ソラはまだ空を知らない

「では、本日のミッションを開始します」
スクリーンいっぱいにステージが表示された。
廃墟となった街。
指定防衛施設。
輸送ルート。
そして。
赤い点。
一つ。
二つ。
五つ。
十。
二十。
「……司令」
「何?」
「これ全部敵?」
「そうよ」
「私たち三人?」
「そうよ」
「味方NPCは?」
「一部防衛設備のみ」
「ゲーム開発部、また敵増やしたな!」
「敵の配置はシナリオ開発部の担当です」
「じゃあそっちに言っといて! 機体は全然強くしてくれないのに!」
ユイナが笑った。
「いいじゃない。全部倒せば」
「そういう考えだから機体壊すんだって!」
「今日は壊さない!」
カイがマップを見ながら言った。
「……多い」
「ほら! カイも言ってる!」
玲奈司令は赤いマーカーを見つめた。
ほんの一瞬だけ。
その切れ長の目が細くなったように見えた。
でもすぐに、いつもの無表情へ戻る。
「三人で協力しなさい」
「協力って便利な言葉だね!」
「全員、準備」
私は背もたれへ身体を預けた。
左右の操縦桿を握る。
手に力は入れない。
親指をブーストボタンへ。
右人差し指をトリガーへ。
足をペダルへ乗せる。
視界中央に文字が浮かぶ。
《AF ONLINE》
座席の右側。
PICOの白い猫が、こっちを見ている。
「今日もよろしく」
小さくシールを指で叩いた。
「ソラ、何やってるの?」
「何でもない!」
「マスコットに話しかけてた?」
「違う!」
「かわいいところあるじゃない」
「違うって!」
通信越しに、カイがぼそり。
『ピコ』
「カイまで言うな!」
『全機、ミッション開始』
玲奈司令の声。
「はいはい!」
左足でペダルを踏み込む。
同時に左の操縦桿を前へ。
大型モニターいっぱいに映った景色が、一気に後ろへ流れた。
崩れたビルの隙間、その向こうに、やけに鮮やかな青い空が見えた。
モニターから漏れた青い光が、私の手と頬を薄く照らす。
前から思っていたけれど、このゲームの空は妙な色をしている。
まあ、背景の色なんて勝敗には関係ない。
座席が小さく震える。
私のAFが走り出す。
今日もまた。
最高にバランスの悪いゲームが始まった。

結論から言えば。
勝った。
「……疲れた」
《MISSION COMPLETE》
その文字が表示された瞬間、私は操縦桿から手を離した。
ハーネスを外し、背もたれにぐったり沈む。
「絶対おかしい」
「勝った直後の第一声がそれ?」
ユイナが言う。
さっきまできっちり結ばれていたポニーテールが少し乱れている。
「敵八十三機だよ!?」
「最初は七十八だったわね」
「途中で増えたんだよ!」
「増援くらいあるでしょ」
「五機全部飛行型!」
「倒したじゃない」
「そういう問題じゃない!」
リザルトを開く。
敵機撃破数。
七瀬ソラ――34。
橘ユイナ――41。
水城カイ――8。
「カイ八機!?」
「うん」
「少なっ」
「任務達成率100%」
「ぐっ」
さらに機体損傷率。
カイ――2%。
「2%!?」
「避けた」
「その説明で済むなら私も避けてる!」
「ソラは突っ込んでた」
「必要だったの!」
ユイナのデータ。
損傷率――91%。
「…………」
「何よ」
「九十一」
「昨日より激しく戦ったわね」
「なんで嬉しそうなの!?」
「勝ったもの」
「右腕ないけど」
「左腕がある」
「頭半分ない」
「センサーは生きてた」
「脚部装甲もほとんどないよ?」
「最後まで動いてた」
カイが静かに言った。
「……壊れてる」
「カイ!」
「ほら!」
玲奈司令が咳払いした。
「総合評価」
スクリーンに大きく、
《S》
と表示される。
「よし!」
拳を握る。
「当然ね」
ユイナも満足そう。
「終わった」
カイは別の意味で嬉しそうだ。
「ただし」
嫌な言葉が来た。
「七瀬ソラ」
「はい」
「開始十一分三十二秒。指定防衛区域から四百二十メートル離脱」
「逃げた敵を追ってました」
「追う必要は?」
「倒せそうだったから」
「必要は?」
「……なかったです」
「橘ユイナ」
「はい」
「損傷率91%」
「でも勝ちました」
「91%」
「……はい」
「水城カイ」
「はい」
「問題なし」
「なんで!?」
私とユイナの声が重なった。
カイが本を手に取る。
「日頃の行い」
「一番長いセリフそれ!?」
私は頬を膨らませながら操縦席を降りた。
鞄を取る。
PICOがまた揺れた。
「司令」
「何?」
「要望書増やしていい?」
「昨日十四件出したでしょう」
「今日ので六件増えた」
「二十件……」
「まず飛行型マキナの回避性能。それと追加ウェーブのタイミング。それからブースト容量――」
「後で提出しなさい」
「ちゃんと読む?」
「読みます」
「ゲーム開発部にも送る?」
「送ります」
「ならよし」
「なぜあなたが偉そうなの?」
「プレイヤーはお客様だから」
「授業です」
「都合のいい時だけ!」
ユイナが笑った。
カイも、ほんの少しだけ口元を緩める。
難しい。
理不尽。
敵が多い。
こっちの機体は思ったほど自由に動かない。
それでも。
私はこのゲームが好きだった。
簡単すぎるゲームなんて、すぐに飽きる。
難しいからこそ、攻略した時は気持ちいい。
――まあ。
限度はあるけど。

