異世界深夜コンビニ

 数日前から、レジ横に白い湯気が立つようになった。

「肉まん、残り二つです」

「追加一個でいい」

 榊原先輩が、発注端末から目を上げずに答えた。

「一個だけ?」

「この時間から作りすぎても余る」

「異世界の客、結構買いますよ」

「だから一個」

「慎重だなあ」

「廃棄になったらお前食うのか」

「それなら二個でも」

「太るぞ」

「一個で」

 即答した。

 店の外は、少し前よりずっと寒い。

 山の木々も色が変わり始め、夜になるとガラス越しでも冷えた空気が分かるようになった。

 そのせいか、最近は温かいものがよく出る。

 ホットコーヒー。

 スープ。

 そして、レジ横の中華まん。

 ついこの間までなかった商品が、いつの間にか普通の顔をして売り場に加わっている。

 コンビニは、季節が変わるたびに少しずつ姿を変えるらしい。

 異世界につながるようになってから、それまで気にしたこともなかった変化まで目につくようになった。

「先輩」

「ん」

「異世界の人って、肉まん見たことあると思います?」

「知らん」

「ですよね」

「食いたきゃ買うだろ」

「身も蓋もないなあ」

 俺は保温ケースの中を覗いた。

 白い皮の中に豚肉と野菜。

 日本では説明する必要もないくらい普通の食べ物だ。

 でも、この店では普通のものほど説明が必要になることがある。

 カップ麺も。

 プリンも。

 コピー機も。

 それを考えると、肉まんだって十分に怪しい。

「お前、最近客来る前から考えすぎ」

「小説のネタになるかもしれないじゃないですか」

「仕事しろ」

「してますよ」

 そう言いながら、俺は保温ケースの扉を閉めた。

◇

 午前零時を少し回った頃。

 自動ドアの向こうは、いつもの暗い森に変わっていた。

 湿った土。

 黒い木々。

 店の白い明かりが届く範囲だけ、草の葉がぼんやり浮かんでいる。

 最初の頃なら、それだけで何度も入口を見ていた。

 今は違う。

「いらっしゃいませ」

 ウィーン、とドアが開く音に反応して、先に声が出た。

 入ってきた客を見ても、叫ばなかった。

 獣人だ。

 たぶん。

 人間より少し大きい体。

 身長は百八十センチを少し超えるくらい。

 厚い茶色の外套の下から、灰褐色の毛に覆われた腕が見えている。

 顔つきは人間に近い。

 ただし、鼻先は少し前へ伸び、頭の上には三角形の耳が二つ立っていた。

 犬なのか。

 狼なのか。

 そこまでは分からない。

 背中には使い込まれた革の大きな荷袋。

 腰には短剣。

 外套の裾や革靴には乾いた泥が付いている。

 見るからに旅の途中だった。

 獣人は店へ入った瞬間、足を止めた。

 鼻が動く。

 すん。

 もう一度。

 すん、すん。

「……何か匂います?」

 思わず聞いた。

 獣人の耳がこちらへ向く。

「肉だ」

「肉?」

「温かい。豚だな」

 俺はゆっくりレジ横を見る。

 肉まん。

「これ?」

 保温ケースを指す。

 獣人は数歩近づき、透明な扉の向こうを見た。

「それだ」

「まだケース開けてないですよ」

「匂う」

「すご……」

「瀬尾」

 レジの中から先輩の声。

「客に失礼」

「すみません」

「別に構わん」

 獣人はもう一度、肉まんの方へ鼻を向けた。

「これは何だ?」

「肉まんです。中に肉が入った、蒸したパンみたいなものです」

「肉をパンで包むのか」

「だいたいそんな感じです」

「今食える?」

「食べられますよ」

「一つくれ」

「はい」

 目的も聞いていないのに、一品売れた。

 俺はトングで肉まんを取り、紙に包む。

 獣人はそれを受け取ると、すぐには食べなかった。

 鼻先へ近づける。

「豚」

「そうです」

「玉ねぎ」

