十一月も終わりに近づいた。
深夜のミッドマート北森店には、少しずつ冬の商品が増えている。
レジ横では中華まんが湯気を上げ、飲料ケースの一角には温かいお茶とコーヒーが並ぶ。弁当棚にも、茶色と橙色を使った「季節限定」のシールが目立つようになった。
午前零時四十分。
俺は冷蔵ケースの前で、新しく入った弁当を奥から前へ出していた。
「きのこと根菜の炊き込みご飯弁当……」
透明な蓋の向こうに、炊き込みご飯、鶏肉、れんこん、人参、里芋らしきものが詰められている。
地味だ。
でも、この時間に見ていると妙にうまそうだった。
「先輩、これ売れますかね」
「知らん」
レジの中で榊原先輩が伝票をめくる。
「季節限定ですよ」
「だから何だ」
「限定って付くと買いたくなりません?」
「ならお前が買え」
「夜勤明けに弁当はちょっと重いんですよね」
「じゃあ聞くな」
「会話が終わるの早いなあ」
俺は弁当の向きをそろえた。
その時、自動ドアが開いた。
ウィーン。
「いらっしゃいませ」
反射で声を出してから入口を見る。
深緑の外套。
その隙間からのぞく、長く尖った耳。
背中の半ばまである灰金色の髪は、以前と同じ濃い緑の紐でゆるくまとめられていた。肩には短めの弓。白い頬は外の冷気を浴びたせいか、ほんの少しだけ赤い。
見覚えがある。
「あ」
淡い緑色の目が俺を見る。
「前にいた店員だな」
「覚えてたんですか」
「一度見た顔を、そう簡単には忘れない」
エルフの女性だった。
前に来た時は、千切りキャベツやサラダを前に長いこと立ち尽くしていた人だ。
「また来てくれたんですね」
「ああ」
女性は短く頷いた。
それから、まっすぐ冷蔵ケースへ向かう。
俺は少しだけ期待した。
やっぱり野菜売り場へ行くのか。
行った。
「ありました?」
「ある」
女性の長い指が、千切りキャベツの袋を一つ持ち上げる。
「本当に、また同じものが並んでいる」
「前にも言いましたけど、売れたらまた入ってきますから」
「分かってはいた。だが、自分で見ると妙なものだな」
透明な袋の中のキャベツを、女性はしばらく眺めている。
前に来た時と同じ商品。
同じ形の袋。
同じくらいの量。
俺には見慣れた棚でも、この人にはまだ珍しいらしい。
「今日もサラダですか?」
「そのつもりだった」
「だった?」
女性の視線が、俺の手元へ移った。
さっき前出ししたばかりの季節限定弁当。
「それは何だ」
「お弁当です」
「べんとう」
「ご飯とおかずを一緒に詰めた食事ですね」
俺は一つ手に取った。
「これは炊き込みご飯と、きのこと根菜と、鶏肉が入ってます」
「根菜」
反応した。
やっぱりそこだった。
「れんこん、人参、里芋……たぶん、この辺です」
透明な蓋越しに指す。
女性が隣へ寄った。
近くで見ると、長い耳の先が冷えて少し赤くなっている。
「この白いものは?」
「れんこんです」
「穴が空いている」
「そういう野菜です」
「これは?」
「里芋」
「芋か」
「はい」
「この茶色いものは?」
「きのこですね」
「種類は?」
「……そこまで聞かれると、俺もちょっと」
商品ラベルを見る。
細かい原材料名が並んでいる。
「しめじ、舞茸……って書いてあります」
「その二つが、きのこの名か」
「そうです」
女性は真剣な顔で弁当を見た。
商品開発の担当者に聞かせたいくらい、一つ一つの具をちゃんと確認している。
「これは今日採れたものか?」
「それは分からないです」
即答した。
「俺が分かるのは、店に届いた商品を並べてるところまでなんで。いつ採れたかとか、どこで作ったかまでは」
「知らないことは知らないと言うのだな」
「適当に言って間違ってた方が困りますから」
「それはそうだ」
女性は小さく頷いた。
そして、千切りキャベツと一緒に弁当をかごへ入れた。
「これも買う」
「ありがとうございます」
「だが」
「はい?」
「冷たい」
女性が弁当の底へ指を当てている。
「冷蔵商品なんで」
「この季節に、冷たい飯を食うのか」
「そのまま食べる人もいますけど」
俺はカウンターの奥を指した。
「温められますよ」
女性が止まった。
「温める?」
「はい」
「今から?」
「今からです」
淡い緑色の目が少し細くなる。
「火はどこにある」
「使いません」
「では、どうやって温める」
「電子レンジで」
「でんしれんじ」
予想どおり、知らない言葉だった。
「こっちです」
俺はレジ横の電子レンジを指した。
