九日目の午後十時。
俺がミッドマート北森店の駐車場へ着くと、店の裏手に白い配送トラックが停まっていた。
後部の扉が開き、制服姿の配送員が台車を押している。
段ボール箱。
飲料のケース。
冷蔵商品のコンテナ。
どれも、どこのコンビニでも見る普通の荷物だ。
「お疲れさまです」
俺が声をかけると、配送員も軽く頭を下げた。
「お疲れさまでーす」
台車がガラガラとバックヤードへ入っていく。
店内では榊原先輩が検品用の端末を持っていた。
「瀬尾、冷凍の方見ろ」
「はい」
俺は制服へ着替える前に、届いた箱のラベルを確認した。
ホットスナック。
チキン。
コロッケ。
フランク。
ここ数日で、俺にも見慣れた名前ばかりだ。
配送員が次の箱を台車へ載せながら言った。
「北森店、最近揚げ物よく出ますね」
「え」
「前より箱増えてるんで」
「あー……」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
夜中に二メートルのリザードマンが買っていくからです。
とは言えない。
「まあ、夜が結構」
「こんな山の中で?」
「意外と」
「へえ」
配送員はそれ以上気にせず、次の荷物を運びに戻った。
仕事だから当然だ。
どこの誰が食べるかなんて、配送する側には関係ない。
俺は冷凍箱を持ち上げた。
「先輩」
「ん」
「完全に普通の配送ですよね」
「見りゃ分かるだろ」
「この人たち、異世界人が食べるチキン運んでるって知らないんですよね」
「知らんだろ」
「なんかすごいな……」
「何が」
「いや、日本の物流が異世界まで食わせてるというか」
「店までだろ。森まで運んでねえぞ」
「そういう意味じゃなくて」
「早く入れろ。溶ける」
「はい」
結局、感慨より冷凍庫だった。
◇
午後十一時四十分。
配送された商品を片付け終えた俺は、フライヤーの前に立っていた。
片方の槽は清掃済み。
もう片方は稼働中。
油の中ではチキンが揚がっている。
「今日はちょっと多めですね」
「最近減るからな」
「昨日もリザードマン来てましたし」
「来てたな」
「魔王軍の将軍までシュークリーム買ってましたけど」
「シュークリームはフライヤー関係ねえだろ」
「そうですけど」
タイマーが鳴る。
俺は籠を上げ、油を切った。
香ばしい匂いがカウンター周りへ広がる。
チキンを一つずつケースへ並べる。
最初の夜なら「こんな時間に誰が買うんだ」と思っていた。
今は、並べながら数を数える。
これで足りるか。
そっちの方が気になる。
午前零時。
自動ドアの向こうが暗い森へ変わった。
九日目の異世界営業が始まる。
◇
午前零時二十分。
ウィーン。
「いらっしゃいませ」
入口を見た俺は、すぐに見覚えのある深緑の鱗を見つけた。
「お」
常連のリザードマンだ。
約二メートルの大きな身体。
革のベスト。
腰の幅広い剣。
太い尾。
もう、見ても何とも思わない。
「こんばんは。チキンありますよ」
「うむ」
琥珀色の目が細くなる。
「今日は多めに頼む」
「何個です?」
「まず、我の分を三つ」
「いつもどおりですね」
「それと」
リザードマンが横へ一歩ずれた。
その後ろ。
暗い森の中に、さらに三つの大きな影が立っていた。
「……あ」
一人。
二人。
三人。
全員、リザードマンだった。
最初の一人は、常連よりさらに肩幅が広い。
黒に近い深緑の鱗。
鼻先から左頬へ、白く古い傷が一本走っている。
革の胸当ての上からでも分かるくらい胸板が厚い。
二人目は少し小柄――といっても百八十センチはありそうだ。
黄土色に近い鱗で、首に赤い布を巻いている。
腕は太いが、動きは軽い。
三人目は青灰色の鱗。
身体は細身で、尾もほかの二人より長い。
まだ若いのか、店内を見回す琥珀色の目が忙しい。
三人とも腰に武器はある。
でも。
見慣れてしまった。
「……お連れさんですか?」
「仲間だ」
常連が答える。
「この店の鶏肉がうまいと話した」
「布教してる」
「ふきょう?」
「何でもないです」
黒緑の大柄なリザードマンがホットスナックケースを覗き込んだ。
「これか」
「チキンです」
「小さいな」
「あなたたち基準で言わないでください」
黄土色のリザードマンも隣から覗く。
「香りはよい」
青灰色の一人は、ケースに顔を近づけすぎている。
「熱いので気をつけてください」
「これを三つ食うのか?」
