「本日十五時より、全社員を対象とした緊急全社会議を行います。各自、業務を速やかに中断し、最上階の講堂へ集合してください」
午後に入ってすぐ、社内スピーカーから流れたアナウンスは、いつもと違ってどこか緊迫した響きを帯びていた。
フロア中のキーボードを叩く手が、一斉にピタリと止まる。
「緊急全社会議なんて、一体何かしら。今期の業績は悪くないはずだけど……」
隣の席で、藤沢先輩がパソコンの画面を見つめたまま、不穏そうに眉をひそめた。
そのとき、奥のガラス張りの部長室のドアが開き、事なかれ主義の大河内部長が出てきた。
いつもなら猫背で頼りない部長が、今日はさらに背中を丸め、額の汗をハンカチで何度も拭いながらソワソワとエレベーターホールへ向かっていく。
どうやら上層部から事前に何かしらの強い圧力を受けているのは間違いなかった。
経理課のフロアに、えも言われぬ冷たい緊張感がじわじわと広がっていく。
十五時。本社の最上階にある講堂は、五十人ほどの本社社員の熱気と、ざわざわとした不審な私語で埋め尽くされていた。
日東ライフスタイル商事は、自社工場を持たないファブレス形態の専門商社だ。
商品の製造自体は外部の協力工場に委託しているため、この本社ビルに籍を置くのは、管理部、営業部、開発部、マーケティング部を合わせても、全員の顔と名前が一致する五十人程度の人員である。
それだけに、全員が一堂に会した講堂の空気は、いつもよりずっと密度が高く、特有の息詰まるような緊張感があった。
ふと前方へ視線をやると、ステージのすぐ近くで、営業部のトップである鬼塚部長が腕を組んで仁王立ちしていた。
その斜め後ろには、朝一番に焼き立てのパンをくれた長谷川の姿もある。
いつもなら人懐っこい笑顔を浮かべている長谷川だが、今はいつになく真剣な、少し硬い表情で正面のプロジェクターを見つめていた。
「おい、噂を聞いたか? 本社に新しく経営企画の統括部長が引き抜かれてきたらしいぞ」
「外資系のコンサル出身で、過去にいくつもの老舗商社を大改革したキレモノだって話だ」
周囲の社員たちの囁き声が、狭い講堂の中で反響し、紬の耳に届く。そのとき、ステージの照明が一段と明るくなり、五十人のざわめきが一瞬で止んだ。
まずは日東ライフスタイル商事の丸井社長がマイクの前に立ち、少し重苦しい口調で語り始めた。
「皆さん、日々の業務お疲れ様です。我が社は今、ヒット商品に恵まれていますが、時代は急速に変革を求めています。老舗としての伝統を守りつつ、次世代の競争を勝ち抜くため、本日、強力なリーダーを迎えました」
社長は一度言葉を区切ると、眼鏡の位置を小さく直し、集まった五十人ほどの社員たちをゆっくりと見渡した。
講堂内は静まり返り、誰もが次の言葉を固唾を呑んで待っている。
「そのリーダーが、数々の企業改革を成功させてこられた、室井恭一郎氏です。本日付で、経営企画部兼DX改革推進本部の統括部長に就任していただきます。室井さん、お願いします」
社長の紹介を受け、数人の役員の最後尾から、壇上の中央へと歩みを進めてきた一人の男の姿に、紬は思わず息を呑んだ。
室井恭一郎、四十六歳。
仕立てのいいチャコールグレーの高級スーツを、シワ一つなく完璧に着こなし、一切の無駄を削ぎ落としたようなスマートな体躯。
冷徹な彫刻を思わせる整った容貌には、社員を歓迎するような笑みの欠片も一切ない。
眼鏡の奥にある切れ長の瞳は、集まった全社員を数値として値踏みするかのように、冷たく見下ろしていた。
彼がマイクの前に立った瞬間、講堂の空気がピキッと音を立てて凍りつくのが分かった。寄せ付けない圧倒的なエリートの威圧感。
これまでの、のどかだった日東ライフスタイル商事には絶対に存在しなかったタイプの人間だった。
「皆さん、お疲れ様です。ただいまご紹介に預かりました、室井です。このたび経営企画部 兼 DX改革推進本部の統括部長に着任いたしました」