三人が実習室を出てから、十分ほど経った頃。
「二十件、本当に来てますよ」
柏木ナオが苦笑した。
二十四歳。
茶色いショートボブの髪に、片耳だけヘッドセットを付けた女性だった。
玲奈の前にあるモニターへ、ソラから送られた要望書を映す。
「飛行型の回避性能が高すぎる。近接攻撃後の姿勢制御が遅い。ブースト容量が足りない。追加ウェーブの間隔がおかしい……」
画面を送る。
「最後のこれ、見ます?」
「何?」
「『ちゃんとプレイヤーの気持ちを考えて作ってください』」
玲奈が眉間を押さえた。
「……ゲーム開発部へ全部送って」
「全部ですか?」
「全部」
「また向こうが泣きますよ」
「改善できるものは改善すればいいわ」
「技術部も結構頑張って――」
「柏木さん」
声の温度が変わった。
ナオの指が止まる。
「あ」
玲奈は視線だけを向けた。
「ここでは『ゲーム開発部』です」
「……失礼しました」
「次は始末書では済まない可能性があります。注意なさい」
「はい」
ナオの顔から笑みが消えた。
その場に二人しかいないことを確認してから、ほっと小さく息を吐く。
「相変わらず厳しいですね」
「規則よ」
「分かってます」
玲奈は再びソラのデータへ目を落とした。
撃破数。
任務達成率。
機体損傷率。
どれを取っても高い。
「しかし、すごいですね」
「何が?」
「七瀬ソラです。今日も総合評価はトップですね」
「……そうね」
「十四歳ですよ? あの反射速度と状況判断、ちょっと天才的じゃないですか」
玲奈の目が、一瞬だけ止まった。
「ええ」
「私が十四歳の頃なんて、ゲームで負けてコントローラー投げてましたよ」
「今も大して変わらないでしょう」
「ひどい」
ナオが笑う。
玲奈は笑わなかった。
「それと」
ナオが別の画面を開く。
「今後の実習なんですが」
「何かあるの?」
「シナリオ開発部から、新しいシナリオが来ています」
玲奈が顔を上げた。
「もう?」
「私もそう思ったんですが、シナリオ開発部は仕事熱心過ぎますからね」
「……そうね」
大型スクリーンへ地図が表示される。
北方エリア。
いくつもの地点が赤く点滅している。
「内容は?」
「北方エリアを使った大規模防衛シナリオです。三地点への同時侵攻。防衛対象三か所。それと輸送ユニット護衛」
「敵の規模は?」
「ゲーム開発部の話では、通常の約1.6倍」
玲奈の眉がわずかに動いた。
「1.6倍……」
「はい。それから、途中で追加ウェーブが入る可能性もあるそうです」
「多いわね」
「またソラさんに怒られますよ」
「でしょうね」
「『ゲーム開発部、プレイヤーのこと嫌いなの!?』って」
「今日も言っていたわ」
「ですよねえ」
ナオが椅子へ背中を預ける。
「シナリオ担当も、もうちょっとプレイヤーに優しい話を書けばいいのに」
玲奈は画面を見たまま答えた。
「仕方ないでしょう」
「まあ、そうなんですけど」
「シナリオ開発部が、そういうシナリオを書いたんだから」
「こっちではどうにもできませんからね」
「ええ」
画面上で、新しい赤いマーカーが一つ増えた。
玲奈はしばらくそれを見ていた。
「開始時期は?」
「まだ確定していません。少なくとも数日は、通常シナリオが続く見込みです」
「……分かったわ」
「準備だけ進めておいて」
「了解です」
「名称は?」
「仮タイトルがあります」
「何?」
ナオが資料を確認した。
「《大規模レイド作戦》」
玲奈は短く息を吐いた。
「……そのままでいいわ」
画面が切り替わる。
《COMING EVENT》
《大規模レイド作戦》
その文字だけが、暗いスクリーンの中央に浮かんでいた。