異世界深夜コンビニ

 八日目の午前一時二十分。

「チキン五つ」

「はい。五つですね」

 俺はホットスナックケースを開けた。

 トングで一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 五つ。

 耐油紙の袋へ入れて、カウンターへ置く。

 目の前では、すっかり見慣れた深緑のリザードマンが財布代わりの革袋を開いていた。

「今日は多いですね」

「仲間に頼まれた」

「人気だなあ」

「近頃は、これを買って帰らぬと文句を言われる」

「それ俺たちに言われても困りますよ」

「安心しろ。買って帰る」

「なら大丈夫です」

 リザードマンが低く喉を鳴らす。

 たぶん笑っている。

 最初の夜には、こいつが笑っているのか唸っているのかすら分からなかった。

 今では普通に会話して、いつもの商品を用意している。

 八日目ともなると、我ながらずいぶん変わった。

 ウィーン。

 その時、自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 声を出しながら入口を見る。

 そして。

 俺の手が止まった。

 でかい。

 最初に思ったのは、それだった。

 入ってきた男は百九十センチ近い。

 榊原先輩よりさらに少し大きく見える。

 肩幅も広い。

 黒に近い灰色の肌。

 額の左右から、後ろへ流れるように伸びた二本の黒い角。

 長い黒髪は首の後ろで一つに束ねられ、目は暗い赤色だった。

 胸から肩を覆う黒い金属鎧には、深い傷がいくつも残っている。

 その上から、暗い赤色の外套。

 腰には、俺の腕ほど幅のある大剣。

 どう見ても。

 買い物かごより、城門を破る方が似合う。

 男は店内へ一歩入ると、こちらを見た。

 赤い目と目が合う。

「……い、いらっしゃいませ」

「聞こえた」

 低い声だった。

 大きいわけではない。

 静かなのに、胸の奥へ響くような声だった。

「すみません」

「なぜ謝る」

 最近、このやり取り多いな。

 男は入口脇から買い物かごを一つ取った。

 太い指で、普通に。

 それだけで少し安心した。

 少なくとも、今のところ買い物をする気はあるらしい。

 俺は横目で榊原先輩を見る。

 先輩はレジ横で納品伝票を見ていた。

 顔すら上げない。

 この人は本当に何が来ても変わらない。



 黒い角の男は、意外なほど静かに店内を歩いた。

 飲料棚。

 弁当。

 菓子。

 何かを見つけるたびに、一度立ち止まる。

 でも勝手に開けたり触り回ったりはしない。

 商品を一つ手に取っては、分からなければ元の場所へ戻す。

 怖い見た目に反して、買い物はかなり丁寧だった。

「これは?」

 呼ばれた。

「はい?」

 男が持っていたのは、辛口の麻婆豆腐弁当だった。

「食事か」

「そうです。麻婆豆腐弁当です」

「まーぼー」

「辛い豆腐と挽き肉をご飯にかけて食べる感じですね」

「辛い?」

「結構辛い方です」

「なら、これにする」

 即決だった。

「辛いの好きなんですか?」

「嫌いではない」

「強そうな言い方だな」

「何か言ったか」

「何でもないです」

 弁当がかごへ入る。

 次に男は飲料ケースへ向かった。

 しばらく見た末、無糖の缶コーヒーを一つ取る。

「それ、苦いですよ」

「苦い?」

「甘くないやつです」

「ならよい」

 また即決。

 辛い弁当。

 苦いコーヒー。

 見た目どおりといえば、見た目どおりだ。

 男はそのままレジへ向かいかけた。

 途中で止まる。

 視線の先はデザート棚だった。

 数秒。

 シュークリームを一つ取る。

 俺は何も言わなかった。

 言ったら負けな気がした。

 辛い弁当。

 苦いコーヒー。

 シュークリーム。

 まあ、そういうこともある。



