怪我を負った子猫は、教頭先生の手で学校からほど近い動物病院に運ばれた。
事情を知った四方堂先輩がすぐ職員室に駆け込み、先生方と連携を取りながら動物病院の手配などをすべてやってくれたのだ。
放課後、わたしと明日香が動物病院に駆けつけてみると、子猫はすっかり元気を取り戻していた。
みゃあ! と力強く鳴く姿を見たら、わたし、ホッとしてウルっときちゃった。
「あ、ねえ祈梨、この子寝ちゃったよ」
明日香が腕の中の子猫を見てささやいた。
何と、この子猫は、明日香の家で飼うことになったんだ!
明日香の家族は全員猫好きで、機会があれば飼いたいという話が出てたんだって。どう見ても野良猫だし、ちょうどよかった。
というわけで、今、動物病院から子猫を明日香の家に運んでいるところなの。
ちなみに、時ノ塔学園から明日香の家は徒歩で十五分くらいで、わたしの家もだいたいその近く。わたしは荷物持ちとして、明日香につきそっている。
「全体的に白くて、ちょこっと黒いブチがあるから、オセロっていう名前にしようっと」
明日香は腕の中のふわふわした塊をいとおしそうに見つめた。
たった今オセロと名付けられた子猫は、飼い主に抱かれてスヤスヤ眠っている。消毒用ガーゼをたくさん貼られているけど、特に苦しそうにしている様子はない。
「あー、無事でよかった~。これも四方堂センパイのおかげだよ。さすが生徒会長。もう大感謝!」
明日香はしみじみとそう言った。
わたしも同じことを思った。とりあえずカラスの襲撃からは助けられたけど、四方堂先輩がいなければ、怪我した猫を抱えてオロオロするだけだったかもしれない。
それに、先生方があれほど迅速に動いてくれたのも、四方堂先輩が直接かけ合ってくれたからだろう。
生徒のみんなだけはでなく、先生からの信頼が厚い先輩だからこそ、何もかもうまくいったんだよね、きっと。
「あーでも、四方堂センパイは、そろそろ生徒会長をやめちゃうのかぁ」
心底残念そうな顔で、明日香がそんなことを口にした。
「え、そうなの? 何で?」
「生徒会長の任期って、九月までなんだよ。そのあとは、下級生の中から新しい会長を選ぶの」
「あ、そうか」
そうだった。夏休みが明けたらすぐ生徒会選挙があるんだ。会長だけでなく、副会長や書記など、他のポストも一新される。
明日香は子猫のオセロをなでながら「うーん」とうなった。
「次の会長に立候補する人なんているのかなぁ。優秀な四方堂センパイのあとでしょ? なにかと比較されそうだよねぇ」
そう。現生徒会長である四方堂先輩は、温厚な性格で文武両道。加えて優しい面立ちにバランスのよい長身という、整った容姿をしている。
さらに、四方堂家の現在の主……つまり四方堂先輩のお父さんは、名前を上げれば誰でも知ってる大きな会社を経営しているんだ。
要するに、四方堂先輩は名門家の跡取りなの。
どこを取っても完璧なだけあって、当然、先輩にはファンがとっても多い。廊下を歩くだけで取り巻きの女子生徒に囲まれちゃうくらい。
おそらく、今の中等部で四方堂先輩ほど生徒会長にふさわしい人はいない。それだけに、次に会長になる人には相当プレッシャーがかかるだろうな……。
「立候補者がいなかったら、どうなるの?」
ふと疑問が湧いてきて、わたしは首を傾げた。明日香がすかさず答える。
「そのときは、今の会長の推薦で決まるんだよ。つまり、四方堂センパイが直々に、誰か一人を選んで指名するってわけ」
なるほど。それなら立候補が出なくても大丈夫そう。四方堂先輩が選んだ人なら、先輩と同じくらいしっかりしてるだろうし。
「明日香は学校のことよく知ってるよね。まだ入学して三か月なのに」
わたしが言うと、明日香は「当然だよ」と胸を張った。
「あたしの兄貴たちは時ノ塔の中等部出身だからね、あれこれ教えてもらったんだ~」
明日香は三人兄妹の末っ子。二人のお兄さんは時ノ塔学園の高等部に在籍している。ちなみに、わたしは一人っ子だ。
「祈梨だって、ある程度はうちの学校のこと聞いてるんじゃないの? 桐哉センパイに!」
「……え? 桐ちゃん?」
「そうそう。隣に住んでるんでしょ。話す機会なんていくらでもあるじゃん」
明日香に言われて、わたしは少し苦笑した。
