十二月に入って、山の夜は一段と冷えるようになった。
ミッドマート北森店の入口近くでは、使い捨てカイロや厚手の靴下と一緒に、乾電池と小型の懐中電灯が前へ出されている。
少し前までは日用品棚の端にいた商品だ。今は冬向けの小さな売り場に寄せられ、暗い山道の写真が付いた販促札まで立っている。
外はまだ雪こそ降っていないが、駐車場の端にある草は白く湿り、息を吐けば薄く曇る。
午後十一時五十分。
俺は日用品棚の前にしゃがみ、単三電池の箱を開けていた。
「先輩、電池ってこんなに前に出すんですね」
「暗くなるの早いからな」
レジの中で伝票を見ていた榊原先輩が、顔も上げずに答える。
「山道で切れたら困るだろ」
「スマホのライトじゃ駄目です?」
「スマホの充電切れたらどうすんだ」
「それもそうか」
異世界につながる店なのに、話している内容はものすごく普通だった。
俺は単三電池をフックへ掛ける。
四本入り。
八本入り。
その隣に、小型の懐中電灯。
黒い筒型。銀色の細身。持ち手に滑り止めのゴムが付いた少し大きめのもの。
「これ、夜中に売れるんですかね」
「売れたら補充」
「売れなかったら?」
「戻す」
「最近その答えだけで全部片づけますね」
「コンビニだからな」
先輩が言ったところで、時計が午前零時になった。
自動ドアの向こうにあった日本の暗い駐車場が消える。
代わりに現れたのは、もっと暗い森だった。
枝の隙間から薄い月明かりが落ちているだけで、道らしい道もほとんど見えない。
店内の白い照明が、開いた自動ドアから森の地面を四角く照らしている。
「……こうして見ると、懐中電灯、売れそうですね」
「だろ」
先輩が小さく欠伸をした。
◇
午前一時を少し過ぎた頃。
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、人間に見える男だった。
二十代後半くらいだろうか。背は俺より少し高く、細身。肩まで伸びた青みがかった黒髪を後ろで束ねている。灰色の長衣の上から濃紺の外套を羽織り、革の帯には小さな革袋がいくつも下がっていた。
右手には、背丈より少し短い木の杖。
先端には乳白色の石がはめ込まれている。
杖を持ってコンビニに入ってくる人にも、もういちいち驚かなくなった。
問題は、その人が何を買いに来たかだ。
男は入口で一度だけ店内を見回したあと、中央棚へ向かった。
菓子。
飲料。
弁当。
何かを探しているというより、初めて見るものを順番に確かめているように見える。
俺はレジの中から様子を見ていた。
数分後。
男が足を止めた。
さっき俺が補充した日用品棚の前だった。
「店員」
「はい」
呼ばれて近づく。
男が指したのは、小型の懐中電灯だった。
「これは何だ」
「懐中電灯です」
「かいちゅう……?」
「持ち歩ける灯りです」
男の淡い灰色の目が、透明な包装の中にある黒い筒へ向く。
「灯り」
「はい」
「この細い筒が?」
「そうです」
男はしばらく見つめた。
「火を入れる場所がない」
「火は使わないです」
「油も?」
「使いません」
「光石はどこだ」
「光石?」
「光を蓄える石だ」
「ああ。そういうのも使わないです」
男が初めて俺の顔を見た。
「では、魔力か」
「魔力もいりません」
沈黙。
男の眉がわずかに寄った。
「灯りなのだろう?」
「灯りです」
「火も、油も、光石も、魔力も使わない」
「はい」
「何で光る」
「電池です」
「でんち」
また知らない言葉が一つ増えたらしい。
俺は懐中電灯の隣へ掛かっている単三電池を指した。
「これを中に入れると光ります」
男が電池のパックを見る。
「これが魔石なのか」
「違います」
「魔力は入っていない?」
「入ってないです」
「では何が入っている」
「……電気、ですかね」
「でんき」
「すみません。俺も電池の中身をちゃんと説明できるほど詳しくないです」
変に知ったかぶりをするより、その方がいい。
男は電池と懐中電灯を交互に見た。
「使えば分かるか」
「たぶん、それが一番早いです」
「なら買う」
「早いな」
思わず声が出た。
男は懐中電灯を一つ取る。
「どの電池だ」
「これ、単三を二本使うタイプですね」
「たんさん」
「名前は気にしなくていいです。この大きさのやつを二本です」
俺は四本入りのパックを取って見せた。
