シークレット―世界は守れますが、恋の仕方はわかりません―

 翌日。

 梨来は事務室から出ると、両腕を上へ伸ばした。

「んー……」

 座りっぱなしだった身体をほぐす。

 昼休み。

 廊下の向こうでは、学生たちが何人か連れ立って歩いている。

 これから学食へ行くのだろう。

「今日何食べる?」

「カレー」

「昨日も食ってなかった?」

「いいんだよ」

 そんな会話が聞こえてくる。

 梨来は何となく、その背中を目で追った。

 学食。

 大学で働き始めてから、何度も前を通っている。

 職員も利用できることは知っている。

 けれど。

 まだ一度も入ったことはなかった。

 学生たちに混ざって食事をするのは、なんとなく。

 自分が入ってはいけない場所へ入るような気がして。

「…………」

 でも。

 ちょっと楽しそう。

 廊下をこちらへ歩いてくる足音には、少し前から気づいていた。

 一定の歩幅。

 迷いなく近づいてくる気配。

 危険はない。

 そう判断していたから、梨来は特に振り返らなかった。

「何見てるんですか」

 聞き覚えのある声がした。

 梨来はそこで初めて、そちらを見る。

「あ」

 黒髪。

 眼鏡。

 昨日から、妙に顔を合わせる男子学生。

「直充くんだったんだ」

「はい」

 直充は梨来の視線の先を見る。

 学生たちは、もう廊下の角を曲がるところだった。

「何かあったんですか」

「ううん。学食行くのかなぁって」

「昼ですからね」

「そうだよねぇ」

「…………」

「…………」

 直充が梨来を見る。

「何ですか」

「え?」

「いや。俺じゃなくて」

「?」

「先生が何か言いたそうだったんで」

「ああ」

 梨来は笑った。

「直充くんって、真面目だねぇ」

「急に何ですか」

「昨日も思ったの」

「何を」

「紙」

 直充が少し考える。

「ああ」

「あの子、すごく助かったと思うよ」

「紙拾っただけですけど」

「でも、すぐ気づいたでしょ?」

「目の前に飛んできたんで」

「他のも」

「落ちてたから」

「ファイルも持ってあげてた」

「邪魔そうだったんで」

「…………」

 梨来は直充を見つめた。

「何ですか」

「ううん」

「さっきからそればっかりですね」

「そう?」

「そうです」

 梨来は少し笑った。

 本人にとっては。

 本当に全部、それだけなのだろう。

 困っていたから。

 落ちていたから。

 邪魔そうだったから。

 だから助けた。

 大したことではないと言うように。

 それを。

 少しだけ不思議だと思った。