薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――


そんなある日の帰り道。

財布の中身を思い浮かべながら歩いていると、ふと宝くじ売り場が目に入った。

普段なら、絶対に立ち止まらない。

宝くじなんて、当たるわけがない。

数百円あるなら、食パンを買う。卵を買う。

私なら、そうする。

なのに、その日はなぜか通り過ぎられなかった。

一度は売り場の前を通り過ぎたものの、数歩進んだところで足を止め、振り返る。

「……何してるんだろ」

自分でも分からない。

それなのに、気づけば売り場の前に立っていた。

人生を変えたい。

そんな大袈裟なことを考えていたわけでもない。

ただ、このまま同じ道を歩いていった先に何があるのか。それを考えるのが、少し嫌になったのかもしれない。

ほんの少しだけ。

今とは違う道を選んでみたくなった。

それだけだった。

買ったのは、一口。

ロト7。

その券を財布にしまって――私は、買ったことすら忘れた。



それからしばらく経った、バイト帰り。

見覚えのある宝くじ売り場の前を通りかかった時だった。

「あ……」

足が止まる。

そういえば、確認していない。

財布の中を探すと、ロト7の券はきちんと残っていた。

こんな生活をしていても、こういうところだけは妙に几帳面らしい。

どうせ外れている。

そう思いながら、売り場で確認をお願いした。

女性が券を見る。

画面を見る。

そして、もう一度券を見る。

……何だろう。

少し長い。

「あの?」

声をかけると、その人はゆっくりと顔を上げ、なぜか声を潜めた。

「……当たっています」

「はい?」

聞き間違えたかと思った。

「こちらの案内に従ってください」

差し出された紙を受け取る。

「ここでは……分からないんですか?」

「詳しくはこちらでお願いします」

「……はあ」

よく分からない。

ただ、言われるままに紙を持ち帰った。

そして翌日。

そこに書かれていた銀行へ行き、そこで初めて――私は、自分が買った一口が何だったのかを知った。

ロト7。

一等。

キャリーオーバー。

約十二億円。

「…………」

説明を聞いた。

もう一度聞いた。

それでも、意味がよく分からなかった。

十二億円。

私が?

普通なら、歓喜の舞でも踊るのだろうか。

椅子から飛び上がるとか、泣くとか、叫ぶとか。

けれど実際の私は、何もしなかった。

「こちらをご確認ください」

「はい」

「今後のお手続きですが――」

「はい」

「こちらでよろしいですか?」

「分かりました」

驚くほど淡々としていた。

自分でも、ちょっと笑えるくらいに。

たぶん、まだ自分のことだと思えていなかったのだ。

目の前に並んだ数字も、振り込まれたお金も、どこか知らない人の口座を見せられているような感覚だった。

ゼロが多い。

数えてみる。

途中で分からなくなって、もう一度数える。

やっぱり多い。

それでも、現実味だけがどこにもなかった。



手続きが終わり、銀行を出る。

外へ出た瞬間、少し湿り気を残した風が頬を撫でた。

顔を上げると、朝まで降っていた雨はもう止んでいて、厚い雲の切れ間から青空が覗いている。

また。

五月晴れだ。

濡れた街に、眩しいくらいの陽射しが落ちていた。

私は歩道の端で立ち止まり、眼鏡越しに空を見上げる。

「……十二億円」

小さく口にしてみた。

嬉しいのか。

怖いのか。

まだ分からない。

ただ、今までずっと霧の中にいた私の目の前に、突然、道が現れたような気がした。

明日の食費を心配しなくていい。

来月の家賃を計算しなくていい。

二か月後、自分がどうやって生きているのかを怯えなくていい。

その事実だけが、少しずつ、本当に少しずつ胸の奥へ染み込んでくる。

人生って、何があるか分からない。

本当に、この先に何が起こるかなんて、誰にも分からないんだ。

だったら。

「人生、やり直してやる」

小さく呟いた。

でも、すぐに違う気がした。

やり直すんじゃない。

過去は消えないし、あったことをなかったことにも出来ない。

だったら――ここからだ。

ここから先は、私が選ぶ。

今まで誰かに好き勝手に変えられてきた私の人生を、今度は自分で決める。

そう思って、歩き出した。

まだ何をするのかも、どこへ向かうのかも、何ひとつ決まっていなかった。

それなのに、少しだけ、本当に少しだけ、身体が軽かった。

しばらく歩いたところで、ふと視界の端に一枚の看板が入る。

『澤登法律事務所』

通り過ぎかけた足が止まった。

「……法律事務所」

別に、弁護士を探していたわけじゃない。

相談したいことがあったわけでもない。

これから何をしたいのかさえ、まだ分からない。

それなのに、なぜかその看板から目が離せなかった。

ロト7を買った、あの日と同じだった。

頭で考えるより先に、足がそちらへ向いていた。

なぜ、そこへ入ったのか。

この時の私には、本当に分からなかった。

ただ――あとになって思う。

あの日。

十二億円を手にしたことよりも。

あの扉を開けたことの方が――。

私の人生を、大きく変えたのだと。