数日前から、レジ横に白い湯気が立つようになった。
「肉まん、残り二つです」
「追加一個でいい」
榊原先輩が、発注端末から目を上げずに答えた。
「一個だけ?」
「この時間から作りすぎても余る」
「異世界の客、結構買いますよ」
「だから一個」
「慎重だなあ」
「廃棄になったらお前食うのか」
「それなら二個でも」
「太るぞ」
「一個で」
即答した。
店の外は、少し前よりずっと寒い。
山の木々も色が変わり始め、夜になるとガラス越しでも冷えた空気が分かるようになった。
そのせいか、最近は温かいものがよく出る。
ホットコーヒー。
スープ。
そして、レジ横の中華まん。
ついこの間までなかった商品が、いつの間にか普通の顔をして売り場に加わっている。
コンビニは、季節が変わるたびに少しずつ姿を変えるらしい。
異世界につながるようになってから、それまで気にしたこともなかった変化まで目につくようになった。
「先輩」
「ん」
「異世界の人って、肉まん見たことあると思います?」
「知らん」
「ですよね」
「食いたきゃ買うだろ」
「身も蓋もないなあ」
俺は保温ケースの中を覗いた。
白い皮の中に豚肉と野菜。
日本では説明する必要もないくらい普通の食べ物だ。
でも、この店では普通のものほど説明が必要になることがある。
カップ麺も。
プリンも。
コピー機も。
それを考えると、肉まんだって十分に怪しい。
「お前、最近客来る前から考えすぎ」
「小説のネタになるかもしれないじゃないですか」
「仕事しろ」
「してますよ」
そう言いながら、俺は保温ケースの扉を閉めた。
◇
午前零時を少し回った頃。
自動ドアの向こうは、いつもの暗い森に変わっていた。
湿った土。
黒い木々。
店の白い明かりが届く範囲だけ、草の葉がぼんやり浮かんでいる。
最初の頃なら、それだけで何度も入口を見ていた。
今は違う。
「いらっしゃいませ」
ウィーン、とドアが開く音に反応して、先に声が出た。
入ってきた客を見ても、叫ばなかった。
獣人だ。
たぶん。
人間より少し大きい体。
身長は百八十センチを少し超えるくらい。
厚い茶色の外套の下から、灰褐色の毛に覆われた腕が見えている。
顔つきは人間に近い。
ただし、鼻先は少し前へ伸び、頭の上には三角形の耳が二つ立っていた。
犬なのか。
狼なのか。
そこまでは分からない。
背中には使い込まれた革の大きな荷袋。
腰には短剣。
外套の裾や革靴には乾いた泥が付いている。
見るからに旅の途中だった。
獣人は店へ入った瞬間、足を止めた。
鼻が動く。
すん。
もう一度。
すん、すん。
「……何か匂います?」
思わず聞いた。
獣人の耳がこちらへ向く。
「肉だ」
「肉?」
「温かい。豚だな」
俺はゆっくりレジ横を見る。
肉まん。
「これ?」
保温ケースを指す。
獣人は数歩近づき、透明な扉の向こうを見た。
「それだ」
「まだケース開けてないですよ」
「匂う」
「すご……」
「瀬尾」
レジの中から先輩の声。
「客に失礼」
「すみません」
「別に構わん」
獣人はもう一度、肉まんの方へ鼻を向けた。
「これは何だ?」
「肉まんです。中に肉が入った、蒸したパンみたいなものです」
「肉をパンで包むのか」
「だいたいそんな感じです」
「今食える?」
「食べられますよ」
「一つくれ」
「はい」
目的も聞いていないのに、一品売れた。
俺はトングで肉まんを取り、紙に包む。
獣人はそれを受け取ると、すぐには食べなかった。
鼻先へ近づける。
「豚」
「そうです」
「玉ねぎ」
「入ってると思います」
「生姜」
「たぶん」
「胡椒」
「そこまで俺に聞かれても分からないです」
獣人の鼻がもう一度動く。
「少し甘い」
「皮ですかね」
「分からん」
「そこは分からないんだ」
ちょっと安心した。
何でも匂いだけで当てられたら、こっちの立場がない。
獣人は精算機で会計を済ませると、肉まんを一口かじった。
耳がぴん、と立つ。
「熱っ」
「そりゃ熱いですよ!」
慌てて言う。
獣人は口元を押さえながら、こっちを睨んだ。
「先に言え」