「これなら二回分あります」
「二回?」
「二本使って、なくなったら残り二本に交換できます」
男が止まった。
「なくなる?」
「あ」
そこに引っかかったか。
「とりあえず、先に使ってみます?」
「そうしよう」
◇
会計を済ませたあと、男はレジ横で懐中電灯の包装を開けた。
硬貨は見たことのない薄い銀色だったが、精算機はいつもどおり受け入れた。
今さらそこは誰も気にしない。
「ここ、開けますね」
俺は懐中電灯の後ろ側を回して外した。
男が覗き込む。
「空洞だ」
「ここに電池を入れます」
パックから二本取り出す。
「向きがあるんで」
「向き?」
「こっちとこっちを合わせます。逆だと点かないことがあります」
男が真剣な顔で見ている。
杖を持っている時より、電池二本を見ている時の方が集中している気がする。
俺は電池を入れて蓋を閉め、懐中電灯を渡した。
「このボタンです」
「押すだけか」
「押すだけです」
男の親指がスイッチを押した。
カチッ。
白い光が、床へ伸びた。
「……おお」
男の声が初めて大きくなった。
丸い光が床を滑る。
棚の下。
壁。
天井。
「ちょ、こっち向けないでくださいね。眩しいんで」
「すまない」
光がすぐ床へ戻る。
男はもう一度スイッチを押した。
消える。
押す。
点く。
消す。
点ける。
「本当に何も唱えない」
「ボタン押してるだけですから」
「魔力の流れも感じない」
「俺にはそっちが分からないですけど、たぶんないです」
男は杖を脇へ寄せ、懐中電灯を両手で持った。
「灯火の術なら、光を維持している間は少しずつ魔力を使う」
「へえ」
「明るさを上げれば、その分だけ消耗も増える。長く歩いた後や、術を使った後には惜しい時がある」
これは、この人自身の話だ。
俺は懐中電灯を見る。
「じゃあ、そういう時には便利かもしれないですね」
「洞窟でも使える」
「使えます」
「雨は?」
「これは生活防水って書いてますけど、水の中に沈めるのはやめた方がいいです」
「せいかつぼうすい」
「多少濡れるくらいなら大丈夫、くらいです」
「なるほど」
男の目が少し輝いた。
「見張りにも使える。術者でない者へ渡してもよい」
「そうですね」
「子供でも?」
「使い方だけなら、ボタン押すだけなんで」
「便利だ」
男は懐中電灯の後ろに付いた細いストラップへ指を通した。
「落としにくいように、手首に掛けられます」
「手を離しても落ちないのか」
「ぶら下がるだけですけどね。剣とか杖を持ち替える時には楽かもしれません」
男は杖を右手から左手へ移し、懐中電灯を軽く離した。
黒い筒が手首の下でぶら下がる。
「なるほど」
すぐに握り直す。
「松明だと、こうはいかない」
「松明を手首からぶら下げたら大変ですよ」
「燃えるな」
「燃えます」
当たり前すぎる結論だった。
男は少し考えてから続ける。
「同行者に、灯火の術を使えない者がいる。洞窟では松明を持たせるが、片手が塞がる」
「これも手で持つのは同じですけど、消したい時はすぐ消せますし、煙も出ないですね」
「火種もいらない」
「いらないです」
「雨で火が消えることもない」
「さっき言ったくらいの雨なら」
男の表情が、また少し明るくなった。
この人の旅で何が普通なのか、俺には分からない。
ただ、今の話を聞く限りでは、懐中電灯が役に立つ場面はかなりありそうだった。
さっきから何度目だろう。
でも、その気持ちは分かる。
俺にとってはホームセンターでもコンビニでも買えるただの懐中電灯だ。
この人にとっては、魔力を使わず誰でも持てる灯りらしい。
男は店内の暗い場所を探すように光を動かした。
冷蔵ケースの下。
雑誌棚の脇。
俺の足元。
「……楽しんでません?」
「試している」
「そういうことにしときます」
男は咳払いをした。
◇
「それで」
男が懐中電灯を消した。
「これは、どれほど使える」
「どれほど?」
「一度光らせれば、何日持つ」
「ああ」
俺は捨てずに置いてあった商品の台紙を見る。
細かい字を探す。
「連続で……十数時間くらいって書いてありますね。使い方でも変わると思いますけど」
「十数時間」
「ずっと点けっぱなしにした場合です」
「その後は?」
「電池が切れます」
男の顔から、さっきまでの感動が少しだけ消えた。
「切れる」
「はい」
