十二月に入って、デザート棚まで冬らしくなってきた。
濃厚。
冬限定。
なめらか仕立て。
金色や焦げ茶色の小さなシールが、プリンやチョコレートの容器に増えている。
「冬って、甘いものまで濃くなるんですね」
「知らん」
榊原先輩はレジの中で伝票を見たまま答えた。
「いや、見れば分かるじゃないですか。濃厚ミルク、濃厚たまご、濃厚ショコラ」
「全部食えば分かる」
「太らせようとしてません?」
「お前が気にしてるんだろ」
「商品としてです」
「じゃあ売れ」
「会話が雑だなあ」
俺はデザート棚の奥へ手を入れ、少なくなっていたプリンを前へ出した。
少し前なら、ただ黄色いカップが並んでいるだけに見えた棚だ。
今は違う。
ここに女王が立ち止まったことがある。
最初に一個買って。
店を出たと思ったら戻ってきて、同じものを二個追加した。
合計三個。
あの夜から、普通のプリンを見るたびに、ほんの少しだけあの人を思い出す。
「先輩」
「ん」
「あの女王、また来ますかね」
「知らん」
「即答」
「来たきゃ来るだろ」
「まあ、そうですけど」
俺は一番端に、新しく入った冬限定のプリンを並べた。
普通のものより少し背の低い容器。
上には白いクリーム。
その下に濃い黄色のプリン。
値札の横には、雪の結晶を散らした小さな販促札が付いている。
俺が札の角度を直した、その時だった。
ウィーン。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
声を出して振り向いた。
入口の向こうに、二人の鎧姿の男が立っている。
銀色の胸当て。
濃紺の外套。
腰の剣。
見覚えがあった。
「あ」
二人が左右へ身を引く。
その間から、一人の女性が歩いてくる。
腰まで伸びた濃い藍色の髪。
薄い青灰色の瞳。
深い紺色の長衣と、銀糸の刺繍が入った外套。
額には、中央に青い石を留めた細い銀の飾り輪。
前と同じように背筋はまっすぐだった。
ただ、今日は目元に少しだけ疲れが見える。
歩き方も、前よりほんの少しゆっくりだった。
「陛下」
護衛の一人が声をかける。
「我々も中へ」
「いらぬ。すぐ戻る」
「ですが」
「買い物をするだけだ」
前にも聞いたやり取りだ。
女性はそのまま店内へ入り、自動ドアが閉まった。
俺はもう固まらなかった。
「いらっしゃいませ」
「うむ」
青灰色の目が俺を見る。
「前の店員だな」
「覚えてたんですね」
「一度買い方を教わった相手くらい覚えている」
言いながら、女王は店内を見回した。
そして。
ほとんど迷わず、デザート棚へ向かう。
「先輩」
「何だ」
「直行しましたよ」
「見りゃ分かる」
「目的はっきりしてるなあ」
女王は棚の前で立ち止まった。
前回ほど長くは迷わない。
視線がプリンの列を順番に追っていく。
普通のプリン。
固めのプリン。
クリームが乗ったもの。
大きめのもの。
そして、冬限定の濃厚プリン。
「店員」
「はい」
「前に、お前が勧めたものはどれだ」
「勧めたもの?」
「滑らかなものだ」
「ああ」
覚えていた。
前に帰る時、次は別のプリンも試すと言っていた。
俺は棚の中段を指す。
「これです。前に買ったのより、やわらかめのやつ」
「これか」
女王が一つ手に取る。
容器を横から見て、それから値札を見る。
もちろん、日本語は読めない。
「同じぷりんなのに、前のものと違うのだな」
「種類が違いますからね」
「前にもそう言っていたな」
「覚えてる」
「お前よりはな」
「俺も覚えてましたよ!」
女王の口元がほんの少し緩んだ。
そのまま買い物かごへ入れる。
一個。
今日はこれで終わりかと思った。
ところが。
青灰色の目が、隣へ動いた。
「これは?」
指したのは、さっき俺が並べた冬限定の濃厚プリンだった。
「新しく入ったやつです。冬限定の濃厚プリン」
「濃厚」
「味が濃いというか、卵とかミルクの感じが強めというか」
「また曖昧だな」
「食べ物の説明って難しいんですよ」
「それは前にも聞いた」
「そこまで覚えてるんですか」
女王は容器を持ち上げる。
「冬限定とは?」
「冬の間だけ売る商品です。ずっと置いてあるわけじゃないです」
「季節が変われば、なくなる?」
