カーンカーンと、昼休みの始まりを告げる鐘が鳴り響く。
わたしはいつものように一緒にお弁当を食べようと思って、明日香の方を振り返った。
明日香は自分の机に顔を伏せて、じっとしている。ワイワイおしゃべりするクラスメイトたちの中で、そこだけがポツンと浮いているような……。
なんとなく、様子がおかしい。昼休みになると真っ先にはしゃぎだす明日香が、動こうとしないのは変だ。
「どうしたの、明日香。早くお弁当食べよ。いつもの中庭に……」
席まで行ってそう声をかけると、明日香はビクッと身体を硬直させた。
「あたし、行かない!」
その声があまりにも大きかったせいか、周りにいたクラスメイトたちがチラチラとこっちを見る。
「祈梨、ちょっとこっち来て!」
「えっ? ええっ」
明日香はわたしの手をつかんだまま教室を飛び出した。
人に体当たりするような勢いでずんずん進んで、廊下のすみっこでピタッと止まる。
「あ、明日香、一体どうしたの……?」
足を止めてからも黙ったままの明日香に、わたしはおそるおそる尋ねた。
すると明日香は、誰もいないのを確かめるようにあたりを見回してから、顔をくしゃりとゆがめる。
「あたし、誰かに……狙われてるかもしれない」
「え?」
目の前のはりつめた表情を見て、わたしは息を呑んだ。
これは……ただごとではない。
わたしが「何があったの?」と促すと、明日香は青白い顔でぽつぽつと話し出した。
「あたし、毎日晩ご飯を食べる前に近所を走り込みしてるの。昨日もいつも通り走ってたんだけど……そのとき、誰かがあたしのあとをついてきてたみたい」
「誰かって、誰?」
「分かんない。背後に気配だけがずっとあって……。でも、振り返ると誰もいないの。雑草だけがユラユラゆれてた。まるで、誰かがついさっきまでそこにいたみたいに」
わたしはその光景を思い浮かべてゾッとした。
気配はあるのに誰もいないって……すごく怖いよ。いっそのこと、姿が見えた方がまだマシかもしれない。
明日香も恐怖で顔を引きつらせて、先を続ける。
「走り込みのときは結局、それ以上何もなかったの。だけど夜、寝ようと思ってベッドに入ったら、変な音がした。コンコン、カツカツって……窓を叩く音」
「窓?」
「誰かが、あたしの部屋の窓を開けようとしてたんだよ! 家まで追ってきたの。誰かが……何かが!」
明日香の声は悲鳴に近かった。足がガクガクと震えていて、今にも倒れそうだ。
「落ち着いて。家族にそのことは話した?」
わたしは明日香を支えながら聞いた。すぐにショートカットの頭がこくりと揺れる。
「窓の音に気が付いたとき、あたし大声出しちゃったんだ。そしたら兄貴たちが飛んできてくれたから、わけを話したの。すぐに家族全員で家の周りを見て回ったけど……」
「怪しい人はいなかったのね」
「うん。今朝は兄貴たちが中等部の校門まで送ってくれた。そのときは誰かにつけられてる感じはしなかったよ。家族はみんな、あたしの話を信じてくれてる。だけどあたし自身、怪しいヤツの姿を見たわけじゃないし……これ以上家族に迷惑かけられない」
明日香はぎゅっと手を握りしめて、苦しそうな表情を浮かべた。身体が小刻みに震えている。
明らかに気分が悪そうだ。
「呪いだよ……祈梨。あたし、呪われちゃったんだ。昨日、使い魔が獲物を取るのを、邪魔しちゃったから……」
「あ……」
わたしの脳裏に、昨日見たカラスたちの姿が浮かんでくる。
使い魔、魔物の住む森――そして、呪い……。
「祈梨。あたし、あの中庭にはもう行かない。森にも近づきたくない。なんでこんなこと……に」
そこで明日香の声は不意に途切れた。小柄な身体が、ガクリと前のめりに倒れる。
「明日香?!」
明日香の身体を、わたしはかろうじて支えた。その顔はおどろくほど青白く、生気が全く感じられない。
「明日香! ちょっと明日香! しっかりして!」
数秒後。わたしの絶叫が、あたりに響き渡っていた。
あのあとすぐ、わたしの声を聞いて何人かの生徒が先生とともに駆けつけてくれた。
みんなの手で保健室にかつぎ込まれた明日香は、幸いなことに、ほどなくして意識を取り戻した。
保健の先生によると、倒れた原因は寝不足からくるめまい。たいしたことはないけど一応大事を取って、明日香は今、保健室のベッドで休んでいる。
放課後、担任の先生に言われて、わたしは明日香のカバンを保健室に運ぶことになった。
明日香のカバンには大きなクマさんのマスコットがついていて、すごく目立つ。それを胸に抱えて、廊下を歩く。
明日香、大丈夫かな。……いや、大丈夫なわけないよね。だってあんなに怖い目にあったんだもの……。
「おっと」
――ドン!