女性はすぐには近づかなかった。
四角い箱を、少し離れたところから見る。
黒い窓。
取っ手。
ボタン。
外から見れば、それだけだ。
「これが?」
「これが」
「中へ入れるのか」
「はい」
「焼くのか?」
「焼くというより、温めます」
「蒸す?」
「それとも違います」
「では、何をする」
「……温めます」
「同じことを言ったぞ」
「俺、仕組みを説明できるほど詳しくないんですよ」
レジから先輩の声が飛んできた。
「使い方分かってりゃいいだろ」
「ほら、先輩もこんな感じです」
「一緒にすんな」
「じゃあ説明してくださいよ」
「だりぃ」
「逃げた」
女性が先輩を見る。
それから、俺を見る。
「お前たちは、それを毎日使うのか」
「普通に使います」
「危なくない?」
「決められた使い方をしてれば大丈夫ですよ」
女性はもう一度レンジを見る。
腰の弓へ手を伸ばすようなことはしない。
ただ、未知の獣を観察するみたいに、じっと見ている。
「……なら、頼む」
「はい」
◇
会計を済ませる。
千切りキャベツ。
胡麻ドレッシング。
季節限定の炊き込みご飯弁当。
それから、女性は温かいお茶を一本追加した。
「これは最初から温かいのだな」
「そうです」
「この棚だけ?」
「今はこの辺が温かいです。間違って冷たい方を取らないでくださいね」
「同じ形のものが冷たくも温かくも並ぶのか」
「ありますね」
「ややこしい店だ」
「便利な店って言ってください」
「便利すぎると、ややこしくなるのかもしれないな」
「否定しにくい」
支払いは、前と同じ葉模様の入った淡い銀色の硬貨だった。
ちゃりん、と精算機が受け入れる。
もうそこには誰も驚かない。
「じゃあ、お弁当温めますね」
俺は表示を確認する。
フィルムの指定された部分を少し開け、電子レンジへ入れた。
扉を閉める。
「そこへ閉じ込めるのか」
「閉じ込めるって言い方すると怖いな」
時間を合わせる。
スタート。
ぶうん、と低い音が鳴った。
女性の肩が、ほんの少しだけ動いた。
「音がする」
「します」
「光った」
「中、見えますよ」
女性が一歩近づく。
黒い窓の向こうをのぞき込む。
弁当はただそこにある。
炎は出ない。
煙も出ない。
弁当だけが、ゆっくりと回っている。
「……本当に、これだけか」
「待つだけです」
「どれほど」
「一分かからないです」
女性が俺を見る。
「一分」
「はい」
「冷たい飯が?」
「温かくなります」
疑っている。
ものすごく疑っている。
でも、逃げはしない。
むしろ窓の前から動かなくなった。
俺は少し笑いそうになる。
「そんなに見ても、早くは終わらないですよ」
「見ているくらいはよいだろう」
「どうぞ」
数十秒。
ピピッ。
電子音が鳴った。
女性が一歩下がる。
「終わりました」
「今の音は?」
「終わった合図です」
扉を開ける。
ふわっと、炊き込みご飯と醤油の匂いが広がった。
さっきまで冷蔵ケースに入っていた時とは、まるで違う。
「……匂いが変わった」
「温めると出ますね」
熱くなった容器を持ち、レジ台へ置く。
「触ってみます?」
女性は慎重に手を伸ばした。
長い指先が、容器の端に触れる。
「温かい」
「でしょう」
反対側にも触る。
「本当に、温かい」
「二回言いましたね」
「さっきまで冷たかった」
「俺が入れましたからね」
「火も使わず、あれだけの時間で」
「そうです」
女性はレンジを見る。
さっきまでの警戒した目ではない。
植物の知らない育て方でも見つけたみたいに、静かに見つめている。
「前に来た時は、毎日同じ食べ物が並ぶことに驚いた」
「覚えてます」
「今日は、それを冷たいまま置いておき、食べる直前に温める」
「そういう使い方ですね」
「変な店だ」
「便利な店です」
「そこは譲らないのだな」
「コンビニ店員なんで」
先輩が横から言った。
「お前が作った店じゃねえけどな」
「またそれ言う!」
女性が小さく笑った。
◇
弁当は袋を分けた。
温かい弁当とお茶。
冷たいキャベツとドレッシング。
「一緒に入れると、せっかく温めたのが冷めるんで」
「なるほど」
女性は両方の袋を受け取った。
前に来た時と同じように、薄い袋を一度だけ持ち上げて重さを確かめる。
「今日は、すぐ食べた方がいいですよ」
「分かった」
「長く持ち歩くなら、こういう冷蔵の弁当じゃない方がいいです」
「旅の途中で食うものではない?」
「何日も持ち歩くのには向いてないですね」
「では、今夜の食事にする」