「温かいって言いましたよ!」
「温かいと熱いは違う」
「それはそうですけど!」
先輩が小さく息を吐いた。
「食うの早すぎ」
「肉の匂いがした」
「理由になってないだろ」
獣人は少しだけ肉まんを冷まし、今度は慎重にかじった。
もぐもぐと顎が動く。
耳が少し下がった。
「うまい」
「よかったです」
「もう一つ」
「さっき残り二個だったんで、あと一つです」
言ってから保温ケースを見る。
本当に残り一つ。
「それもくれ」
「はい」
追加するか迷っていた肉まんが、一瞬で消えた。
俺は先輩を見る。
「追加してよかったんじゃないですか?」
「今から一個作る」
「結局作るんだ」
「売れたからな」
普通だった。
獣人が二つ目を買っても、やることは発注でも冒険でもなく、肉まんを一個追加するだけだった。
◇
二つ目の肉まんは、その場では食べなかった。
紙袋へ入れ、荷袋の口へしまう。
「持っていくんですか?」
「ああ」
「長くは持たないですよ」
獣人の手が止まった。
「持たない?」
「それ、今食べる用です。何日も持ち歩く食べ物じゃないです」
「明日の昼は?」
「うーん……俺なら勧めないですね」
「そうなのか」
獣人は少し残念そうに袋を見る。
その顔を見て、ようやく気づいた。
「もしかして、旅の食べ物を探してます?」
「ああ」
「何日くらいです?」
「四日。天気が崩れれば五日」
「それなら、そっちじゃないです」
俺は迷わず常温棚の方へ歩いた。
前なら、弁当やおにぎりの棚から順番に説明していたかもしれない。
でも今は分かる。
数日持ち歩く。
冷やせない。
荷物は軽い方がいい。
なら、見る場所は決まっている。
「携帯食ならこっちです」
獣人がついてくる。
俺は棚の前で足を止めた。
ジャーキー。
小袋のサラミ。
ナッツ。
ドライフルーツ。
クラッカー。
個包装の栄養補助食品。
缶詰もあるが、持ち歩くなら少し重い。
「肉なら、まずこれですね」
ビーフジャーキーを一袋取る。
「乾燥させた肉です。開けなければ持ちますし、軽いです」
獣人は受け取った。
表を見る。
裏を見る。
「読めん」
「ですよね」
店内で会話はできても、日本語の商品表示まで読めるわけではない。
そこは今までと同じだ。
「牛です」
「牛」
「薄くして、味付けして乾かしてあります」
獣人が袋を鼻へ近づける。
すん。
「牛だ」
「今言いましたよね」
「言われる前から分かっていた」
「じゃあ聞く必要なかったじゃないですか」
「本当に合っているか確認した」
「鼻で?」
「鼻で」
強い。
俺は隣の小袋を取った。
「じゃあ、これは?」
「豚」
即答。
裏を見る。
ポークサラミ。
「正解です」
「当たり前だ」
「これは?」
「鶏」
ささみ系のスティック。
「正解」
「それは魚」
「まだ何も出してないですけど」
俺の手は、棚の下段へ伸びかけていた。
そこには魚肉ソーセージ。
「怖いな、その鼻」
「便利だぞ」
「買い物ではめちゃくちゃ便利ですね」
「腐った肉も分かる」
「そっちはもっと大事だ」
獣人は袋を順番に手に取った。
牛。
豚。
鶏。
魚。
こっちが説明するより早く、鼻で判別していく。
「これ」
獣人が一つの袋を持ち上げた。
「肉が二種類ある」
「え?」
俺は表示を見る。
ビーフとポークを混ぜたスナックだった。
「……合ってます」
「塩が強い」
「そこまで分かるんですか」
「少し」
「少しの基準おかしくない?」
獣人は気にせず、今度はナッツの袋を持った。
「これは肉ではない」
「見れば分かります」
「油の匂いがする」
「木の実です。肉だけより、こういうのも持っていった方がいいと思いますよ」
「腹に溜まる?」
「肉よりは軽い感じですけど、持ち歩きやすいです」
「甘いものは?」
「ありますよ」
ドライフルーツとチョコレートの小袋を見せる。
獣人の鼻が動いた。
「果物」
「はい」
「これは甘い」
「チョコです」
「ちょこ」
「甘いお菓子です」
「旅に必要か?」
「必要かと言われると……」
俺は少し考える。
その時。