青灰色が常連を見る。
「三つでは足りぬ日もある」
「先輩」
俺は小声でレジを見る。
「ん」
「今日、足りない気がしてきました」
「俺も」
「もっと早く言ってくださいよ!」
「今来たから分かった」
「そりゃそうですけど!」
俺はケースの中を数えた。
チキン、九個。
さっき多めに揚げた。
多めに揚げたはずだった。
「三つずつ」
黒緑のリザードマンが言った。
「え?」
「我も三つ」
「私も三つ」
黄土色も続く。
青灰色が少し考えた。
「では我も三つ」
「待ってください」
俺は指を折った。
常連三つ。
黒緑三つ。
黄土色三つ。
青灰色三つ。
「十二個?」
「うむ」
「今、九個しかないです」
四人がケースを見る。
俺も見る。
九個。
どう見ても九個。
「残りは?」
常連が聞く。
「今から揚げます」
「待てばよいか」
「七分くらい」
「よい」
即答だった。
昨日までのドワーフに聞かせたい。
「じゃあ、先に九個お渡しします?」
「いや」
常連が仲間を見る。
「揃ってからでよい」
「分かりました」
俺はフライヤーへ向かう。
「先輩、追加します」
「もう出してる」
「早っ」
見ると、先輩は冷凍庫から追加分を作業台へ出していた。
「こうなると思ってたんですか?」
「四人で三つずつって言った時点でな」
「それは俺も分かりますよ」
油へ投入する。
じゅわっと音が広がる。
四人のリザードマンが一斉にそちらを見る。
「……圧がすごいな」
「気にすんな」
「先輩は気にならないんですか」
「揚がるまで何もできねえだろ」
「それはそうですけど」
◇
チキンを待つ間、四人は店内を見て回り始めた。
常連は慣れたものだ。
水を二本。
おにぎりを二つ。
迷わずかごへ入れる。
仲間たちは違う。
「これは何だ」
黒緑がコロッケを指した。
「コロッケです」
「肉か?」
「じゃがいもが中心ですね」
「芋」
「はい」
「揚げてある」
「そうです」
「一つ」
「ありがとうございます」
黄土色はフランクを見ている。
「こちらは肉か」
「肉です」
「一つ」
「はい」
青灰色は唐揚げの札を見ている。
文字は読めない。
「これは鶏か?」
「そうです」
「一つ」
「はい」
注文が増える。
俺はトングを持った。
コロッケ一個。
フランク一本。
唐揚げ。
紙袋へ入れる。
「……あれ」
ケースを見る。
さっきまでそれなりに入っていたはずなのに。
空きが目立つ。
「先輩」
「ん」
「チキン以外も減ってます」
「売れたからな」
「知ってます」
黒緑がコロッケを受け取り、太い黒い爪で紙袋の端を慎重につまむ。
一口。
ごり、と牙が見えた。
紙袋の中身が半分消えた。
「柔らかい」
「コロッケなんで」
「芋とは、このように食うものなのか」
「いろんな食べ方ありますよ」
黄土色はフランクを持っている。
「この棒は食うのか?」
「棒は食べません!」
「そうか」
「抜かないで持つための棒です」
「便利だな」
青灰色は唐揚げを一つ口へ入れた。
数秒止まる。
「これもよい」
「よかったです」
「もう一つ」
「はい」
「我も」
黒緑が言う。
「え?」
「その鶏を」
「唐揚げです?」
「それだ」
さらに減る。
ホットスナックケースの底が見え始めた。
俺は、嫌な予感がした。
「先輩」
「見えてる」
「ですよね」
「次、コロッケも揚げる」
「ですよね!」
チキンのタイマーが鳴る前に、俺たちは次の準備へ入った。
◇
七分後。
追加のチキンが揚がった。
油を切る。
紙袋を十二枚並べる。
「なんで十二枚?」
先輩が聞いた。
「三個ずつ、別々に渡すので」
「まとめた方が早くね」
「常連さん、爪で袋破らないよう丁寧に持つから、一袋に詰めすぎない方がいいかなって」
先輩が一瞬だけ俺を見る。
「ん」
「何です?」
「いや」
「気になる」
「慣れたなと思って」
「今さらですか」
「最初、爪見て固まってたろ」
「もう九日目ですから」
「まだ九日だぞ」
「内容が濃すぎるんですよ!」
俺はチキンを袋へ入れていった。
一つ。
二つ。
三つ。
四人分。
常連が受け取る。
仲間三人も続く。
そして。
「うまい」
黒緑。
「本当だ」
黄土色。
「もう一つ欲しい」
青灰色。
「待って」
俺は手を上げた。
「今、三個ずつ渡しましたよね?」
「食った」
「早い!」
常連が低く喉を鳴らす。
笑っている。