低く、しかし驚くほど低音が響くよく通る声がマイクを通じて講堂全体に響き渡る。室井は形式的な挨拶もそこそこに、手元のタブレット端末を淡々と操作した。
すると、背後にある巨大なスクリーンに、我が社のリアルな財務データと、各部署のコスト算出グラフが凄まじい情報量で次々と映し出された。赤や黄色の警告色が、不気味に画面を染めていく。
「我が日東ライフスタイル商事は、近年の調理家電のヒットにより、一見すると順調な右肩上がりに見えるかも知れません」
室井は一度言葉を切ると、眼鏡の奥の切れ長の瞳で、冷然と社員一同を見下ろした。講堂内は水を打ったように静まり返り、エアコンの低い駆動音だけが響いている。
「ですが、経営の視点から見れば、それはただの危うい幻影に過ぎないのです」
室井の淡々とした、しかし確信に満ちた丁寧な声が、紬の耳に突き刺さる。隣に立つ藤沢先輩が、強張った表情でスクリーンを見つめているのが分かった。
「中身を開ければ、バックオフィスの前時代的な手作業による時間的無駄、営業部のどんぶり勘定な接待費、根拠のない予算申請。こうした非効率な人間特有のコストが、せっかくの利益を内側から貪り食っています」
冷酷なまでに突きつけられる、誰もが目を背けていた社内の「融通」という名の不合理。
紬は隣に立つ大河内部長をそっと盗み見たが、部長は室井の放つ威圧感に完全に呑まれ、ただ青い顔をして何度も小さく首を縦に振ることしかできていなかった。
「今、ここで痛みを伴う大鉈を振らなければ、我が社は五年以内に確実に沈むことになります」
室井の丁寧で冷酷な正論が、講堂を逃げ場のない完全な絶望で満たしていく。誰もが自分のこれまでの仕事を真っ向から否定されたようなショックで、声を失っていた。
冷徹な静寂が講堂を支配するなか、室井の切れ長の目が、ゆっくりと社員一同を射抜くように見据えた。
「本日、私がここへ立ったのは、皆さんを脅すためではありません。我が社が生き残るための、唯一にして絶対の『未来』を提示するためなのです」
午後に入ってすぐ、社内スピーカーから流れたアナウンスは、いつもと違ってどこか緊迫した響きを帯びていた。
フロア中のキーボードを叩く手が、一斉にピタリと止まる。
「緊急全社会議なんて、一体何かしら。今期の業績は悪くないはずだけど……」
隣の席で、藤沢先輩がパソコンの画面を見つめたまま、不穏そうに眉をひそめた。
そのとき、奥のガラス張りの部長室のドアが開き、事なかれ主義の大河内部長が出てきた。
いつもなら猫背で頼りない部長が、今日はさらに背中を丸め、額の汗をハンカチで何度も拭いながらソワソワとエレベーターホールへ向かっていく。
どうやら上層部から事前に何かしらの強い圧力を受けているのは間違いなかった。
経理課のフロアに、えも言われぬ冷たい緊張感がじわじわと広がっていく。
十五時。本社の最上階にある講堂は、五十人ほどの本社社員の熱気と、ざわざわとした不審な私語で埋め尽くされていた。
日東ライフスタイル商事は、自社工場を持たないファブレス形態の専門商社だ。
商品の製造自体は外部の協力工場に委託しているため、この本社ビルに籍を置くのは、管理部、営業部、開発部、マーケティング部を合わせても、全員の顔と名前が一致する五十人程度の人員である。
それだけに、全員が一堂に会した講堂の空気は、いつもよりずっと密度が高く、特有の息詰まるような緊張感があった。
ふと前方へ視線をやると、ステージのすぐ近くで、営業部のトップである鬼塚部長が腕を組んで仁王立ちしていた。
その斜め後ろには、朝一番に焼き立てのパンをくれた長谷川の姿もある。
いつもなら人懐っこい笑顔を浮かべている長谷川だが、今はいつになく真剣な、少し硬い表情で正面のプロジェクターを見つめていた。
「おい、噂を聞いたか? 本社に新しく経営企画の統括部長が引き抜かれてきたらしいぞ」
「外資系のコンサル出身で、過去にいくつもの老舗商社を大改革したキレモノだって話だ」
