特別支援学校の窓から

 盆踊りの季節になると、ナナミのことを思い出す。ナナミは数年前に大阪の中学校から私の勤務校―東京の特別支援学校高等部に入学してきた。中学校では、ナナミは「主要5教科」の時間は取り出し授業で、その他は所属する普通学級で過ごしてきた。中学校の担任との引き継ぎで、ナナミがいじめや仲間はずれに遭うことなく普通学級でごくごく普通に過ごしてきたこと、クラスメートもナナミの障がいのことをよく理解していたことを、電話越しに聞いた。
 大阪でナナミは母親と「なみはや連」という阿波踊りのチームに入って、男踊りを踊っていた。なみはや連のHPに上がった動画を見ると、子ども仲間と一緒に楽しそうに踊るナナミの姿があった。「健常者」ばかりの中でただ一人ダウン症のナナミは、たどたどしく、そして堂々と踊っていた。
 高等部に入り、部活動の案内が1年生に配られた。ナナミは放課後デイサービスの活動が楽しいようで、部活動は申し込まなかった。そして、母親が見つけてきた「みかぐら連」という阿波踊りチームにも入った。みかぐら連はコンクール入賞常連の実力派で、メンバー数もなみはや連よりはるかに多い。障害のある連員は言うまでもなくナナミ一人だ。ナナミは母親と一緒に週末の練習に欠かさず参加し、その話を学校でもよくしていた。
 夏―阿波踊りシーズンが来ると、ナナミはみかぐら連の子どもたちと一緒にあちこちの祭りに出はじめた。神楽坂の長い坂道を登りながら踊ったことも、疲れたと言いながら嬉しそうに話してくれた。
 夏休みが目前に迫ったある日、ナナミが「高円寺の阿波踊りに出られなくなった」と言ってきた。「どうして?」と聞くと「下手だから」と悲しそうに答えた。母親の話を聞くと、ナナミの「下手さ加減」が連全体の足を引っ張っていること、高円寺の長丁場を踊り切るには体力に不安がある、という事情だった。言外に連をやめるよう言われているような話しぶりで、ナナミも不安を隠しきれないようすだった。
 その年の夏が終わる頃、ナナミ母子はみかぐら連をやめた。肩を落とすナナミに私は「夢をあきらめないで」とむなしく声をかけるしかなかった。
 2学期の宿泊行事で、私の担当するクラスにボランティアの学生さんが来た。ナナミと同じダウン症のサキコが持っているポケモンカードを横からさっと取り上げ、好き勝手に遊んでいるのを見て、学生さんは「ずるい」と漏らしていた。特別支援学校育ちのサキコは、自分の持ち物が勝手に使われている!という意識があまりない感じで、普段と変わらぬ笑顔だった。私は普通学級で過ごしてきた生活力のようなものを感じつつ、とりあえずは二人を見守ってみようと思った。
 2年になって、ナナミは合唱部の入部届を出してきた。目当てはサキコ。サキコも「一緒にやろう」と誘っていたようで、活動日には少しばかり調子の外れた歌声が音楽室から響くようになった。
 部活動について、基本的に私は学校が担うべきではないと考えている。教員の無償労働という搾取が前提の活動は、基本的人権と根本から相容れない。
 ナナミは大阪でも東京でも「健常者」ばかりの阿波踊り連に飛び込み、活動を重ねてきた。私はそこに「どの子も地域で」という理想を勝手に重ねていた。ナナミがサキコを「みかぐら連」に誘えれば…と。
 その年の夏、都内の阿波踊りイベントで、私は偶然ナナミ母子を見かけた。ちょうど来ていたみかぐら連の仲間たちが「ナナミちゃん!」と声をかけてきて、互いに久しぶりの再会を喜び合っていた。
 コスモスが花開く頃、ナナミは北海道の学校に転校していった。ほどなく来た手紙には、新しい学校の話と、母親と一緒に地元の阿波踊りチーム「ぴりか連」に入って、踊りの他に鳴り物も始めた、と書かれていた。