六日目の午前一時。
俺はデザート棚の前で、プリンの列を揃えていた。
手前の商品を前へ。
奥の商品も前へ。
ラベルの向きを揃える。
「瀬尾」
「はい?」
「一個逆」
「細かいなあ」
「商品名見えねえだろ」
「先輩、意外とそういうの気にするんですね」
「仕事だからな」
振り返ると、榊原先輩はレジの中で頬杖をついていた。
「それ言いながら頬杖ついてる人、初めて見ました」
「客いねえし」
「じゃあ手伝ってくださいよ」
「そこ狭い」
「絶対入りたくないだけでしょ」
返事はない。
俺は最後のプリンを正面へ向けた。
透明なカップの中に、淡い黄色。
底には焦げ茶色のカラメル。
値段も、見た目も、コンビニでよく見る普通のプリンだ。
昨日はカップ麺。
一昨日はカット野菜。
その前は炭酸水。
最近は、売り場のどこを見ても「異世界の客がこれを買ったらどうなるんだろう」と考えてしまう。
別に考えなくても、客が来れば分かるのだが。
ウィーン。
その時、自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
反射で声を出す。
入口の向こうに、二人の男が立っていた。
どちらも鎧姿だった。
銀色の胸当て。
濃紺の外套。
腰には剣。
片方は四十代ほど、もう片方は若い。
どちらも店へ入るより先に、左右へ身を引いた。
その間から、一人の女性が歩いてくる。
最初に目に入ったのは、姿勢だった。
背筋がまっすぐで、歩幅は大きくないのに妙に目を引く。
身長は百六十八センチほど。
細身だが華奢という感じではない。
年齢は三十歳前後に見えた。
腰まで伸びた、ほとんど黒に見える濃い藍色の髪。
前髪は額を出すよう左右へ流され、後ろは銀色の留め具で一つにまとめられている。
瞳は薄い青灰色。
白い肌。
深い紺色の長衣の上に、銀糸の刺繍が入った短い外套を羽織っている。
胸元や袖口の飾りは細かいのに、派手すぎない。
額には細い銀色の飾り輪。
中央に小さな青い石が一つだけ留められていた。
どう見ても、普通の旅人ではない。
女性が店内へ足を踏み入れる。
後ろの鎧の男も続こうとした。
「陛下。せめて我々も中へ」
「いらぬ」
女性は振り返らなかった。
落ち着いた、少し低めの声だった。
「買い物くらい一人でできる」
「しかし」
「そこで待て」
「……はっ」
自動ドアが閉まる。
俺は固まった。
今。
なんて言った?
陛下?
俺はゆっくり先輩を見る。
「先輩」
「ん」
「今、陛下って」
「言ってたな」
「陛下ですよ?」
「聞こえてた」
「つまり」
「客だろ」
「そこじゃない!」
声が少し大きくなった。
女性の青灰色の目がこちらへ向く。
俺は慌てて背筋を伸ばした。
「い、いらっしゃいませ!」
「先ほども聞いた」
「すみません!」
「謝る必要はない」
女性はそれだけ言うと、店内を見回した。
俺は小声で先輩に近づく。
「どうしたらいいんですか」
「何が」
「陛下ですよ」
「だから?」
「だからって……もっとこう、対応とか」
「普通に接客しろ」
「普通でいいんですか?」
「買い物に来たんだろ」
先輩は本当に興味がなさそうだった。
こっちは、コンビニバイト六日目で女王らしき人物の接客をさせられている。
研修項目にない。
絶対にない。
◇
女性は中央の商品棚をゆっくり歩いた。
菓子を見て。
飲料を見て。
弁当の棚で少し止まり。
最後にデザート棚の前へ来た。
俺が数分前に並べ直したばかりの場所だ。
また止まった。
エルフの時も野菜売り場で止まっていたな。
異世界の客は、とりあえず棚の前で立ち尽くすものなのだろうか。
いや。
たぶん知らない商品が多いだけだ。
女性の視線が、上から下へ動く。
シュークリーム。
ゼリー。
ロールケーキ。
ヨーグルト。
そして。
プリン。
目が止まった。
俺は迷った。
声をかけるべきか。
陛下に。
いや、客だ。
先輩もそう言っていた。