「それがいいです」
女性は入口へ向かう。
自動ドアの前で、一度だけ止まった。
「店員」
「はい?」
「この弁当も、また並ぶのか」
前にも聞かれた質問だった。
「季節限定なんで、ずっとではないですけど。しばらくは入ってくると思います」
「ずっとではない」
「季節が変わったら、別の商品になることもあります」
女性の眉がわずかに動く。
「同じものが毎日並ぶのに、ずっとは並ばないのか」
「そういうものです」
「やはり、ややこしい店だ」
「便利な店ですって」
「では、なくなる前にまた来る」
「お待ちしてます」
自動ドアが開く。
冷たい森の空気が少しだけ入り込む。
深緑の外套が暗闇へ消えていった。
俺は閉じたドアを見る。
「常連、増えてきましたね」
「そうだな」
「最初はリザードマンだけだと思ってたのに」
「客が来る店なら増えるだろ」
「普通のこと言ってますけど、増えてるの異世界の常連ですからね」
「売上増えるなら何でもいい」
「夢がないなあ」
「発注は現実だぞ」
「それは知ってます」
俺は弁当棚を見る。
季節限定の弁当が一つ減っている。
前にサラダを買ったエルフが、今度は温かい弁当を持って帰った。
それだけだ。
この店では、たぶんそういう「それだけ」が少しずつ増えていく。
◇
午前六時。
森が消え、日本の駐車場が戻った。
ガラスの向こうの山は、前より色が薄い。木々の葉はかなり落ち、朝の空気まで硬そうに見える。
俺は床を掃き、減った飲み物を前へ出し、弁当棚を整えた。
季節限定の炊き込みご飯弁当は、夜のうちに二つ売れていた。
一つはエルフ。
もう一つは、途中で来たローブ姿の客。
午前六時五十分過ぎ。
バックヤード側の扉が開く。
「おはようございます」
水野さんが入ってきた。
肩ほどの焦げ茶色の髪はいつもどおり後ろでゆるく束ねているが、今日は生成り色のトートバッグに加えて、厚手の上着を腕に掛けている。
「おはようございます」
「外、寒いですね」
「ついに水野さんも言いましたね」
「私だって寒いものは寒いですよ」
「前に冬はもっと寒いって脅されたんで」
「脅してません」
水野さんは笑いながらエプロンを身につける。
それから、弁当棚の前で足を止めた。
「あ、これ入ったんだ」
「知ってるんですか?」
「新商品ですよね。昨日、納品表で見ました」
季節限定の炊き込みご飯弁当を指している。
「夜に二つ売れましたよ」
「へえ。この店、こういう和風の弁当も夜に売れるんですね」
「寒いと温かいもの欲しくなるんじゃないですか」
「山の中なのに、夜だけ食欲ある人多いですよね」
「……腹減る時間なんですよ」
「何時ですか、それ」
「深夜です」
「広いなあ」
危ない。
何も嘘は言っていないのに、毎回少しだけ苦しい。
水野さんは弁当を一つ手に取る。
「これ、写真より実物の方がおいしそう」
「そういう感想、美大生っぽいですね」
「どこがですか」
「見た目から入るところ」
「食べ物は見た目も大事ですよ。こういうパッケージとか、POPの色とか、普通に勉強になりますし」
水野さんは棚の上の販促POPを見る。
茶色い炊き込みご飯。
橙色の紅葉。
白い湯気。
大きな文字で「季節限定」。
「この湯気、ずるいんですよね」
「湯気が?」
「温かそうに見えるでしょ」
「実際、温めたらかなりいい匂いしましたよ」
「瀬尾さん、もう食べたんですか?」
「いや。お客さんの温めただけです」
「じゃあ匂いだけ?」
「そうです」
「中華まんの時も匂いだけって言ってませんでした?」
「夜勤、匂いに耐える仕事になってきたな……」
水野さんが笑った。
「買って帰ればいいじゃないですか」
「朝から弁当かあ」
「夜勤明けなら晩ごはんみたいなものでは?」
「前もそんなこと言ってましたね」
「じゃあ、そろそろ学びましょう」
どこかで聞いた言い方だった。
俺がレジの奥を見ると、榊原先輩が知らん顔で伝票を見ている。
「……一個買って帰ろうかな」
「売上に貢献ですね」
「自分の店みたいに言うじゃないですか」
「私も店員なんで」
俺は笑った。
異世界のエルフが持って帰った弁当を。
今度は俺が、日本の朝に買って帰る。
別に大したことじゃない。
ただ、温めればいい匂いがすることだけは、もう知っている。
「瀬尾」
先輩が呼ぶ。
「はい?」
「買うなら会計してから帰れよ」
「分かってますよ!」
朝のミッドマート北森店に、水野さんの笑い声が小さく響いた。