「光らなくなる?」
「なります」
「永久ではない?」
「全然、永久じゃないです」
男が手の中の懐中電灯を見る。
「……なるほど」
急に声が現実的になった。
俺は残っている二本の電池を示す。
「だから、切れたら交換です」
「この二本に」
「そうです」
「それも切れたら?」
「また電池を買います」
男が電池売り場を見る。
四本入り。
八本入り。
さっきまで神秘的な新技術を見る目だったのに、今は旅の食料を何日分持つか計算しているみたいな顔になっている。
「魔力を使わない代わりに、これを使うのか」
「そういうことになりますね」
「結局、何かは減る」
「まあ……はい」
男は八本入りの電池を持ち上げ、透明な包装越しに中を数えた。
「これなら四回交換できる」
「二本ずつなら、そうですね」
「一晩だけなら十分か」
「ずっと点けっぱなしにしなければ、たぶんかなり持つと思います。ただ、絶対この時間持つって俺からは言えないです。使い方でも変わるんで」
「明るくしたり暗くしたりで?」
「この商品は基本一つの明るさですけど、点けてる時間とか、電池の状態とかですかね」
「なるほど」
男は妙に納得した顔で頷いた。
魔法の話なら俺は何も分からない。
でも、電池を節約したいなら必要な時だけ点ける。
そこだけなら、俺にも説明できる。
レジの中から先輩が言った。
「世の中そんなもんだ」
「急に重いこと言わないでくださいよ」
「重くねえだろ」
男は先輩を見る。
「この電池は、自分で満たせないのか」
「これは使い切りです」
俺が答える。
「別の種類なら充電して使うものもありますけど、この店に今あるのは普通の使い切りですね」
「じゅうでん」
「それを説明すると、たぶん別の商品が必要になります」
「……今日はやめておこう」
「俺もその方がいいと思います」
男はしばらく考えたあと、八本入りの電池を一つ取った。
「買うんですね」
「便利なのは変わらない」
「ですよね」
男は一度、日用品棚へ戻った。
俺も後ろをついていく。
「同じものを、もう一つ」
「懐中電灯ですか?」
「ああ。同行者に持たせる」
「じゃあ電池も、その分いりますよ」
男の手が止まる。
「……二つなら、倍か」
「使えば倍ですね」
数秒、真剣に考える。
結局、男は二本目の懐中電灯もかごへ入れ、八本入りの電池をもう一つ追加した。
「かなり現実的な買い物になってきましたね」
「道具を持つなら、使えなくなる時まで考えるものだ」
「それは確かに」
「ただし、使いどころは選ぶ」
「すごく現実的な結論になりましたね」
「道具とはそういうものだろう」
その言い方には妙に説得力があった。
魔法使いらしい男が、魔力のいらない灯りを手にして出した結論が、節約だった。
異世界だろうが何だろうが、消耗品は消耗品らしい。
◇
追加の電池を会計し、俺は小さなレジ袋へ入れた。
「懐中電灯は、すぐ使うなら袋の外でいいですか?」
「ああ」
「電池は濡らさない方がいいんで、袋に入れときます」
「分かった」
男は杖を左手へ持ち替え、右手に懐中電灯を持った。
自動ドアへ向かう。
開いた先には、月明かりの薄い森。
男がスイッチを押す。
カチッ。
白い光が木々の間へ伸びた。
「おお……」
また少しだけ声が弾んだ。
「点けっぱなしにすると電池減りますよ」
俺が言うと、男の手が止まった。
「……そうだった」
カチッ。
消した。
森が暗くなる。
二秒。
三秒。
男は暗闇を見た。
カチッ。
また点けた。
「暗いから使った方がいいですよ!」
「分かっている!」
少しだけ恥ずかしそうな声が返ってくる。
白い光が木々の間を揺れながら遠ざかっていった。
「ありがとうございました」
自動ドアが閉まる。
俺は電池売り場を見る。
四本入りが一つ。八本入りが二つ減っている。
「先輩」
「ん」
「異世界の魔法使いに懐中電灯売りました」
「そうだな」
「もうちょっと驚きません?」
「電池も売れたな」
「そこなんですか?」
「補充しとけ」
「はいはい」
俺は減った分の電池をフックへ掛け直す。
白い照明の下では、懐中電灯も乾電池も、さっきまでと同じただの日用品にしか見えない。
でも自動ドアの向こうでは今、そのただの日用品が、魔法使いの夜道を照らしている。
そう考えると少しだけ面白かった。
俺は空になった段ボールを畳み、次の補充へ向かった。