周囲の社員たちの囁き声が、狭い講堂の中で反響し、紬の耳に届く。そのとき、ステージの照明が一段と明るくなり、五十人のざわめきが一瞬で止んだ。
まずは日東ライフスタイル商事の丸井社長がマイクの前に立ち、少し重苦しい口調で語り始めた。
「皆さん、日々の業務お疲れ様です。我が社は今、ヒット商品に恵まれていますが、時代は急速に変革を求めています。老舗としての伝統を守りつつ、次世代の競争を勝ち抜くため、本日、強力なリーダーを迎えました」
社長は一度言葉を区切ると、眼鏡の位置を小さく直し、集まった五十人ほどの社員たちをゆっくりと見渡した。
講堂内は静まり返り、誰もが次の言葉を固唾を呑んで待っている。
「そのリーダーが、数々の企業改革を成功させてこられた、室井恭一郎氏です。本日付で、経営企画部兼DX改革推進本部の統括部長に就任していただきます。室井さん、お願いします」
社長の紹介を受け、数人の役員の最後尾から、壇上の中央へと歩みを進めてきた一人の男の姿に、紬は思わず息を呑んだ。
室井恭一郎、四十六歳。
仕立てのいいチャコールグレーの高級スーツを、シワ一つなく完璧に着こなし、一切の無駄を削ぎ落としたようなスマートな体躯。
冷徹な彫刻を思わせる整った容貌には、社員を歓迎するような笑みの欠片も一切ない。
眼鏡の奥にある切れ長の瞳は、集まった全社員を数値として値踏みするかのように、冷たく見下ろしていた。
彼がマイクの前に立った瞬間、講堂の空気がピキッと音を立てて凍りつくのが分かった。寄せ付けない圧倒的なエリートの威圧感。
これまでの、のどかだった日東ライフスタイル商事には絶対に存在しなかったタイプの人間だった。
「皆さん、お疲れ様です。ただいまご紹介に預かりました、室井です。このたび経営企画部 兼 DX改革推進本部の統括部長に着任いたしました」
低く、しかし驚くほど低音が響くよく通る声がマイクを通じて講堂全体に響き渡る。室井は形式的な挨拶もそこそこに、手元のタブレット端末を淡々と操作した。
すると、背後にある巨大なスクリーンに、我が社のリアルな財務データと、各部署のコスト算出グラフが凄まじい情報量で次々と映し出された。赤や黄色の警告色が、不気味に画面を染めていく。
「我が日東ライフスタイル商事は、近年の調理家電のヒットにより、一見すると順調な右肩上がりに見えるかも知れません」
室井は一度言葉を切ると、眼鏡の奥の切れ長の瞳で、冷然と社員一同を見下ろした。講堂内は水を打ったように静まり返り、エアコンの低い駆動音だけが響いている。
「ですが、経営の視点から見れば、それはただの危うい幻影に過ぎないのです」
室井の淡々とした、しかし確信に満ちた丁寧な声が、紬の耳に突き刺さる。隣に立つ藤沢先輩が、強張った表情でスクリーンを見つめているのが分かった。
「中身を開ければ、バックオフィスの前時代的な手作業による時間的無駄、営業部のどんぶり勘定な接待費、根拠のない予算申請。こうした非効率な人間特有のコストが、せっかくの利益を内側から貪り食っています」
冷酷なまでに突きつけられる、誰もが目を背けていた社内の「融通」という名の不合理。
紬は隣に立つ大河内部長をそっと盗み見たが、部長は室井の放つ威圧感に完全に呑まれ、ただ青い顔をして何度も小さく首を縦に振ることしかできていなかった。
「今、ここで痛みを伴う大鉈を振らなければ、我が社は五年以内に確実に沈むことになります」
室井の丁寧で冷酷な正論が、講堂を逃げ場のない完全な絶望で満たしていく。誰もが自分のこれまでの仕事を真っ向から否定されたようなショックで、声を失っていた。
冷徹な静寂が講堂を支配するなか、室井の切れ長の目が、ゆっくりと社員一同を射抜くように見据えた。
「本日、私がここへ立ったのは、皆さんを脅すためではありません。我が社が生き残るための、唯一にして絶対の『未来』を提示するためなのです」
