翌日、エリザベスは気持ちになんとか折り合いをつけて普通の日々の生活に戻ろうとしていた。りんごの受粉の作業が終わったら自分は本当にここを出なければならなくなる。作業が始まる前に家を探しておかなければ。エリザベスはビッグスに町の不動産屋に来てもらえるように手配をたのんだ。
ところが昼を過ぎると、本当にシルヴィがやってきた。人を訪問するには時間が早すぎるが、ロード・シルヴィはそんなことはお構いなしだった。エリザベスは朝、摘み取った春の最後の薔薇から大量に花を取ってハーブオイルを作る作業をしていた。こちらも爵位を持った女性がするようなことではなかったが、エリザベスの作るハーブオイルはとてもいい香りで評判が良く、ここ数年、いろいろなところから譲ってほしいと依頼が来るようになっている。しかし、自分の周りに配る以上のものは今の収穫量ではとてもできそうになくて、断りの手紙を何通も書かねばならなかった。
エリザベスと手伝いのメイド二人が薔薇の花びらや葉をばらばらにしてとる作業をしている部屋の隅で、シルヴィはビッグスに椅子を持ってこさせ、それを飽きもせずずっと眺めている。メイドの二人はシルヴィと視線が合うと顔を見合わせてくすくす笑うのだが、エリザベスはこわばった顔でシルヴィなどまるで存在しないかのように作業に集中していた。
「そんな怖い顔して作ったオイルはどんな香りがするんだろうな」
シルヴィがからかう。エリザベスはシルヴィの方を一瞥したが、何も言わずに作業を続けた。
「君たちのご主人様はいつもこうか? デイジー?」
何も答えないエリザベスをからかうのをやめてシルヴィはデイジーに矛先を向けた。デイジーはちょっと驚きはしたが、「そんなことございません。いつもはとてもほがらかでいらっしゃいます」と答えた。
「ではどうしてあんなに怖い顔をしているのだろうね?」
「こちらに男性がいらっしゃることなんて、そうそうありませんもの。戸惑っていらっしゃるのですわ」
「戸惑う? 何をいまさら…私たちは一緒に森の泉まで行った仲だというのに」
その発言にエリザベスは飛び上がった。
「ロード・シルヴィ。ちょっとこちらに」
エリザベスは真っ赤になってシルヴィを部屋から連れ出した。
部屋を出たテラスの先で、エリザベスはシルヴィに問いただした。
「どうしてあんなことを! 噂になりますわ。それとも私をメイドの前で辱めて楽しんでいらっしゃるの?」
シルヴィはにこにこして言った。
「まさか。辱めるなど……楽しんではいるが」
楽しんではいる? 楽しんではいるですって? エリザベスは本当に頭に血が上ってどうにかなりそうだった。けれど、一度深く呼吸をしてなんとか自分を取り戻そうとした。
「どうか、どうかもうロンドンにお帰りください。ここにいらっしゃっても、することがなくて退屈されているのでしょう?」
「昨日は勝手にしろと言ったではないか」
「確かにそうですわ。けど、ロンドンの外務省からはここ宛てで今朝も電報が来ていましたわ。ご覧になったでしょう?」
シルヴィがここを出て行ったことを知らない電信局の局員は今朝、ここに電報を持って来ていた。
「君が心配することではない」
シルヴィは取り合わなかった。
こうして意地悪を言っている間も、シルヴィの憎たらしいほどハンサムな顔が笑っている。一方で、自分の胸はどうにかなりそうなほど痛い。こんなの不公平だわ。
「散歩に行くが、君も行くか?」
シルヴィが手を差し出した。エリザベスは首を振った。
「ではまたのちほど」
シルヴィは庭に続く小径を歩いて行った。エリザベスはなんだか楽しそうなその後姿を見ながらテラスの柱にもたれかかった。
こんなに人の気持ちをかき乱しておいて。何を考えているのか全くわからない。そうまでしてここにいる理由は何?