「持っとけ」
後ろから先輩が言った。
俺と獣人が振り返る。
先輩はレジから動いていない。
「甘いもん、疲れた時に食える」
獣人がチョコの袋を見る。
「お前、旅をするのか?」
「しねえよ」
即答だった。
「じゃあ、なぜ分かる」
「昔ちょっとな」
先輩はそれだけ言って、伝票へ視線を戻した。
俺は一瞬だけ、その横顔を見る。
昔ちょっと。
この人の「ちょっと」は、信用しない方がいい気がする。
でも今は聞かなかった。
「あと、水はちゃんと持ってます?」
俺は獣人へ向き直る。
「ある」
「乾いたもの多いんで、結構喉渇きますよ」
「川もある」
「その川、大丈夫なやつです?」
「煮る」
「なら俺よりちゃんとしてる」
「旅人だからな」
胸を張る。
そこは少し格好よかった。
◇
最終的に、獣人の買い物かごはかなり重くなった。
ビーフジャーキー二袋。
ポークサラミ二袋。
鶏のスティック三本。
ナッツ二袋。
ドライフルーツ一袋。
チョコレート一袋。
クラッカー一箱。
それから水を二本。
「多くないですか?」
「五日なら食う」
「全部一人で?」
「ああ」
「結構食べますね」
「歩くからな」
獣人がさらっと答える。
納得できるような、できないような。
「肉まん二個もありますよ」
「あれは今夜の分だ」
「二個目、明日じゃなかったんですか」
「持たないと言っただろ」
「ちゃんと聞いてたんですね」
「客に失礼だな、お前」
言い返せない。
俺は商品をレジへ通していく。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
最後に水を通す。
「お支払いは精算機へお願いします」
獣人が革袋から硬貨を出した。
精算機へ入れる。
ちゃりん。
画面が処理して、お釣りを返す。
もう、異世界の硬貨が機械へ吸い込まれても驚かない。
俺は袋詰めを手伝った。
重い水は下。
潰れそうなものは上。
獣人は横で鼻を動かしている。
「まだ何か匂います?」
「ああ」
「何です?」
獣人がレジ横を見た。
先輩がちょうど保温ケースへ追加の肉まんを入れたところだった。
「肉」
「またですか」
「豚」
「さっきと同じです」
「一つ」
「今入れたばっかりで、まだ温まってないです」
「待つ」
「早いな決断」
先輩がタイマーを見る。
「少しかかるぞ」
「構わん」
獣人は買った荷物を足元へ置き、レジ横で腕を組んだ。
「旅、急いでるんじゃないんですか?」
「出るのは朝だ」
「じゃあ余裕あるのか」
「肉を待つ時間くらいはある」
どこかで聞いたような話だった。
ドワーフは三分待てなかった。
この獣人は肉なら待てるらしい。
異世界人にも色々いる。
そんな当たり前のことを、最近ようやく当たり前に思えるようになってきた。
◇
肉まんが温まるまでの間、獣人は店内をもう一周した。
途中で飲料棚の前に止まり。
「これ、全部水か?」
「違います」
「色がついている」
「お茶とかジュースとかです」
「じゅーす」
「甘い飲み物」
一本手に取る。
「これは果物」
「りんごです」
「これは?」
「オレンジ」
「これは?」
「コーヒーです」
獣人が鼻をしかめた。
「苦い」
「飲む前から?」
「匂いが苦い」
「表現すごいな」
「お前には分からんのか」
「分かりませんよ」
「鼻が悪いな」
「人間として普通です」
たぶん。
少なくとも、密封されたペットボトルの中身を嗅ぎ分ける鼻は持っていない。
獣人は結局、りんごジュースを一本追加した。
「旅用ですか?」
「今飲む」
「肉まんと一緒に?」
「ああ」
「完全に夜食になってるな」
目的が少しずつ変わっている気がする。
でも買い物なんて、そんなものなのかもしれない。
必要なものを買いに来て。
目についたものを一つ増やす。
異世界から来ても、そこは同じらしい。
やがてタイマーが鳴った。
「できたぞ」
先輩が言う。
獣人の耳がぴくっと動く。
「早っ」
「鳴る前から分かってた」
「匂いで?」
「ああ」
「タイマーいらないじゃないですか」
「店にはいるだろ」