「桐ちゃんとは、あまり余計な話はしないよ。自分の学校のことくらい自分で調べろって言われそう。それに最近は忙しそうだから、話しかけづらいっていうか……」
「あー、なんかこう、じれったいなぁ」
わたしの言葉は途中でさえぎられた。
口を挟んだ明日香は片手で子猫を抱き、開いた方の手でショートカットの髪をわしゃわしゃとかきむしる。
「祈梨は他の子の恋占いとかバンバンしやってるのに、自分自身のこととなるとこれだもんなぁ……」
「え、わたし自身のことって、何?」
わたしが問いかけると同時に、ちゃきちゃき動いていた明日香の足がピタリと止まった。いつの間にか、夏目家に着いていたみたい。
「祈梨、荷物持ってくれてありがと。家に上がってお茶したいところだけど、あたしこれから、お父さんに柔道の稽古つけてもらうことになってるんだよね」
眠っている子猫を右手で抱え直すと、明日香は開いている左手をわたしに差し出した。わたしは預かっていた荷物を渡す。
「じゃあまた明日ねー!」
そのままサッと身体をひるがえし、明日香は家の中へと入っていった。結局、わたしの問いかけはスルーされたままだ。
わたしは「ま、いっか」と呟いて、自分の家に向かってぽつぽつと歩き始めた。足を前に出しながら、一日を振り返る。
……波乱だらけの日だったなぁ。襲われている子猫を見たときは、呪いの噂を思い出してちょっと足がすくんじゃった。
でも、オセロが無事でよかった。最高の飼い主も見つかったしね。あ、四方堂先輩のすごさを間近で見られたのもよかったなぁ。
いろいろあったけど、万事オーケーだよね。
……多分。
「うん。なかなかいいんじゃない?」
ママの言葉を聞いて、わたしはホッと胸をなで下ろした。
リビングのテーブルを挟んで向かい合うわたしとママ。二人の間にあるのは、タロットカード。
仕事を終えて帰ってきたママが、晩ご飯のあと、わたしの占いを見てくれているのだ。
超売れっ子占い師のクリスタル・ミタマは、家に帰ってきて本名の珠代に戻っても、どこか不思議なオーラを保っている。
ママはね、とっても美人なんだ。おまけに、実際の年よりすごーく若く見える。わたしと並んで歩いてると、姉妹と間違えられちゃうくらいなんだよ。
小学校に上がったばかりのころ、わたしにタロットをすすめてくれたのがママだった。
ママはわたしにとって占いの師匠。タロット占いの基本的なことは、全部ママから教わった。
ちなみに、さっきママが言ってた『リーディング』っていうのは、『読み取り』って言う意味。出たカードが全体的に何を言っているのか、自分なりの言葉で解釈するの。
タロット占いは、ただカードを引くだけでは終わらない。このリーディングが一番大事なことになる。
リーディングはまず、カード一枚一枚の意味を知るところから始まるの。そして、そのカードがスプレッドのどの位置に出ているかでおおよその意味が決まる。
たとえいい意味のカードが出たとしても、それがスプレッドで『今後の課題』を表す位置に出たら、『注意事項』に変わったりする。
カードの意味とスプレッド、この二つが基本かな。カードだけでも七十八枚あるし、スプレッドにもいろいろ種類がある。
まだまだタマゴのわたしは、やっとカードの意味を覚えたところ。一口にリーディングといっても、とっても奥が深いんだ。
師匠であるママのやり方は『ひたすら実践』。
ママをお客さんに見立て、出てきたカードをわたしが読み取って、リーディングがうまくできているかどうかコメントをもらうのがいつもの練習方法なんだ。
「ねぇママ。どうしたら、もっとすんなりリーディングできるようになるかな」
わたしは最近の悩みを口にした。
カードの意味はそこそこ覚えたけど、スプレッドと組み合わせたときに、どう読み取ればいいか分からなくなっちゃうことがあるんだよね。
そういうときは、開いたカードを前に「うーん」と悩んじゃって、占っている相手を待たせることになる。
「そうね。一つアドバイスするとしたら――直感とひらめきを大事にしなさい、ってことかしら」
ママは静かに言った。
「ひらめきや直感……?」
「そうよ。カードをパッと見て、思い浮かぶ気持ちを大事になさい。カードにはいろいろ意味があるけど、結局は最初に受け取ったイメージが一番の正解なの」
直感? パッと見て、思い浮かぶ気持ち?