彼はただ単純にレドナップに勝ちたいだけ? ピアソン卿に言われて仕方なくこんなところまでやってきて、別にたいした興味もなかったが、自分を目の前でレドナップに取られるのは彼のプライドが許さないのだ。
本当にがっかりだわ。ロード・シルヴィがそんな人だったなんて。
エリザベスはこの先、彼が自分の気持ちを知ることは決してないだろうと思った。
夕方、本当の訪問時間に今度はレドナップがやってきた。
「ちょっと顔を見によっただけです」
とレドナップは言ったが、エリザベスのすぐ後ろに立っているシルヴィとにらみ合っているのはなんとも妙な具合だ。
仕方がないので、エリザベスは自分から庭仕事に出ると宣言した。出来れば少し手伝ってほしいとも。庭に引いている小川の上に架けてある板の橋が朽ちかけているので、誰かが落ちないうちに新しいものに替える必要があった。そんな仕事は使用人がやることだが、この二人はどうせ暇をもてあましている。少しぐらい体を動かしたって良いはずだ。
ところが、エリザベスが二人を伴って庭先に出ようとした時、執事のビッグスがホールの入り口に大急ぎで走っていくのが見えた。
「何事?」
エリザベスが独りごとのようにいいながらホールに向かうと、まだ7、8歳と見える少女がエリザベスの足元に倒れこんだ。
「お嬢さま……お嬢さま……お願いです」
少女はエリザベスも良く知っている領地の小作人、エマーソンの家の長女だった。エマーソンの家はここから4マイルはある。少女ははだしで服は泥だらけだった。きっとここまで草原の中を走ってきたのだ。
「あなたエマーソンの家の……メアリ・ルー? どうしたの?」
ビッグスがそばで顔をしかめている。「これこれ、こんなところまで入ってきては……」
「すみません。すみません。お願いがあってきました」
息も絶え絶えに少女が言った。
「弟が……弟が病気なんです。熱がすごくて、体に発疹が……」
「発疹? どんな?」
エリザベスが少女に手を貸して立たせようとした時、すぐ後ろに立っていたレドナップが「あっ!」と声を上げた。
メアリ・ルーの首の後ろから背中に、小さな発疹が見えていた。
「天然痘かもしれませんよ……ここにいさせるのは…」
レドナップがそう言ったのをエリザベスは静止するように小さく首を振り、手に持っていた庭仕事用の手袋をはめた。
「水疱瘡かもしれませんわ。ルアーブルの辺りで流行していると先週新聞に出ていました。メアリ・ルー、あなたの弟はいつから悪いの?」
「おとといの夜、突然、熱が出始めて、顔にも発疹が出て……」
「じゃあ、熱と一緒に発疹が出たの?」
「そうです」
エリザベスはレドナップとシルヴィの方を一度振り返ったが、エリザベスが何を言おうとしているのかはどちらにもわかっていないようだった。エリザベスは少女をホールの床に座らせたまま、おさげの髪を持ち上げて背中を覗き込み、また少女の手足を観察した。
「あなたの弟はたくさん発疹が出てる?」
「ええ。顔はそれほどでもないけど、背中と胸とかおなかとか……」
「手や足はどう?」
「出てるけど体ほどじゃないです」
「エリザベス。医者を呼びにやったほうがいい」
シルヴィが言った。
「今、ゴールドバーグ先生はいらっしゃらないんです。大陸の方にご旅行中だとかで。だから私、お嬢様に熱を下げる草を分けていただこうと思って。お屋敷にはたくさんあるって、村の皆が言ってたから……」
メアリ・ルーは自分の熱で苦しそうだった。きっと必至でここまで走ってきて、自分が発病してるのに気づかなかったのだろう。
「ゴールドバーグ先生は町でたった一人のお医者様なんです」
エリザベスはシルヴィとレドナップに説明するように言った。
「いらっしゃらないなら仕方がないわね。いいわ。じゃあミルブルックのお医者様を呼んできましょう。ビッグス、誰かミルブルックまで馬車をやってダレン先生を連れてきて。それからこの子を家に連れて帰るから、もう一台表に回して頂戴」
