紬の必死の抗議が響き渡った管理部のフロアは、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
佐藤も鈴木も高橋も、そして隣の藤沢先輩さえも、瀬尾の出方を伺うように息を呑んで硬直している。
紬は肩を上下に揺らしながら、真っ正面から瀬尾を睨みつけたままでいた。
手のひらにはじんわりと嫌な汗が滲み、激しい怒りの裏側で、心臓が壊れた時計のように早く脈打っている。
しかし、瀬尾の黒縁メガネの奥にある瞳には、動揺の欠片も一切浮かんでいなかった。
彼は紬の激しい剣幕に怯むどころか、ひどく退屈な数式でも眺めているかのように、冷ややかな視線を紬の顔に固定している。
そして、驚くほど綺麗な指先で持っていた薄型タブレットを、紬のデスクの空いているスペースへ静かに置いた。
「木下さん、でしたね」
瀬尾は低く、抑揚のない声で呟いた。その丁寧な口調がかえって、紬への明確な一線を引いているように感じられて冷たい。
「あなた方の言う『血の通った努力』や『現場のやり方』という言葉は、非常に耳障りが良くて素晴らしいと思います」
瀬尾はそう言って、ほんの少しだけ口元を歪めてみせた。
だが、その一重の瞳には一切の笑みがなく、むしろ冷徹な光だけが鋭さを増していく。
「ですが、それはただの感傷であり、ビジネスにおける職務放棄の言い訳に過ぎません」
「なっ……職務放棄って、どういうことですか!?」
紬が思わず一歩詰め寄ると、瀬尾は視線だけでそれを制し、淡々とロジックを紡ぎ続けた。
「回らないのはシステムのせいじゃない。あなたたちの仕事の進め方が、あまりにも前時代的だからです」
瀬尾は手元のタブレットの液晶画面を、その綺麗な指先でコツンと軽く叩いてみせた。
黒縁メガネの奥の瞳は、感情を一切排したまま、真っ直ぐに紬の視線を受け止めている。
「佐藤さんの接待費にしても、高橋さんの演出費にしても、事前にアベニールへ根拠となる市場データや費用対効果の予測値をインプットしておけば、自動却下されることなどありませんでした」
一分の隙もない、冷徹で圧倒的な正論。
その場にいた佐藤や高橋、そして営業部のメンバーたちが、痛いところを突かれたように気まずそうに視線を泳がせる。
「それを怠り、今まで通り『経理課が融通を利かせてくれるから大丈夫』と高を括っていたから、今こうしてパニックを起こしている」
瀬尾はそこで言葉を区切ると、ふっと静かに、皮肉な笑みを唇の端に浮かべてみせた。
それは現場の甘えをすべて見透かしているような、残酷なほどスマートな眼差しだった。
「違いますか?」
「それは……」
紬は言葉に詰まった。瀬尾の指摘は、ぐうの音も出ないほど圧倒的な正論だった。
五十人の中堅商社だから許されていた甘えを、彼は容赦なく暴いていく。
「アベニールは日東ライフスタイル商事が次の時代を生き抜くために導入された、完璧な最適解のシステムです」
瀬尾はそう言うと、手元のタブレットを胸元に引き寄せ、冷淡な一重の瞳で紬を見下ろした。
彼のネイビーのスーツには、シワ一つ刻まれていない。
「これまでの無駄な手作業や身内の忖度を全て排除し、最も効率的なルートを提示しています。仕事が回らないと泣き言を言う前に、ご自身の頭をアップデートしてください」
静かで、滑らかで、一切の感情が通っていない敬語。だからこそ、放たれる言葉の一つ一つが、紬の心へ容赦なく突き刺さっていく。
「機械のスピードに、人間の脳を追いつかせてください」