うーん、それって、どういうことだろう。言葉がふわふわしてて、いまいちピンとこないなぁ。
「はー。難しいね」
思わず溜息が出た。ママはそんなわたしを見て優雅に笑う。
「このあたりは経験を積むうちに分かるようになるわ。祈梨なら大丈夫よ。ママ、祈梨の直感はとっても冴えてると思うの」
「そうかなぁ」
「ええ。ほら、祈梨って地図を見るのは苦手なのに、なんとなくカンで道を歩いても迷子にならないでしょう? 冴えてる証拠よ。それにね……」
そこでふっと、ママの肩の力が抜けた。
何だか懐かしいものを思い出しているような、優しい顔になる。
「パパも言ってたわ。祈梨はときどき、びっくりするくらいカンがいいって」
「パパが?」
「それでママは確信したの。カンのいい祈梨にはタロット占いの素質がある……ってね。祈梨にタロットをすすめたのは、パパの言葉があったからなのよ」
わたしのパパは、もうこの世にいない。
三年前、わたしがまだ小学生のときに、膵臓ガンという病気にかかって天国に行ってしまった。
わたしには、パパと交わした大事な約束がある。
その約束をしたのは、パパが亡くなる少し前のことだ。パパはガンが悪化して、長い間入院してた。その日はママがお仕事で、わたしは一人でお見舞いに行ったんだ。
パパは優しい声で「おいで」とわたしを呼ぶと、そのままぎゅうっと抱きしめてくれた。
ガンがあちこちに転移していて、もうあんまりご飯が食べられない状態だったパパの身体はおどろくほどやせ細っていたけど、抱きしめる腕の力は強くて頼もしかった。
……今思えば、多分、パパは無理をして力を入れてたんだよね。
「祈梨。パパは祈梨が生まれてきてくれて、本当に嬉しい。祈梨が元気にしているだけで、とても幸せなんだよ」
パパはわたしを抱きしめながら言った。
病気で苦しいはずなのに、腕にたくさん点滴の跡をつけているのに、それでも笑ってた。
「これからもみんなを……ママを、幸せにしてやってくれ」
その台詞には、パパの想いがぎゅっと詰まっている気がした。抱きしめられた腕の中で、わたしは夢中でうなずいた。
それから数日後、パパは静かに息を引き取った。
――みんなを幸せに。
わたしは、パパとの大事な約束を守りたい。
いつの日かきっと立派な占い師になって、わたしの占いでみんなを幸せにするんだ……。
「祈梨。パパのこと、思い出しちゃったかしら?」
懐かしい記憶にひたっていたわたしを現実に引き戻したのは、ママの声だった。
「うん。でも大丈夫だよ」
パパが死んだあと、わたしは悲しくて、しばらく泣いてばかりいた。ママにはずいぶん心配かけちゃった。
だけど、もう大丈夫。わたしの心には、パパとの約束があるもん。
「ママ。わたし、もっとリーディングの練習がんばるね!」
改めて決意表明をする。ママはそんなわたしを見て、にっこりとうなずいた。
「リーディングの練習をするなら数をこなすこと。ママもできるだけ相手になるけど、他の人にも協力してもらわなきゃね。お隣の桐哉くんにも頼んでみたら?」
「え、桐ちゃん……?」
頭の中に桐ちゃんの姿が浮かんできた。
想像の中でも、桐ちゃんは気難しい顔をしている。きっと占いの相手なんて頼んだら、不機嫌そうに断られちゃうだろうな。昨日みたいに……。
「祈梨、どうしたの? 桐哉くんと何かあったの?」
ママが不思議そうにわたしを見つめている。
あ、桐ちゃんの不機嫌顔がうつっちゃってたかも。
「ううん、何でもないよ。ただ桐ちゃんは最近、一段と不愛想……じゃなくて、勉強で忙しいみたい……」
「あらあら」
「明日香とか、クラスの友達とかに頼んでみるね」
「うふふ、がんばりなさい。じゃあ、ママはそろそろお風呂に入ってくるわ」
ママはクスクス笑いながらそう言ったあと、立ち上がった。気付けば、時刻はすでに夜の十時にさしかかっている。
「お仕事のあとなのに、わたしの占い見てくれてありがと、ママ」
「明日も学校でしょう。占いの練習もほどほどに……ね?」
リビングから出ていくママを見送ってから、わたしは再びテーブルの上のカードに向き直った。
よし、最後にもう一回だけリーディングの練習をしよう! 占うのは、わたし自身。占う内容は……。
「明日の運勢にしよっかな」
テーブルの上に散らばったカードをまとめなおす。シンプルにカード一枚で占おう。
わたしは、深呼吸、お祈り、シャッフルといつも通りの手順をこなし、裏向きのまま一枚だけ引いたカードをゆっくりと表に返した。
「あれっ……?」
一瞬、カードが真っ黒に見えた。異様な感じがして、思わず身体を引く。
しばらくして、ドキドキする胸を押さえながら、もう一度カードをよく見なおした。
「15・悪魔……」
わたしの手の中で、角の生えた獣のような悪魔が、不気味にこちらを見ている。
カードの意味は『恐怖』。そして『苦悩』。
リーディングの直後、嫌な予感が足元から駆けあがってきた。
おそろしい悪魔が、わたしを狙っているような気がした。