俺は一度息を吸って、近づいた。
「何かお探しですか?」
「探しているというほどではない」
「はい」
「これは何だ?」
細い指が、棚のプリンを指した。
「プリンです」
「ぷりん」
「甘いお菓子です。卵と牛乳と砂糖で作る……ものですね」
「曖昧だな」
「作ったことはないので」
「店員なのに?」
「コンビニで作ってるわけじゃないんで」
言ってから、相手が陛下だったことを思い出した。
「す、すみません」
「なぜ謝る」
「いや、なんとなく」
女性の口元がほんの少し動いた。
笑ったのかもしれない。
彼女はプリンを一つ手に取った。
透明なカップを持ち上げ、横から眺める。
「黄色い」
「だいたい黄色いですね」
「下の黒いものは?」
「カラメルです」
「からめる」
「苦くて甘いソースみたいなものです」
「苦くて、甘い?」
「食べれば分かります」
「説明を諦めたな」
「味を言葉だけで説明するの難しいんですよ」
「それはそうか」
女性はプリンを棚へ戻さず、そのまま持っている。
「これ一つ?」
「はい」
「随分、小さいな」
「デザートなんで」
「これで菓子なのか」
「普通に売ってるお菓子ですよ」
「誰でも買える?」
「お金があれば」
女性がプリンを見た。
「誰でも」
「はい。子供でも学生でも、仕事帰りの人でも」
「王族でなくても?」
「むしろ王族が買う方が珍しいと思います」
しまった。
また余計なことを言った。
女性は数秒黙ったあと、小さく息を漏らした。
今度は確実に笑った。
「正直だな、お前は」
「すみません」
「だから、なぜ謝る」
「癖になってきました」
俺はプリンの棚を指した。
「他にも種類ありますよ」
「違うのか?」
「こっちは固め。こっちは滑らか系。こっちはクリームが乗ってます。あと大きいやつ」
「同じぷりんではないのか」
「全部プリンです」
「同じなのに違う」
「そういうものです」
女性は真剣な顔で棚を見比べた。
国の重要案件でも選んでいるみたいな表情だった。
固め。
滑らか。
クリーム。
大容量。
数十秒悩んだ末、最初に手に取った一番普通のプリンへ戻る。
「これにする」
「普通のでいいんですか?」
「最初に食べるなら、普通のものがよい」
「なるほど」
妙に納得した。
◇
「お会計はこちらです」
俺はプリンをレジへ通した。
ピッ。
店内に、いつもの電子音が響く。
陛下だろうが何だろうが、バーコードの音は同じだった。
「お支払いは精算機へお願いします」
「これだな」
「はい」
女性は腰元の小さな革袋を開いた。
出てきたのは金色の硬貨だった。
これまで見た異世界の硬貨より薄く、縁に細かな刻みが入っている。
片面には、羽を広げた鳥のような紋章。
女性がそれを一枚、精算機へ入れる。
ちゃりん。
機械は普通に受け入れた。
画面の数字が変わる。
お釣りも勝手に処理される。
女性は受け皿へ出た硬貨を確認し、革袋へ戻した。
「便利だな」
「俺もそう思います」
「お前が作ったのではないのだろう」
「もちろんです」
「なら、胸を張るな」
「ちょっとくらいいいじゃないですか」
また口元が緩む。
「袋、使いますか?」
「いや。これだけならよい」
「スプーンは?」
「すぷーん」
「あ、食べる道具です」
俺は小さなプラスチックのスプーンを見せた。
「これで掬って食べます」
「木ではない」
「プラスチックです」
「……また知らないものが出てきた」
「今日はプリンだけ覚えて帰りましょう」
「そうする」
俺はスプーンを渡した。
女性はプリンとスプーンを片手に持ち、入口へ向かう。
自動ドアが開いた。
外で待っていた二人の護衛が、すぐに姿勢を正した。
「陛下」
「戻るぞ」
「はっ」
女性はそのまま暗い森へ歩き出す。
ドアが閉まった。
俺は大きく息を吐いた。
「……緊張した」
「何が」
「先輩、本当に何も思わないんですか」
「プリン一個買った客だろ」
「女王ですよ、たぶん」