「たぶん。少なくとも、この商品はそうですね」
女王の眉がわずかに動いた。
前回、普通のプリンについて「明日もあるか」と聞かれた時とは違う。
今度は最初から、なくなる商品だ。
「では」
女王が濃厚プリンを棚へ戻す。
戻した。
かと思ったら。
もう一度取った。
「......悩んでます?」
「二つ買うのはおかしいか」
「全然」
「なら聞くな」
「いや、前は一種類を三個だったんで」
しまった。
数えていたことを言ってしまった。
女王がこちらを見る。
「覚えていたのか」
「売れた商品なんで」
レジから先輩の声が飛ぶ。
「発注にも関係するからな」
「そう、それです」
「言い訳が遅い」
「言い訳じゃないですよ」
女王は少し考えたあと、濃厚プリンもかごへ入れた。
二個目。
滑らかなプリンと、冬限定の濃厚プリン。
「今日は予備ですか?」
「違う」
「じゃあ、一個は持ち帰り?」
「どちらも持ち帰る」
「そうじゃなくて」
俺が言葉を探していると、先輩が横から口を挟んだ。
「両方、自分で食うんだろ」
「うむ」
「即答!」
「何か問題があるか?」
「ないですけど」
前回は「予備」と言っていた。
今日は隠す気もないらしい。
「食べ比べる」
「食べ比べ」
「同じぷりんで、どれほど違うのか確かめる」
「なるほど。それなら二種類ある方がいいですね」
「そういうことだ」
女王は真剣だった。
国のことを決める時もこんな顔をするのかもしれない。
もちろん、俺には分からない。
分かるのは。
今、この人がプリン二個をかなり真面目に選んでいることだけだ。
◇
「ほかは大丈夫ですか?」
デザート棚から離れた女王へ声をかける。
「今日はよい」
返事が少し短かった。
近くで見ると、やっぱり疲れている。
顔色が悪いわけではない。
立ち方も崩れていない。
ただ、前より言葉の間が長い。
「忙しかったんですか?」
口にしてから、少し踏み込みすぎたかと思った。
女王は怒らなかった。
「朝から、人の話を聞いていた」
「ずっと?」
「ほぼな」
「それは疲れますね」
「皆、自分の言うことが正しいと思っている」
「......大変そう」
「大変だ」
ものすごく普通に返された。
王族らしい言葉でも、難しい話でもない。
ただ疲れた人の声だった。
女王は買い物かごの中を見る。
「だから今日は、考えることが少ないものがよい」
「プリン?」
「甘ければよい」
「だいぶ疲れてますね」
また口元が少しだけ緩む。
「そうかもしれぬ」
俺はホット飲料の棚を指した。
「温かいお茶とかもありますけど」
「甘くないものは?」
「あります」
「では、それも一つ」
「はい」
女王は俺について飲料棚へ来た。
温かい無糖のお茶を一つ取る。
「これは、ぷりんと合うか?」
「たぶん」
「自信がないな」
「好みなんで」
「便利な言葉だ」
「味の話はだいたい最後それになります」
女王は小さく息を漏らした。
◇
会計は、前と同じだった。
滑らかなプリン。
冬限定の濃厚プリン。
温かい無糖のお茶。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
「お支払いはこちらです」
「覚えている」
女王が腰の革袋から、薄い金色の硬貨を出す。
羽を広げた鳥のような紋章。
前にも見た硬貨だ。
精算機へ入れる。
ちゃりん。
機械は何事もなく受け入れた。
「袋、使いますか?」
「使う」
「珍しいですね」
「二つあるからな」
「前は二つ手で持って帰りましたよ」
「今日は茶もある」
「なるほど」
俺は白猫のマークが入ったレジ袋を広げる。
プリン二個を傾けないように並べる。
その横へ温かいお茶を入れようとして、手を止めた。
「これは別にしますね」
「なぜだ?」
「温かいのと冷たいの一緒にすると、プリンぬるくなるんで」
「なるほど」
小さい袋をもう一枚出し、お茶だけ分ける。
「すぷーんは二つか?」
「二個食べるなら二つでもいいですけど、一人で食べるなら一個でも」
「一つでよい」
「了解です」
スプーンを一つ付ける。
前と同じだ。
女王でも、プリンを二個買ったからといってスプーンが勝手に増えるわけではない。
