十一月も半ばを過ぎると、午前零時の森まで寒そうに見えるようになった。
見えるようになった、というだけで、俺は外へ出て確かめたことはない。
深夜のミッドマート北森店。
自動ドアの向こうには、黒い木々と、白っぽい地面が広がっている。
「先輩、あれ霜ですかね」
「知らん」
「見れば分かるでしょ」
「暗い」
「じゃあ一緒に見てくださいよ」
「だりぃ」
榊原先輩はレジの中で、入荷したホット飲料の伝票を眺めたまま動かなかった。
少し前まで一段だけだった温かい飲み物の棚は、もう二段になっている。缶コーヒーにお茶、ミルクティー。レジ横の中華まんの蒸し器からは、白い湯気が細く上がっていた。
秋というより、もう冬の入口だ。
俺は入口へ目を戻した。
暗い森。
何か動いた。
「……来ました」
「客だろ」
「まだ何も言ってないですよ」
「ドア見てんだから分かる」
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
反射で声が出る。
そして、俺は少しだけ上を向いた。
でかい。
入口に立っていたのは、人ではなかった。
頭のてっぺんが自動ドアの枠ぎりぎりにある。二メートルを少し超えているかもしれない。
身体は灰色の石でできていた。
胸も、肩も、腕も、いくつもの大きな岩を組み合わせたみたいにごつごつしている。首はほとんどなく、丸みの少ない頭が太い胴体の上にそのまま乗っていた。
顔らしい場所には鼻も口もない。
ただ、目に当たる位置に青白い光が二つ浮いている。
一歩。
ごとん。
店の床が壊れそうな音がした。
俺は床を見る。
割れていない。
よかった。
もう一歩。
ごとん。
石の巨体は、入口をくぐる時だけ少し身をかがめ、店内へ入ってきた。
俺はその姿を見て。
叫ばなかった。
「先輩」
「ん」
「これ、ゴーレムですかね」
伝票から目を上げた先輩が、石の客を一度見る。
「たぶんな」
「たぶんなんだ」
「石でできた客ならだいたいそうだろ」
「その分類、雑じゃないですか?」
「本人に聞け」
先輩はまた伝票へ視線を落とした。
俺は石の巨体を見る。
青白い二つの光も、こっちを見ていた。
「……何かお探しですか?」
少し間があった。
石の胸の奥から、低い音が響く。
「買イ物」
声は聞こえた。
ちゃんと日本語として分かる。
店の翻訳は、ゴーレム相手でも仕事をするらしい。
「はい。何を買います?」
「頼マレタ」
「おつかいですか?」
「オツカイ」
「誰かに買ってきてって頼まれた感じです」
「ソレダ」
妙に素直だった。
◇
ゴーレムは右手を開いた。
手のひらまで石だ。
その上に、小さな革袋が載っていた。
巨体に対して袋が小さすぎる。
「中にお金入ってます?」
「アル」
「買う物は?」
「水。甘イ物。火ヲ使ワズ食ベル物」
「なるほど」
俺は少し考えてから、飲料棚を指した。
「じゃあ、まず水から行きましょう」
自分でも驚くくらい普通に案内していた。
数日前なら、獣人の鼻の良さに驚いていた。
その少し前は、冒険者がコピー機で地図を増やすだけで大騒ぎしていた。
でも今は。
石でできた二メートル超えの客が「おつかい」に来ても、買う物を先に聞いている。
慣れというのは、たぶんこういうことなんだろう。
「水はこの辺です」
ゴーレムが冷蔵ケースの前に立つ。
大きすぎて、棚一段分くらい隠れた。
「冷タイ」
「冷やしてあります。常温がよければ、向こうにもありますよ」
「冷タイ方」
「じゃあこれで」
俺は二リットルのペットボトルを一本取った。
ゴーレムも真似して隣の一本を取ろうとする。
石の指が、ペットボトルを挟んだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
ぎゅ。
容器がへこんだ。
でも破裂はしなかった。
ゴーレムの手が止まる。
「壊レル?」
「たぶん、そのまま握ったら」
「弱イ」
「そっちが強すぎるんです」
俺はへこんだボトルを受け取った。
キャップは閉まっている。
中身も漏れていない。
「こう、手のひらに乗せる感じで持ってください」
「乗セル」
「握らない」
「握ラナイ」
今度は両手を皿みたいにして、二リットルの水を載せた。
できた。
「そうです」
「難シイ」
「普通の人はそこまで難しくないんですけどね」
俺は買い物かごを取ろうとして、やめた。