瀬尾はそこで言葉を区切ると、黒縁メガネの奥の瞳を冷たく細めてみせた。
その場にいる佐藤や鈴木、高橋たち営業部員も、彼の放つ圧倒的な正論の威圧感に完全に呑まれ、声を失っている。
「それができないのなら、あなたがここにいる意味はありません。非常に迷惑です」
それは、昨日講堂で室井統括部長が静かに告げた言葉そのものだった。瀬尾はその冷徹な思想を、現場の紬たちに冷酷に突きつけてきたのだ。
「……っ!」
あまりの言い草に、紬の視界が怒りで真っ赤に染まった。悔しさと屈辱で、奥歯がガタガタと震える。
今すぐこの男の胸ぐらでも掴んで、現場の人間がどれだけ必死にこの会社を支えてきたかを叫びたかった。
しかし、完璧な正論の前に、紬の唇からは何の言葉も出てこなかった。
「用件は以上です。システムの不具合ではないので、僕は戻ります。アベニールの指示通りに処理を終わらせてください」
瀬尾は冷たく言い放つと、デスクの上のタブレットを滑らかに拾い上げ、一瞥もくれずに踵を返した。
彼のスーツが翻り、スマートな後ろ姿が自動ドアの向こうへと消えていく。
フロアには、取り残された紬たちの絶望的な沈黙だけが残されていた。佐藤は力なく項垂れ、鈴木は壊れた人形のように画面を見つめている。
「紬ちゃん、ごめんね。俺たちが無理を言ったせいで、とんだとばっちりを受けさせちゃって……」
佐藤が申し訳なさそうに声をかけてくるが、紬は「いいえ……」と返すのが精一杯だった。隣で藤沢先輩が、紬の強張った肩を優しくさすってくれる。
紬は自分のデスクに両手を強く突き、ただ下を向いていた。液晶画面の隅で、アベニールのロゴが冷酷に白く明滅している。
『なによ、あいつ……!』
最悪の男・瀬尾蓮への激しい怒りと、塗り替えられてしまった日常への深い絶望。
紬の心の中に、AIには絶対に計算できない最大の「バグ」の種が植え付けられた。
佐藤も鈴木も高橋も、そして隣の藤沢先輩さえも、瀬尾の出方を伺うように息を呑んで硬直している。
紬は肩を上下に揺らしながら、真っ正面から瀬尾を睨みつけたままでいた。
手のひらにはじんわりと嫌な汗が滲み、激しい怒りの裏側で、心臓が壊れた時計のように早く脈打っている。
しかし、瀬尾の黒縁メガネの奥にある瞳には、動揺の欠片も一切浮かんでいなかった。
彼は紬の激しい剣幕に怯むどころか、ひどく退屈な数式でも眺めているかのように、冷ややかな視線を紬の顔に固定している。
そして、驚くほど綺麗な指先で持っていた薄型タブレットを、紬のデスクの空いているスペースへ静かに置いた。
「木下さん、でしたね」
瀬尾は低く、抑揚のない声で呟いた。その丁寧な口調がかえって、紬への明確な一線を引いているように感じられて冷たい。
「あなた方の言う『血の通った努力』や『現場のやり方』という言葉は、非常に耳障りが良くて素晴らしいと思います」
瀬尾はそう言って、ほんの少しだけ口元を歪めてみせた。
だが、その一重の瞳には一切の笑みがなく、むしろ冷徹な光だけが鋭さを増していく。
「ですが、それはただの感傷であり、ビジネスにおける職務放棄の言い訳に過ぎません」
「なっ……職務放棄って、どういうことですか!?」
紬が思わず一歩詰め寄ると、瀬尾は視線だけでそれを制し、淡々とロジックを紡ぎ続けた。
「回らないのはシステムのせいじゃない。あなたたちの仕事の進め方が、あまりにも前時代的だからです」
瀬尾は手元のタブレットの液晶画面を、その綺麗な指先でコツンと軽く叩いてみせた。
黒縁メガネの奥の瞳は、感情を一切排したまま、真っ直ぐに紬の視線を受け止めている。