その当たり前さが、もうあまり不思議ではなくなっていた。
女王が袋を受け取る。
「店員」
「はい?」
「次に来た時、この冬のぷりんがなければ?」
「季節が終わったか、売り切れたかですね」
「取り置きは」
俺は一瞬だけ先輩を見る。
先輩は伝票から顔も上げない。
「してない」
「ですよね」
女王も、もう怒らない。
「ならば、あるうちに来る」
「お待ちしてます」
「うむ」
入口へ向かいかけた女王が、少しだけ足を止めた。
「前の普通のぷりんも、まだあるのだな」
「ありますよ」
「そうか」
視線が一瞬だけデザート棚へ戻る。
俺は何も言わなかった。
女王も何も言わなかった。
数秒後。
「今日は二つでよい」
「誰も止めてませんよ」
「止められている気がした」
「気のせいです」
先輩の低い声が飛ぶ。
「三つ目いくなら会計やり直しだぞ」
「先輩!」
女王はしばらく黙っていた。
そして。
「今日はやめておく」
「そこは悩むんですね」
「明日も来られる」
「取り置きはしませんけどね」
「分かっている」
今度は、はっきり笑った。
自動ドアが開く。
外で待っていた二人の護衛が姿勢を正した。
「陛下」
「戻るぞ」
「はっ」
一人の護衛が、女王の手にある白猫の袋と小さな袋を見る。
一瞬だけ目が止まった。
でも何も言わない。
三人の姿が暗い森へ消えていく。
「ありがとうございました」
ドアが閉じた。
俺はデザート棚を見る。
滑らかなプリンが一つ。
冬限定が一つ。
きれいに減っている。
「先輩」
「ん」
「女王、普通に常連になってません?」
「買いに来てるならそうなんじゃねえの」
「王族の常連客って言葉、すごいですね」
「売上は売上だ」
「やっぱりそこなんだ」
「前出し」
「はいはい」
俺は棚へ向かった。
女王が疲れていようが。
冬限定に迷おうが。
プリンを二個買おうが。
減った商品は前へ出す。
それが、この店では一番普通だった。
◇
午前六時。
森が消え、日本の駐車場が戻った。
空は薄い灰色で、山の斜面には白っぽい霜が残っている。
床を拭いて、ゴミをまとめて、レジ周りを整える。
六時五十分を少し回った頃。
「おはようございます」
バックヤード側から、柔らかい声がした。
「おはようございます」
水野さんが大きな生成り色のトートバッグを肩から下ろす。
今日は厚手の上着を着ていて、焦げ茶色の髪の先が少しだけ外気で乱れていた。
「寒っ。今日ほんと寒いですね」
「ついに『もっと寒くなる』が現実になってきました」
「まだこれからですよ」
「聞きたくなかった」
水野さんが笑いながらバックヤードへ入る。
数分後、薄いグレーのシャツと濃紺の猫エプロン姿で戻ってきた。
引き継ぎを確認しながら、ふとデザート棚を見る。
「あ、濃厚プリン売れたんだ」
「売れました」
「夜に?」
「夜に」
「この店、冬になると甘いものも売れるんですね」
「その人が甘いもの好きなだけかもしれません」
「常連さん?」
「たぶん、もう常連ですね」
嘘ではない。
水野さんは棚の販促札へ顔を近づける。
雪の結晶と、焦げ茶色の文字。
「このPOP、冬っぽくて好きです」
「色?」
「色もですけど、余白の取り方とか。全部詰め込んでない感じ」
「そこ見るんですね」
「一応、美大生なので」
「なるほど」
俺には、濃厚プリンを売るための札にしか見えない。
水野さんには、別のものが見えているらしい。
「瀬尾さんは、パッケージとかあんまり見ないタイプです?」
「食べる時は中身しか見てないかも」
「もったいない」
「そこまで?」
「作ってる人、ちゃんと考えてますよ」
「じゃあ今度から見ます」
「ほんとですか?」
「たぶん」
「それ絶対見ないやつ」
水野さんが笑う。
レジ横で先輩がエプロンを外した。
「瀬尾」
「はい」
「帰るぞ」
「今行きます」
俺もエプロンへ手をかける。
その前に、もう一度デザート棚を見た。
冬限定のプリンが一つ減っている。
その理由を朝番の水野さんは知らない。
女王が二種類のプリンを食べ比べるためだなんて、言えるはずもない。
でも。
夜に誰かが商品を選んで。
朝には、その分だけ棚に隙間ができている。
それを水野さんが見つける。
そんな朝の繰り返しも、少しずつこの店の日常になっていた。