「い、いたた」
考え事をしていたら、突然、何かにぶつかった。顔から思いっきりいってしまい、涙目になる。
あ、あれ――このシチュエーション、前にもあったような……。
「大丈夫?」
目の前に立つ細身の長身。その右腕に輝く、赤い腕章。
「やあ、また会ったね、綾川祈梨さん」
「あっ、し、四方堂先輩!」
我らが生徒会長、四方堂先輩だった。このあいだ子猫の件でお世話になったとき、先輩にはわたしの名前を伝えてある。それをちゃんと覚えていてくれたみたい。
毎日何人もの生徒と顔を合わせているはずなのに、わたしみたいなヒラの一年生のことも忘れないでいてくれるなんて、嬉しいな。
「君、タロット占いができるんだってね」
そんなことを突然言われて、わたしは面食らった。
「な、何で知ってるんですか?」
「校内で有名になっているよ。君の占いはよく当たるって。才能があるんだね、きっと」
「そんなことないです。まだ修行中ですし」
「君の占いは、誰にも真似できない特技だと思う。僕も陰ながら、修行の応援をさせてもらうよ」
「はい。あ、ありがとうございます!」
うわぁー、四方堂先輩に、ほめられちゃった!
先輩ってやっぱり、とってもカッコイイ。女子が騒ぐのも納得だよ!
すっかり赤くなった頬を誤魔化すため、わたしは明日香のカバンで半分顔を隠した。ぶら下がっているクマのマスコットがゆらゆら揺れる。
「じゃあ、僕は失礼するよ。……またね、綾川さん」
「はい。さようなら先輩」
わたしはぺこりと頭を下げて、去っていく背中を見送った。
四方堂先輩は、十メートルほど先でファンの子たちにとり囲まれてしまった。あーあ、もみくちゃにされちゃって。人気者も大変だよね。
わたしは先輩と大勢の女子から目を離すと、再び廊下を歩き出した。
「失礼します」
たどり着いた保健室。扉をノックして、そっと開ける。
中にいたのは、わたしのおばあちゃんくらいの年齢の女の人だった。
保健室の鈴木先生だ。ふくよかな身体を白衣で包んでいて、優しそうな雰囲気が漂っている。
「一年A組の綾川祈梨です。あの、明日香……夏目さんのカバンを持ってきました」
「あら、どうもありがとう」
鈴木先生はお月さまのような丸い顔をほころばせた。そして部屋の片隅の、カーテンで区切られた場所を見やる。
「夏目さん、よく眠ってるわ。相当睡眠不足だったみたいね。もう少ししたら親御さんがここに迎えにくることになっているの。カバンを持ってきてくれて助かったわ」
先生の手で、少しだけカーテンが引かれた。見えたのは、白いパイプベッドに横たわっている明日香の姿だ。
「明日香……」
その寝顔は安らかとは言えなかった。何か怖い夢でも見ているのか、眉根をぎゅっと寄せ、苦しそうな表情をしている。
そのとき、わたしは唐突に思い出した。
昨日、自分を占ったときに引いたカード、『15・悪魔』。
意味は『恐怖』や『苦悩』だ。
明日香が倒れたとき、わたし、本当に心臓が止まるかと思った。カードが暗示していたのは、このことだったんだ……。
占いは的中した。本来は当たって嬉しいはずなのに、全然喜べない。
だって、今、一番怖い思いをしていて、苦しいのは明日香だ。
わたしは明日香に、一体何ができるだろう。何か……何か、してあげられないのかな。明日香の元気な笑顔を取り戻すために……。
『君の占いは、誰にも真似できない特技だと思う』
脳裏をよぎったのは、さっき四方堂先輩が言ってくれた言葉だ。
それで思い出した――わたしには、占いがある。
わたしの目標は、占いでみんなを幸せにすること。こんなところでグダグダ立ち止まってちゃダメだ!
「鈴木先生。明日香のこと、よろしくお願いします!」
わたしはそう告げてから、保健室を飛び出した。