「だからプリン食わないのか?」
「そういう話じゃないでしょ」
先輩は肩をすくめた。
「ちゃんと会計したならいいだろ」
「コンビニ強いな……」
王族でも会計は半セルフ。
陛下でもスプーンは一個。
妙なところで平等だった。
俺はレジ周りを片付け始めた。
その時。
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
声を出して、顔を上げる。
さっきの女性が戻ってきた。
俺は一瞬、何か失礼をしたのかと思った。
「ど、どうしました?」
「同じものを二つ」
「え?」
「先ほどのぷりんだ」
「……二つ?」
「二つだ」
女性の手には、さっきの空になったプリン容器があった。
スプーンもきれいに使われている。
外の護衛二人は、なぜか少し遠い目をしていた。
「もう食べたんですか?」
「何か問題が?」
「いえ。早いなと思って」
「小さいと言っただろう」
「確かに」
女性はまっすぐデザート棚へ向かった。
迷わない。
さっきあれだけ真剣に見比べていたのに、今度は同じプリンを二つ取る。
「お気に召しました?」
聞いてから、少し馴れ馴れしかったかと思った。
女性は商品を見たまま答える。
「悪くない」
「それ、気に入った人の言い方ですよね」
「悪くないと言っている」
「二個追加してますよ」
青灰色の目が俺を見る。
「一つは持ち帰る」
「もう一つは?」
「……予備だ」
「予備のプリン」
「何かおかしいか?」
「いえ」
笑いそうになった。
必死で堪える。
レジから先輩の声が飛んだ。
「瀬尾」
「はい」
「笑うなよ」
「笑ってないです!」
「顔」
「先輩こそちょっと笑ってるでしょ!」
「笑ってない」
女性は俺たちを交互に見た。
「お前たちは、いつもこうなのか」
「だいたいこんな感じです」
「そうか」
呆れるかと思った。
でも女性は、少しだけ楽しそうだった。
◇
二度目の会計。
プリン二つ。
ピッ。
ピッ。
金色の硬貨。
ちゃりん。
袋はいらない。
今度はスプーンを二つ付ける。
「一つでよい」
「二個ありますけど」
「持ち帰る方は後で使う」
「じゃあ一個で」
「うむ」
俺はスプーンを一つだけ渡した。
女性は二つのプリンを持ち、今度こそ入口へ向かう。
自動ドアの前で、ふと足を止めた。
「これは、明日もあるか?」
「売り切れなければ」
「売り切れるのか」
「商品なんで。売れればなくなります」
「取り置きは?」
俺は先輩を見る。
先輩は即答した。
「してない」
「先輩!」
「してねえだろ」
「そうですけど、相手」
「客」
またそれだ。
女性は先輩を見た。
怒るかと思った。
けれど。
「そうか」
それだけだった。
むしろ、少し満足そうにも見えた。
「ならば、なくなる前に来ればよい」
「そうしてください」
「次は別のぷりんも試す」
「滑らかなやつ、おすすめですよ」
「覚えておこう」
自動ドアが開く。
「ありがとうございました」
今度は、俺も普通に言えた。
女性は振り返らず、片手を軽く上げた。
外で待つ護衛の一人が、こちらへ深く頭を下げる。
三人の姿が森の暗闇へ消えていった。
自動ドアが閉まる。
俺はしばらく黙っていた。
「……女王が」
「ん」
「夜中にコンビニ来て」
「ん」
「プリン三個買って帰った」
「売れたな」
「感想それだけ?」
「他に何がある」
先輩が顎でデザート棚を示す。
そこだけ三つ分、きれいに隙間が空いている。
「前出し」
「はいはい」
俺は棚へ向かった。
一番普通のプリンを奥から三つ前へ出す。
王族だから特別扱い。
そんなものは、この店にはないらしい。
誰が来ても、商品を選んで。
レジを通して。
金を払って。
気に入れば、また買いに来る。
それだけだ。
「瀬尾」
「はい?」
「発注」
「プリンも増やします?」
「三個売れたからな」
「ですよね」
女王陛下が気に入ったとしても。
結局、俺たちがすることはいつもと同じだった。