「入ってると思います」

「生姜」

「たぶん」

「胡椒」

「そこまで俺に聞かれても分からないです」

 獣人の鼻がもう一度動く。

「少し甘い」

「皮ですかね」

「分からん」

「そこは分からないんだ」

 ちょっと安心した。

 何でも匂いだけで当てられたら、こっちの立場がない。

 獣人は精算機で会計を済ませると、肉まんを一口かじった。

 耳がぴん、と立つ。

「熱っ」

「そりゃ熱いですよ!」

 慌てて言う。

 獣人は口元を押さえながら、こっちを睨んだ。

「先に言え」

「温かいって言いましたよ!」

「温かいと熱いは違う」

「それはそうですけど!」

 先輩が小さく息を吐いた。

「食うの早すぎ」

「肉の匂いがした」

「理由になってないだろ」

 獣人は少しだけ肉まんを冷まし、今度は慎重にかじった。

 もぐもぐと顎が動く。

 耳が少し下がった。

「うまい」

「よかったです」

「もう一つ」

「さっき残り二個だったんで、あと一つです」

 言ってから保温ケースを見る。

 本当に残り一つ。

「それもくれ」

「はい」

 追加するか迷っていた肉まんが、一瞬で消えた。

 俺は先輩を見る。

「追加してよかったんじゃないですか?」

「今から一個作る」

「結局作るんだ」

「売れたからな」

 普通だった。

 獣人が二つ目を買っても、やることは発注でも冒険でもなく、肉まんを一個追加するだけだった。

◇

 二つ目の肉まんは、その場では食べなかった。

 紙袋へ入れ、荷袋の口へしまう。

「持っていくんですか?」

「ああ」

「長くは持たないですよ」

 獣人の手が止まった。

「持たない?」

「それ、今食べる用です。何日も持ち歩く食べ物じゃないです」

「明日の昼は?」

「うーん……俺なら勧めないですね」

「そうなのか」

 獣人は少し残念そうに袋を見る。

 その顔を見て、ようやく気づいた。

「もしかして、旅の食べ物を探してます?」

「ああ」

「何日くらいです?」

「四日。天気が崩れれば五日」

「それなら、そっちじゃないです」

 俺は迷わず常温棚の方へ歩いた。

 前なら、弁当やおにぎりの棚から順番に説明していたかもしれない。

 でも今は分かる。

 数日持ち歩く。

 冷やせない。

 荷物は軽い方がいい。

 なら、見る場所は決まっている。

「携帯食ならこっちです」

 獣人がついてくる。

 俺は棚の前で足を止めた。

 ジャーキー。

 小袋のサラミ。

 ナッツ。

 ドライフルーツ。

 クラッカー。

 個包装の栄養補助食品。

 缶詰もあるが、持ち歩くなら少し重い。

「肉なら、まずこれですね」

 ビーフジャーキーを一袋取る。

「乾燥させた肉です。開けなければ持ちますし、軽いです」

 獣人は受け取った。

 表を見る。

 裏を見る。

「読めん」

「ですよね」

 店内で会話はできても、日本語の商品表示まで読めるわけではない。

 そこは今までと同じだ。

「牛です」

「牛」

「薄くして、味付けして乾かしてあります」

 獣人が袋を鼻へ近づける。

 すん。

「牛だ」

「今言いましたよね」

「言われる前から分かっていた」

「じゃあ聞く必要なかったじゃないですか」

「本当に合っているか確認した」

「鼻で?」

「鼻で」

 強い。

 俺は隣の小袋を取った。

「じゃあ、これは?」

「豚」

 即答。

 裏を見る。

 ポークサラミ。

「正解です」

「当たり前だ」

「これは?」

「鶏」

 ささみ系のスティック。

「正解」

「それは魚」

「まだ何も出してないですけど」

 俺の手は、棚の下段へ伸びかけていた。

 そこには魚肉ソーセージ。

「怖いな、その鼻」

「便利だぞ」

「買い物ではめちゃくちゃ便利ですね」