「エリザベス。彼女の家は親戚か何かですか? そこまでする必要が……」
レドナップは天然痘を疑っているためか口にハンカチを当てたままだった。
「レドナップさんは水疱瘡はされていないのですか? だったらお帰りになったほうがいいわ。ロード・シルヴィも」
エリザベスは冷たく言い放った。実際、ここで帰ってもらった方がいい。
「なぜ水疱瘡だと思うのだ」
シルヴィが訊ねた。
「過去に1度だけですけど、天然痘にかかった人を見たことがあります。天然痘はもっと大きな発疹が出ると思うんです。うちの領地の人間にはほとんど種痘を受けさせていますし、それに熱と発疹が一緒に出るのは水疱瘡だと、以前昔読んだ本にありましたわ。私はお医者様ではないので、本当のところはわかりませんけど」
「それにしたって、医者まで呼んでやることは……」
レドナップが言ったのを皆がとがめるように見た。
「うちの領地で病気が広まるくらいなら、お医者様を呼ぶくらい何でもありません」
エリザベスはそう言って、毛布を抱えてきた下男にメアリ・ルーを任せた。レドナップの言ったことには確かに一理ある。自分はもうここの主人ではないのだから、本当はジョンにどうするか聞くべきだ。もしカミラが知ったら、きっと追い返しただろう。けれど、メアリ・ルーは自分を頼ってきた。何か言われたら、自分が支払いをするからと言うしかない。
エリザベスはそばにいた侍女のベネに屋敷に置いてある薬草棚から煎じ薬を用意させ、ビッグスには他に水疱瘡の疑いのある人間がいないか、村に誰かをやって確認してくるように言った。一緒にいたシルヴィとレドナップには「すみませんが、今日は失礼させていただきます」と言ったきり、ハーブを煎じる準備をはじめた。
レドナップとシルヴィはいつの間にかいなくなっていた。エリザベスは彼らがいなくなったのに気づいていなかった。というより、彼らはまるで逃げるように屋敷から出て行ったのだ。おそらく。
水疱瘡なんかに恐れをなすなんて……エリザベスは作業をしながらおかしくなって笑った。
その後、エリザベスが出来上がった煎じ薬のポットを持ってエマーソンの家へ行くと、さっき屋敷にやってきたメアリ・ルー、弟のビリー、それにその下の弟のショーン、おまけに父親のスターンまでもが床に伏せっていた。特にスターンは具合が悪いらしく、熱もひどいようだ。妻のエマは看病疲れでやつれていたが、エリザベスが入っていくと非常に申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「すみません。お嬢様。やめるように言ったんですが、ビリーの具合が悪い上に、お医者様もいらっしゃらないし、ビリーとショーンの二人でうちにあった薬草は使ってしまって…」
「そんなことはいいのよ。それより、スターンもなの?」
エリザベスはポットをエマに渡した。
「ええ、メアリ・ルーが帰ってきた後に悪くなり始めて……まさか水疱瘡にかかってなかったなんて知らなかったんです。私はビリーの年のころにやってしまいましたから。スターンもそうかと…」
エマとスターンはローウェルの領地のこの村で育った。エリザベスも子供の頃から知っている。
「ポットの中は朝と夕方だけのんでね。気休めみたいなものだけど、のどと熱は少し楽になるかも知れないわ。けど、おなかが下りやすくなるから、飲みすぎないで」
「ありがとうございます。お嬢様、実はさっき、ダレン先生も来てくださって……」
「ミルブルックのダレン先生?」
ミルブルックまでは馬車を飛ばしても1時間はかかる。どうしてそんなに早く来られたのか、エリザベスには理解できなかった。
「ええ。電報を受け取ったからって。差出人の名前がロード・S・グロブナーになっていたと。それで……」
ロード・シルヴィ!
