張り詰めていた糸が切れるのは、一瞬だった。
あの日以来、伊澄先生に拒絶され、距離を置かれ続けた悲しさとストレスは、美優の未熟な身体を容赦なく蝕んでいった。ある朝、頭を殴られたような激しい頭痛と倦怠感に襲われ、体温計は三十八度を超える熱を示していた。
夜、暗い自室のベッドの中で、美優の目からはとめどなく涙が溢れ、枕を濡らした。
(きっと、嫌われたんだ。先生はもう、二度と私に会ってくれない)
頭に触れたあの手のひらの熱も、自分を抱きしめた胸の温もりも、すべては幻だったのではないか。そんな絶望的な思考ばかりが頭を巡り、熱は数日の間、一向に下がる気配を見せなかった。
やがて体調自体は回復へと向かったが、心に空いた穴は塞がらないままで、どんよりとした曇り空のように晴れることはなかった。学校へ行く気力がどうしても湧かない。美優は「まだ少し熱があるみたい」と、いつもなら絶対に言わないような嘘を母親に吐き、もう一日だけ学校を休むことにした。
「じゃあ、無理しないで寝ているのよ」
厳格な母親は、美優の言葉を疑うこともなく、足早に仕事へと出かけていった。
静まり返った平日の家。時計の秒針が刻む規則正しい音だけが、誰もいないリビングに虚しく響く。ベッドの中で天井を見つめながら、美優は底知れない孤独に押し潰されそうになっていた。学校へ行けば、またあの冷たい目をした伊澄先生とすれ違うことになる。それが何よりも恐ろしかった。
そんな、昼下がりのことだった。
ピンポーン、と。
静寂を切り裂くように、突然、家のインターホンが鳴り響いた。
宅配便か何かだろうか。美優はパジャマの上にカーディガンを羽織り、気怠い身体を引きずりながら玄関へと向かった。何気なくインターホンのモニターを覗き込む。
その瞬間、美優の息が止まった。
液晶画面に映し出されていたのは、少し乱れた黒髪に、見慣れたカッターシャツ姿の男性。美優をずっと拒み続けていた、伊澄先生の姿だった。手にはプリントらしき束が握られている。
どうして、先生がここにいるの。
私のことなんて、もう嫌いになったんじゃなかったの。
考えるより先に、身体が動いていた。美優は鍵を乱暴に開け、勢いよくドアを押し開けた。
廊下を通り抜けてきた夏の生ぬるい風が、二人の間にぶつかり合う。
ドアの向こうで驚いたように目を見開いた伊澄先生の瞳に、髪を乱した美優の姿が、真っ直ぐに映り込んでいた。



