解釈すれば、強い刺激に弱い、重い障害をもった子どもたちへの「配慮」なのかもしれません。しかし、年齢相応に普通に話しかけたことが原因で生徒の状態が悪くなった、という話は一度も聞いたことがありません。「配慮」というより、大人の側の単なる「思い込み」に過ぎず、生徒が自分と同じように意思をもつ人間だと考えていない証拠だ、と私は感じています。
 つい先日、小さな「事件」がありました。授業の予定があった生徒が体調の関係で、ベッドサイドで授業をすることになり、彼の担当のA先生と新米の私が病室に向かいました。A先生が彼と手遊びを行っている間、私は彼の足をゆっくりマッサージしていました。A先生の歌っている手遊び歌はというと……
 ♪先生と お友だち
  先生と お友だち
  握手をしよう ぎゅっぎゅっぎゅっ♪
というものでした。私は、一刻も早く次の絵本読み聞かせに移らないかと内心ヒヤヒヤしながら、彼の足をなでていました。A先生は不意に私に向かって、同じ歌で手遊びをするよう求めてきました。私は「その歌は歌えない」と言って断りました。A先生は「子どもの前だから(そんなことを言うのはやめてほしい?)」と気色ばんでおっしゃったので、私は「こういう歌は子どもに聞かせたくない」とだけ申し上げました。心の中では怒りが渦巻いていました。
 私は、初任の頃にある人から、「先生」という言葉は敬称であり、それを一人称にするのは恥ずべきことだと教わりました。私は、生徒の前で自分を指すときは必ず「私」を使っています。
 もう一つ。師弟関係と友だち関係は根本的に違います。「友だち」というのは対等な関係です。この歌は、教員と生徒という対等ならざる(あきらかな力関係がある)関係を「お友だち」という言葉で糊塗し、その上で「握手」をして「仲良く」しよう、というウソの上にウソを塗り固めた歌だと感じざるを得ません。他人が歌うことを殊更に止めるつもりはありませんが、私は、こういう形で「友だち」という素敵な言葉を自らの手で汚したくないだけです。
 分けておいて、「友だち」もへったくれもないものです!

後記:「先生とお友だち」を作詞した故・吉岡治氏は、「天城越え」「さざんかの宿」等、演歌や歌謡曲、アニメ主題歌から童謡まで、幅広いジャンルの歌詞を手がけてこられた方だそうです。