「それで?」
「先生に診て頂いて、やっぱり水疱瘡だって言われました。安静にしてるしかないって。お薬もいただきました。その後、グロブナー卿のお遣いの方がダレン先生に銀貨を渡されていました」
エリザベスは耳を疑った
「グロブナー卿も一緒にいらっしゃったの?」
エマは首を振った。
「いいえ。お遣いの御者の方だけです。グロブナー卿は緊急の用事で鉄道でロンドンに戻られたとか。お嬢様には言わないでほしいといわれたそうです」
「グロブナー卿が?」
「はい。けど、そんなわけにはいかないと思って…」
エリザベスは大きくため息をついた。
「そう……教えてくれてありがとう。」
帰った。ロンドンへ。あれほど私が勧めても動こうとしなかったのに……まるで関心の無いようなフリをしておいて。
ところが昼を過ぎると、本当にシルヴィがやってきた。人を訪問するには時間が早すぎるが、ロード・シルヴィはそんなことはお構いなしだった。エリザベスは朝、摘み取った春の最後の薔薇から大量に花を取ってハーブオイルを作る作業をしていた。こちらも爵位を持った女性がするようなことではなかったが、エリザベスの作るハーブオイルはとてもいい香りで評判が良く、ここ数年、いろいろなところから譲ってほしいと依頼が来るようになっている。しかし、自分の周りに配る以上のものは今の収穫量ではとてもできそうになくて、断りの手紙を何通も書かねばならなかった。
エリザベスと手伝いのメイド二人が薔薇の花びらや葉をばらばらにしてとる作業をしている部屋の隅で、シルヴィはビッグスに椅子を持ってこさせ、それを飽きもせずずっと眺めている。メイドの二人はシルヴィと視線が合うと顔を見合わせてくすくす笑うのだが、エリザベスはこわばった顔でシルヴィなどまるで存在しないかのように作業に集中していた。
「そんな怖い顔して作ったオイルはどんな香りがするんだろうな」
シルヴィがからかう。エリザベスはシルヴィの方を一瞥したが、何も言わずに作業を続けた。
「君たちのご主人様はいつもこうか? デイジー?」
何も答えないエリザベスをからかうのをやめてシルヴィはデイジーに矛先を向けた。デイジーはちょっと驚きはしたが、「そんなことございません。いつもはとてもほがらかでいらっしゃいます」と答えた。
「ではどうしてあんなに怖い顔をしているのだろうね?」
「こちらに男性がいらっしゃることなんて、そうそうありませんもの。戸惑っていらっしゃるのですわ」
「戸惑う? 何をいまさら…私たちは一緒に森の泉まで行った仲だというのに」
その発言にエリザベスは飛び上がった。
「ロード・シルヴィ。ちょっとこちらに」
エリザベスは真っ赤になってシルヴィを部屋から連れ出した。
部屋を出たテラスの先で、エリザベスはシルヴィに問いただした。
「どうしてあんなことを! 噂になりますわ。それとも私をメイドの前で辱めて楽しんでいらっしゃるの?」
シルヴィはにこにこして言った。
「まさか。辱めるなど……楽しんではいるが」
楽しんではいる? 楽しんではいるですって? エリザベスは本当に頭に血が上ってどうにかなりそうだった。けれど、一度深く呼吸をしてなんとか自分を取り戻そうとした。
「どうか、どうかもうロンドンにお帰りください。ここにいらっしゃっても、することがなくて退屈されているのでしょう?」
「昨日は勝手にしろと言ったではないか」
「確かにそうですわ。けど、ロンドンの外務省からはここ宛てで今朝も電報が来ていましたわ。ご覧になったでしょう?」
シルヴィがここを出て行ったことを知らない電信局の局員は今朝、ここに電報を持って来ていた。
「君が心配することではない」
シルヴィは取り合わなかった。
こうして意地悪を言っている間も、シルヴィの憎たらしいほどハンサムな顔が笑っている。一方で、自分の胸はどうにかなりそうなほど痛い。こんなの不公平だわ。
「散歩に行くが、君も行くか?」
シルヴィが手を差し出した。エリザベスは首を振った。
「ではまたのちほど」
シルヴィは庭に続く小径を歩いて行った。エリザベスはなんだか楽しそうなその後姿を見ながらテラスの柱にもたれかかった。
こんなに人の気持ちをかき乱しておいて。何を考えているのか全くわからない。そうまでしてここにいる理由は何?