濃厚。
冬限定。
なめらか仕立て。
金色や焦げ茶色の小さなシールが、プリンやチョコレートの容器に増えている。
「冬って、甘いものまで濃くなるんですね」
「知らん」
榊原先輩はレジの中で伝票を見たまま答えた。
「いや、見れば分かるじゃないですか。濃厚ミルク、濃厚たまご、濃厚ショコラ」
「全部食えば分かる」
「太らせようとしてません?」
「お前が気にしてるんだろ」
「商品としてです」
「じゃあ売れ」
「会話が雑だなあ」
俺はデザート棚の奥へ手を入れ、少なくなっていたプリンを前へ出した。
少し前なら、ただ黄色いカップが並んでいるだけに見えた棚だ。
今は違う。
ここに女王が立ち止まったことがある。
最初に一個買って。
店を出たと思ったら戻ってきて、同じものを二個追加した。
合計三個。
あの夜から、普通のプリンを見るたびに、ほんの少しだけあの人を思い出す。
「先輩」
「ん」
「あの女王、また来ますかね」
「知らん」
「即答」
「来たきゃ来るだろ」
「まあ、そうですけど」
俺は一番端に、新しく入った冬限定のプリンを並べた。
普通のものより少し背の低い容器。
上には白いクリーム。
その下に濃い黄色のプリン。
値札の横には、雪の結晶を散らした小さな販促札が付いている。
俺が札の角度を直した、その時だった。
ウィーン。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
声を出して振り向いた。
入口の向こうに、二人の鎧姿の男が立っている。
銀色の胸当て。
濃紺の外套。
腰の剣。
見覚えがあった。
「あ」
二人が左右へ身を引く。
その間から、一人の女性が歩いてくる。
腰まで伸びた濃い藍色の髪。
薄い青灰色の瞳。
深い紺色の長衣と、銀糸の刺繍が入った外套。
額には、中央に青い石を留めた細い銀の飾り輪。
前と同じように背筋はまっすぐだった。
ただ、今日は目元に少しだけ疲れが見える。
歩き方も、前よりほんの少しゆっくりだった。
「陛下」
護衛の一人が声をかける。
「我々も中へ」
「いらぬ。すぐ戻る」
「ですが」
「買い物をするだけだ」
前にも聞いたやり取りだ。
女性はそのまま店内へ入り、自動ドアが閉まった。
俺はもう固まらなかった。
「いらっしゃいませ」
「うむ」
青灰色の目が俺を見る。
「前の店員だな」
「覚えてたんですね」
「一度買い方を教わった相手くらい覚えている」
言いながら、女王は店内を見回した。
そして。
ほとんど迷わず、デザート棚へ向かう。
「先輩」
「何だ」
「直行しましたよ」
「見りゃ分かる」
「目的はっきりしてるなあ」
女王は棚の前で立ち止まった。
前回ほど長くは迷わない。
視線がプリンの列を順番に追っていく。
普通のプリン。
固めのプリン。
クリームが乗ったもの。
大きめのもの。
そして、冬限定の濃厚プリン。
「店員」
「はい」
「前に、お前が勧めたものはどれだ」
「勧めたもの?」
「滑らかなものだ」
「ああ」
覚えていた。
前に帰る時、次は別のプリンも試すと言っていた。
俺は棚の中段を指す。
「これです。前に買ったのより、やわらかめのやつ」
「これか」
女王が一つ手に取る。
容器を横から見て、それから値札を見る。
もちろん、日本語は読めない。
「同じぷりんなのに、前のものと違うのだな」
「種類が違いますからね」
「前にもそう言っていたな」
「覚えてる」
「お前よりはな」
「俺も覚えてましたよ!」
女王の口元がほんの少し緩んだ。
そのまま買い物かごへ入れる。
一個。
今日はこれで終わりかと思った。
ところが。
青灰色の目が、隣へ動いた。
「これは?」
指したのは、さっき俺が並べた冬限定の濃厚プリンだった。
「新しく入ったやつです。冬限定の濃厚プリン」
「濃厚」
「味が濃いというか、卵とかミルクの感じが強めというか」
「また曖昧だな」
「食べ物の説明って難しいんですよ」
「それは前にも聞いた」
「そこまで覚えてるんですか」
女王は容器を持ち上げる。
「冬限定とは?」
「冬の間だけ売る商品です。ずっと置いてあるわけじゃないです」
「季節が変われば、なくなる?」
「たぶん。少なくとも、この商品はそうですね」
