教室に戻ったわたしは、自分の席に座り、机の横にかけたカバンの中からビロードの布でできたきんちゃく袋を取り出した。
授業もHRも終わり、教室には誰もいない。さらに今はテスト前の勉強週間で、放課後の部活動ができないことになっているので、学校内に残ってる人も少ないみたい。
静けさの中、わたしはきんちゃく袋をそっと開く。
中にあるのは愛用のタロットカードだ。学校へ行くときもお出かけするときも、たいていこうやって持ち歩いている。
まずは落ち着いて、深呼吸。カードの山に手を置いて目を閉じ、祈る。
「わたしの占いで、みんなを幸せにできますように」
もう一つ。
「明日香を助けるために、力を貸してください!」
想いを十分にカードに伝えたら、シャッフルしてスプレッドを形成する。今回は問題点をズバリ知りたいので、二十二枚の大アルカナカードだけを使うことにした。
カードの山からまず一枚引いて縦に置き、その上に二枚目のカードを横向きに重ねる。
二枚のカードを十字架のように配置するこのスプレッドは、『シンプル・クロス』。
縦に置かれた一枚目が『現在の状況』を示し、その上にクロスして置いた二枚目は『今の自分に足りないもの』とか『課題や対策』を表すの。
「よしっ」
カードを並べ終えると、わたしはまず下になっている一枚目のカードだけを表に返した。
出たカードは『18・月』の正位置。
意味は『動揺』および『未知なるものへの恐れ』。これは、現在のわたしが置かれた状況を表すものだ。
――当たってる。
だって明日香が倒れて、わたしはめちゃくちゃ動揺しているもの。呪いだなんて……わけが分からなくて怖い。
今置かれている状況を把握したところで、わたしは二枚目のカードをめくった。
シンプル・クロスの場合、二枚目は横になっているけど、左側を上として考えて、正位置・逆位置の判断をするんだ。
出たのは『4・皇帝』の正位置だった。
意味は、『勇ましさ』および『指導者』だ。自分なりに、リーディングしてみる。
二枚目のカードが示しているのは『問題解決に向けての課題や対策』。多分これは、わたしに勇ましい気持ちが欠けているから、指導してくれる人を探せってことだと思う。
「うーん、指導者かぁ。確かにそんな人がいれば心強いけど……」
誰かいたっけ? と首をひねったとき、わたしはママの言葉を思い出した。
『一つアドバイスするとしたら――直感とひらめきを大事にしなさい、ってことかしら』
直感、そしてひらめき。
わたしはその言葉を胸に、もう一度、『皇帝』のカードとまっすぐ向き合う。
――ねぇ、教えて。誰に頼ったらいいの? わたしを正しい方向に導いてくれる人は、一体誰?
「桐ちゃん……!」
心に浮かんだ名前を呼びながら、わたしは弾かれるように立ち上がった。
そうだ、桐ちゃんだ。桐ちゃんなら、誰よりも信頼できる。だって、ずっと一緒に育ってきたお兄ちゃんみたいな存在だもの!
最近、桐ちゃんは夕方まで教室に残って勉強をしていると聞いている。
カードを片付けてカバンをつかむと、わたしは二年生の教室が並ぶ三階に駆け込んだ。
「桐ちゃん!」
予想通り二年F組の教室に桐ちゃんの姿を見つけて、わたしは思わず飛びつく。
「祈梨?!」
桐ちゃんは突然現れたわたしにかなりおどろいているようだ。でもこの際、なりふりなんて構っていられない。
「桐ちゃん聞いて! あのね!」
ものすごい勢いで、わたしは今までの出来事を桐ちゃんに説明した。
森の魔物の呪い。昨日の子猫救出劇。生徒会長に助けてもらったこと。そして、明日香の身に起こった事件……。
「ねぇ桐ちゃん、どうしよう。明日香がもし、呪われちゃってたら……」
「呪いなんて、あるわけないだろ、そんなもの」
あわてふためくわたしに対し、桐ちゃんは相変わらずクールだ。眉間に寄ったシワから「つまらない話はするな」と言っているのがうかがえる。
「でも、魔物の呪いの話は学校内で噂になってるよ。桐ちゃんは聞いたことない?」
「聞いたような気がするが、俺の脳内にはいちいち保存してない。そんな下らないこと、覚えておくだけ無駄だ」
「そんなこと言わないで、手を貸してよ桐ちゃん。ねぇお願い、明日香の不安を取り除く方法、一緒に考えて」
わたしは胸の前で手を合わせた。桐ちゃんが最後の頼みの綱だ。ここで断られたら、どうしたらいいか分からなくなっちゃう。
しかし、そんなわたしの願いむなしく、返ってきた言葉は……。
「――断る。期末テストの勉強で、それどころじゃない」
きっぱりと言い放つと、桐ちゃんは銀フレームのメガネを押し上げて、机上の問題集に視線を向けてしまった。
なんか……ひどい。いくらなんでも、ひどいよ桐ちゃん。
わたしの心に、ふつふつと怒りが込み上げる。勉強の邪魔をしたのは悪かったけど、ここまで冷たい言い方しなくても……。
「桐ちゃんなんて、もういいよ! 自分でなんとかする!」
わたしはそう言って桐ちゃんに背を向け、振り返らずに教室から飛び出した。
怒りと悲しみが混ざって、廊下を走りながらちょっと涙が出てきてしまった。打ち消しても打ち消しても、さっきの冷たい言葉がよみがえる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
気が付くと、昇降口のあたりまできてしまっていた。走ったせいで、息がかなり乱れている。呼吸を整えながら涙を拭いて、わたしはぎゅっと唇を結んだ。
泣いてる場合じゃない。なんとかしなきゃ。どうしたらいいのか分からないけど、考えても分からないときは、行動あるのみ!