「言ったであろう。うまいと」
「あなたが広めたんですよね、これ」
「うむ」
「嬉しいけど困るなあ!」
俺はケースを見る。
追加分を出した直後なのに、また減っている。
「あと何個揚げられます?」
先輩に聞く。
「冷凍庫見ろ」
「俺が?」
「発注覚えんだろ」
「今ですか?」
「今だからだろ」
俺はバックヤードへ走った。
冷凍庫を開ける。
箱を確認する。
残数を数える。
普段なら数字だけ見て終わる。
今日は違う。
この後、朝六時までほかの客も来る。
全部ここで出したら、本当に何もなくなる。
俺は売り場へ戻った。
「あと一回分なら余裕あります。でも全部出すと、後が厳しいです」
「じゃあ半分」
先輩が言う。
「半分だけ追加して、残りは朝まで残す」
「了解です」
常連がこちらを見る。
「もうないのか?」
「ありますけど、ほかのお客さんの分も残したいので」
「そうか」
あっさり頷いた。
「では、それでよい」
「え、いいんですか?」
「店の品であろう」
「そうですけど」
「我らだけで食い尽くすものではない」
黒緑も頷く。
「次に来ればよい」
「……助かります」
俺は少し拍子抜けした。
巨体で押し切られるようなことはない。
ちゃんと客だ。
たくさん食べる客。
それだけだった。
◇
午前一時半。
四人の会計が始まった。
買い物かごは四つ。
チキン。
唐揚げ。
コロッケ。
フランク。
おにぎり。
水。
炭酸飲料。
菓子。
途中で誰かが追加したカップ麺まで入っている。
「三分のやつですか?」
俺が聞くと、青灰色が頷いた。
「小さい鍛冶屋が持っていた」
「ドワーフですね」
「うまそうだった」
「三分待てます?」
「三分?」
「お湯入れてから待つんです」
「三分くらい待てる」
「ですよね!」
なぜか嬉しくなった。
世の中、三分を待てる客の方が普通だ。
「何の話だ」
常連が聞く。
「こっちの話です」
ピッ。
ピッ。
ピッ。
バーコードを読み取る音が続く。
レジの画面に商品数が増えていく。
「すごいな……」
「何がだ?」
「一回の会計でこんなにホットスナック通したの初めてです」
「次はもっと連れてくる」
「ちょっと待ってください」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど、事前に言ってほしい!」
常連が首を傾げた。
「なぜだ」
「揚げる数を増やすからです!」
「なるほど」
「予約みたいになってきたな……」
先輩が横から言う。
「来る人数だけでいい」
「先輩まで乗るんですか」
「売れるなら準備するだろ」
「商売人だ」
「バイトだ」
四人分の会計を終える。
硬貨が精算機へ次々入る。
ちゃりん。
ちゃりん。
ちゃりん。
異世界の硬貨でも。
四人分でも。
機械は淡々としている。
俺は袋を分けた。
温かい物。
冷たい飲み物。
潰れやすい菓子。
「これ、誰のです?」
「我だ」
「こっちは?」
「そやつ」
「もう分かんなくなってきた!」
最後は本人たちに袋を持ってもらいながら確認した。
会計が全部終わる頃には、ホットスナックケースは見事に寂しくなっていた。
「ありがとうございました」
四人が入口へ向かう。
常連が振り返った。
「新人」
「まだ新人なんですか」
「九日目であろう」
「知ってるんだ……」
「次は五人かもしれぬ」
「だから先に言ってください!」
「覚えておこう」
本当に覚えてくれ。
自動ドアが開く。
四本の太い尾が順番に暗い森へ消えていった。
ドアが閉まる。
俺はケースを見る。
チキン、残りわずか。
唐揚げ、ほぼなし。
コロッケ、二個。
フランク、一個。
「……壊滅ですね」
「売れたな」
「今日それ何回言うんですか」
「売れたんだから仕方ねえだろ」
「まあ、そうですけど」
先輩が発注端末を俺へ差し出した。
「やれ」
「何を」
「発注」
「今?」
「今、何がどれだけ足りなかったか覚えてるだろ」
俺は端末を受け取った。
画面には商品名と発注数。
数字が並んでいる。
いつもなら先輩が決めるのを横で見るだけだった。
「俺が決めていいんですか?」
「変なら直す」
「信用されてるのかされてないのか分かんないな」
「早くしろ」
「はい」
俺は今日の販売数を思い出した。
チキン。
いつもの常連分。
仲間三人分。
追加。
唐揚げ。
コロッケ。
フランク。
「……これ、増やしすぎじゃないです?」
