ソラはまだ空を知らない

そして、予告から十日後の放課後。
「うわ、何これ!」
実習室へ入った瞬間、私は足を止めた。
いつもなら《FRONTIER ZERO》のタイトルロゴが映っている大型スクリーンに、今日は見慣れない文字が躍っている。
《NEW EVENT》
その下には、赤い文字で大きく――
《大規模レイド作戦》
「新イベントじゃん!」
ここ数日ずっと文句を言っていたのに、《新イベント》の文字を見ると少しだけ気持ちが上向いた。鞄のPICOを揺らしながら、スクリーンへ駆け寄る。
「報酬は?」
「ありません」
「…………」
一気にテンションが落ちた。
「今なんて?」
「特別報酬はありません」
「大型イベントなのに!?」
「実習ですから」
「またそれ!」
後ろからユイナが入ってくる。
栗色のポニーテールを揺らしながらスクリーンを見上げ、その琥珀色の目を輝かせた。
「大規模レイド……面白そうじゃない」
「報酬ないよ?」
「強い敵が出るなら別にいいわ」
「ゲーム開発部からしたら最高のお客さんだね、ユイナ」
「何よ」
「カイは?」
最後に入ってきたカイは、いつもの本を脇に抱えたまま画面を眺める。
「……限定装備は?」
「ほら! カイだって欲しがってる!」
「ないわ」
玲奈司令が即答する。
「……残念」
「でしょ!?」
「三人とも」
玲奈司令の切れ長の目がこちらを向いた。
「席へ」
「はーい」
私は中央の座席へ腰を下ろし、鞄をフックへ掛けた。PICOが揺れる。四点式ハーネスを留め、左右の操縦桿へ手を置く。足元のペダルが私の位置に合わせてせり出した。
正面の曲面モニターが点灯する。
《AF ONLINE》
レーダー、残弾、ブースト残量が視界の端へ展開された。
「今回のシナリオを説明します」
画面いっぱいに地図が広がった。
北方エリア。
普段のミッションでも何度か使ったことがあるマップだ。
ただし。
「……赤くない?」
いつもより明らかに赤い。
敵を示すマーカーが、あちこちに表示されている。
「今回のシナリオは、敵勢力による北方エリアへの大規模侵攻です」
「また侵攻?」
思わず言う。
「シナリオ書いてる人、侵攻好きすぎない?」
「今回は通常シナリオとは規模が異なります」
「どれくらい?」
「およそ1.6倍」
「は?」
「ゲーム開発部から提示された想定規模です」
玲奈司令が地図を拡大した。
「敵構成の事前情報も出ています」
赤いアイコンが種類ごとに分かれる。
「四脚型が主力。市街地の低い障害物を使って接近します。人型はその後方。飛行型は防衛区画を飛び越え、輸送ユニットを直接狙う可能性が高い」
さらに、ひときわ大きな赤い印。
「大型砲撃型は少なくとも三機。通常型より装甲が厚く、射程も長い」
「三機も?」
「事前情報では」
「その《事前情報では》って付け方、最近すっごく嫌い」
玲奈司令は答えず、地形を示した。
第一防衛区画は崩れた高層街。道が細く、近距離戦になりやすい。
第二は大通りが交差する開けた区画。三方向から敵が入りやすい代わりに、遊撃へ出るルートも多い。
第三は半壊した高架と高層建築が残る区域。狙撃位置は取れるが、砲撃型からも狙われやすい。
そして三地点を縫うように、黄色い輸送ルートが走っている。
「またゲーム開発部か! ここ数日ずっと敵多すぎって要望送ってるんだけど!」
「『適正な難易度にしてください』としか書いていなかったでしょう」
「意味が違うと思う」
カイがぼそっと言った。
「カイ、どっちの味方?」
玲奈司令は気にせず説明を続ける。
「今回の主目標は三つ」
地図上に青い光が灯る。
「第一防衛区画」
一つ目。
「第二防衛区画」
二つ目。
「第三防衛区画」
三つ目。
「この三地点を可能な限り維持すること」
「三人で三地点?」
「今回は、あなたたち三人だけではありません」
地図上へ、青い三角形が十二個現れた。
《ALLY NPC ×12》
「味方いるの!?」
「各防衛区画へ四機ずつ配置します。ただし、広域の遊撃には使えません」
さらに、三つの防衛区画を縫うように黄色い線が走る。
「輸送ユニットの護衛もあります」
「結局、誰が護衛するの!?」
「状況に応じて、あなたたちが移動してください」
「簡単に言うね!?」
「役割を決めましょう」
ユイナが地図を覗き込む。
「私は第一」
「なんで?」
「敵が一番多いから」
「聞くんじゃなかった」
「カイは?」
「第三」
「理由は?」
「高台がある」
なるほど。
第三防衛区画の近くには、崩れた高層建築がある。
狙撃型のカイには確かに向いている。