「佐藤さんの接待費にしても、高橋さんの演出費にしても、事前にアベニールへ根拠となる市場データや費用対効果の予測値をインプットしておけば、自動却下されることなどありませんでした」
一分の隙もない、冷徹で圧倒的な正論。
その場にいた佐藤や高橋、そして営業部のメンバーたちが、痛いところを突かれたように気まずそうに視線を泳がせる。
「それを怠り、今まで通り『経理課が融通を利かせてくれるから大丈夫』と高を括っていたから、今こうしてパニックを起こしている」
瀬尾はそこで言葉を区切ると、ふっと静かに、皮肉な笑みを唇の端に浮かべてみせた。
それは現場の甘えをすべて見透かしているような、残酷なほどスマートな眼差しだった。
「違いますか?」
「それは……」
紬は言葉に詰まった。瀬尾の指摘は、ぐうの音も出ないほど圧倒的な正論だった。
五十人の中堅商社だから許されていた甘えを、彼は容赦なく暴いていく。
「アベニールは日東ライフスタイル商事が次の時代を生き抜くために導入された、完璧な最適解のシステムです」
瀬尾はそう言うと、手元のタブレットを胸元に引き寄せ、冷淡な一重の瞳で紬を見下ろした。
彼のネイビーのスーツには、シワ一つ刻まれていない。
「これまでの無駄な手作業や身内の忖度を全て排除し、最も効率的なルートを提示しています。仕事が回らないと泣き言を言う前に、ご自身の頭をアップデートしてください」
静かで、滑らかで、一切の感情が通っていない敬語。だからこそ、放たれる言葉の一つ一つが、紬の心へ容赦なく突き刺さっていく。
「機械のスピードに、人間の脳を追いつかせてください」
瀬尾はそこで言葉を区切ると、黒縁メガネの奥の瞳を冷たく細めてみせた。
その場にいる佐藤や鈴木、高橋たち営業部員も、彼の放つ圧倒的な正論の威圧感に完全に呑まれ、声を失っている。
「それができないのなら、あなたがここにいる意味はありません。非常に迷惑です」
それは、昨日講堂で室井統括部長が静かに告げた言葉そのものだった。瀬尾はその冷徹な思想を、現場の紬たちに冷酷に突きつけてきたのだ。
「……っ!」
あまりの言い草に、紬の視界が怒りで真っ赤に染まった。悔しさと屈辱で、奥歯がガタガタと震える。
今すぐこの男の胸ぐらでも掴んで、現場の人間がどれだけ必死にこの会社を支えてきたかを叫びたかった。
しかし、完璧な正論の前に、紬の唇からは何の言葉も出てこなかった。
「用件は以上です。システムの不具合ではないので、僕は戻ります。アベニールの指示通りに処理を終わらせてください」
瀬尾は冷たく言い放つと、デスクの上のタブレットを滑らかに拾い上げ、一瞥もくれずに踵を返した。
彼のスーツが翻り、スマートな後ろ姿が自動ドアの向こうへと消えていく。
フロアには、取り残された紬たちの絶望的な沈黙だけが残されていた。佐藤は力なく項垂れ、鈴木は壊れた人形のように画面を見つめている。
「紬ちゃん、ごめんね。俺たちが無理を言ったせいで、とんだとばっちりを受けさせちゃって……」
佐藤が申し訳なさそうに声をかけてくるが、紬は「いいえ……」と返すのが精一杯だった。隣で藤沢先輩が、紬の強張った肩を優しくさすってくれる。
紬は自分のデスクに両手を強く突き、ただ下を向いていた。液晶画面の隅で、アベニールのロゴが冷酷に白く明滅している。
『なによ、あいつ……!』
最悪の男・瀬尾蓮への激しい怒りと、塗り替えられてしまった日常への深い絶望。
紬の心の中に、AIには絶対に計算できない最大の「バグ」の種が植え付けられた。