「明日も来るかもしれん」
「五人で?」
「かもな」
「でも来ないかもしれない」
「来なくても多少は売れる」
「廃棄出たら?」
「減らせ」
「難しいな……」
「それが発注」
短い。
でも正しい。
売れたから無限に増やせばいいわけじゃない。
来るかどうか分からない客を考える。
ほかの客の分も考える。
余らせすぎない。
足りなくもしない。
俺は数字を一つずつ変えた。
「チキン、ここまで」
「ん」
「唐揚げ、これ」
「いいんじゃね」
「コロッケ……」
「今日の減り方なら一段だけ増やせ」
「はい」
「フランクはそのまま」
「なんでです?」
「一人しか追加してねえ」
「ああ」
そういう見方か。
俺は端末を見つめた。
異世界の客を接客する仕事。
そう聞くと、もっと派手なものを想像する。
でも今やっているのは。
昨日何個売れたか見て。
明日何個届くか決める。
ものすごく普通のコンビニ業務だった。
入力を終える。
「これでどうです?」
先輩が画面を見る。
「いい」
「本当に?」
「多分」
「そこは断言してくださいよ!」
「明日何人来るか知らねえし」
「それはそうだけど!」
発注は未来予知ではないらしい。
◇
午前六時。
自動ドアの向こうが、異世界の森から日本の駐車場へ戻った。
明るくなり始めた山の空。
いつもの道路。
いつもの駐車場。
数時間前まで四人のリザードマンがいたとは思えない。
俺はホットスナックケースを清掃しながら、空いた棚を見た。
「すごい減り方だな……」
「朝の分は残ってる」
「ギリギリですけどね」
「残したからな」
「俺が」
「俺も」
「半分って決めたの先輩でしたね」
「そうだろ」
「たまにちゃんと先輩だな」
「たまにって何だ」
午前六時五十分。
バックヤードから足音がした。
「おはようございます」
水野さんだった。
肩ほどの焦げ茶色の髪を後ろでゆるくまとめ、生成り色の大きなトートバッグを肩にかけている。
「おはようございます」
俺が返す。
水野さんは制服へ着替える前に、カウンターへ置かれた発注端末を見た。
そして。
「……また増えてません?」
来た。
「何がです?」
「揚げ物」
「売れたので」
「前より結構増えてますよ」
「売れたので」
「夜中に?」
「夜中に」
水野さんが窓の外を見る。
朝の山道。
車は一台も走っていない。
「この店、夜だけ別の場所みたいですね」
俺の心臓が一瞬止まった。
「え」
「昼間こんなに人来ないのに、って意味です」
「あ、ああ」
「何慌ててるんですか?」
「いや、別に」
危ない。
本当に別の場所につながっている。
水野さんは端末をもう一度見た。
「団体客でも来たんです?」
「……まあ」
嘘ではない。
「四人くらい」
「四人でこの量?」
「一人が大きくて」
「大食い?」
「かなり」
これも嘘ではない。
水野さんは少し笑った。
「夜の常連さん、気になりますね」
「普通のお客さんですよ」
俺は言った。
自分でも驚くくらい自然に。
リザードマンでも。
女王でも。
勇者でも。
魔王軍の将軍でも。
買い物に来たなら、店側から見れば客だ。
「じゃあ、これだけ増やしても売れるんですね」
「たぶん」
「たぶん?」
「発注って未来予知じゃないらしいので」
「何ですか、それ」
水野さんが笑う。
横で先輩が小さく欠伸をした。
「瀬尾」
「はい」
「帰るぞ」
「はいはい」
俺はエプロンを外す前に、もう一度発注端末を見た。
数字だけなら、普通のコンビニの発注だ。
その数字が増えた理由を、日本側の配送員は知らない。
朝番の水野さんも知らない。
明日になれば、また普通の配送トラックが山道を上がってくる。
箱を降ろして。
俺たちが棚や冷凍庫へ入れて。
夜になれば、それを異世界の客が買っていく。
魔法で商品が湧いているわけじゃない。
日本のどこかで作られて。
トラックで運ばれて。
この山奥のコンビニを通って。
最後は、暗い森の向こうへ持っていかれる。
「……なんか本当に、異世界まで物流つながってるな」
「何か言いました?」
水野さんが振り返る。
「何でもないです!」
危ない。
俺は慌ててエプロンを外した。
この店を異世界につないでいる不思議な仕組みだけじゃ、商品は棚に並ばない。
少なくとも今夜のリザードマンたちの腹を満たしたのは。
普通の発注と。
普通の配送と。
普通のコンビニ店員だった。
