この世界では、十三歳になれば誰でも魔法が使えるようになる。
杖をひと振りすれば花が咲いて。
指を鳴らせば、空に星がきらめいて。
上手な子なら、ほうきに乗って空を飛ぶことだってできる。
そして私、リリア・フルールも十三歳。
つまり、魔法が使える。
――はずだった。
「リリアさん。もう一度やってみましょうか」
「は、はいっ!」
先生に言われて、私は両手でぎゅっと杖を握った。
今日の課題は《開花魔法》。
目の前に置かれた植木鉢には、まだ固いつぼみがひとつ。
魔力を流し込んで、この花を咲かせれば合格だ。
ちなみに、隣の席のミアは三秒で成功した。
その隣の子も、そのまた隣の子も。
教室を見渡せば、机の上には赤や黄色、青色の花がずらりと咲いている。
咲いていないのは――。
「……私だけ」
ううん。大丈夫。
昨日だってちゃんと練習した。
寮に帰ってから、一時間も杖を振ったんだから。
私は大きく息を吸う。
「咲いて……!」
杖を振った。
先端が、ぱっと光る。
「やった!」
今度こそ――!
ぽんっ。
「…………」
植木鉢を見る。
つぼみは。
さっきとまったく同じ姿で、そこにいた。
代わりに杖の先から、小さな小さな光がひとつだけ浮かんでいる。
教室がしーんと静まり返った。
先生が困ったように笑う。
「……昨日より、少し明るくなりましたね」
「先生、それ昨日も言ってました!」
教室に笑い声が広がった。
恥ずかしくなって、私は机に突っ伏す。
魔法の名門、アステリア魔法学園。
国内でも特に優秀な魔法使いたちが集まるこの学校で――。
たぶん私は、
いちばん魔法が苦手です。
「はあ……」
思わず、ため息が出る。
自分がここまでできない子だとは思ってなかった。
魔法学園に入学してから、もう何度目だろう。
周りのみんなが簡単そうに魔法を成功させていく中で、私だけが失敗してばかり。
「もうちょっとできると思ってたんだけどなあ……」
そんなことを呟きながら、次の授業へ向かうために廊下を歩いていた、そのときだった。
「わっ!」
角から走ってきた誰かと、思いきりぶつかってしまった。
「いてて……」
私はその場に、大きく尻もちをつく。
「ごめん! 大丈夫?」
知らない声が、頭の上から降ってきた。
顔を上げる。
そこにいたのは、男の子だった。
制服の胸元には、青色のネクタイ。
私は桃色で一年生だから、たしか青色は二年生だったはず……。
ってことは――先輩!?
私は慌てて立ち上がった。
「ぶつかってしまって、すみません!」
慌てて頭を下げると、先輩は少し驚いたように目を丸くした。
「いやいや、走ってたのは俺だから。謝るのはこっち。怪我してない?」
「だ、大丈夫です」
「よかった」
先輩はほっとしたように笑った。
優しい人だな。
そう思いながら顔を上げる。
そこで初めて、私は先輩の顔をちゃんと見た。
さらさらとした銀色の髪に、透き通った青色の瞳。
同じ制服を着ているはずなのに、どうしてこんなに違って見えるんだろう。
なんというか――。
王子様みたい。
「……?」
気がつくと、先輩が私の顔をじっと見ていた。
「あ、あの……?」
「君――」
先輩の青い瞳が、少しだけ大きくなる。
「もしかして――」
キーンコーンカーンコーン。
その瞬間、授業開始を知らせる鐘が鳴り響いた。
「あ」
先輩が廊下の時計を見る。
「やばい」
「授業……」
「うん。ごめん、俺もう行かなきゃ」
そう言って走り出そうとした先輩が、ふと振り返った。
「またね」
「え?」
今、またって言った?
