翌日、昼休み。
わたしはお弁当を持って、小走りで外に出た。校庭を突っ切り、校舎とは独立して建っている図書館棟の脇を抜けると、やがて目の前に小さな広場が現れる。
そこで待っていた明日香に向かって、手を振った。
「ごめん。お待たせ、明日香」
「ううん、いいって。お弁当食べよ!」
わたしと明日香は広場に一つだけあるベンチに並んで座り、お弁当のフタを開けた。
この場所はとっても静かで、学校の中でもお気に入りの場所なの。ゆっくりできるから、雨が降ってなければだいたいここでお弁当を食べるんだ。
「教室で占いしてたんだよね? どうだった?」
明日香がおいしそうな卵焼きをフォークでえいっと突き刺しながら聞いてきた。
「喜んでもらえたと思う。またよろしくねって言われたから」
いつもは四時間目が終わるとすぐ明日香と一緒に教室を出るんだけど、今日はクラスの子から占いをしてほしいって頼まれて、わたしだけその場に残ったんだ。
「頼られまくってるじゃん。さすが未来の大占い師!」
「えへへ、そうだといいけど」
「またまた照れちゃって。祈梨の占いって、最近学校内で人気になってるよ~」
わたしや明日香や桐ちゃんが通っているのは、『時ノ塔学園』っていう私立の学校の中等部。
他に高等部と大学が併設されていて、それらが広い土地にまとまって建っている。
わたしたちの通う中等部には、大きな本校舎と図書館棟、プール付きの体育館、そして木造の別校舎があった。
今いるこの場所は図書館と木造校舎に挟まれた小ぢんまりとした場所で、『中庭』って呼ばれてるんだ。
位置関係を順番に言うと、本校舎→校庭→図書館棟→今いる中庭→木造校舎、ということになるのかな。
「あー、お弁当おいしかった! ここ、誰もいないからゆっくりできていいよね」
わたしの隣で、一足先にお弁当を平らげた明日香がうーんと背伸びをする。
「本当に、誰もいないよね、ここ」
わたしもお弁当を食べ終えて、あたりをきょろきょろ見回した。
中庭は教室三つ分くらいの広さで、ちょうど真ん中あたりに噴水がある。噴水の前には男の人を象った銅像があって、これが芸術的でオシャレなんだよね。それに、もう七月なのに、日陰になっていてとっても涼しい。
にもかかわらず、人っ子一人いないんだ。時ノ塔学園に入学してから三か月。ほぼ毎日ここに来てるけど、誰かがいるのを見かけたのはほんの数回しかない。
「あー。ここにあんまり人が寄り付かないのって、多分、あの『噂』のせいだと思う。時ノ塔学園にはね……二つの不思議な噂があるんだよ」
明日香の声色が急に変わった。それでわたしは、ピンときた。
「それって、いわゆる『学校の怪談』みたいな話?」
「うーんまぁ、近いかなぁ」
明日香はわたしの方にスッと顔を近づけた。笑顔から神妙な顔つきに切り替えて、ぽつぽつと話し出す。
「不思議な噂の一つは――クロノス様。あの人のことだよ」
明日香の人差し指が前に向けられた。
指し示された方向にあったのは、噴水前のあの銅像だ。なんかオシャレだなぁとは思ってたけど、そんなカッコイイ名前がついてたんだね。
「クロノス様っていうのは、時の神様の名前だよ。困ったときにあの像にお願いすると、助けにきてくれるんだって」
「え、助けるって、どうやって? アレ、ただの銅像だよね……?」
「甘いよ祈梨。あれは神様の像だからね。すごいパワーを発揮するんでしょ。クロノス様はあたしたちを助けてくれるヒーローなんだよ!」
明日香の瞳がキラキラ輝いている。
そういえば明日香って、日曜の朝にやってる戦隊ヒーローものの特撮が大好きだったんだ。クロノス様を、その特撮ヒーローと重ね合わせてるんだろうなあ。
怪談だと思って身構えてたけど、ちょっと拍子抜け……。
「祈梨。今の話、たいしたことないなぁって思ってるでしょ」