俺がミッドマート北森店の駐車場へ着くと、店の裏手に白い配送トラックが停まっていた。
後部の扉が開き、制服姿の配送員が台車を押している。
段ボール箱。
飲料のケース。
冷蔵商品のコンテナ。
どれも、どこのコンビニでも見る普通の荷物だ。
「お疲れさまです」
俺が声をかけると、配送員も軽く頭を下げた。
「お疲れさまでーす」
台車がガラガラとバックヤードへ入っていく。
店内では榊原先輩が検品用の端末を持っていた。
「瀬尾、冷凍の方見ろ」
「はい」
俺は制服へ着替える前に、届いた箱のラベルを確認した。
ホットスナック。
チキン。
コロッケ。
フランク。
ここ数日で、俺にも見慣れた名前ばかりだ。
配送員が次の箱を台車へ載せながら言った。
「北森店、最近揚げ物よく出ますね」
「え」
「前より箱増えてるんで」
「あー……」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
夜中に二メートルのリザードマンが買っていくからです。
とは言えない。
「まあ、夜が結構」
「こんな山の中で?」
「意外と」
「へえ」
配送員はそれ以上気にせず、次の荷物を運びに戻った。
仕事だから当然だ。
どこの誰が食べるかなんて、配送する側には関係ない。
俺は冷凍箱を持ち上げた。
「先輩」
「ん」
「完全に普通の配送ですよね」
「見りゃ分かるだろ」
「この人たち、異世界人が食べるチキン運んでるって知らないんですよね」
「知らんだろ」
「なんかすごいな……」
「何が」
「いや、日本の物流が異世界まで食わせてるというか」
「店までだろ。森まで運んでねえぞ」
「そういう意味じゃなくて」
「早く入れろ。溶ける」
「はい」
結局、感慨より冷凍庫だった。
◇
午後十一時四十分。
配送された商品を片付け終えた俺は、フライヤーの前に立っていた。
片方の槽は清掃済み。
もう片方は稼働中。
油の中ではチキンが揚がっている。
「今日はちょっと多めですね」
「最近減るからな」
「昨日もリザードマン来てましたし」
「来てたな」
「魔王軍の将軍までシュークリーム買ってましたけど」
「シュークリームはフライヤー関係ねえだろ」
「そうですけど」
タイマーが鳴る。
俺は籠を上げ、油を切った。
香ばしい匂いがカウンター周りへ広がる。
チキンを一つずつケースへ並べる。
最初の夜なら「こんな時間に誰が買うんだ」と思っていた。
今は、並べながら数を数える。
これで足りるか。
そっちの方が気になる。
午前零時。
自動ドアの向こうが暗い森へ変わった。
九日目の異世界営業が始まる。
◇
午前零時二十分。
ウィーン。
「いらっしゃいませ」
入口を見た俺は、すぐに見覚えのある深緑の鱗を見つけた。
「お」
常連のリザードマンだ。
約二メートルの大きな身体。
革のベスト。
腰の幅広い剣。
太い尾。
もう、見ても何とも思わない。
「こんばんは。チキンありますよ」
「うむ」
琥珀色の目が細くなる。
「今日は多めに頼む」
「何個です?」
「まず、我の分を三つ」
「いつもどおりですね」
「それと」
リザードマンが横へ一歩ずれた。
その後ろ。
暗い森の中に、さらに三つの大きな影が立っていた。
「……あ」
一人。
二人。
三人。
全員、リザードマンだった。
最初の一人は、常連よりさらに肩幅が広い。
黒に近い深緑の鱗。
鼻先から左頬へ、白く古い傷が一本走っている。
革の胸当ての上からでも分かるくらい胸板が厚い。
二人目は少し小柄――といっても百八十センチはありそうだ。
黄土色に近い鱗で、首に赤い布を巻いている。
腕は太いが、動きは軽い。
三人目は青灰色の鱗。
身体は細身で、尾もほかの二人より長い。
まだ若いのか、店内を見回す琥珀色の目が忙しい。
三人とも腰に武器はある。
でも。
見慣れてしまった。
「……お連れさんですか?」
「仲間だ」
常連が答える。
「この店の鶏肉がうまいと話した」
「布教してる」
「ふきょう?」
「何でもないです」
黒緑の大柄なリザードマンがホットスナックケースを覗き込んだ。
「これか」
「チキンです」
「小さいな」
「あなたたち基準で言わないでください」
黄土色のリザードマンも隣から覗く。
「香りはよい」
青灰色の一人は、ケースに顔を近づけすぎている。
「熱いので気をつけてください」
「これを三つ食うのか?」