「お会計、こちらです」

 俺が声をかける。

 黒い角の男がレジへ来た。

 しかし、その前にはまだ常連リザードマンがいた。

 チキン五つ。

 水二本。

 おにぎり三つ。

 今日は仲間の分まで頼まれたせいで、いつもより多い。

 俺は商品を順番にレジへ通していた。

 ピッ。

 ピッ。

 リザードマンが振り返る。

 そして、後ろに立った男を見た。

「おや」

 琥珀色の目が少し細くなる。

「これは、将軍殿」

 俺の手が止まった。

 将軍。

 黒い角の男は、軽く顎を引いた。

「久しいな」

「まさかこちらで会うとは」

「食事を買いに来ただけだ」

「それは私も同じですな」

 普通に知り合いだった。

「魔王軍の方も、夜食ですかな」

「ああ」

 リザードマンが男のかごを覗く。

「辛そうなものを選ばれましたな」

「店員が濃い味だと言った」

「なるほど。ここの食い物は外れが少ない」

「お前はいつも、それを買っているのか」

 将軍が、レジの上に積まれたチキンの紙袋を見る。

「近頃は仲間まで覚えてしまいましてな」

「うまいのか」

「うまい」

 即答だった。

 将軍が紙袋を一度見た。

「次にする」

「ぜひ」

 何なんだ、この会話。

 魔王軍の将軍らしい男に、常連リザードマンがコンビニチキンを勧めている。

 しかも勧められた側も、次に来た時は買うつもりらしい。

 俺がこの店へ来る前に想像していた異世界と、何かが違う。

 俺はバーコードを読みながら、小声で先輩を呼んだ。

「先輩」

「ん」

「将軍って」

 先輩が一度だけ男を見る。

「らしいな」

「……え」

「手止まってる」

「あっ」

 ピッ。

 慌てて次のおにぎりを通す。

 魔王軍。

 昨日は勇者。

 今日は魔王軍。

 この店の客層、どうなってるんだ。

 俺が頭の中で混乱している間にも、黒い角の男――魔王軍の将軍らしい人物は、普通にリザードマンの後ろへ立っていた。

 距離もきっちり一人分。

 買い物かごを片手に持ち、何も言わない。

 リザードマンが自分の大量の商品を見る。

「将軍殿。私の方が多い。先にどうぞ」

「いや」

「しかし」

「お前が先に並んでいた」

「よろしいので?」

「順番だろう」

「では、お言葉に甘えて」

 俺は思わず、後ろの将軍を見た。

 魔王軍の将軍も。

 レジでは並ぶらしい。

 当たり前のはずなのに、ものすごく変な光景だった。

「瀬尾」

「はい」

「会計」

「分かってます!」

 リザードマンの会計を終わらせる。

「ありがとうございました」

「うむ。また来る」

 大きな袋を持ったリザードマンが横へずれる。

「では、将軍殿」

「ああ」

 会釈して、そのまま店を出ていった。

 自動ドアが閉まる。

 次。

 魔王軍の将軍がレジ前へ来る。

「お待たせしました」

「待っていない」

「いや、結構待ってましたよ」

「順番なら仕方ない」

「……そういうものですか」

「そういうものだろう」

 言われてみれば、その通りだった。



 俺は商品をレジへ通した。

 麻婆豆腐弁当。

 無糖の缶コーヒー。

 シュークリーム。

 ピッ。

 ピッ。

 ピッ。

「お弁当、温めますか?」

「温める?」

「温かくして食べるなら、こっちでできます」

「頼む」

「はい」

 弁当を持って電子レンジへ向かう。

 フィルムの指定部分を少し剥がして、レンジへ入れる。

 時間を合わせる。

 スタート。

 ぶうん、と低い音が鳴った。

 将軍がレンジを見る。

「火がない」

「ないです」

「それで熱くなる?」

「なります」

「なぜだ」

「……説明はできないです」

 先輩がレジから言った。

「電子レンジだから」

「それ説明になってます?」

「俺に聞くな」

「聞いてないですよ!」