先輩が冷静に返した。
「ですよね」
俺は温まった肉まんを紙へ包んだ。
「今度は熱いですからね」
「分かっている」
「本当に?」
「さっき学んだ」
獣人は受け取っても、すぐにはかじらなかった。
少し待つ。
湯気が弱くなってから、一口。
「うまい」
「学習してる」
「当たり前だ」
その言い方が少しおかしくて、俺は笑った。
◇
午前二時前。
獣人は大きな荷袋を背負い直した。
買った保存食は、その中へきれいに収まっている。
「助かった」
「いえ。お気をつけて」
「次に通った時も、肉はあるか?」
「商品ならありますけど、同じ種類があるかは分からないです」
「変わるのか」
「新商品とか、入れ替わりありますから」
獣人は少し考えた。
「なら、また匂いで選ぶ」
「それが一番早そうですね」
「肉まんも」
「そっちは季節ものなんで、ずっとあるとは限らないですよ」
耳が止まった。
「なくなる?」
「暖かくなったら、たぶん」
獣人は肉まんを見る。
かなり真剣な顔だった。
「いつまでだ」
「そこまで俺も知りませんよ」
「店員だろ」
「店員でも全国の販売計画までは知らないです!」
レジの中から、先輩がぼそっと言う。
「あるうちに食っとけ」
獣人が頷いた。
「そうする」
「納得するんだ……」
自動ドアが開く。
冷たい森の空気が少しだけ店内へ入り込んだ。
「ありがとうございました」
獣人は片手を上げ、暗い森へ歩いていく。
大きな荷袋が、木々の間へ消えた。
自動ドアが閉まる。
店内に、また暖房の低い音だけが残った。
俺はレジ横を見る。
保温ケースは空。
「先輩」
「ん」
「肉まん、またゼロです」
「追加一個」
「今度は二個でもよくないです?」
「余ったらお前食う?」
「……一個で」
「学習したな」
「誰のせいですか」
先輩が少しだけ笑った気がした。
俺は冷蔵庫から新しい肉まんを一つ取り出す。
異世界の旅人が五日分の携帯食を買っていった夜。
結局、一番売れたのは旅には向かない肉まんだった。
コンビニの買い物なんて、たぶんそんなものだ。
「肉まん、残り二つです」
「追加一個でいい」
榊原先輩が、発注端末から目を上げずに答えた。
「一個だけ?」
「この時間から作りすぎても余る」
「異世界の客、結構買いますよ」
「だから一個」
「慎重だなあ」
「廃棄になったらお前食うのか」
「それなら二個でも」
「太るぞ」
「一個で」
即答した。
店の外は、少し前よりずっと寒い。
山の木々も色が変わり始め、夜になるとガラス越しでも冷えた空気が分かるようになった。
そのせいか、最近は温かいものがよく出る。
ホットコーヒー。
スープ。
そして、レジ横の中華まん。
ついこの間までなかった商品が、いつの間にか普通の顔をして売り場に加わっている。
コンビニは、季節が変わるたびに少しずつ姿を変えるらしい。
異世界につながるようになってから、それまで気にしたこともなかった変化まで目につくようになった。
「先輩」
「ん」
「異世界の人って、肉まん見たことあると思います?」
「知らん」
「ですよね」
「食いたきゃ買うだろ」
「身も蓋もないなあ」
俺は保温ケースの中を覗いた。
白い皮の中に豚肉と野菜。
日本では説明する必要もないくらい普通の食べ物だ。
でも、この店では普通のものほど説明が必要になることがある。
カップ麺も。
プリンも。
コピー機も。
それを考えると、肉まんだって十分に怪しい。
「お前、最近客来る前から考えすぎ」
「小説のネタになるかもしれないじゃないですか」
「仕事しろ」
「してますよ」
そう言いながら、俺は保温ケースの扉を閉めた。
◇
午前零時を少し回った頃。
自動ドアの向こうは、いつもの暗い森に変わっていた。
湿った土。
黒い木々。
店の白い明かりが届く範囲だけ、草の葉がぼんやり浮かんでいる。
最初の頃なら、それだけで何度も入口を見ていた。
今は違う。
「いらっしゃいませ」
ウィーン、とドアが開く音に反応して、先に声が出た。
入ってきた客を見ても、叫ばなかった。
獣人だ。
たぶん。
人間より少し大きい体。