名前も知らないし、初めて会ったのに。
私が聞き返すより早く、先輩は廊下の向こうへ走っていってしまった。
「……変な先輩」
そう呟いた、そのとき。
「リリア!」
「わっ!」
突然後ろから肩をつかまれて、思わず飛び上がる。
振り返ると、同じクラスのミアが目をまん丸にして立っていた。
「な、なに?」
「なに、じゃないよ! 今の人!」
「今の人?」
「本気で言ってる!?」
ミアは信じられないものを見るような顔をした。
「リリア、本当に知らないの?」
「知らないよ。さっき初めて会ったもん」
「レオン=アルヴェルト先輩だよ!」
「……誰?」
「うそでしょ!?」
ミアの声が廊下中に響く。
「ちょ、ちょっと! 授業始まっちゃうよ!」
「リリアが知らない方が大事件だよ!」
「そんなに有名な人なの?」
「有名なんてもんじゃないよ!」
ミアは私の肩をつかんだまま力説する。
「二年生で成績は学年一位。魔法実技もトップ。入学してすぐ生徒会入りして、一年生の終わりには生徒会長に選ばれた天才!」
「へえ……」
「しかも、あの顔!」
「顔?」
「かっこいいでしょ!」
「まあ……王子様みたいだとは思ったけど」
「そう! だから《白銀の王子》って呼ばれてるの!」
「本人が?」
「みんなが!」
勝手につけられたんだ。
ちょっとかわいそう。
「それよりリリア!」
「なに?」
「なんでレオン先輩と話してたの!?」
「だから、ぶつかっただけだって」
「本当に?」
「本当に」
「でも最後、何か言われてなかった?」
「ああ……」
そういえば。
『もしかして――』
先輩は何を言おうとしていたんだろう。
「途中で鐘が鳴っちゃったから、分かんない」
「えー! なにそれ、気になる!」
「私に聞かれても分かんないよ」
「あとで絶対教えてね!」
「何かあったらね」
「絶対だからね!」
そんな話をしながら、私たちは慌てて次の教室へ向かった。
◇
「――以上が、我がアステリア魔法学園における生徒会の歴史です」
先生の声が教室に響く。
午後の授業は魔法史だった。
午前中に魔法を失敗した私にとって、杖を使わなくていいだけでもありがたい。
私はノートに先生の言葉を書き写していく。
「アステリア魔法学園では、古くから生徒会長と副会長に特別な役割が与えられてきました。この二人は学園を守護する二つの星――《双星》と呼ばれています」
双星。
聞いたことはあるけど、詳しくは知らない。
「《双星》となった二人は、他の生徒会役員とは異なる特別な権限を持ちます。そして学園で問題が発生した際には、教師とともに解決にあたります」
大変そう。
絶対に私には無理だ。
そんなことを考えていると、隣から小さな声が聞こえた。
「そういえばさ」
ミアだ。
「なに?」
「今年の《双星》、まだ揃ってないんだよ」
「そうなの?」
「副会長がいないの」
「へえ」
私はノートを取りながら答える。
「候補になってる先輩は何人もいるらしいんだけど、レオン先輩が全部断ってるんだって」
レオン先輩。
その名前を聞いて、昼間ぶつかった銀髪の先輩を思い出す。
「なんで?」
「分かんない。でも、『探している人がいる』って噂」
「探している人?」
「うん。きっとすっごく優秀な魔法使いなんだよ」
「だろうね」
生徒会長と並んで学園を守る人だ。
少なくとも、開花魔法すらまともにできない私とは正反対の人なんだろう。
「どんな人なんだろうね」
私は完全に他人事としてそう言った。
◇
放課後。
「じゃあね、リリア!」
「また明日!」
ミアたちと別れた私は、一人で午前中の教室へ戻った。
誰もいない教室は静かだった。
窓から夕方の光が差し込んでいる。
机の上には、午前中の授業で使った植木鉢。
私の花だけは、相変わらずつぼみのままだ。
「……よし」
私は鞄を机に置く。
このまま寮に帰るなんてできない。
みんなにできたことが、私だけできなかったんだから。
せめて一回くらい成功させたい。
杖を取り出し、つぼみに向ける。
「咲いて!」
杖を振る。
ぽんっ。
小さな光。
花は咲かない。
「もう一回!」
ぽんっ。
「もう一回!」
ぽんっ。
「……もう一回!」
何度やっても同じ。
「はあ……」
机に両手をつく。
「やっぱり、向いてないのかな」
魔法学校に入学できたときは、すごく嬉しかった。
これから毎日、魔法を勉強できる。
私もいつか、すごい魔法使いになれるかもしれない。
そう思っていた。
なのに実際は、クラスで一番の落ちこぼれ。
「せめて普通くらいにはなりたいのに……」
「普通じゃないから、できないのかもね」
「そうそう、普通じゃ――」
……ん?