「じゃあ私、第二?」
「七瀬ソラは遊撃」
玲奈司令が言った。
「え?」
「第二防衛区画を基本位置とし、輸送ユニットの護衛、第一・第三への援護を担当」
「待って」
「何?」
「私だけ仕事多くない?」
「あなたが一番機動力を生かせます」
「褒めてるように聞こえるのが腹立つ!」
「期待されてるのよ」
ユイナが笑う。
「便利屋ってことでしょ!」
「そうとも言う」
「ユイナ!」
私はもう一度マップを見る。
三地点。
護衛。
大量の敵。
「追加ウェーブは?」
「発生する可能性があります」
「何回?」
「非公開です」
「出た。ゲームで一番信用できないやつ!」
「司令は回数知ってるの?」
「知らされていません」
「司令なのに!?」
私は頭を抱えた。
「このゲーム作ってる人たちって、どうかしてるんじゃないの?」
玲奈司令はほんの少し黙った。
「……そうね。どうかしてるんでしょうね」
「では――」
スクリーンが切り替わった。
モニターいっぱいに廃墟の街が広がる。
灰色のビル。
崩れた道路。
遠くで風に舞う砂埃。
その砂埃の向こうで、何かが動いた。
最初は瓦礫の影にしか見えなかった。けれど一つ、二つと赤いセンサーが灯り、道路いっぱいに四脚型が姿を現す。低い胴体が波打つように上下し、何十本もの金属脚が砕けた舗装を一斉に蹴っていた。
後方には人型。長銃を胸の前で構えたまま一定間隔で進み、そのさらに後ろでは大型砲撃型がゆっくり脚を固定し、背中の長砲身を持ち上げていく。
空を横切った影に顔を上げる。飛行型の群れ。細い翼が光を反射し、赤い単眼だけが点々とこちらを見下ろしている。
その手前では、青い識別マーカーを付けた味方機が各防衛区画へ散っていった。
十二機。
私たちと同じ人型の機体だけれど、装備は標準型らしい。盾を構える機体。長銃を持つ機体。二機一組で路地を塞ぐ機体。
「ちゃんと味方いると、なんかレイドっぽい!」
『遊びに来たわけではありません』
玲奈司令。
「分かってるって!」
「……多くない?」
『まだ想定範囲内です』
「その言葉、覚えとくからね」
HUDの中央に、任務目標が表示された。
《NORTH AREA RAID》
《MISSION START》
「話聞いてよ!」

最初の十分。私は正直、楽しかった。
『ソラ、右!』
「見えてる!」
三機の飛行型をロック。連続射撃で赤いマーカーが三つ消える。
「はい終了!」
ブースターを吹かし、次の地点へ滑り込む。
『第一、敵十二』
ユイナの声が飛んだ。
「十二なら一人でどうにかして!」
『当然!』
レーダーを見る。
ユイナの青いマーカーが、敵の集団へ一直線に突っ込んでいく。
「待って、なんで真正面から行くの!?」
『一番速いから!』
「機体壊れるから!」
『壊さないって言ったでしょ!』
爆発音。
『一機!』
「聞いてない!」
『二機! 三機!』
「撃破実況しなくていい!」
『五機!』
「増えてる!」
『ソラ』
今度はカイ。
耳元のヘッドセットから、いつも通り落ち着いた声が聞こえる。
「何?」
『輸送ユニット、あと九十秒で第二交差点』
「了解!」
レーダーを切り替える。
黄色いマーカーが五つ。
第二防衛区画へ向かっている。
「先にこっち片付ける!」
正面。
四脚型マキナが五機。
その後ろに人型が二機。
私はブーストを切らない。
一気に距離を詰める。
一機目の砲撃。
右へ。
座席が短く震えた。
弾丸がすぐ横を抜けていく。
二機目。
ジャンプ。
左ペダル。
姿勢変更。
右手のトリガー。
一機撃破。
着地と同時に近接武装。
二機目。
三機目。
「遅い!」
人型マキナがこちらへ照準を向ける前に懐へ入る。
斬る。
離れる。
背後から飛んできた弾を、機体を捻って避ける。
右側のブースト残量が減る。
62%。
58%。
55%。
「やっぱ減るの速いって!」
『戦闘中に文句言わない』
玲奈司令。
「今だから分かるんでしょ!」
『記録しています』
「ならゲーム開発部にちゃんと送って!」
『集中』
「はいはい!」
敵を片付ける。
そのまま輸送ルートへ。
黄色いマーカーの周囲。
敵四機。
「間に合った!」
ブースト。
照準。
射撃。
一機。
近接。
二機。
残り二機。
輸送ユニットへ砲口を向けた一機を優先。
撃破。
最後。
「終わり!」
トリガーを引いた。
赤い光が消える。
『輸送ユニット、第二交差点を通過』
「よし!」
私ってやっぱり上手い。
『ソラ』
「何?」
『調子に乗ってる』
カイ。
「顔見えてないでしょ!?」
『声』
「声で分かるの!?」