身長は百八十センチを少し超えるくらい。
厚い茶色の外套の下から、灰褐色の毛に覆われた腕が見えている。
顔つきは人間に近い。
ただし、鼻先は少し前へ伸び、頭の上には三角形の耳が二つ立っていた。
犬なのか。
狼なのか。
そこまでは分からない。
背中には使い込まれた革の大きな荷袋。
腰には短剣。
外套の裾や革靴には乾いた泥が付いている。
見るからに旅の途中だった。
獣人は店へ入った瞬間、足を止めた。
鼻が動く。
すん。
もう一度。
すん、すん。
「……何か匂います?」
思わず聞いた。
獣人の耳がこちらへ向く。
「肉だ」
「肉?」
「温かい。豚だな」
俺はゆっくりレジ横を見る。
肉まん。
「これ?」
保温ケースを指す。
獣人は数歩近づき、透明な扉の向こうを見た。
「それだ」
「まだケース開けてないですよ」
「匂う」
「すご……」
「瀬尾」
レジの中から先輩の声。
「客に失礼」
「すみません」
「別に構わん」
獣人はもう一度、肉まんの方へ鼻を向けた。
「これは何だ?」
「肉まんです。中に肉が入った、蒸したパンみたいなものです」
「肉をパンで包むのか」
「だいたいそんな感じです」
「今食える?」
「食べられますよ」
「一つくれ」
「はい」
目的も聞いていないのに、一品売れた。
俺はトングで肉まんを取り、紙に包む。
獣人はそれを受け取ると、すぐには食べなかった。
鼻先へ近づける。
「豚」
「そうです」
「玉ねぎ」
「入ってると思います」
「生姜」
「たぶん」
「胡椒」
「そこまで俺に聞かれても分からないです」
獣人の鼻がもう一度動く。
「少し甘い」
「皮ですかね」
「分からん」
「そこは分からないんだ」
ちょっと安心した。
何でも匂いだけで当てられたら、こっちの立場がない。
獣人は精算機で会計を済ませると、肉まんを一口かじった。
耳がぴん、と立つ。
「熱っ」
「そりゃ熱いですよ!」
慌てて言う。
獣人は口元を押さえながら、こっちを睨んだ。
「先に言え」
「温かいって言いましたよ!」
「温かいと熱いは違う」
「それはそうですけど!」
先輩が小さく息を吐いた。
「食うの早すぎ」
「肉の匂いがした」
「理由になってないだろ」
獣人は少しだけ肉まんを冷まし、今度は慎重にかじった。
もぐもぐと顎が動く。
耳が少し下がった。
「うまい」
「よかったです」
「もう一つ」
「さっき残り二個だったんで、あと一つです」
言ってから保温ケースを見る。
本当に残り一つ。
「それもくれ」
「はい」
追加するか迷っていた肉まんが、一瞬で消えた。
俺は先輩を見る。
「追加してよかったんじゃないですか?」
「今から一個作る」
「結局作るんだ」
「売れたからな」
普通だった。
獣人が二つ目を買っても、やることは発注でも冒険でもなく、肉まんを一個追加するだけだった。
◇
二つ目の肉まんは、その場では食べなかった。
紙袋へ入れ、荷袋の口へしまう。
「持っていくんですか?」
「ああ」
「長くは持たないですよ」
獣人の手が止まった。
「持たない?」
「それ、今食べる用です。何日も持ち歩く食べ物じゃないです」
「明日の昼は?」
「うーん……俺なら勧めないですね」
「そうなのか」
獣人は少し残念そうに袋を見る。
その顔を見て、ようやく気づいた。
「もしかして、旅の食べ物を探してます?」
「ああ」
「何日くらいです?」
「四日。天気が崩れれば五日」
「それなら、そっちじゃないです」
俺は迷わず常温棚の方へ歩いた。
前なら、弁当やおにぎりの棚から順番に説明していたかもしれない。
でも今は分かる。
数日持ち歩く。
冷やせない。
荷物は軽い方がいい。
なら、見る場所は決まっている。
「携帯食ならこっちです」
獣人がついてくる。
俺は棚の前で足を止めた。
ジャーキー。
小袋のサラミ。
ナッツ。
ドライフルーツ。
クラッカー。
個包装の栄養補助食品。
缶詰もあるが、持ち歩くなら少し重い。
「肉なら、まずこれですね」
ビーフジャーキーを一袋取る。
「乾燥させた肉です。開けなければ持ちますし、軽いです」