俺はデザート棚の前で、プリンの列を揃えていた。
手前の商品を前へ。
奥の商品も前へ。
ラベルの向きを揃える。
「瀬尾」
「はい?」
「一個逆」
「細かいなあ」
「商品名見えねえだろ」
「先輩、意外とそういうの気にするんですね」
「仕事だからな」
振り返ると、榊原先輩はレジの中で頬杖をついていた。
「それ言いながら頬杖ついてる人、初めて見ました」
「客いねえし」
「じゃあ手伝ってくださいよ」
「そこ狭い」
「絶対入りたくないだけでしょ」
返事はない。
俺は最後のプリンを正面へ向けた。
透明なカップの中に、淡い黄色。
底には焦げ茶色のカラメル。
値段も、見た目も、コンビニでよく見る普通のプリンだ。
昨日はカップ麺。
一昨日はカット野菜。
その前は炭酸水。
最近は、売り場のどこを見ても「異世界の客がこれを買ったらどうなるんだろう」と考えてしまう。
別に考えなくても、客が来れば分かるのだが。
ウィーン。
その時、自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
反射で声を出す。
入口の向こうに、二人の男が立っていた。
どちらも鎧姿だった。
銀色の胸当て。
濃紺の外套。
腰には剣。
片方は四十代ほど、もう片方は若い。
どちらも店へ入るより先に、左右へ身を引いた。
その間から、一人の女性が歩いてくる。
最初に目に入ったのは、姿勢だった。
背筋がまっすぐで、歩幅は大きくないのに妙に目を引く。
身長は百六十八センチほど。
細身だが華奢という感じではない。
年齢は三十歳前後に見えた。
腰まで伸びた、ほとんど黒に見える濃い藍色の髪。
前髪は額を出すよう左右へ流され、後ろは銀色の留め具で一つにまとめられている。
瞳は薄い青灰色。
白い肌。
深い紺色の長衣の上に、銀糸の刺繍が入った短い外套を羽織っている。
胸元や袖口の飾りは細かいのに、派手すぎない。
額には細い銀色の飾り輪。
中央に小さな青い石が一つだけ留められていた。
どう見ても、普通の旅人ではない。
女性が店内へ足を踏み入れる。
後ろの鎧の男も続こうとした。
「陛下。せめて我々も中へ」
「いらぬ」
女性は振り返らなかった。
落ち着いた、少し低めの声だった。
「買い物くらい一人でできる」
「しかし」
「そこで待て」
「……はっ」
自動ドアが閉まる。
俺は固まった。
今。
なんて言った?
陛下?
俺はゆっくり先輩を見る。
「先輩」
「ん」
「今、陛下って」
「言ってたな」
「陛下ですよ?」
「聞こえてた」
「つまり」
「客だろ」
「そこじゃない!」
声が少し大きくなった。
女性の青灰色の目がこちらへ向く。
俺は慌てて背筋を伸ばした。
「い、いらっしゃいませ!」
「先ほども聞いた」
「すみません!」
「謝る必要はない」
女性はそれだけ言うと、店内を見回した。
俺は小声で先輩に近づく。
「どうしたらいいんですか」
「何が」
「陛下ですよ」
「だから?」
「だからって……もっとこう、対応とか」
「普通に接客しろ」
「普通でいいんですか?」
「買い物に来たんだろ」
先輩は本当に興味がなさそうだった。
こっちは、コンビニバイト六日目で女王らしき人物の接客をさせられている。
研修項目にない。
絶対にない。
◇
女性は中央の商品棚をゆっくり歩いた。
菓子を見て。
飲料を見て。
弁当の棚で少し止まり。
最後にデザート棚の前へ来た。
俺が数分前に並べ直したばかりの場所だ。
また止まった。
エルフの時も野菜売り場で止まっていたな。
異世界の客は、とりあえず棚の前で立ち尽くすものなのだろうか。
いや。
たぶん知らない商品が多いだけだ。
女性の視線が、上から下へ動く。
シュークリーム。
ゼリー。
ロールケーキ。
ヨーグルト。
そして。
プリン。
目が止まった。
俺は迷った。
声をかけるべきか。
陛下に。
いや、客だ。
先輩もそう言っていた。