「あの、すみません」
わたしは近くを通りかかった二人連れの女子に声をかけた。
とにかく、今のままじゃ情報が少なすぎる。特に、時ノ塔学園に広まる『呪いの噂』については、あまりにも知らないことだらけだ。
だから周りの人に、手当たり次第に聞いてみようと思ったわけ。
知らない人にいきなり話しかけるのはちょっと恥ずかしかったけど、がんばっていろんな人に話を聞いたら、それなりに情報が集まった。
学校内に広まっている噂は『クロノス様』と『森に住む魔物の呪い』の二つ。
どちらもいろんな話を聞けたけど、ここから呪いに関する噂をピックアップして整理してみる。
『森には魔物が住んでいる』
『その魔物は使い魔を操り、森の外で獲物を取る』
『使い魔の仕事を邪魔すると、呪われる』
呪いを解除する方法は伝わってないみたい。これ以上詳しい話は聞けなかった。
だけど、この噂の真相を確かめてみようとした男子がいたの。怖いもの見たさってやつらしい。その人たちから直接話を聞くことができたんだ。
その男子はもう一人の友達と森に入った。森の中にはカラスの声が響いていたけど、襲ってくる様子はなかったので、無視してそのまま奥に進もうとしたんだって。
そしたら、とんでもないものを見てしまった。
――なんと、樹の隙間から、きらりと光る二つの目が……。
突然現れたものに驚いて、男子生徒たちはあわてて逃げ出した。それから、森には近寄っていないらしい。
「きっとあれは、魔物の目だよ」
二人の男子は声を揃えて震え上がっていた。
だが、恐ろしいものを見てしまったとはいえ、その男子たちは使い魔の仕事を邪魔したわけではない。
だから明日香のように誰かにあとをつけられるようなことはなく、呪いの影響も感じてないとのことだった。
「うーん……」
聞き込みを終え、わたしは校庭の片隅で頭をひねっていた。
結局、明日香の身に起きているのが呪いなのかそうでないのか、まるで分からない。呪いの解除方法も謎のままだ。
だけど、森の奥に『何かがいる』ことだけは確かだろう。きらりと光る二つの目を持つ、謎の存在が……。
だとしたら、その『何か』を調べてみれば、道が開けるかもしれない。
「よし、森に入ってみよう!」
次の目的地は決まった。前進前進!
わたしは校庭を突っ切って、いつもお弁当を食べている中庭にやってきた。木造校舎とクロノス像をちらりと見てから、森の方へ進む。
そのまま中に入るつもり……だったんだけど。
「……うわぁ」
前に立ってみると、森は思ったよりも深そうだった。おまけに、放課後になってからだいぶ時間がたっている。七月とはいえ、日が暮れそうだ。
中に入らないといけないのは分かっているのに、足が一歩も前へ出ない。
「カァア~、カアァァ~!」
わたしの頭の上を、ものすごい勢いで黒い影が通り過ぎていく。カラスの群れだ。
ダメ、怖い! 怖すぎる! これ以上進めないよ……。
「おい」
そのとき、突然後ろから肩をつかまれた。
「きゃあっ!」
あまりの恐怖で悲鳴がもれ、腰が抜けそうになる。
「――情けない声上げるな。俺だ、俺」
「き、桐ちゃん!」
振り返ると、不機嫌そうな顔の桐ちゃんがわたしを見下ろしていた。
「な、何で桐ちゃんがこんなところにいるの? 教室で勉強してたんじゃないの?」
「一段落したから帰ろうとしたら、祈梨がこっちに行くのを見たってヤツと出くわしたから、ちょっと来てみた。お前こそ、こんなところで何をしてるんだ」
「わたしは……森に入って、呪いについて調査して、少しでも明日香の役に立とうと……」
「ふーん」
桐ちゃんは森とわたしの顔を代わる代わる見比べた。そしてかすかに口角を上げ、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「祈梨。さてはお前、怖くて森に入れないまま、ここで立ち往生してたんだろ?」
「うっ……」
ズバリ言い当てられて、わたしはうつむくしかなかった。
桐ちゃんは「はーっ」と溜息をつく。
「お前、もう夏目の件に首をつっこむのやめろ」
「何で? だって明日香は実際に怖い目にあってるんだよ。倒れるほど困ってるの。放っておけるわけないよ!」
「だったらなおさらやめろ。夏目が誰かに狙われてるのが本当なら、それはストーカーか何かだ。警察に持ち込むような案件だぞ。香坂には家族がついてるんだろ。俺や祈里がどうこうできる話じゃない」
「そうだけど、でも……わたしも明日香のために何かしたくて……」
「祈梨!」
桐ちゃんが、鋭い声でわたしの言葉をさえぎった。
「夏目を助けたいってのは分かるが、森に入れもしない上に、ちょっと声かけられたくらいで悲鳴上げる祈梨に、何ができるんだよ」
それは事実だった。
なんとか言い返したかったけど、言葉が出てこない。
「もう定期テストが近い。祈梨も家で勉強しろ。その方がまだ、世間の役に立つ」
冷たい言葉が、胸に深く突き刺さる。
わたしは次の瞬間、叫んでいた。
「ひどいよ! 桐ちゃんの勉強バカ!」
メガネの向こうで、桐ちゃんの瞳が大きく見開かれる。
――どうして? 桐ちゃん。どうしてそんなこと言うの? 勉強勉強勉強って、そればっかり。まるで心のない機械みたい……。
そんな言葉をぶつける代わりに、わたしはそのまま踵を返した。
背中に、桐ちゃんの鋭い視線がいつまでも突き刺さっている気がした。