持ち手を握られたら、たぶん終わる。
代わりに店内用の小さな買い物かごを床へ置いた。
「これ、持たないで中に商品入れていきましょう。最後に俺が運びます」
「分カッタ」
客と一緒に、床のかごを移動させることになった。
新しい接客方法だった。
もっとも、困るのは水だけではなかった。
棚から商品を取ろうとするたび、石の指は大きすぎた。袋菓子を二本の指で挟めば、中の空気が逃げてぱきぱき音を立てる。パンを持とうとすれば、袋ごと潰れそうになる。
「俺が取ります」
「自分デデキル」
「その気持ちは分かりますけど、商品がもたないです」
ゴーレムは棚と自分の手を見比べた。
「不便」
「この店、人間くらいの手を基準にできてるんで」
「人間用」
「たぶん」
断言はしない。店を作った人間に聞いたわけではない。
ただ、少なくとも石の巨人が買い物しやすい売り場ではない。
「欲しい物を言ってくれたら、俺が取りますよ」
「分カッタ」
それからは、ゴーレムが商品を指し、俺が棚から取ってかごへ入れた。
妙な光景だ。
でも、やっていることは普通の接客だった。
◇
「火を使わず食べられる物なら、この辺ですね」
パンの棚。
ビスケット。
個包装の菓子。
ジャーキー。
缶詰もあるが、開ける道具が必要な物は避けた方がいい。
「頼んだ人、何人くらいです?」
「三人」
「どれくらい持たせたいです?」
「今夜」
「じゃあそんなに保存食ばっかりじゃなくても大丈夫ですね」
俺はパンをいくつか説明した。
あんパン。
クリームパン。
総菜パン。
ゴーレムは、じっと見ている。
「甘イ物」
「甘いのなら、あんパンとかクリームパン。あとチョコとかあります」
「チョコ」
「こっちです」
板チョコと小袋のチョコ菓子が並ぶ棚へ案内する。
ゴーレムの青白い目が動いた。
「黒イ」
「茶色です」
「黒イ」
「まあ暗いと黒く見えるか」
俺は一番普通のミルクチョコレートを手に取った。
「甘いですよ」
「三ツ」
「三人分?」
「ソウ」
俺が三枚、かごへ入れる。
次にパンを三つ。
水は二リットルを二本。
それから、頼まれたらしい乾いた肉――ジャーキーを二袋。
かごはそれなりに重くなった。
「他には?」
ゴーレムが止まる。
青白い光が、ゆっくりレジ横へ向いた。
中華まんの蒸し器。
白い湯気。
「アレハ」
「肉まんです」
「火ヲ使ウ?」
「もう温まってます」
「甘イ?」
「肉まんは甘くないですね。あんまんなら甘いです」
「アンマン」
「中に甘いあんこが入ってるやつです」
「一ツ」
「頼まれたんですか?」
「私ガ見ツケタ」
初めて、自分で選んだ。
「ゴーレムって食べるんですか?」
聞いてから、余計なことだったかと思った。
でも石の客は気にした様子もない。
「食ベナイ」
「じゃあ誰の?」
「作ッタ者」
「ああ」
作った人への土産らしい。
俺はあんまんを一つ紙袋へ入れた。
「熱いんで、石なら平気そうですけど、一応気をつけてください」
「熱サハ平気」
「ですよね」
その辺は見た目どおりだった。
◇
「お会計しますね」
俺は床のかごを持ち上げ、レジへ運んだ。
水二本。
パン三つ。
チョコ三枚。
ジャーキー二袋。
あんまん一つ。
ピッ。
ピッ。
バーコードを通していく。
ゴーレムはレジ前に立ったまま、音が鳴るたび青白い目を少し動かした。
「全部でこれです。お支払いはそっちへお願いします」
俺は半セルフ精算機を示した。
ゴーレムが革袋を開く。
中から出てきたのは、四角に近い銀色の硬貨だった。
丸くない。
異世界の金にも、いろいろある。
今さらそこには驚かない。
「そのまま投入口に入れてください」
「ココ」
「そこです」
石の指で硬貨をつまむのは無理らしい。
ゴーレムは革袋ごと傾けた。
じゃらじゃらじゃら。
「まとめていった!」
銀色の硬貨が一気に投入口へ滑り込む。
機械が少し考えるように止まり。
すぐに数字を変えた。
足りている。
お釣りが受け皿へ出る。
「会計は終わりです」
「終ワリ」
「はい」
俺はレシートを取ろうとした。
その時、ゴーレムが言った。
「紙。要ル」
「レシートですか?」
「買ッタ証」
「なるほど。頼んだ人に見せるんですね」
「ソウ」
通常のレシートは出ている。
ただ、ゴーレムが見ているのは精算機の画面だった。
会計後の画面には、追加で領収書を出すための小さな表示が残っている。