心を見透かされているようなツッコミが飛んできた。わたしの鼻先に、明日香の人差し指がちょんと突き付けられる。
「二つ目の噂はガチで怖いよ。何せ『呪い』が出てくるんだから! ほら、そこに木造校舎があるでしょ。あの建物だけ、他と比べてやたら古ぼけてると思わない?」
「そういえば……そうだね」
時ノ塔学園は割と新しい学校で、創立は十年前。だから校舎や設備は、まだとってもキレイ。
それなのに、目の前にある木造校舎だけは、やたらと年季が入っているように見える。
「時ノ塔学園が建つ前……戦争をしてたころの話だけど、ここには小学校があったの。でも、終戦してすぐ廃校になっちゃったんだって。で、十年ちょっと前に時ノ塔学園が建ったわけ。そのとき古い建物はほとんど取り壊したんだけど、あの木造校舎は軽くリフォームしただけで、そのまま残してあるみたい」
明日香の説明を聞きながら、わたしは改めて目の前をながめる。
木造校舎は三階建てで、形はほぼ直方体だ。その直方体の上に、ごく小さい箱のようなものがもう一つくっついている。
ティッシュ箱の上に小さなサイコロをのっけたみたいな形かな。そのちょこんと飛び出たサイコロの部分には、丸い時計が一つはめ込まれている。
「見て、祈梨。あの木造校舎の裏手、森になってるでしょ?」
明日香に言われるまま、視線を少し遠くに向ける。
古ぼけた校舎の向こうに、樹々が生い茂る森が見えた。前に先生から聞いた話によれば、そこも時ノ塔学園の敷地の一部なんだけど、わたしは足を踏み入れたことがない。
それどころか、森の手前にある木造校舎にも入ったことがないんだけどね。
「あの森には『魔物が住んでる』って言われてるの」
明日香の口から物騒な言葉が出てきて、わたしは顔をしかめた。
「魔物……?」
「そう。森の魔物は、ときどきこのへんに手下の『使い魔』を飛ばすんだよ。使い魔は、仕留めた獲物を魔物のボスところに運ぶの。もし、その使い魔の仕事を邪魔したら……」
「――呪われちゃうってことね」
「その通り! さすが祈梨。察しがいいねー」
明日香はパチンと指を鳴らした。
この中庭は、怖い噂のある森と近い。下手にウロウロしていたら、使い魔と出会って呪われてしまうかもしれない。だからいつも、あまり人がいないのね……。
「ちょっと祈梨、顔、真剣すぎ!」
木造校舎や森をながめて考え込んでいたわたしの横で、話を振ってきた当の本人が「あはは」と笑った。
「単なる噂だよ。怪談っぽく話したけど、あたし実は、このテの話って半信半疑なんだよね。あぁ、でもクロノス様の噂は信じてる。ちょっとカッコイイし……って、あれ?」
突然、明日香の動きがピタリと止まる。
「変な音が聞こえる……」
敏感な聴覚が、何かを捉えたみたい。
耳に手を当てて極限まで耳澄ます明日香のために、わたしはなるべく無音を保った。
「やっぱり聞こえる。っていうかこれ、もしかしてヤバいかも!」
明日香は座っていたベンチから勢いよく立ち上がった。お弁当箱をその場に残したまま、鉄砲玉みたいに駆け出す。
「えっ、ちょっと、待って明日香!」
もちろんわたしも走り出した。だけど……。
「ああ、明日香、待って。足、早すぎるよ~!」
木造校舎を回り込み、森の入り口までたどり着いた。もう完全に息が上がってるし、足がもつれそうだ。
「うわっ」
突然、強い風にあおられる。
足を取られそうになって立ち止まると、十メートルくらい先に明日香の姿が見えた。
――バサッバサッ!
――ニャァァ……。
――カァァ~! カァァァァ~ッ!
立ちすくむわたしの耳に、風を切るような音が届く。甲高くて鋭い声も混じっていた。それに加えて、か細い鳴き声も……。
慌てて目を凝らすと、明日香が立っているさらに先。土がむきだしになった地面に、白っぽくてふわふわしたものがヨロヨロとはいつくばっている。
猫だ! ちょっと遠目だけど、多分、まだ子猫。
――ビュン!