獣人は受け取った。
表を見る。
裏を見る。
「読めん」
「ですよね」
店内で会話はできても、日本語の商品表示まで読めるわけではない。
そこは今までと同じだ。
「牛です」
「牛」
「薄くして、味付けして乾かしてあります」
獣人が袋を鼻へ近づける。
すん。
「牛だ」
「今言いましたよね」
「言われる前から分かっていた」
「じゃあ聞く必要なかったじゃないですか」
「本当に合っているか確認した」
「鼻で?」
「鼻で」
強い。
俺は隣の小袋を取った。
「じゃあ、これは?」
「豚」
即答。
裏を見る。
ポークサラミ。
「正解です」
「当たり前だ」
「これは?」
「鶏」
ささみ系のスティック。
「正解」
「それは魚」
「まだ何も出してないですけど」
俺の手は、棚の下段へ伸びかけていた。
そこには魚肉ソーセージ。
「怖いな、その鼻」
「便利だぞ」
「買い物ではめちゃくちゃ便利ですね」
「腐った肉も分かる」
「そっちはもっと大事だ」
獣人は袋を順番に手に取った。
牛。
豚。
鶏。
魚。
こっちが説明するより早く、鼻で判別していく。
「これ」
獣人が一つの袋を持ち上げた。
「肉が二種類ある」
「え?」
俺は表示を見る。
ビーフとポークを混ぜたスナックだった。
「……合ってます」
「塩が強い」
「そこまで分かるんですか」
「少し」
「少しの基準おかしくない?」
獣人は気にせず、今度はナッツの袋を持った。
「これは肉ではない」
「見れば分かります」
「油の匂いがする」
「木の実です。肉だけより、こういうのも持っていった方がいいと思いますよ」
「腹に溜まる?」
「肉よりは軽い感じですけど、持ち歩きやすいです」
「甘いものは?」
「ありますよ」
ドライフルーツとチョコレートの小袋を見せる。
獣人の鼻が動いた。
「果物」
「はい」
「これは甘い」
「チョコです」
「ちょこ」
「甘いお菓子です」
「旅に必要か?」
「必要かと言われると……」
俺は少し考える。
その時。
「持っとけ」
後ろから先輩が言った。
俺と獣人が振り返る。
先輩はレジから動いていない。
「甘いもん、疲れた時に食える」
獣人がチョコの袋を見る。
「お前、旅をするのか?」
「しねえよ」
即答だった。
「じゃあ、なぜ分かる」
「昔ちょっとな」
先輩はそれだけ言って、伝票へ視線を戻した。
俺は一瞬だけ、その横顔を見る。
昔ちょっと。
この人の「ちょっと」は、信用しない方がいい気がする。
でも今は聞かなかった。
「あと、水はちゃんと持ってます?」
俺は獣人へ向き直る。
「ある」
「乾いたもの多いんで、結構喉渇きますよ」
「川もある」
「その川、大丈夫なやつです?」
「煮る」
「なら俺よりちゃんとしてる」
「旅人だからな」
胸を張る。
そこは少し格好よかった。
◇
最終的に、獣人の買い物かごはかなり重くなった。
ビーフジャーキー二袋。
ポークサラミ二袋。
鶏のスティック三本。
ナッツ二袋。
ドライフルーツ一袋。
チョコレート一袋。
クラッカー一箱。
それから水を二本。
「多くないですか?」
「五日なら食う」
「全部一人で?」
「ああ」
「結構食べますね」
「歩くからな」
獣人がさらっと答える。
納得できるような、できないような。
「肉まん二個もありますよ」
「あれは今夜の分だ」
「二個目、明日じゃなかったんですか」
「持たないと言っただろ」
「ちゃんと聞いてたんですね」
「客に失礼だな、お前」
言い返せない。
俺は商品をレジへ通していく。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
最後に水を通す。
「お支払いは精算機へお願いします」
獣人が革袋から硬貨を出した。
精算機へ入れる。
ちゃりん。
画面が処理して、お釣りを返す。
もう、異世界の硬貨が機械へ吸い込まれても驚かない。
俺は袋詰めを手伝った。
重い水は下。
潰れそうなものは上。
獣人は横で鼻を動かしている。
「まだ何か匂います?」
「ああ」
「何です?」
獣人がレジ横を見た。