青灰色が常連を見る。
「三つでは足りぬ日もある」
「先輩」
俺は小声でレジを見る。
「ん」
「今日、足りない気がしてきました」
「俺も」
「もっと早く言ってくださいよ!」
「今来たから分かった」
「そりゃそうですけど!」
俺はケースの中を数えた。
チキン、九個。
さっき多めに揚げた。
多めに揚げたはずだった。
「三つずつ」
黒緑のリザードマンが言った。
「え?」
「我も三つ」
「私も三つ」
黄土色も続く。
青灰色が少し考えた。
「では我も三つ」
「待ってください」
俺は指を折った。
常連三つ。
黒緑三つ。
黄土色三つ。
青灰色三つ。
「十二個?」
「うむ」
「今、九個しかないです」
四人がケースを見る。
俺も見る。
九個。
どう見ても九個。
「残りは?」
常連が聞く。
「今から揚げます」
「待てばよいか」
「七分くらい」
「よい」
即答だった。
昨日までのドワーフに聞かせたい。
「じゃあ、先に九個お渡しします?」
「いや」
常連が仲間を見る。
「揃ってからでよい」
「分かりました」
俺はフライヤーへ向かう。
「先輩、追加します」
「もう出してる」
「早っ」
見ると、先輩は冷凍庫から追加分を作業台へ出していた。
「こうなると思ってたんですか?」
「四人で三つずつって言った時点でな」
「それは俺も分かりますよ」
油へ投入する。
じゅわっと音が広がる。
四人のリザードマンが一斉にそちらを見る。
「……圧がすごいな」
「気にすんな」
「先輩は気にならないんですか」
「揚がるまで何もできねえだろ」
「それはそうですけど」
◇
チキンを待つ間、四人は店内を見て回り始めた。
常連は慣れたものだ。
水を二本。
おにぎりを二つ。
迷わずかごへ入れる。
仲間たちは違う。
「これは何だ」
黒緑がコロッケを指した。
「コロッケです」
「肉か?」
「じゃがいもが中心ですね」
「芋」
「はい」
「揚げてある」
「そうです」
「一つ」
「ありがとうございます」
黄土色はフランクを見ている。
「こちらは肉か」
「肉です」
「一つ」
「はい」
青灰色は唐揚げの札を見ている。
文字は読めない。
「これは鶏か?」
「そうです」
「一つ」
「はい」
注文が増える。
俺はトングを持った。
コロッケ一個。
フランク一本。
唐揚げ。
紙袋へ入れる。
「……あれ」
ケースを見る。
さっきまでそれなりに入っていたはずなのに。
空きが目立つ。
「先輩」
「ん」
「チキン以外も減ってます」
「売れたからな」
「知ってます」
黒緑がコロッケを受け取り、太い黒い爪で紙袋の端を慎重につまむ。
一口。
ごり、と牙が見えた。
紙袋の中身が半分消えた。
「柔らかい」
「コロッケなんで」
「芋とは、このように食うものなのか」
「いろんな食べ方ありますよ」
黄土色はフランクを持っている。
「この棒は食うのか?」
「棒は食べません!」
「そうか」
「抜かないで持つための棒です」
「便利だな」
青灰色は唐揚げを一つ口へ入れた。
数秒止まる。
「これもよい」
「よかったです」
「もう一つ」
「はい」
「我も」
黒緑が言う。
「え?」
「その鶏を」
「唐揚げです?」
「それだ」
さらに減る。
ホットスナックケースの底が見え始めた。
俺は、嫌な予感がした。
「先輩」
「見えてる」
「ですよね」
「次、コロッケも揚げる」
「ですよね!」
チキンのタイマーが鳴る前に、俺たちは次の準備へ入った。
◇
七分後。
追加のチキンが揚がった。
油を切る。
紙袋を十二枚並べる。
「なんで十二枚?」
先輩が聞いた。
「三個ずつ、別々に渡すので」
「まとめた方が早くね」
「常連さん、爪で袋破らないよう丁寧に持つから、一袋に詰めすぎない方がいいかなって」
先輩が一瞬だけ俺を見る。
「ん」
「何です?」
「いや」
「気になる」
「慣れたなと思って」
「今さらですか」
「最初、爪見て固まってたろ」
「もう九日目ですから」
「まだ九日だぞ」
「内容が濃すぎるんですよ!」
俺はチキンを袋へ入れていった。
一つ。
二つ。
三つ。
四人分。
常連が受け取る。
仲間三人も続く。
そして。
「うまい」
黒緑。
「本当だ」
黄土色。
「もう一つ欲しい」
青灰色。
「待って」
俺は手を上げた。
「今、三個ずつ渡しましたよね?」
「食った」
「早い!」
常連が低く喉を鳴らす。
笑っている。
「言ったであろう。うまいと」
