ソラはまだ空を知らない

その少し前から。
思い返せば、カイはちょっと変だった。

ユイナの選抜解除騒ぎが落ち着いた翌日。
その日のミッションは、拍子抜けするくらい綺麗に終わった。
敵拠点への偵察。指定された五地点を回って、最後に追ってきた敵を振り切る。
カイの任務達成率は100%。
損傷率、1%。
総合評価は《S》。
「カイ、今日すごくない?」
「うん」
「任務達成率百パーだよ?」
「うん」
「損傷一パーだよ?」
「見れば分かる」
「……嬉しくないの?」
「別に」
リザルト画面を閉じる指にも、いつものカイと違うところはない。
でも、だからこそ変だった。
勝った時のカイはもともと静かだ。大声で喜んだりもしない。
それでも以前は、難しい射撃が決まれば少しだけ目が細くなった。私やユイナが無茶をすれば呆れた。面白い作戦なら自分から一言くらい感想を言った。
今日は、それすらなかった。
「水城カイ」
玲奈司令が呼んだ。
「はい」
「体調に問題は?」
「ないです」
「操作系に違和感は?」
「ない」
「そう」
司令はそこで止めた。
「それだけ?」
思わず私が聞く。
「本人が問題ないと言っているのに、無理に聞き出す必要はありません」
「でも何か変じゃん」
「七瀬ソラ」
「はい」
「友達だからといって、何でも聞いていいわけではないわ」
「……はい」
ちょっと悔しいけれど。
その言い方は、たぶん正しかった。
カイは何も言わず、いつもの本を鞄から出した。
その横顔を見ながら、私は初めて思った。
このゲームが好きなのは、三人とも同じだと思い込んでいたのかもしれない。
ユイナの選抜解除騒ぎから二日後。
今度はカイが言った。
「僕、ゲーム実習やめる」
「…………」
「…………」
放課後の教室。
窓の向こうでは、頭上を覆う光が少しずつ橙色に変わり始めていた。
私とユイナは、同時に固まった。
「は?」
先に声を出したのは私だった。
「何て?」
「ゲーム実習やめる」
「聞こえてたけど!」
ユイナが机を叩く。
「ちょっと待ちなさいよ! 私なんてクビにされそうなのを必死で回避したばっかりなのよ!?」
「知ってる」
「その横で自主的にやめるってどういうこと!?」
「そのままの意味」
「理由!」
「楽しくないから」
また、私たちは黙った。今度はさっきより長かった。
「……楽しくない?」
「うん」
「ゲームが?」
「うん」
「FRONTIER ZEROが?」
「他に何の話してるの」
「だって」
私は言葉に詰まった。
カイはゲームが上手い。
撃破数こそ私やユイナより少ないけれど、任務達成率はいつも高い。
機体もほとんど壊さない。
判断も速い。
負けるから嫌になったわけじゃない。
「勝てるじゃん」
「勝てる」
「成績もいいじゃん」
「いい」
「じゃあ何が嫌なの?」
カイは少し考えた。
「嫌ではない」
「じゃあ続ければ?」
「楽しくない」
「同じじゃないの?」
「違う」
即答だった。
「最近、実習の日になってもやりたいと思わない」
「……」
「勝っても、終わったとしか思わない」
「……」
「だったら、やめる」
ものすごくカイらしい。感情的になっているわけでも、怒っているわけでもない。ただ、自分に必要ないものを本棚へ戻すみたいに、ゲームを置こうとしている。
「いつから?」
「少し前」
「言ってよ!」
「何で」
「何でって、三人でやってたじゃん!」
言ってから。
自分で少し恥ずかしくなった。
カイが私を見る。
「二人でもできる」
「そういう意味じゃない!」
ユイナが言った。
珍しく私と同意見らしい。
「アンタがいないと狙撃誰がやるのよ」
「別の人」
「そういう意味でもない!」
「二人とも面倒」
「カイ!」
カイは鞄から一枚の紙を出した。
《特別技能実習 参加辞退届》
「もう用意してる!?」
「昼休みにもらった」
「誰から?」
「職員室」
「行動が早い!」
「今日、司令に出す」
私は紙を見る。本気だ。たぶん、私たちが何を言っても、カイはこれを出す。
そこで、少し前のユイナの顔を思い出した。ゲームを続けたいのに、外されそうになっていた顔。カイは逆だ。続けたくない。それなのに私たちが無理に引き止めるのは、何か違う。
「……分かった」
「ソラ!?」
ユイナが振り向く。
「でも一個だけ」
「何」
「今日、最後に一回だけやらない?」
「……」
「それでも楽しくなかったら、もう止めない」
「本当に?」
「うん」
「ユイナは?」
「私は止めるわよ!」
「そこは合わせてよ!」
「だって三人の方が楽しいじゃない!」
ユイナが言った。
カイが少しだけ目を見開いた。
「……そう」
「何その反応!」
「意外だった」
「何がよ!」
「ユイナがそういうこと言うの」
「撤回するわよ!?」
「しないで!」
カイは参加辞退届を見た。
それから折らずに、鞄へ戻した。
「一回だけ」
「よし!」
「それで楽しくなかったら」
「分かってる」
私は頷いた。
「カイが決めればいい」