その子猫に向かって、空から黒い塊が突進してきた。小さな身体の横すれすれをかすめ、再び上昇する。
塊の正体は……真っ黒なカラスだった。
全部で三羽。三つの黒い塊が、地面にいる子猫に次々と襲いかかる。
「あっ、危ない!」
一羽のカラスが子猫に向かって急降下して、わたしは思わず身をすくめた。が、幸いにも攻撃が外れ、黒い影は再び舞い上がる。
よく見ると子猫の身体はすでに傷だらけで、血が滲んでいた。何度かカラスたちのアタックを喰らってしまったみたい。
「ニャァァ……」
弱々しく鳴いている子猫は、まだ両手に乗るくらい小さかった。それに比べて、カラスは大人が一抱えするほどの大きさだ。
このままじゃ、とってもマズい! そうこうしている間にも、またカラスたちが子猫めがけて……。
「こらあぁぁっ、カラスたち! やめなさあぁぁ~い!」
間一髪のところで黒い鳥たちの動きを制したのは、明日香の一喝だった。
突然飛び込んできた人間の姿に、カラスたちはバサバサと羽音を立てながら右往左往している。
しかし、ひるんだのは一瞬のことだった。三羽のカラスはすぐに体勢を立て直し、鋭いくちばしを再び子猫の方へ向ける。
「やめなさいって言ってるでしょ!」
明日香は近くに落ちていた棒きれを拾うと、カラスたちに向かって構えた。それをひらりと振って、一気に駆け出す。
カラスは顔の前に棒を突き付けられ、あわてて離れた位置まで飛んで逃げた。
ひらりひらり。
棒を動かすたびに、明日香の制服のスカートが跳ね上がる。
さすがは運動神経抜群の明日香だ。カラスは三羽とも子猫から離れ、カァカァ鳴きながら上空を飛び回っている。的確に先手を取られ、大混乱しているように見えた。
「よっしゃ、今だ。え~いっ!」
明日香は振り回していた棒をカラスに向かって投げつけると、舞い散る黒いの羽をかいくぐり、地面でヨロヨロしている子猫を拾い上げた。
「カアァァァーッ! カアァァァアッー!」
カラスたちの泣き声が鋭くなる。せっかく仕留めようとした獲物を取られて、怒っているのだろう。
って、ん? 獲物……?
『使い魔は、仕留めた獲物を魔物のボスところに運ぶの。もし、その使い魔の仕事を邪魔したら……』
さっきの明日香の話が頭の中によみがえってきた。
あのカラスたちは、もしかして、使い魔?
じゃあ、その使い魔の仕事を邪魔したら……。
「祈梨、逃げるよ!」
大声がわたしの思考をさえぎった。
明日香が片腕に傷ついた子猫を抱き、もう片方の手でわたしを引っ張っている。
「分かった! 逃げよう!」
わたしはうなずいて森に背を向けた。
頭の中にあった不気味な想像は一気に吹き飛んだ。明日香と、その腕の中の子猫と一緒に、走り出す。
それからは一切後ろを振り返らなかったし、止まらなかった。転ばないように、足元だけを見ながら、走る、走る、走る!
「おっと」
――ドンッ。
しかしわたしの猛ダッシュは、突然『何か』にはばまれた。その何かに顔から突っ込んでしまい、目から火花が出る。
「君。大丈夫?」
優しい声に顔を上げると、目の前に人が立っていた。
わたしより頭一つぶん背が高い。半袖の白シャツと、黒いズボンを身に着けている。
同じ学校の男子生徒だ。どうやらわたしは、全力でこの人にぶつかってしまったみたい。
「す、すみません……!」
「いや。僕は平気だよ。君の方は、怪我はない?」
目の前の人は、穏やかな声でそう言って、わたしに微笑みかけた。
整った顔立ち。少し色素の薄い、サラサラの髪。ボタンをきっちり上まで止めた制服の着こなし。そして、右腕につけられた赤い腕章。
この人は、確か……。
「しっ、四方堂センパイ!」
わたしの隣で、明日香がすっとんきょうな声をあげた。
そうだ。この人は、四方堂司先輩。
わたしたちより二学年上の三年生で、時ノ塔学園中等部の生徒会長を務めている。腕についている赤い腕章は、うちの学校に代々伝わる『生徒会長の証』なの。
「何だか騒がしかったから、ちょっと様子を見にきたんだけど……」
そうつぶやくと、四方堂先輩はいったん言葉を切った。そして、明日香の腕の中にいる、弱った子猫に目を留める。
「何かあったみたいだね。――僕にできることがあれば、力になるよ」