「あなたが広めたんですよね、これ」
「うむ」
「嬉しいけど困るなあ!」
俺はケースを見る。
追加分を出した直後なのに、また減っている。
「あと何個揚げられます?」
先輩に聞く。
「冷凍庫見ろ」
「俺が?」
「発注覚えんだろ」
「今ですか?」
「今だからだろ」
俺はバックヤードへ走った。
冷凍庫を開ける。
箱を確認する。
残数を数える。
普段なら数字だけ見て終わる。
今日は違う。
この後、朝六時までほかの客も来る。
全部ここで出したら、本当に何もなくなる。
俺は売り場へ戻った。
「あと一回分なら余裕あります。でも全部出すと、後が厳しいです」
「じゃあ半分」
先輩が言う。
「半分だけ追加して、残りは朝まで残す」
「了解です」
常連がこちらを見る。
「もうないのか?」
「ありますけど、ほかのお客さんの分も残したいので」
「そうか」
あっさり頷いた。
「では、それでよい」
「え、いいんですか?」
「店の品であろう」
「そうですけど」
「我らだけで食い尽くすものではない」
黒緑も頷く。
「次に来ればよい」
「……助かります」
俺は少し拍子抜けした。
巨体で押し切られるようなことはない。
ちゃんと客だ。
たくさん食べる客。
それだけだった。
◇
午前一時半。
四人の会計が始まった。
買い物かごは四つ。
チキン。
唐揚げ。
コロッケ。
フランク。
おにぎり。
水。
炭酸飲料。
菓子。
途中で誰かが追加したカップ麺まで入っている。
「三分のやつですか?」
俺が聞くと、青灰色が頷いた。
「小さい鍛冶屋が持っていた」
「ドワーフですね」
「うまそうだった」
「三分待てます?」
「三分?」
「お湯入れてから待つんです」
「三分くらい待てる」
「ですよね!」
なぜか嬉しくなった。
世の中、三分を待てる客の方が普通だ。
「何の話だ」
常連が聞く。
「こっちの話です」
ピッ。
ピッ。
ピッ。
バーコードを読み取る音が続く。
レジの画面に商品数が増えていく。
「すごいな……」
「何がだ?」
「一回の会計でこんなにホットスナック通したの初めてです」
「次はもっと連れてくる」
「ちょっと待ってください」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど、事前に言ってほしい!」
常連が首を傾げた。
「なぜだ」
「揚げる数を増やすからです!」
「なるほど」
「予約みたいになってきたな……」
先輩が横から言う。
「来る人数だけでいい」
「先輩まで乗るんですか」
「売れるなら準備するだろ」
「商売人だ」
「バイトだ」
四人分の会計を終える。
硬貨が精算機へ次々入る。
ちゃりん。
ちゃりん。
ちゃりん。
異世界の硬貨でも。
四人分でも。
機械は淡々としている。
俺は袋を分けた。
温かい物。
冷たい飲み物。
潰れやすい菓子。
「これ、誰のです?」
「我だ」
「こっちは?」
「そやつ」
「もう分かんなくなってきた!」
最後は本人たちに袋を持ってもらいながら確認した。
会計が全部終わる頃には、ホットスナックケースは見事に寂しくなっていた。
「ありがとうございました」
四人が入口へ向かう。
常連が振り返った。
「新人」
「まだ新人なんですか」
「九日目であろう」
「知ってるんだ……」
「次は五人かもしれぬ」
「だから先に言ってください!」
「覚えておこう」
本当に覚えてくれ。
自動ドアが開く。
四本の太い尾が順番に暗い森へ消えていった。
ドアが閉まる。
俺はケースを見る。
チキン、残りわずか。
唐揚げ、ほぼなし。
コロッケ、二個。
フランク、一個。
「……壊滅ですね」
「売れたな」
「今日それ何回言うんですか」
「売れたんだから仕方ねえだろ」
「まあ、そうですけど」
先輩が発注端末を俺へ差し出した。
「やれ」
「何を」
「発注」
「今?」
「今、何がどれだけ足りなかったか覚えてるだろ」
俺は端末を受け取った。
画面には商品名と発注数。
数字が並んでいる。
いつもなら先輩が決めるのを横で見るだけだった。
「俺が決めていいんですか?」
「変なら直す」
「信用されてるのかされてないのか分かんないな」
「早くしろ」
「はい」
俺は今日の販売数を思い出した。
チキン。
いつもの常連分。
仲間三人分。
追加。
唐揚げ。
コロッケ。
フランク。
「……これ、増やしすぎじゃないです?」
