「――朝からずいぶんと賑やかですね。オフィスは市場の競り会場ではありませんよ」
低く、しかし冷徹なまでに透き通った声が、騒然としていた管理部のフロアの空気を一瞬で切り裂いた。
紬が弾かれたように自動ドアのほうを振り向くと、そこに一人の男が静かに佇んでいた。
瀬尾蓮、二十八歳。
新設されたDX改革推進本部のシステム主任であり、室井統括部長が直々に外部から引き抜いた、デジタル分野のスペシャリストだった。
細身で長身の身体には、仕立てのいいネイビーのスマートなセットアップがシワ一つなく美しく馴染んでいる。
黒縁のメガネの奥にある涼しげな一重の瞳は、まるでバグだらけの古いプログラムを見るかのように、眉ひとつ動かさずに経理課の面々を見つめていた。
その手には、最新の薄型タブレットが握られていた。
彼がフロアに一歩足を踏み入れただけで、エアコンの冷気が急に強まったかのように、場の空気がピキッと凍りつくのが分かった。
「あ、瀬尾主任! ちょうどいいところに!」
佐藤が救世主を見つけたと言わんばかりに、丸い身体を揺らしながら瀬尾のほうへと詰め寄った。
「このアベニールってシステム、マジでどうなってるんだよ。朝から俺の接待費の申請が全部ロックされちゃってさ」
佐藤は手元の書類の束を、瀬尾に見せるように大きく突き出してみせた。
「これじゃツクバカメラさんとの次の商談に行けないんだよ。経理の紬ちゃんに頼んでも『手動じゃ直せない』って言うし、システム側から強制的に解除してくれない?」
佐藤の必死の泣きつきに対し、瀬尾は歩調を一切変えず、スマートに紬のデスクの前まで歩み寄ってきた。
かすかに人工的なシトラスの香りが、ピリピリとしたフロアの空気に混ざる。
彼は佐藤の顔を見ることもせず、手元のタブレットの画面を白い指先で軽快にフリックした。
「佐藤さん。あなたが昨夜入力されたお取引先との飲食費ですが、アベニールのアルゴリズムが『過去三期における当該取引先からの受注額に対し、費用対効果が極めて低い不適切な支出』と判定しています」
スマートな黒縁メガネの位置を指先で小さく直し、瀬尾は淡々と、しかし容赦のない事実を告げた。
ディスプレイのバックライトが、彼の整った横顔を冷たく照らしている。
丁寧な敬語ではあるが、その声には一切の感情が通っていなかった。
「なっ……何言ってるんだよ! お付き合いってのはそういう計算だけじゃないだろ! 相手の常務さんも喜んでくれてたんだぞ!」
佐藤が絶句する横から、今度は寝不足の鈴木が悲痛な声を上げた。
「瀬尾さん、僕の自動タスクの件もマジで勘弁してくださいよ! 深夜二時に土日稼働の指示がスマホに飛んでくるなんて、あきらかにおかしいですって!」
瀬尾は今度は鈴木のほうへ冷たい視線を向けた。
「鈴木さん。EC市場のアクセス解析データによれば、今週末の競合他社のセール動向と我が社の在庫状況が完璧に噛み合うポイントは、その時間帯しかありませんでした」
瀬尾は手元のタブレットの画面を軽くフリックし、淡々とした口調で、しかし拒絶を許さないトーンで言葉を重ねた。
「アベニールはあなたを苦しめるためにタスクを送ったのではなく、売上を最大化するための最短ルートを提示しただけです」
淀みのないスマートなロジック。
鈴木は自分のスマホを握りしめたまま、ぐうの音も出ないというように口元を強張らせ、ただ立ち尽くしている。
「なぜそれを『非効率な個人の感情』で拒絶されるのか、僕には理解できません」
「ちょっと、瀬尾さん! 現場には現場のやり方や、長年培ってきた繋がりの形があるんです!」
あまりにも現場を人間扱いしない冷酷な正論の連発に、紬は気づけば、瀬尾に向かって正面から声を張り上げていた。
いつもなら誰に何を言われてもNOと言えない、お人好しで事なかれ主義な自分が、怒りで完全に吹き飛んでいた。
藤沢先輩の後ろから一歩前に踏み出し、瀬尾のデスクの前に立ちはだかる。
「アベニールの計算がどれだけ正確か知りませんけど、私たちは機械のパーツじゃありません」
紬の必死の抗議に対し、瀬尾は初めて、その黒縁メガネの奥の瞳で、紬の顔を真っ正面からじっと見つめた。
管理部のフロアが一瞬で水を打ったように静まり返り、隣の藤沢先輩がハラハラとした表情で紬のカーディガンの袖をそっと引く。
しかし紬は引かなかった。瀬尾の冷たい瞳に、目を逸らすことなく、真っ向から強い視線をぶつけ返した。