「腐った肉も分かる」

「そっちはもっと大事だ」

 獣人は袋を順番に手に取った。

 牛。

 豚。

 鶏。

 魚。

 こっちが説明するより早く、鼻で判別していく。

「これ」

 獣人が一つの袋を持ち上げた。

「肉が二種類ある」

「え?」

 俺は表示を見る。

 ビーフとポークを混ぜたスナックだった。

「……合ってます」

「塩が強い」

「そこまで分かるんですか」

「少し」

「少しの基準おかしくない?」

 獣人は気にせず、今度はナッツの袋を持った。

「これは肉ではない」

「見れば分かります」

「油の匂いがする」

「木の実です。肉だけより、こういうのも持っていった方がいいと思いますよ」

「腹に溜まる?」

「肉よりは軽い感じですけど、持ち歩きやすいです」

「甘いものは?」

「ありますよ」

 ドライフルーツとチョコレートの小袋を見せる。

 獣人の鼻が動いた。

「果物」

「はい」

「これは甘い」

「チョコです」

「ちょこ」

「甘いお菓子です」

「旅に必要か?」

「必要かと言われると……」

 俺は少し考える。

 その時。

「持っとけ」

 後ろから先輩が言った。

 俺と獣人が振り返る。

 先輩はレジから動いていない。

「甘いもん、疲れた時に食える」

 獣人がチョコの袋を見る。

「お前、旅をするのか?」

「しねえよ」

 即答だった。

「じゃあ、なぜ分かる」

「昔ちょっとな」

 先輩はそれだけ言って、伝票へ視線を戻した。

 俺は一瞬だけ、その横顔を見る。

 昔ちょっと。

 この人の「ちょっと」は、信用しない方がいい気がする。

 でも今は聞かなかった。

「あと、水はちゃんと持ってます?」

 俺は獣人へ向き直る。

「ある」

「乾いたもの多いんで、結構喉渇きますよ」

「川もある」

「その川、大丈夫なやつです?」

「煮る」

「なら俺よりちゃんとしてる」

「旅人だからな」

 胸を張る。

 そこは少し格好よかった。

◇

 最終的に、獣人の買い物かごはかなり重くなった。

 ビーフジャーキー二袋。

 ポークサラミ二袋。

 鶏のスティック三本。

 ナッツ二袋。

 ドライフルーツ一袋。

 チョコレート一袋。

 クラッカー一箱。

 それから水を二本。

「多くないですか?」

「五日なら食う」

「全部一人で?」

「ああ」

「結構食べますね」

「歩くからな」

 獣人がさらっと答える。

 納得できるような、できないような。

「肉まん二個もありますよ」

「あれは今夜の分だ」

「二個目、明日じゃなかったんですか」

「持たないと言っただろ」

「ちゃんと聞いてたんですね」

「客に失礼だな、お前」

 言い返せない。

 俺は商品をレジへ通していく。

 ピッ。

 ピッ。

 ピッ。

 最後に水を通す。

「お支払いは精算機へお願いします」

 獣人が革袋から硬貨を出した。

 精算機へ入れる。

 ちゃりん。

 画面が処理して、お釣りを返す。

 もう、異世界の硬貨が機械へ吸い込まれても驚かない。

 俺は袋詰めを手伝った。

 重い水は下。

 潰れそうなものは上。

 獣人は横で鼻を動かしている。

「まだ何か匂います?」

「ああ」

「何です?」

 獣人がレジ横を見た。

 先輩がちょうど保温ケースへ追加の肉まんを入れたところだった。

「肉」

「またですか」

「豚」

「さっきと同じです」

「一つ」

「今入れたばっかりで、まだ温まってないです」

「待つ」

「早いな決断」

 先輩がタイマーを見る。

「少しかかるぞ」

「構わん」

 獣人は買った荷物を足元へ置き、レジ横で腕を組んだ。

「旅、急いでるんじゃないんですか?」

「出るのは朝だ」

「じゃあ余裕あるのか」

「肉を待つ時間くらいはある」