ミッドマート北森店の入口近くでは、使い捨てカイロや厚手の靴下と一緒に、乾電池と小型の懐中電灯が前へ出されている。
少し前までは日用品棚の端にいた商品だ。今は冬向けの小さな売り場に寄せられ、暗い山道の写真が付いた販促札まで立っている。
外はまだ雪こそ降っていないが、駐車場の端にある草は白く湿り、息を吐けば薄く曇る。
午後十一時五十分。
俺は日用品棚の前にしゃがみ、単三電池の箱を開けていた。
「先輩、電池ってこんなに前に出すんですね」
「暗くなるの早いからな」
レジの中で伝票を見ていた榊原先輩が、顔も上げずに答える。
「山道で切れたら困るだろ」
「スマホのライトじゃ駄目です?」
「スマホの充電切れたらどうすんだ」
「それもそうか」
異世界につながる店なのに、話している内容はものすごく普通だった。
俺は単三電池をフックへ掛ける。
四本入り。
八本入り。
その隣に、小型の懐中電灯。
黒い筒型。銀色の細身。持ち手に滑り止めのゴムが付いた少し大きめのもの。
「これ、夜中に売れるんですかね」
「売れたら補充」
「売れなかったら?」
「戻す」
「最近その答えだけで全部片づけますね」
「コンビニだからな」
先輩が言ったところで、時計が午前零時になった。
自動ドアの向こうにあった日本の暗い駐車場が消える。
代わりに現れたのは、もっと暗い森だった。
枝の隙間から薄い月明かりが落ちているだけで、道らしい道もほとんど見えない。
店内の白い照明が、開いた自動ドアから森の地面を四角く照らしている。
「……こうして見ると、懐中電灯、売れそうですね」
「だろ」
先輩が小さく欠伸をした。
◇
午前一時を少し過ぎた頃。
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、人間に見える男だった。
二十代後半くらいだろうか。背は俺より少し高く、細身。肩まで伸びた青みがかった黒髪を後ろで束ねている。灰色の長衣の上から濃紺の外套を羽織り、革の帯には小さな革袋がいくつも下がっていた。
右手には、背丈より少し短い木の杖。
先端には乳白色の石がはめ込まれている。
杖を持ってコンビニに入ってくる人にも、もういちいち驚かなくなった。
問題は、その人が何を買いに来たかだ。
男は入口で一度だけ店内を見回したあと、中央棚へ向かった。
菓子。
飲料。
弁当。
何かを探しているというより、初めて見るものを順番に確かめているように見える。
俺はレジの中から様子を見ていた。
数分後。
男が足を止めた。
さっき俺が補充した日用品棚の前だった。
「店員」
「はい」
呼ばれて近づく。
男が指したのは、小型の懐中電灯だった。
「これは何だ」
「懐中電灯です」
「かいちゅう……?」
「持ち歩ける灯りです」
男の淡い灰色の目が、透明な包装の中にある黒い筒へ向く。
「灯り」
「はい」
「この細い筒が?」
「そうです」
男はしばらく見つめた。
「火を入れる場所がない」
「火は使わないです」
「油も?」
「使いません」
「光石はどこだ」
「光石?」
「光を蓄える石だ」
「ああ。そういうのも使わないです」
男が初めて俺の顔を見た。
「では、魔力か」
「魔力もいりません」
沈黙。
男の眉がわずかに寄った。
「灯りなのだろう?」
「灯りです」
「火も、油も、光石も、魔力も使わない」
「はい」
「何で光る」
「電池です」
「でんち」
また知らない言葉が一つ増えたらしい。
俺は懐中電灯の隣へ掛かっている単三電池を指した。
「これを中に入れると光ります」
男が電池のパックを見る。
「これが魔石なのか」
「違います」
「魔力は入っていない?」
「入ってないです」
「では何が入っている」
「……電気、ですかね」
「でんき」
「すみません。俺も電池の中身をちゃんと説明できるほど詳しくないです」
変に知ったかぶりをするより、その方がいい。
男は電池と懐中電灯を交互に見た。
「使えば分かるか」
「たぶん、それが一番早いです」
「なら買う」
「早いな」
思わず声が出た。
男は懐中電灯を一つ取る。
「どの電池だ」
「これ、単三を二本使うタイプですね」
「たんさん」
「名前は気にしなくていいです。この大きさのやつを二本です」
俺は四本入りのパックを取って見せた。
「これなら二回分あります」