俺は一度息を吸って、近づいた。
「何かお探しですか?」
「探しているというほどではない」
「はい」
「これは何だ?」
細い指が、棚のプリンを指した。
「プリンです」
「ぷりん」
「甘いお菓子です。卵と牛乳と砂糖で作る……ものですね」
「曖昧だな」
「作ったことはないので」
「店員なのに?」
「コンビニで作ってるわけじゃないんで」
言ってから、相手が陛下だったことを思い出した。
「す、すみません」
「なぜ謝る」
「いや、なんとなく」
女性の口元がほんの少し動いた。
笑ったのかもしれない。
彼女はプリンを一つ手に取った。
透明なカップを持ち上げ、横から眺める。
「黄色い」
「だいたい黄色いですね」
「下の黒いものは?」
「カラメルです」
「からめる」
「苦くて甘いソースみたいなものです」
「苦くて、甘い?」
「食べれば分かります」
「説明を諦めたな」
「味を言葉だけで説明するの難しいんですよ」
「それはそうか」
女性はプリンを棚へ戻さず、そのまま持っている。
「これ一つ?」
「はい」
「随分、小さいな」
「デザートなんで」
「これで菓子なのか」
「普通に売ってるお菓子ですよ」
「誰でも買える?」
「お金があれば」
女性がプリンを見た。
「誰でも」
「はい。子供でも学生でも、仕事帰りの人でも」
「王族でなくても?」
「むしろ王族が買う方が珍しいと思います」
しまった。
また余計なことを言った。
女性は数秒黙ったあと、小さく息を漏らした。
今度は確実に笑った。
「正直だな、お前は」
「すみません」
「だから、なぜ謝る」
「癖になってきました」
俺はプリンの棚を指した。
「他にも種類ありますよ」
「違うのか?」
「こっちは固め。こっちは滑らか系。こっちはクリームが乗ってます。あと大きいやつ」
「同じぷりんではないのか」
「全部プリンです」
「同じなのに違う」
「そういうものです」
女性は真剣な顔で棚を見比べた。
国の重要案件でも選んでいるみたいな表情だった。
固め。
滑らか。
クリーム。
大容量。
数十秒悩んだ末、最初に手に取った一番普通のプリンへ戻る。
「これにする」
「普通のでいいんですか?」
「最初に食べるなら、普通のものがよい」
「なるほど」
妙に納得した。
◇
「お会計はこちらです」
俺はプリンをレジへ通した。
ピッ。
店内に、いつもの電子音が響く。
陛下だろうが何だろうが、バーコードの音は同じだった。
「お支払いは精算機へお願いします」
「これだな」
「はい」
女性は腰元の小さな革袋を開いた。
出てきたのは金色の硬貨だった。
これまで見た異世界の硬貨より薄く、縁に細かな刻みが入っている。
片面には、羽を広げた鳥のような紋章。
女性がそれを一枚、精算機へ入れる。
ちゃりん。
機械は普通に受け入れた。
画面の数字が変わる。
お釣りも勝手に処理される。
女性は受け皿へ出た硬貨を確認し、革袋へ戻した。
「便利だな」
「俺もそう思います」
「お前が作ったのではないのだろう」
「もちろんです」
「なら、胸を張るな」
「ちょっとくらいいいじゃないですか」
また口元が緩む。
「袋、使いますか?」
「いや。これだけならよい」
「スプーンは?」
「すぷーん」
「あ、食べる道具です」
俺は小さなプラスチックのスプーンを見せた。
「これで掬って食べます」
「木ではない」
「プラスチックです」
「……また知らないものが出てきた」
「今日はプリンだけ覚えて帰りましょう」
「そうする」
俺はスプーンを渡した。
女性はプリンとスプーンを片手に持ち、入口へ向かう。
自動ドアが開いた。
外で待っていた二人の護衛が、すぐに姿勢を正した。
「陛下」
「戻るぞ」
「はっ」
女性はそのまま暗い森へ歩き出す。
ドアが閉まった。
俺は大きく息を吐いた。
「……緊張した」
「何が」
「先輩、本当に何も思わないんですか」
「プリン一個買った客だろ」
「女王ですよ、たぶん」
「だからプリン食わないのか?」