「こっち押せば、もう一枚ちゃんとした紙も出せますよ」
「押ス」
ゴーレムが右手を上げた。
嫌な予感がした。
「あ、ちょっと優しく――」
石の人差し指が、画面へ触れた。
しん。
何も起きない。
「……あれ?」
もう一度。
こつ。
画面は変わらない。
「反応シナイ」
「ですね」
ゴーレムが少し強く押した。
「待って待って待って! 強さじゃないです!」
俺は慌てて石の腕を止めようとして。
止まらないので、画面と指の間へ自分の手を突っ込んだ。
「壊れます! それ壊したらたぶん俺たちが怒られます!」
「押シ方ガ弱イ?」
「逆です! もう強くしないで!」
レジから先輩の声がした。
「タッチパネルだろ」
「分かってますよ!」
「石じゃ反応しねえんじゃねえの」
「それを今、体で学んでます!」
俺は自分の指で画面のボタンへ触れた。
ぴっ。
すぐに表示が変わる。
数秒後、精算機の下から細長い紙が出てきた。
ゴーレムの目の光が、紙へ向く。
「出タ」
「出ました」
「同ジ場所」
「同じ場所です」
「私ハ出ナイ」
「石の指だと反応しにくいんですよ。たぶん」
「石ダカラ」
「たぶん」
俺も詳しい仕組みまでは知らない。
スマホだって手袋だと反応しないことがある。そのくらいの理解だ。
先輩が横から言う。
「店員が押せばいいだろ」
「最初からそれ言ってくださいよ」
「困ってからでいいだろ」
「困る前に助けて!」
ゴーレムが俺と先輩を交互に見る。
「店員ハ二人」
「そうです」
「片方ハ働カナイ」
一秒。
俺は吹き出した。
「言われてますよ、先輩」
「客に余計なこと教えんな」
「俺、何も教えてません!」
◇
会計の紙は、ゴーレムの石の指では細すぎた。
つまもうとすると、今度は破れそうになる。
俺はレシートと領収書を小さな封筒に入れて、商品の袋の一番上へ載せた。
「これなら大丈夫です」
「助カル」
「袋、俺が入口まで持ちますよ」
「持テル」
「ほんとに?」
「握ラナイ」
学習している。
ゴーレムは二つのレジ袋を、指で握らず両手のひらに載せた。
水が入っているからかなり重いはずだが、石の腕はまったく下がらない。
その上に、あんまんの紙袋をそっと載せる。
「それだけは潰さないでくださいね」
「潰サナイ」
「作った人へのお土産なんで」
「土産」
「そう、それです」
ウィーン。
自動ドアが開く。
「ありがとうございました」
ゴーレムが一歩、森へ出る。
ごとん。
もう一歩。
ごとん。
途中で止まった。
石の巨体がゆっくり振り返る。
「店員」
「はい?」
「次モ押シテクレ」
「もちろんです」
「紙」
「領収書ですね」
「ソレ」
「覚えました」
青白い目が一度だけ明るくなった気がした。
それが返事だったのかは分からない。
ゴーレムは暗い森へ歩いていった。
ごとん。
ごとん。
音が遠ざかる。
自動ドアが閉まった。
俺は精算機を見る。
壊れていない。
「よかった……」
「何が」
「画面ですよ。あの指で本気で押されたら終わってました」
「壊れたら店長に言え」
「絶対怒られるの俺たちですよ」
「お前が横にいたしな」
「先輩もいたでしょ!」
榊原先輩は聞こえないふりをして、レジ横の伝票をめくった。
俺はため息をつき、売り場へ戻ろうとする。
「瀬尾」
「はい?」
「お前、叫ばなかったな」
「何がです?」
「あれ入ってきた時」
俺は入口を見る。
暗い森。
さっきまで、石でできた二メートル超えの客が立っていた場所。
最初の夜なら。
二本足で歩くリザードマンを見ただけで、俺は声を上げていた。
今日はゴーレムを見て、最初に考えたのは床が割れないかだった。
次に考えたのは、何を買いに来たのか。
最後に一番焦ったのは、タッチパネルが壊されそうになった時だ。
「……確かに」
「慣れたな」
「それ、褒めてます?」
「仕事できるようになったってことだろ」
「先輩が褒めた」
「気のせいだ」
「今のは聞きましたからね」
「補充」
「はいはい」
俺は飲料ケースへ向かった。
温かいお茶を奥から前へ出す。
この店で働き始めた頃より、驚くものは減った。
でも。
困ることまで減ったわけではない。
次にゴーレムが来るまでに、タッチパネルを石の指で押す方法があるのか、一応調べておこう。
そう思いながら、俺は一本だけ向きのずれた缶コーヒーを正面へ直した。