女王の眉がわずかに動いた。
前回、普通のプリンについて「明日もあるか」と聞かれた時とは違う。
今度は最初から、なくなる商品だ。
「では」
女王が濃厚プリンを棚へ戻す。
戻した。
かと思ったら。
もう一度取った。
「......悩んでます?」
「二つ買うのはおかしいか」
「全然」
「なら聞くな」
「いや、前は一種類を三個だったんで」
しまった。
数えていたことを言ってしまった。
女王がこちらを見る。
「覚えていたのか」
「売れた商品なんで」
レジから先輩の声が飛ぶ。
「発注にも関係するからな」
「そう、それです」
「言い訳が遅い」
「言い訳じゃないですよ」
女王は少し考えたあと、濃厚プリンもかごへ入れた。
二個目。
滑らかなプリンと、冬限定の濃厚プリン。
「今日は予備ですか?」
「違う」
「じゃあ、一個は持ち帰り?」
「どちらも持ち帰る」
「そうじゃなくて」
俺が言葉を探していると、先輩が横から口を挟んだ。
「両方、自分で食うんだろ」
「うむ」
「即答!」
「何か問題があるか?」
「ないですけど」
前回は「予備」と言っていた。
今日は隠す気もないらしい。
「食べ比べる」
「食べ比べ」
「同じぷりんで、どれほど違うのか確かめる」
「なるほど。それなら二種類ある方がいいですね」
「そういうことだ」
女王は真剣だった。
国のことを決める時もこんな顔をするのかもしれない。
もちろん、俺には分からない。
分かるのは。
今、この人がプリン二個をかなり真面目に選んでいることだけだ。
◇
「ほかは大丈夫ですか?」
デザート棚から離れた女王へ声をかける。
「今日はよい」
返事が少し短かった。
近くで見ると、やっぱり疲れている。
顔色が悪いわけではない。
立ち方も崩れていない。
ただ、前より言葉の間が長い。
「忙しかったんですか?」
口にしてから、少し踏み込みすぎたかと思った。
女王は怒らなかった。
「朝から、人の話を聞いていた」
「ずっと?」
「ほぼな」
「それは疲れますね」
「皆、自分の言うことが正しいと思っている」
「......大変そう」
「大変だ」
ものすごく普通に返された。
王族らしい言葉でも、難しい話でもない。
ただ疲れた人の声だった。
女王は買い物かごの中を見る。
「だから今日は、考えることが少ないものがよい」
「プリン?」
「甘ければよい」
「だいぶ疲れてますね」
また口元が少しだけ緩む。
「そうかもしれぬ」
俺はホット飲料の棚を指した。
「温かいお茶とかもありますけど」
「甘くないものは?」
「あります」
「では、それも一つ」
「はい」
女王は俺について飲料棚へ来た。
温かい無糖のお茶を一つ取る。
「これは、ぷりんと合うか?」
「たぶん」
「自信がないな」
「好みなんで」
「便利な言葉だ」
「味の話はだいたい最後それになります」
女王は小さく息を漏らした。
◇
会計は、前と同じだった。
滑らかなプリン。
冬限定の濃厚プリン。
温かい無糖のお茶。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
「お支払いはこちらです」
「覚えている」
女王が腰の革袋から、薄い金色の硬貨を出す。
羽を広げた鳥のような紋章。
前にも見た硬貨だ。
精算機へ入れる。
ちゃりん。
機械は何事もなく受け入れた。
「袋、使いますか?」
「使う」
「珍しいですね」
「二つあるからな」
「前は二つ手で持って帰りましたよ」
「今日は茶もある」
「なるほど」
俺は白猫のマークが入ったレジ袋を広げる。
プリン二個を傾けないように並べる。
その横へ温かいお茶を入れようとして、手を止めた。
「これは別にしますね」
「なぜだ?」
「温かいのと冷たいの一緒にすると、プリンぬるくなるんで」
「なるほど」
小さい袋をもう一枚出し、お茶だけ分ける。
「すぷーんは二つか?」
「二個食べるなら二つでもいいですけど、一人で食べるなら一個でも」
「一つでよい」
「了解です」
スプーンを一つ付ける。
前と同じだ。
女王でも、プリンを二個買ったからといってスプーンが勝手に増えるわけではない。
その当たり前さが、もうあまり不思議ではなくなっていた。