「そういう話じゃないでしょ」
先輩は肩をすくめた。
「ちゃんと会計したならいいだろ」
「コンビニ強いな……」
王族でも会計は半セルフ。
陛下でもスプーンは一個。
妙なところで平等だった。
俺はレジ周りを片付け始めた。
その時。
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
声を出して、顔を上げる。
さっきの女性が戻ってきた。
俺は一瞬、何か失礼をしたのかと思った。
「ど、どうしました?」
「同じものを二つ」
「え?」
「先ほどのぷりんだ」
「……二つ?」
「二つだ」
女性の手には、さっきの空になったプリン容器があった。
スプーンもきれいに使われている。
外の護衛二人は、なぜか少し遠い目をしていた。
「もう食べたんですか?」
「何か問題が?」
「いえ。早いなと思って」
「小さいと言っただろう」
「確かに」
女性はまっすぐデザート棚へ向かった。
迷わない。
さっきあれだけ真剣に見比べていたのに、今度は同じプリンを二つ取る。
「お気に召しました?」
聞いてから、少し馴れ馴れしかったかと思った。
女性は商品を見たまま答える。
「悪くない」
「それ、気に入った人の言い方ですよね」
「悪くないと言っている」
「二個追加してますよ」
青灰色の目が俺を見る。
「一つは持ち帰る」
「もう一つは?」
「……予備だ」
「予備のプリン」
「何かおかしいか?」
「いえ」
笑いそうになった。
必死で堪える。
レジから先輩の声が飛んだ。
「瀬尾」
「はい」
「笑うなよ」
「笑ってないです!」
「顔」
「先輩こそちょっと笑ってるでしょ!」
「笑ってない」
女性は俺たちを交互に見た。
「お前たちは、いつもこうなのか」
「だいたいこんな感じです」
「そうか」
呆れるかと思った。
でも女性は、少しだけ楽しそうだった。
◇
二度目の会計。
プリン二つ。
ピッ。
ピッ。
金色の硬貨。
ちゃりん。
袋はいらない。
今度はスプーンを二つ付ける。
「一つでよい」
「二個ありますけど」
「持ち帰る方は後で使う」
「じゃあ一個で」
「うむ」
俺はスプーンを一つだけ渡した。
女性は二つのプリンを持ち、今度こそ入口へ向かう。
自動ドアの前で、ふと足を止めた。
「これは、明日もあるか?」
「売り切れなければ」
「売り切れるのか」
「商品なんで。売れればなくなります」
「取り置きは?」
俺は先輩を見る。
先輩は即答した。
「してない」
「先輩!」
「してねえだろ」
「そうですけど、相手」
「客」
またそれだ。
女性は先輩を見た。
怒るかと思った。
けれど。
「そうか」
それだけだった。
むしろ、少し満足そうにも見えた。
「ならば、なくなる前に来ればよい」
「そうしてください」
「次は別のぷりんも試す」
「滑らかなやつ、おすすめですよ」
「覚えておこう」
自動ドアが開く。
「ありがとうございました」
今度は、俺も普通に言えた。
女性は振り返らず、片手を軽く上げた。
外で待つ護衛の一人が、こちらへ深く頭を下げる。
三人の姿が森の暗闇へ消えていった。
自動ドアが閉まる。
俺はしばらく黙っていた。
「……女王が」
「ん」
「夜中にコンビニ来て」
「ん」
「プリン三個買って帰った」
「売れたな」
「感想それだけ?」
「他に何がある」
先輩が顎でデザート棚を示す。
そこだけ三つ分、きれいに隙間が空いている。
「前出し」
「はいはい」
俺は棚へ向かった。
一番普通のプリンを奥から三つ前へ出す。
王族だから特別扱い。
そんなものは、この店にはないらしい。
誰が来ても、商品を選んで。
レジを通して。
金を払って。
気に入れば、また買いに来る。
それだけだ。
「瀬尾」
「はい?」
「発注」
「プリンも増やします?」
「三個売れたからな」
「ですよね」
女王陛下が気に入ったとしても。
結局、俺たちがすることはいつもと同じだった。