低く、しかし冷徹なまでに透き通った声が、騒然としていた管理部のフロアの空気を一瞬で切り裂いた。
紬が弾かれたように自動ドアのほうを振り向くと、そこに一人の男が静かに佇んでいた。
瀬尾蓮、二十八歳。
新設されたDX改革推進本部のシステム主任であり、室井統括部長が直々に外部から引き抜いた、デジタル分野のスペシャリストだった。
細身で長身の身体には、仕立てのいいネイビーのスマートなセットアップがシワ一つなく美しく馴染んでいる。
黒縁のメガネの奥にある涼しげな一重の瞳は、まるでバグだらけの古いプログラムを見るかのように、眉ひとつ動かさずに経理課の面々を見つめていた。
その手には、最新の薄型タブレットが握られていた。
彼がフロアに一歩足を踏み入れただけで、エアコンの冷気が急に強まったかのように、場の空気がピキッと凍りつくのが分かった。
「あ、瀬尾主任! ちょうどいいところに!」
佐藤が救世主を見つけたと言わんばかりに、丸い身体を揺らしながら瀬尾のほうへと詰め寄った。
「このアベニールってシステム、マジでどうなってるんだよ。朝から俺の接待費の申請が全部ロックされちゃってさ」
佐藤は手元の書類の束を、瀬尾に見せるように大きく突き出してみせた。
「これじゃツクバカメラさんとの次の商談に行けないんだよ。経理の紬ちゃんに頼んでも『手動じゃ直せない』って言うし、システム側から強制的に解除してくれない?」
佐藤の必死の泣きつきに対し、瀬尾は歩調を一切変えず、スマートに紬のデスクの前まで歩み寄ってきた。
かすかに人工的なシトラスの香りが、ピリピリとしたフロアの空気に混ざる。
彼は佐藤の顔を見ることもせず、手元のタブレットの画面を白い指先で軽快にフリックした。
「佐藤さん。あなたが昨夜入力されたお取引先との飲食費ですが、アベニールのアルゴリズムが『過去三期における当該取引先からの受注額に対し、費用対効果が極めて低い不適切な支出』と判定しています」
スマートな黒縁メガネの位置を指先で小さく直し、瀬尾は淡々と、しかし容赦のない事実を告げた。
ディスプレイのバックライトが、彼の整った横顔を冷たく照らしている。
丁寧な敬語ではあるが、その声には一切の感情が通っていなかった。
「なっ……何言ってるんだよ! お付き合いってのはそういう計算だけじゃないだろ! 相手の常務さんも喜んでくれてたんだぞ!」
佐藤が絶句する横から、今度は寝不足の鈴木が悲痛な声を上げた。
「瀬尾さん、僕の自動タスクの件もマジで勘弁してくださいよ! 深夜二時に土日稼働の指示がスマホに飛んでくるなんて、あきらかにおかしいですって!」
瀬尾は今度は鈴木のほうへ冷たい視線を向けた。
「鈴木さん。EC市場のアクセス解析データによれば、今週末の競合他社のセール動向と我が社の在庫状況が完璧に噛み合うポイントは、その時間帯しかありませんでした」
瀬尾は手元のタブレットの画面を軽くフリックし、淡々とした口調で、しかし拒絶を許さないトーンで言葉を重ねた。
「アベニールはあなたを苦しめるためにタスクを送ったのではなく、売上を最大化するための最短ルートを提示しただけです」
淀みのないスマートなロジック。
鈴木は自分のスマホを握りしめたまま、ぐうの音も出ないというように口元を強張らせ、ただ立ち尽くしている。
「なぜそれを『非効率な個人の感情』で拒絶されるのか、僕には理解できません」
「ちょっと、瀬尾さん! 現場には現場のやり方や、長年培ってきた繋がりの形があるんです!」
あまりにも現場を人間扱いしない冷酷な正論の連発に、紬は気づけば、瀬尾に向かって正面から声を張り上げていた。
いつもなら誰に何を言われてもNOと言えない、お人好しで事なかれ主義な自分が、怒りで完全に吹き飛んでいた。
藤沢先輩の後ろから一歩前に踏み出し、瀬尾のデスクの前に立ちはだかる。
「アベニールの計算がどれだけ正確か知りませんけど、私たちは機械のパーツじゃありません」
紬の必死の抗議に対し、瀬尾は初めて、その黒縁メガネの奥の瞳で、紬の顔を真っ正面からじっと見つめた。
管理部のフロアが一瞬で水を打ったように静まり返り、隣の藤沢先輩がハラハラとした表情で紬のカーディガンの袖をそっと引く。
しかし紬は引かなかった。瀬尾の冷たい瞳に、目を逸らすことなく、真っ向から強い視線をぶつけ返した。