女王が袋を受け取る。
「店員」
「はい?」
「次に来た時、この冬のぷりんがなければ?」
「季節が終わったか、売り切れたかですね」
「取り置きは」
俺は一瞬だけ先輩を見る。
先輩は伝票から顔も上げない。
「してない」
「ですよね」
女王も、もう怒らない。
「ならば、あるうちに来る」
「お待ちしてます」
「うむ」
入口へ向かいかけた女王が、少しだけ足を止めた。
「前の普通のぷりんも、まだあるのだな」
「ありますよ」
「そうか」
視線が一瞬だけデザート棚へ戻る。
俺は何も言わなかった。
女王も何も言わなかった。
数秒後。
「今日は二つでよい」
「誰も止めてませんよ」
「止められている気がした」
「気のせいです」
先輩の低い声が飛ぶ。
「三つ目いくなら会計やり直しだぞ」
「先輩!」
女王はしばらく黙っていた。
そして。
「今日はやめておく」
「そこは悩むんですね」
「明日も来られる」
「取り置きはしませんけどね」
「分かっている」
今度は、はっきり笑った。
自動ドアが開く。
外で待っていた二人の護衛が姿勢を正した。
「陛下」
「戻るぞ」
「はっ」
一人の護衛が、女王の手にある白猫の袋と小さな袋を見る。
一瞬だけ目が止まった。
でも何も言わない。
三人の姿が暗い森へ消えていく。
「ありがとうございました」
ドアが閉じた。
俺はデザート棚を見る。
滑らかなプリンが一つ。
冬限定が一つ。
きれいに減っている。
「先輩」
「ん」
「女王、普通に常連になってません?」
「買いに来てるならそうなんじゃねえの」
「王族の常連客って言葉、すごいですね」
「売上は売上だ」
「やっぱりそこなんだ」
「前出し」
「はいはい」
俺は棚へ向かった。
女王が疲れていようが。
冬限定に迷おうが。
プリンを二個買おうが。
減った商品は前へ出す。
それが、この店では一番普通だった。
◇
午前六時。
森が消え、日本の駐車場が戻った。
空は薄い灰色で、山の斜面には白っぽい霜が残っている。
床を拭いて、ゴミをまとめて、レジ周りを整える。
六時五十分を少し回った頃。
「おはようございます」
バックヤード側から、柔らかい声がした。
「おはようございます」
水野さんが大きな生成り色のトートバッグを肩から下ろす。
今日は厚手の上着を着ていて、焦げ茶色の髪の先が少しだけ外気で乱れていた。
「寒っ。今日ほんと寒いですね」
「ついに『もっと寒くなる』が現実になってきました」
「まだこれからですよ」
「聞きたくなかった」
水野さんが笑いながらバックヤードへ入る。
数分後、薄いグレーのシャツと濃紺の猫エプロン姿で戻ってきた。
引き継ぎを確認しながら、ふとデザート棚を見る。
「あ、濃厚プリン売れたんだ」
「売れました」
「夜に?」
「夜に」
「この店、冬になると甘いものも売れるんですね」
「その人が甘いもの好きなだけかもしれません」
「常連さん?」
「たぶん、もう常連ですね」
嘘ではない。
水野さんは棚の販促札へ顔を近づける。
雪の結晶と、焦げ茶色の文字。
「このPOP、冬っぽくて好きです」
「色?」
「色もですけど、余白の取り方とか。全部詰め込んでない感じ」
「そこ見るんですね」
「一応、美大生なので」
「なるほど」
俺には、濃厚プリンを売るための札にしか見えない。
水野さんには、別のものが見えているらしい。
「瀬尾さんは、パッケージとかあんまり見ないタイプです?」
「食べる時は中身しか見てないかも」
「もったいない」
「そこまで?」
「作ってる人、ちゃんと考えてますよ」
「じゃあ今度から見ます」
「ほんとですか?」
「たぶん」
「それ絶対見ないやつ」
水野さんが笑う。
レジ横で先輩がエプロンを外した。
「瀬尾」
「はい」
「帰るぞ」
「今行きます」
俺もエプロンへ手をかける。
その前に、もう一度デザート棚を見た。
冬限定のプリンが一つ減っている。
その理由を朝番の水野さんは知らない。
女王が二種類のプリンを食べ比べるためだなんて、言えるはずもない。
でも。
夜に誰かが商品を選んで。
朝には、その分だけ棚に隙間ができている。
それを水野さんが見つける。
そんな朝の繰り返しも、少しずつこの店の日常になっていた。