「明日も来るかもしれん」
「五人で?」
「かもな」
「でも来ないかもしれない」
「来なくても多少は売れる」
「廃棄出たら?」
「減らせ」
「難しいな……」
「それが発注」
短い。
でも正しい。
売れたから無限に増やせばいいわけじゃない。
来るかどうか分からない客を考える。
ほかの客の分も考える。
余らせすぎない。
足りなくもしない。
俺は数字を一つずつ変えた。
「チキン、ここまで」
「ん」
「唐揚げ、これ」
「いいんじゃね」
「コロッケ……」
「今日の減り方なら一段だけ増やせ」
「はい」
「フランクはそのまま」
「なんでです?」
「一人しか追加してねえ」
「ああ」
そういう見方か。
俺は端末を見つめた。
異世界の客を接客する仕事。
そう聞くと、もっと派手なものを想像する。
でも今やっているのは。
昨日何個売れたか見て。
明日何個届くか決める。
ものすごく普通のコンビニ業務だった。
入力を終える。
「これでどうです?」
先輩が画面を見る。
「いい」
「本当に?」
「多分」
「そこは断言してくださいよ!」
「明日何人来るか知らねえし」
「それはそうだけど!」
発注は未来予知ではないらしい。
◇
午前六時。
自動ドアの向こうが、異世界の森から日本の駐車場へ戻った。
明るくなり始めた山の空。
いつもの道路。
いつもの駐車場。
数時間前まで四人のリザードマンがいたとは思えない。
俺はホットスナックケースを清掃しながら、空いた棚を見た。
「すごい減り方だな……」
「朝の分は残ってる」
「ギリギリですけどね」
「残したからな」
「俺が」
「俺も」
「半分って決めたの先輩でしたね」
「そうだろ」
「たまにちゃんと先輩だな」
「たまにって何だ」
午前六時五十分。
バックヤードから足音がした。
「おはようございます」
水野さんだった。
肩ほどの焦げ茶色の髪を後ろでゆるくまとめ、生成り色の大きなトートバッグを肩にかけている。
「おはようございます」
俺が返す。
水野さんは制服へ着替える前に、カウンターへ置かれた発注端末を見た。
そして。
「……また増えてません?」
来た。
「何がです?」
「揚げ物」
「売れたので」
「前より結構増えてますよ」
「売れたので」
「夜中に?」
「夜中に」
水野さんが窓の外を見る。
朝の山道。
車は一台も走っていない。
「この店、夜だけ別の場所みたいですね」
俺の心臓が一瞬止まった。
「え」
「昼間こんなに人来ないのに、って意味です」
「あ、ああ」
「何慌ててるんですか?」
「いや、別に」
危ない。
本当に別の場所につながっている。
水野さんは端末をもう一度見た。
「団体客でも来たんです?」
「……まあ」
嘘ではない。
「四人くらい」
「四人でこの量?」
「一人が大きくて」
「大食い?」
「かなり」
これも嘘ではない。
水野さんは少し笑った。
「夜の常連さん、気になりますね」
「普通のお客さんですよ」
俺は言った。
自分でも驚くくらい自然に。
リザードマンでも。
女王でも。
勇者でも。
魔王軍の将軍でも。
買い物に来たなら、店側から見れば客だ。
「じゃあ、これだけ増やしても売れるんですね」
「たぶん」
「たぶん?」
「発注って未来予知じゃないらしいので」
「何ですか、それ」
水野さんが笑う。
横で先輩が小さく欠伸をした。
「瀬尾」
「はい」
「帰るぞ」
「はいはい」
俺はエプロンを外す前に、もう一度発注端末を見た。
数字だけなら、普通のコンビニの発注だ。
その数字が増えた理由を、日本側の配送員は知らない。
朝番の水野さんも知らない。
明日になれば、また普通の配送トラックが山道を上がってくる。
箱を降ろして。
俺たちが棚や冷凍庫へ入れて。
夜になれば、それを異世界の客が買っていく。
魔法で商品が湧いているわけじゃない。
日本のどこかで作られて。
トラックで運ばれて。
この山奥のコンビニを通って。
最後は、暗い森の向こうへ持っていかれる。
「……なんか本当に、異世界まで物流つながってるな」
「何か言いました?」
水野さんが振り返る。
「何でもないです!」
危ない。
俺は慌ててエプロンを外した。
この店を異世界につないでいる不思議な仕組みだけじゃ、商品は棚に並ばない。
少なくとも今夜のリザードマンたちの腹を満たしたのは。
普通の発注と。
普通の配送と。
普通のコンビニ店員だった。