 どこかで聞いたような話だった。

 ドワーフは三分待てなかった。

 この獣人は肉なら待てるらしい。

 異世界人にも色々いる。

 そんな当たり前のことを、最近ようやく当たり前に思えるようになってきた。

◇

 肉まんが温まるまでの間、獣人は店内をもう一周した。

 途中で飲料棚の前に止まり。

「これ、全部水か?」

「違います」

「色がついている」

「お茶とかジュースとかです」

「じゅーす」

「甘い飲み物」

 一本手に取る。

「これは果物」

「りんごです」

「これは?」

「オレンジ」

「これは?」

「コーヒーです」

 獣人が鼻をしかめた。

「苦い」

「飲む前から?」

「匂いが苦い」

「表現すごいな」

「お前には分からんのか」

「分かりませんよ」

「鼻が悪いな」

「人間として普通です」

 たぶん。

 少なくとも、密封されたペットボトルの中身を嗅ぎ分ける鼻は持っていない。

 獣人は結局、りんごジュースを一本追加した。

「旅用ですか?」

「今飲む」

「肉まんと一緒に?」

「ああ」

「完全に夜食になってるな」

 目的が少しずつ変わっている気がする。

 でも買い物なんて、そんなものなのかもしれない。

 必要なものを買いに来て。

 目についたものを一つ増やす。

 異世界から来ても、そこは同じらしい。

 やがてタイマーが鳴った。

「できたぞ」

 先輩が言う。

 獣人の耳がぴくっと動く。

「早っ」

「鳴る前から分かってた」

「匂いで?」

「ああ」

「タイマーいらないじゃないですか」

「店にはいるだろ」

 先輩が冷静に返した。

「ですよね」

 俺は温まった肉まんを紙へ包んだ。

「今度は熱いですからね」

「分かっている」

「本当に?」

「さっき学んだ」

 獣人は受け取っても、すぐにはかじらなかった。

 少し待つ。

 湯気が弱くなってから、一口。

「うまい」

「学習してる」

「当たり前だ」

 その言い方が少しおかしくて、俺は笑った。

◇

 午前二時前。

 獣人は大きな荷袋を背負い直した。

 買った保存食は、その中へきれいに収まっている。

「助かった」

「いえ。お気をつけて」

「次に通った時も、肉はあるか?」

「商品ならありますけど、同じ種類があるかは分からないです」

「変わるのか」

「新商品とか、入れ替わりありますから」

 獣人は少し考えた。

「なら、また匂いで選ぶ」

「それが一番早そうですね」

「肉まんも」

「そっちは季節ものなんで、ずっとあるとは限らないですよ」

 耳が止まった。

「なくなる?」

「暖かくなったら、たぶん」

 獣人は肉まんを見る。

 かなり真剣な顔だった。

「いつまでだ」

「そこまで俺も知りませんよ」

「店員だろ」

「店員でも全国の販売計画までは知らないです!」

 レジの中から、先輩がぼそっと言う。

「あるうちに食っとけ」

 獣人が頷いた。

「そうする」

「納得するんだ……」

 自動ドアが開く。

 冷たい森の空気が少しだけ店内へ入り込んだ。

「ありがとうございました」

 獣人は片手を上げ、暗い森へ歩いていく。

 大きな荷袋が、木々の間へ消えた。

 自動ドアが閉まる。

 店内に、また暖房の低い音だけが残った。

 俺はレジ横を見る。

 保温ケースは空。

「先輩」

「ん」

「肉まん、またゼロです」

「追加一個」

「今度は二個でもよくないです?」

「余ったらお前食う?」

「……一個で」

「学習したな」

「誰のせいですか」

 先輩が少しだけ笑った気がした。

 俺は冷蔵庫から新しい肉まんを一つ取り出す。

 異世界の旅人が五日分の携帯食を買っていった夜。

 結局、一番売れたのは旅には向かない肉まんだった。

 コンビニの買い物なんて、たぶんそんなものだ。