「本人が辞めたいと言っているのなら、止める権利はありません」
「司令まで!?」
実習室。
事情を話すと、玲奈司令はあっさりそう言った。
「水城カイ」
「はい」
「理由を、私にも聞かせてもらえる?」
カイは少しだけ考えた。
「楽しくないから」
「そう」
「それだけでいいの?」
また私が口を挟んだ。
「十分よ」
「でも司令、困らないの?」
「困るわ」
「困るんだ!?」
即答されて、逆に驚いた。
玲奈司令はカイを見る。
「水城カイの任務達成率と機体保全率は、この実習の中でも非常に高い。あなたが抜ければ困る」
「じゃあ止めればいいじゃん」
「それは私の都合でしょう」
「……」
「能力があるから。必要だから。もったいないから。そういう理由で、嫌だと言っている子を席へ縛りつけるのは違うわ」
いつも命令ばかりしている人の口から出たとは思えない言葉だった。
「司令がそういうこと言うんだ」
「どういう人だと思っているの?」
「返事が小さいと怒る人」
「事実ね」
「否定してよ!」
ユイナが吹き出した。
カイも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「辞める前に一度休む、という選択もあります」
玲奈司令は続ける。
「一週間実習を外れて、それでも戻りたくないなら辞退届を出してもいい」
「休んでも、やりたいとは思わないと思う」
「なら、その判断も尊重します」
カイは頷いた。
司令も、それ以上は勧めなかった。
「特別技能実習への参加は、本人の意思が前提です」
「でもカイ、めちゃくちゃ上手いんだよ?」
「能力の話はしていません」
「もったいないじゃん」
「もったいないから続けろと命令するの?」
「……」
言えなくなった。
「続けるか、辞めるか」
玲奈司令がカイを見る。
「最後は本人が決めることです」
カイが小さく頷く。
「ただ」
私は手を上げた。
「最後に一回だけ、私たちのわがまま聞いて」
「内容は?」
「今日の作戦、カイに決めさせて」
「僕?」
「うん」
私はカイを見る。
「いつも司令に言われた通りにやって、効率いい方法探して、クリアして終わりだからつまんないんじゃない?」
「……」
「だったら自分で遊び方決めればいい」
「実習です」
玲奈司令が言う。
「そこを何とか!」
「勝利条件を無視することは認めません」
「じゃあ勝利条件守ればいい?」
「……」
司令が少し考える。
「装備選択と作戦立案については、水城カイに一任します」
「やった!」
「ただし、提示された任務目標はすべて達成すること」
「カイ」
「何」
「できる?」
カイが正面のスクリーンを見る。
今日のマップ。
廃墟となった都市。
三つの通信中継地点。
制限時間三十分。
敵配置は不明。
「補足します」
玲奈司令が地図を拡大した。
「三つの通信中継点は、どれも起動に十秒必要。起動中に攻撃を受ければ最初からやり直しです」
第一地点は広い大通りの中央。第二は崩れた商業区画。第三は高層建築に挟まれた狭い広場。
「敵の初期配置は確定していません。ただし過去データ上、四脚型、人型、飛行型が中心。中盤以降に砲撃型が追加される可能性があります」
「要するに、ゆっくり起動してたら囲まれる?」
「そういうことです」
私はカイを見る。
「司令の説明込みで、作戦どうする?」
カイはしばらくマップを見つめた。
「三人で順番に取らない」
「え?」
「敵を一か所へ集める。空いた地点を僕が起動する」
指先が地図の上を滑る。
「ソラが引く。ユイナがまとめて叩く。僕が起動と支援」
「私が囮?」
「速いから」
「まあ、それなら許す」
「私は?」
「一番いっぱい倒せる」
「よし」
ユイナ、単純。
カイの目が少しだけ細くなる。
「……装備も僕が決めていい?」
「許可します」
「ソラ」
「はい」
「軽量型。近接武装なし」
「え!?」
「速度優先」
「剣ないの!?」
「いらない」
「私の楽しみが!」
「ユイナ」
「何?」
「重装甲。盾」
「はあ!?」
「突っ込んでも壊れにくい」
「私を何だと思ってるの!?」
「壊す人」
「カイ!」
「僕は中距離支援」
「狙撃じゃないの?」
「今日は動く」
カイが立ち上がった。いつもより、ほんの少しだけ声に温度がある気がした。