ソラはまだ空を知らない

そう。
この子たちは、何も知らない。
戦争を知らない。
死を知らない。
父を知らない。
母を知らない。
自分たちが、何を失ったのかすら知らない。
それが。
私たちの望んだことだった。
この場所だけは、楽園であってほしかった。
外でどれほど街が壊されても。
今日も誰かが帰ってこなくても。
この子たちだけには、そんなものを知らずに笑っていてほしかった。
だから隠した。
戦争を。
死を。
敵を。
過去を。
そして――両親を。
誕生日さえも。
この子たちには、学校へ入った日を「誕生日」だと教えた。
本当の誕生日を教えれば、いつか「生まれるとは何か」という疑問に辿り着く。
そして、その次にはきっと「誰から生まれたのか」と聞く。
その答えを、私たちは与えられなかった。
だから。
言葉から。
教科書から。
昔話から。
この子たちの日常から。
すべて覆い隠した。
大人と子どもの違い。
この子はさっき、大きさなのか、なぜ分けるのかと聞いた。
本当は、そんなに単純なものではない。
少なくとも、このシャングリラでは。
本当の十五歳の誕生日を迎えた者から、少しずつ世界の真実を知らされる。
だから十五歳を成人と定めた。
年齢が人を大人にするのではない。
真実を知ることを許された者を、私たちは大人と呼んだ。
何も知らされていない者を、子どものまま楽園へ残した。
十五歳。
それは、この子を突然大人に変えるものではない。
十五年前から決まっていた日付が来たと告げるもの。
そして、この子の楽園に幕を下ろす許可だった。
私たち大人は知っていた。
だから。
知らないこの子たちには、夢を見させてやらなければならないと思った。
それが優しさだと信じていた。
それが、この子たちを守ることなのだと。
でも。
違ったのかもしれない。
この子たちは、戦争を知らない。
自分たちが戦争孤児であることも知らない。
父親というものを知らない。
母親というものを知らない。
本来なら、その人たちから与えられるはずだった愛さえ知らない。
失ったことすら知らないのだ。
なんて。
なんて罪深い楽園なのだろう。
私たちは、この子たちから悲しみを奪った。
同時に。
悲しむ権利まで奪ってしまった。
私は、目の前のソラを見た。
十五歳。
黒い髪。
ゲームが大好きで。
数学が苦手で。
知らない言葉を、何の悪意もなく私へ問いかけてくる少女。
「……ソラ」
「何?」
私は、ようやく答えた。
「両親というのは、あなたをこの世界に迎えた二人のことよ」
「二人?」
「ええ。あなたを最初に抱いて、あなたに名前をくれた人たち」
ソラが目を瞬いた。
「私にも、いたの?」
「いたわ」
「じゃあ」
ソラは自分を指した。
「ソラって名前も?」
「あなたの両親が付けた名前よ」
「……そうなんだ」
「ええ」
「意味は?」
私は答えられなかった。
「……正確には、知らないの」
「そっか」
ソラが窓の向こうを見る。
偽物の夕焼け。
「空、かな」
「そうかもしれないわね」
「変なの」
ほんの少し。
ソラが笑った。
「本物、見たことないのに」
胸の奥が痛んだ。
私は、ずっと言えなかったことを口にした。
「私にも、子どもがいたの」
「司令に?」
「ええ。あなたくらいの年齢の子が」
「今は?」
ソラはそこで言葉を止めた。
覚えたばかりの言葉を、恐る恐る確かめるように。
「……シンダの?」
「ええ」
「……そっか」
「その子の名前も」
私は一度、息を止めた。
「ソラだった」
「…………」
「私と同じ?」
「ええ。久世ソラ」
「偶然?」
「ただの偶然よ」
「……そうなんだ」
ソラが私を見る。
「私、その子に似てる?」
「似ていないわ」
「そんな即答する!?」
思わず。
本当に少しだけ。
私は笑ってしまった。
「本当に似ていないもの」
「ちょっとは考えてよ」
「でも」
私はソラへ手を伸ばした。
「あなたの名前を初めて見た時は、驚いたわ」
「まあ、そうだよね」
「ええ」
そして。
私は目の前の少女を抱きしめた。
「わっ」
突然抱きしめられて、ソラが戸惑った声を上げる。
小さな身体だった。
柔らかくて。
温かかった。
――ソラ。
かつて失った、自分の子どもと同じ名前を持つ少女。
「司令?」
「…………」
「苦しいよ」
それでも腕をほどくことができなかった。
「ごめんなさい」
また、その言葉しか出てこなかった。
何に対して謝っているのか。
この子には、まだ全部は分からない。
だからこそ。
私は泣いた。
この子が知らなかったものを。
この子の代わりに知っていた、大人として。