「二回?」
「二本使って、なくなったら残り二本に交換できます」
男が止まった。
「なくなる?」
「あ」
そこに引っかかったか。
「とりあえず、先に使ってみます?」
「そうしよう」
◇
会計を済ませたあと、男はレジ横で懐中電灯の包装を開けた。
硬貨は見たことのない薄い銀色だったが、精算機はいつもどおり受け入れた。
今さらそこは誰も気にしない。
「ここ、開けますね」
俺は懐中電灯の後ろ側を回して外した。
男が覗き込む。
「空洞だ」
「ここに電池を入れます」
パックから二本取り出す。
「向きがあるんで」
「向き?」
「こっちとこっちを合わせます。逆だと点かないことがあります」
男が真剣な顔で見ている。
杖を持っている時より、電池二本を見ている時の方が集中している気がする。
俺は電池を入れて蓋を閉め、懐中電灯を渡した。
「このボタンです」
「押すだけか」
「押すだけです」
男の親指がスイッチを押した。
カチッ。
白い光が、床へ伸びた。
「……おお」
男の声が初めて大きくなった。
丸い光が床を滑る。
棚の下。
壁。
天井。
「ちょ、こっち向けないでくださいね。眩しいんで」
「すまない」
光がすぐ床へ戻る。
男はもう一度スイッチを押した。
消える。
押す。
点く。
消す。
点ける。
「本当に何も唱えない」
「ボタン押してるだけですから」
「魔力の流れも感じない」
「俺にはそっちが分からないですけど、たぶんないです」
男は杖を脇へ寄せ、懐中電灯を両手で持った。
「灯火の術なら、光を維持している間は少しずつ魔力を使う」
「へえ」
「明るさを上げれば、その分だけ消耗も増える。長く歩いた後や、術を使った後には惜しい時がある」
これは、この人自身の話だ。
俺は懐中電灯を見る。
「じゃあ、そういう時には便利かもしれないですね」
「洞窟でも使える」
「使えます」
「雨は?」
「これは生活防水って書いてますけど、水の中に沈めるのはやめた方がいいです」
「せいかつぼうすい」
「多少濡れるくらいなら大丈夫、くらいです」
「なるほど」
男の目が少し輝いた。
「見張りにも使える。術者でない者へ渡してもよい」
「そうですね」
「子供でも?」
「使い方だけなら、ボタン押すだけなんで」
「便利だ」
男は懐中電灯の後ろに付いた細いストラップへ指を通した。
「落としにくいように、手首に掛けられます」
「手を離しても落ちないのか」
「ぶら下がるだけですけどね。剣とか杖を持ち替える時には楽かもしれません」
男は杖を右手から左手へ移し、懐中電灯を軽く離した。
黒い筒が手首の下でぶら下がる。
「なるほど」
すぐに握り直す。
「松明だと、こうはいかない」
「松明を手首からぶら下げたら大変ですよ」
「燃えるな」
「燃えます」
当たり前すぎる結論だった。
男は少し考えてから続ける。
「同行者に、灯火の術を使えない者がいる。洞窟では松明を持たせるが、片手が塞がる」
「これも手で持つのは同じですけど、消したい時はすぐ消せますし、煙も出ないですね」
「火種もいらない」
「いらないです」
「雨で火が消えることもない」
「さっき言ったくらいの雨なら」
男の表情が、また少し明るくなった。
この人の旅で何が普通なのか、俺には分からない。
ただ、今の話を聞く限りでは、懐中電灯が役に立つ場面はかなりありそうだった。
さっきから何度目だろう。
でも、その気持ちは分かる。
俺にとってはホームセンターでもコンビニでも買えるただの懐中電灯だ。
この人にとっては、魔力を使わず誰でも持てる灯りらしい。
男は店内の暗い場所を探すように光を動かした。
冷蔵ケースの下。
雑誌棚の脇。
俺の足元。
「……楽しんでません?」
「試している」
「そういうことにしときます」
男は咳払いをした。
◇
「それで」
男が懐中電灯を消した。
「これは、どれほど使える」
「どれほど?」
「一度光らせれば、何日持つ」
「ああ」
俺は捨てずに置いてあった商品の台紙を見る。
細かい字を探す。
「連続で……十数時間くらいって書いてありますね。使い方でも変わると思いますけど」
「十数時間」
「ずっと点けっぱなしにした場合です」
「その後は?」
「電池が切れます」
男の顔から、さっきまでの感動が少しだけ消えた。
「切れる」
「はい」
「光らなくなる?」
「なります」