先輩がちょうど保温ケースへ追加の肉まんを入れたところだった。
「肉」
「またですか」
「豚」
「さっきと同じです」
「一つ」
「今入れたばっかりで、まだ温まってないです」
「待つ」
「早いな決断」
先輩がタイマーを見る。
「少しかかるぞ」
「構わん」
獣人は買った荷物を足元へ置き、レジ横で腕を組んだ。
「旅、急いでるんじゃないんですか?」
「出るのは朝だ」
「じゃあ余裕あるのか」
「肉を待つ時間くらいはある」
どこかで聞いたような話だった。
ドワーフは三分待てなかった。
この獣人は肉なら待てるらしい。
異世界人にも色々いる。
そんな当たり前のことを、最近ようやく当たり前に思えるようになってきた。
◇
肉まんが温まるまでの間、獣人は店内をもう一周した。
途中で飲料棚の前に止まり。
「これ、全部水か?」
「違います」
「色がついている」
「お茶とかジュースとかです」
「じゅーす」
「甘い飲み物」
一本手に取る。
「これは果物」
「りんごです」
「これは?」
「オレンジ」
「これは?」
「コーヒーです」
獣人が鼻をしかめた。
「苦い」
「飲む前から?」
「匂いが苦い」
「表現すごいな」
「お前には分からんのか」
「分かりませんよ」
「鼻が悪いな」
「人間として普通です」
たぶん。
少なくとも、密封されたペットボトルの中身を嗅ぎ分ける鼻は持っていない。
獣人は結局、りんごジュースを一本追加した。
「旅用ですか?」
「今飲む」
「肉まんと一緒に?」
「ああ」
「完全に夜食になってるな」
目的が少しずつ変わっている気がする。
でも買い物なんて、そんなものなのかもしれない。
必要なものを買いに来て。
目についたものを一つ増やす。
異世界から来ても、そこは同じらしい。
やがてタイマーが鳴った。
「できたぞ」
先輩が言う。
獣人の耳がぴくっと動く。
「早っ」
「鳴る前から分かってた」
「匂いで?」
「ああ」
「タイマーいらないじゃないですか」
「店にはいるだろ」
先輩が冷静に返した。
「ですよね」
俺は温まった肉まんを紙へ包んだ。
「今度は熱いですからね」
「分かっている」
「本当に?」
「さっき学んだ」
獣人は受け取っても、すぐにはかじらなかった。
少し待つ。
湯気が弱くなってから、一口。
「うまい」
「学習してる」
「当たり前だ」
その言い方が少しおかしくて、俺は笑った。
◇
午前二時前。
獣人は大きな荷袋を背負い直した。
買った保存食は、その中へきれいに収まっている。
「助かった」
「いえ。お気をつけて」
「次に通った時も、肉はあるか?」
「商品ならありますけど、同じ種類があるかは分からないです」
「変わるのか」
「新商品とか、入れ替わりありますから」
獣人は少し考えた。
「なら、また匂いで選ぶ」
「それが一番早そうですね」
「肉まんも」
「そっちは季節ものなんで、ずっとあるとは限らないですよ」
耳が止まった。
「なくなる?」
「暖かくなったら、たぶん」
獣人は肉まんを見る。
かなり真剣な顔だった。
「いつまでだ」
「そこまで俺も知りませんよ」
「店員だろ」
「店員でも全国の販売計画までは知らないです!」
レジの中から、先輩がぼそっと言う。
「あるうちに食っとけ」
獣人が頷いた。
「そうする」
「納得するんだ……」
自動ドアが開く。
冷たい森の空気が少しだけ店内へ入り込んだ。
「ありがとうございました」
獣人は片手を上げ、暗い森へ歩いていく。
大きな荷袋が、木々の間へ消えた。
自動ドアが閉まる。
店内に、また暖房の低い音だけが残った。
俺はレジ横を見る。
保温ケースは空。
「先輩」
「ん」
「肉まん、またゼロです」
「追加一個」
「今度は二個でもよくないです?」
「余ったらお前食う?」
「……一個で」
「学習したな」
「誰のせいですか」
先輩が少しだけ笑った気がした。
俺は冷蔵庫から新しい肉まんを一つ取り出す。
異世界の旅人が五日分の携帯食を買っていった夜。
結局、一番売れたのは旅には向かない肉まんだった。
コンビニの買い物なんて、たぶんそんなものだ。