今の、私の声じゃない。
「えっ!?」
勢いよく振り返る。
教室の入り口に、一人の男の子が立っていた。
銀色の髪。
青いネクタイ。
「あ!」
「また会ったね」
昼間の先輩――。
「レオン先輩!」
私が名前を呼ぶと、先輩は少し意外そうな顔をした。
「俺のこと知ってくれたんだ」
「ミアに教えてもらいました。生徒会長なんですね」
「一応ね」
「一応って……」
生徒会長って、もっと偉そうな人だと思っていた。
少なくとも、廊下を走って一年生にぶつかったりしないと思う。
「それで、何してたの?」
「え?」
レオン先輩が私の机を見る。
「あ……魔法の練習です」
「開花魔法?」
「はい」
私はつぼみを見つめる。
「私だけできなかったので」
「へえ」
「へえって……」
恥ずかしい。
学園トップの人からしたら、開花魔法で苦戦するなんて信じられないんだろう。
「笑わないんですか?」
「なんで?」
「だって、こんな簡単な魔法もできないから」
そう言うと、レオン先輩は少しだけ眉を下げた。
「できないことって、そんなに恥ずかしい?」
「え?」
「できるようになろうとして、こんな時間まで残ってるんでしょ」
レオン先輩が笑う。
「俺は、すごいと思うけど」
「…………」
そんなことを言われたのは初めてだった。
できない。
遅れてる。
もっと頑張らないと。
入学してから、ずっとそんなことばかり考えていたから。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
レオン先輩が私の隣へ来る。
近い。
昼間は気にしていなかったけど、こうして二人きりになると妙に緊張する。
「杖、見せてくれる?」
「私のですか?」
「うん」
「どうぞ」
杖を差し出そうとした。
その瞬間。
レオン先輩の指が、私の指先に触れた。
「――っ!」
びっくりして手を引きそうになる。
でも。
「……え?」
私たちの指が触れた場所から、小さな光が生まれた。
一つ。
二つ。
三つ。
まるで蛍みたいな光が、次々と宙へ浮かんでいく。
「な、なにこれ……」
こんな魔法、使った覚えはない。
レオン先輩を見る。
先輩は私ではなく、光をじっと見つめていた。
「やっぱり……」
「え?」
「リリア」
初めて名前を呼ばれた。
「どうして私の名前……」
聞き終わる前に、レオン先輩が私の手を取った。
「えっ!?」
「そのまま」
「そのままって……!」
男の子と手をつなぐなんて初めてなのに!
顔が一気に熱くなる。
「もう一度、開花魔法を使ってみて」
「む、無理です!」
「大丈夫」
「でも――」
「俺を信じて」
青い瞳がまっすぐ私を見る。
「…………分かりました」
ずるい。
そんな顔で言われたら、断れない。
私は空いている方の手で杖を握る。
つぼみに向けた。
「咲いて……!」
杖を振る。
次の瞬間。
ぱあっ!
「わっ!」
眩しい光が教室いっぱいに広がった。
思わず目を閉じる。
しばらくして、ゆっくり目を開けると――。
「……え?」
私の目の前にあったつぼみが、大きな白い花を咲かせていた。
「咲いた……!」
初めて成功した!
「先輩! 見てください! 咲きました!」
「うん」
「私にもできた!」
嬉しくて、思わずレオン先輩を見る。
でも。
先輩が見ているのは、私が咲かせた花じゃなかった。
教室の中。
「……え?」
私は息をのむ。
一輪だけじゃない。
窓辺の花。
先生の机に飾られていた花。
授業で他の生徒たちが咲かせた花まで。
教室中の花という花が、一斉に開いていた。
「これ……私が?」
「そうだよ」
「嘘……」
こんな魔法、先生だって見せていなかった。
呆然としている私の隣で、レオン先輩が小さく笑う。
「やっと見つけた」
「え?」
昼間も。
たしか同じようなことを言いかけていた。
「見つけたって、何を……」
「君を」
「……私?」
「うん」
レオン先輩は私の手を握ったまま、こちらを向く。
「ずっと探してた」
心臓が、どくんと跳ねた。
ずっと?
どうして?
私、この人とは今日初めて会ったはずなのに。
「リリア・フルール」
「は、はい」
「俺から、君にお願いがある」
学園中の憧れ。
《白銀の王子》と呼ばれている生徒会長。
そんな人が、なぜか私だけを見つめている。
「君に――」
レオン先輩は、私の手をぎゅっと握った。
「俺の副会長になってほしい」
「…………」
副会長。
副会長って。
さっき授業で習った――。
「《双星》の……副会長?」
「そう」
「私が?」
「うん」
「レオン先輩の?」
「他に誰がいるの?」
「…………」
数秒遅れて、ようやく言葉の意味が頭に入ってきた。
「ええええええええっ!?」
私の叫び声が、放課後の魔法学園いっぱいに響き渡った。
