シークレット―世界は守れますが、恋の仕方はわかりません―

「難しいなぁ……」

 小さく呟いた、そのとき。

 再び端末に着信が入った。

 表示された名前は、龍介。

 正孝の同僚で、梨来とも長い付き合いのある男だ。

「はい、龍介さん?」

『お前、正孝になんか言うた?』

 開口一番だった。

「『別に』の話です」

『……なんやそれ』

「正孝さんが『別に』って言ったから、本当に別になのか聞いただけです」

 数秒。

 沈黙。

 それから。

『っははははは!』

「え?」

 突然の大笑いに、梨来は端末を少し耳から離した。

「龍介さん?」

『あかん、腹痛い』

「なんで笑ってるんですか?」

『いやぁ、正孝も大変やなぁ思て』

「何がですか?」

『なんでもない、なんでもない』

「…………」

 梨来の眉がわずかに寄る。

『お前、大学で何教わっとんねん』

「恋愛?」

『任務せぇ』

 笑いながら言われる。

「してますよぉ」

 ついさっきまでのエージェントらしい声は、もうすっかり消えていた。

『知っとるわ』

「龍介さんこそ、何の用だったんですか?」

『正孝がえらい疲れた顔しとったからな。お前と話した言うから、何言うたんかと思っただけや』

「疲れた顔……」

『気にせんでええ。あいつは昔からあんなんや』

「そうですか?」

『そうそう』

「じゃあ、別にですか?」

『まだ言うんか』

 また笑われた。

 梨来は納得できずに首を傾げる。

『ほな、またな』

「はい。おやすみなさい、龍介さん」

『おう。おやすみ』

 通話が切れた。

 静かになった部屋で、梨来は端末を見つめる。

 少しして、電源を落とした。

 途端に。

「つかれたぁ……」

 机へ突っ伏した。

 張り詰めていた空気は、跡形もなく消える。

 頬を机につけたまま、ぼんやりと今日のことを思い返した。

 調査に進展はない。

 まだ確認できていない記録もある。

 探さなければならない場所もある。

 明日もまた、大学事務員として働きながら調査を続ける。

 考えるべきことはいくつもあるのに。

 ふと頭に浮かんだのは。

『別に』

 正孝の声だった。

 続いて、昼間の希美の声まで蘇る。

『こういうときの「別に」は、別にじゃないんですよ!』

「…………」

 梨来は頬を机につけたまま考える。

 声。

 顔。

 間。

 顔は見えなかった。

 声は、いつもの正孝だったような気がする。

 間は――少し、あった。

「……じゃあ、別にじゃなかったのかなぁ」

 でも。

 何が『別に』ではなかったのかが分からない。

 しばらく真剣に考えて。

「やっぱり分かんない」

 諦めた。

 梨来は身体を起こす。

「恋愛って難しいなぁ」

 口にしてから、瞬きをした。

「……あれ?」

 正孝との会話は恋愛ではない。

 希美の話と一緒に考える必要なんて、最初からなかった。

「なんだぁ」

 一人で納得する。

 端末を鞄へ戻しながら、小さく笑った。

 梨来は気づいていない。

 龍介が、なぜあれほど笑っていたのか。

 そんなことより。

 明日も任務だ。

 大学事務員として働いて。

 学生たちの話を聞いて。

 その裏で、組織が探し続けている古い時計を探す。

 それが今の梨来の日常だった。