彼はただ単純にレドナップに勝ちたいだけ? ピアソン卿に言われて仕方なくこんなところまでやってきて、別にたいした興味もなかったが、自分を目の前でレドナップに取られるのは彼のプライドが許さないのだ。
本当にがっかりだわ。ロード・シルヴィがそんな人だったなんて。
エリザベスはこの先、彼が自分の気持ちを知ることは決してないだろうと思った。
夕方、本当の訪問時間に今度はレドナップがやってきた。
「ちょっと顔を見によっただけです」
とレドナップは言ったが、エリザベスのすぐ後ろに立っているシルヴィとにらみ合っているのはなんとも妙な具合だ。
仕方がないので、エリザベスは自分から庭仕事に出ると宣言した。出来れば少し手伝ってほしいとも。庭に引いている小川の上に架けてある板の橋が朽ちかけているので、誰かが落ちないうちに新しいものに替える必要があった。そんな仕事は使用人がやることだが、この二人はどうせ暇をもてあましている。少しぐらい体を動かしたって良いはずだ。
ところが、エリザベスが二人を伴って庭先に出ようとした時、執事のビッグスがホールの入り口に大急ぎで走っていくのが見えた。
「何事?」
エリザベスが独りごとのようにいいながらホールに向かうと、まだ7、8歳と見える少女がエリザベスの足元に倒れこんだ。
「お嬢さま……お嬢さま……お願いです」
少女はエリザベスも良く知っている領地の小作人、エマーソンの家の長女だった。エマーソンの家はここから4マイルはある。少女ははだしで服は泥だらけだった。きっとここまで草原の中を走ってきたのだ。
「あなたエマーソンの家の……メアリ・ルー? どうしたの?」
ビッグスがそばで顔をしかめている。「これこれ、こんなところまで入ってきては……」
「すみません。すみません。お願いがあってきました」
息も絶え絶えに少女が言った。
「弟が……弟が病気なんです。熱がすごくて、体に発疹が……」
「発疹? どんな?」
エリザベスが少女に手を貸して立たせようとした時、すぐ後ろに立っていたレドナップが「あっ!」と声を上げた。
メアリ・ルーの首の後ろから背中に、小さな発疹が見えていた。
「天然痘かもしれませんよ……ここにいさせるのは…」
レドナップがそう言ったのをエリザベスは静止するように小さく首を振り、手に持っていた庭仕事用の手袋をはめた。
「水疱瘡かもしれませんわ。ルアーブルの辺りで流行していると先週新聞に出ていました。メアリ・ルー、あなたの弟はいつから悪いの?」
「おとといの夜、突然、熱が出始めて、顔にも発疹が出て……」
「じゃあ、熱と一緒に発疹が出たの?」
「そうです」
エリザベスはレドナップとシルヴィの方を一度振り返ったが、エリザベスが何を言おうとしているのかはどちらにもわかっていないようだった。エリザベスは少女をホールの床に座らせたまま、おさげの髪を持ち上げて背中を覗き込み、また少女の手足を観察した。
「あなたの弟はたくさん発疹が出てる?」
「ええ。顔はそれほどでもないけど、背中と胸とかおなかとか……」
「手や足はどう?」
「出てるけど体ほどじゃないです」
「エリザベス。医者を呼びにやったほうがいい」
シルヴィが言った。
「今、ゴールドバーグ先生はいらっしゃらないんです。大陸の方にご旅行中だとかで。だから私、お嬢様に熱を下げる草を分けていただこうと思って。お屋敷にはたくさんあるって、村の皆が言ってたから……」
メアリ・ルーは自分の熱で苦しそうだった。きっと必至でここまで走ってきて、自分が発病してるのに気づかなかったのだろう。
「ゴールドバーグ先生は町でたった一人のお医者様なんです」
エリザベスはシルヴィとレドナップに説明するように言った。
「いらっしゃらないなら仕方がないわね。いいわ。じゃあミルブルックのお医者様を呼んできましょう。ビッグス、誰かミルブルックまで馬車をやってダレン先生を連れてきて。それからこの子を家に連れて帰るから、もう一台表に回して頂戴」
「エリザベス。彼女の家は親戚か何かですか? そこまでする必要が……」
レドナップは天然痘を疑っているためか口にハンカチを当てたままだった。
「レドナップさんは水疱瘡はされていないのですか? だったらお帰りになったほうがいいわ。ロード・シルヴィも」