 将軍が俺たちを交互に見る。

「お前たちも分かっていないのか」

「使い方は分かってます」

「それでよいのか?」

「日本では割とそんなものです」

「そうか」

 納得された。

 たぶん。

 レンジの中で弁当が回る。

 その間、将軍はレジ横に置かれたシュークリームを見た。

「これは、甘いのか」

「甘いです」

「中も?」

「クリーム入ってます」

「くりーむ」

「甘くて柔らかいやつです」

「なるほど」

 男は少しだけ考えた。

 シュークリームを持ち上げる。

 金属の籠手に包まれた指先が、柔らかい容器を妙に慎重につまんでいた。

「これだけ柔らかいと、持ち歩けば潰れるか」

「雑に荷物へ突っ込んだら、たぶん」

「では手で持つ」

「そこまでして買うんですか」

「甘いものが嫌いだとは言っていない」

「いや、言ってないですけど」

 見た目だけなら、辛い肉を骨ごと食べそうなのに。

 人は見かけによらない。

 魔族も、たぶん同じだ。

 男は少しだけ考えた。

「もう一つ」

「え?」

「これを、もう一つ」

「シュークリーム?」

「そうだ」

「はい」

 俺は何も言わず、棚から同じものを一つ持ってきた。

 見た目で判断してはいけない。

 八日目にして、また一つ学んだ。

 ピピピッ。

 レンジが鳴る。

「お待たせしました」

 扉を開ける。

 熱気と、辛い香辛料の匂いが広がった。

 将軍の赤い目が少しだけ細くなる。

「いい匂いだ」

「熱いんで気をつけてください」

「分かった」

 俺は弁当とコーヒー、シュークリーム二つを袋へ分けた。

「温かい弁当と冷たいもの、一緒にしない方がいいですよね」

「任せる」

「じゃあ二袋にします」

 会計へ戻る。

「お支払いは精算機へお願いします」

 将軍は腰の袋から、黒っぽい銀色の硬貨を数枚出した。

 表面には、炎のような紋章が刻まれている。

 ちゃりん。

 ちゃりん。

 精算機は、魔王軍だろうが気にしない。

 いつもどおり数字を処理し、会計を終えた。

「ありがとうございました」

 袋を渡す。

 将軍が受け取る。

 黒い金属の籠手に包まれた手が、白いミッドマートのレジ袋を持つ。

 袋には、三日月を抱く白猫。

 似合わない。

 ものすごく似合わない。

 でも笑うのは危険な気がした。

「何だ」

「何でもないです」

「そうか」

 将軍は入口へ向かう。

 途中で一度止まり、振り返った。

「店員」

「はい?」

「この甘いものは、いつもあるのか」

「シュークリームですか?」

「ああ」

「売り切れてなければ」

「そうか」

 短く頷く。

「次も買う」

「ありがとうございます」

 今度こそ、暗い森へ出ていった。



 ドアが閉まった。

 俺は数秒黙った。

「……先輩」

「ん」

「魔王軍の将軍が」

「うん」

「ちゃんと列に並んで」

「並んでたな」

「弁当温めて」

「温めたな」

「シュークリーム二個買って帰りました」

「売れたな」

「その感想しかないんですか」

「他に何がいる」

 先輩はレジ横のホットスナックケースを見た。

「チキン減った」

「それはリザードマンです」

「なら補充」

「はいはい」

 俺はフライヤーへ向かう。

 途中でデザート棚を見る。

 シュークリームが二つ減っている。

 昨日は勇者が、おにぎりとロープを買っていった。

 今日は魔王軍の将軍が、麻婆豆腐弁当とシュークリームを買っていった。

 どっちが何と戦っているのか。

 俺はまだ知らない。

 知らなくても、レジは打てる。

 誰が来ても。

 並んだ順番に接客して。

 買った分だけ商品が減る。

「瀬尾」

「はい?」

「シュークリームも前出し」

「あ」

 俺はデザート棚へ戻った。

 魔王軍の将軍も、コンビニではちゃんと並ぶ。

 そして、甘いものは別腹らしい。