「永久ではない?」
「全然、永久じゃないです」
男が手の中の懐中電灯を見る。
「……なるほど」
急に声が現実的になった。
俺は残っている二本の電池を示す。
「だから、切れたら交換です」
「この二本に」
「そうです」
「それも切れたら?」
「また電池を買います」
男が電池売り場を見る。
四本入り。
八本入り。
さっきまで神秘的な新技術を見る目だったのに、今は旅の食料を何日分持つか計算しているみたいな顔になっている。
「魔力を使わない代わりに、これを使うのか」
「そういうことになりますね」
「結局、何かは減る」
「まあ……はい」
男は八本入りの電池を持ち上げ、透明な包装越しに中を数えた。
「これなら四回交換できる」
「二本ずつなら、そうですね」
「一晩だけなら十分か」
「ずっと点けっぱなしにしなければ、たぶんかなり持つと思います。ただ、絶対この時間持つって俺からは言えないです。使い方でも変わるんで」
「明るくしたり暗くしたりで?」
「この商品は基本一つの明るさですけど、点けてる時間とか、電池の状態とかですかね」
「なるほど」
男は妙に納得した顔で頷いた。
魔法の話なら俺は何も分からない。
でも、電池を節約したいなら必要な時だけ点ける。
そこだけなら、俺にも説明できる。
レジの中から先輩が言った。
「世の中そんなもんだ」
「急に重いこと言わないでくださいよ」
「重くねえだろ」
男は先輩を見る。
「この電池は、自分で満たせないのか」
「これは使い切りです」
俺が答える。
「別の種類なら充電して使うものもありますけど、この店に今あるのは普通の使い切りですね」
「じゅうでん」
「それを説明すると、たぶん別の商品が必要になります」
「……今日はやめておこう」
「俺もその方がいいと思います」
男はしばらく考えたあと、八本入りの電池を一つ取った。
「買うんですね」
「便利なのは変わらない」
「ですよね」
男は一度、日用品棚へ戻った。
俺も後ろをついていく。
「同じものを、もう一つ」
「懐中電灯ですか?」
「ああ。同行者に持たせる」
「じゃあ電池も、その分いりますよ」
男の手が止まる。
「……二つなら、倍か」
「使えば倍ですね」
数秒、真剣に考える。
結局、男は二本目の懐中電灯もかごへ入れ、八本入りの電池をもう一つ追加した。
「かなり現実的な買い物になってきましたね」
「道具を持つなら、使えなくなる時まで考えるものだ」
「それは確かに」
「ただし、使いどころは選ぶ」
「すごく現実的な結論になりましたね」
「道具とはそういうものだろう」
その言い方には妙に説得力があった。
魔法使いらしい男が、魔力のいらない灯りを手にして出した結論が、節約だった。
異世界だろうが何だろうが、消耗品は消耗品らしい。
◇
追加の電池を会計し、俺は小さなレジ袋へ入れた。
「懐中電灯は、すぐ使うなら袋の外でいいですか?」
「ああ」
「電池は濡らさない方がいいんで、袋に入れときます」
「分かった」
男は杖を左手へ持ち替え、右手に懐中電灯を持った。
自動ドアへ向かう。
開いた先には、月明かりの薄い森。
男がスイッチを押す。
カチッ。
白い光が木々の間へ伸びた。
「おお……」
また少しだけ声が弾んだ。
「点けっぱなしにすると電池減りますよ」
俺が言うと、男の手が止まった。
「……そうだった」
カチッ。
消した。
森が暗くなる。
二秒。
三秒。
男は暗闇を見た。
カチッ。
また点けた。
「暗いから使った方がいいですよ!」
「分かっている!」
少しだけ恥ずかしそうな声が返ってくる。
白い光が木々の間を揺れながら遠ざかっていった。
「ありがとうございました」
自動ドアが閉まる。
俺は電池売り場を見る。
四本入りが一つ。八本入りが二つ減っている。
「先輩」
「ん」
「異世界の魔法使いに懐中電灯売りました」
「そうだな」
「もうちょっと驚きません?」
「電池も売れたな」
「そこなんですか?」
「補充しとけ」
「はいはい」
俺は減った分の電池をフックへ掛け直す。
白い照明の下では、懐中電灯も乾電池も、さっきまでと同じただの日用品にしか見えない。
でも自動ドアの向こうでは今、そのただの日用品が、魔法使いの夜道を照らしている。
そう考えると少しだけ面白かった。
俺は空になった段ボールを畳み、次の補充へ向かった。