エリザベスは冷たく言い放った。実際、ここで帰ってもらった方がいい。
「なぜ水疱瘡だと思うのだ」
シルヴィが訊ねた。
「過去に1度だけですけど、天然痘にかかった人を見たことがあります。天然痘はもっと大きな発疹が出ると思うんです。うちの領地の人間にはほとんど種痘を受けさせていますし、それに熱と発疹が一緒に出るのは水疱瘡だと、以前昔読んだ本にありましたわ。私はお医者様ではないので、本当のところはわかりませんけど」
「それにしたって、医者まで呼んでやることは……」
レドナップが言ったのを皆がとがめるように見た。
「うちの領地で病気が広まるくらいなら、お医者様を呼ぶくらい何でもありません」
エリザベスはそう言って、毛布を抱えてきた下男にメアリ・ルーを任せた。レドナップの言ったことには確かに一理ある。自分はもうここの主人ではないのだから、本当はジョンにどうするか聞くべきだ。もしカミラが知ったら、きっと追い返しただろう。けれど、メアリ・ルーは自分を頼ってきた。何か言われたら、自分が支払いをするからと言うしかない。
エリザベスはそばにいた侍女のベネに屋敷に置いてある薬草棚から煎じ薬を用意させ、ビッグスには他に水疱瘡の疑いのある人間がいないか、村に誰かをやって確認してくるように言った。一緒にいたシルヴィとレドナップには「すみませんが、今日は失礼させていただきます」と言ったきり、ハーブを煎じる準備をはじめた。
レドナップとシルヴィはいつの間にかいなくなっていた。エリザベスは彼らがいなくなったのに気づいていなかった。というより、彼らはまるで逃げるように屋敷から出て行ったのだ。おそらく。
水疱瘡なんかに恐れをなすなんて……エリザベスは作業をしながらおかしくなって笑った。
その後、エリザベスが出来上がった煎じ薬のポットを持ってエマーソンの家へ行くと、さっき屋敷にやってきたメアリ・ルー、弟のビリー、それにその下の弟のショーン、おまけに父親のスターンまでもが床に伏せっていた。特にスターンは具合が悪いらしく、熱もひどいようだ。妻のエマは看病疲れでやつれていたが、エリザベスが入っていくと非常に申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「すみません。お嬢様。やめるように言ったんですが、ビリーの具合が悪い上に、お医者様もいらっしゃらないし、ビリーとショーンの二人でうちにあった薬草は使ってしまって…」
「そんなことはいいのよ。それより、スターンもなの?」
エリザベスはポットをエマに渡した。
「ええ、メアリ・ルーが帰ってきた後に悪くなり始めて……まさか水疱瘡にかかってなかったなんて知らなかったんです。私はビリーの年のころにやってしまいましたから。スターンもそうかと…」
エマとスターンはローウェルの領地のこの村で育った。エリザベスも子供の頃から知っている。
「ポットの中は朝と夕方だけのんでね。気休めみたいなものだけど、のどと熱は少し楽になるかも知れないわ。けど、おなかが下りやすくなるから、飲みすぎないで」
「ありがとうございます。お嬢様、実はさっき、ダレン先生も来てくださって……」
「ミルブルックのダレン先生?」
ミルブルックまでは馬車を飛ばしても1時間はかかる。どうしてそんなに早く来られたのか、エリザベスには理解できなかった。
「ええ。電報を受け取ったからって。差出人の名前がロード・S・グロブナーになっていたと。それで……」
ロード・シルヴィ!
「それで?」
「先生に診て頂いて、やっぱり水疱瘡だって言われました。安静にしてるしかないって。お薬もいただきました。その後、グロブナー卿のお遣いの方がダレン先生に銀貨を渡されていました」
エリザベスは耳を疑った
「グロブナー卿も一緒にいらっしゃったの?」
エマは首を振った。
「いいえ。お遣いの御者の方だけです。グロブナー卿は緊急の用事で鉄道でロンドンに戻られたとか。お嬢様には言わないでほしいといわれたそうです」
「グロブナー卿が?」
「はい。けど、そんなわけにはいかないと思って…」
エリザベスは大きくため息をついた。
「そう……教えてくれてありがとう。」
帰った。ロンドンへ。あれほど私が勧めても動こうとしなかったのに……まるで関心の無いようなフリをしておいて。
