「目立たない生徒」として過ごしてきた僕の生存記録は、今日この日をもってあっけなく潰えることとなった。
普段なら、一時間目が終わったあとの休み時間は、僕の人生において最も平穏で愛おしい時間だ。
窓際のいちばん後ろの席に静かに腰掛け、紙パックのチョコレートミルクを少しずつ口にしながら、ぼんやりとグラウンドを眺める。
誰からも話しかけられず、誰も僕のことなんて気にかけない。僕はその静けさを何よりも愛していた。
西条アサミという人間にとって、「モブ」でいることこそが最高の安寧なのだ。
自分の世界に深く没頭したい者にとって、この現実は少しばかり騒がしすぎる。
だが、僕が苦心して築き上げてきたその平穏は、ほんの数秒のうちに木端微塵に打ち砕かれた。
ドカン!
ピンク色の可愛らしいお弁当箱が、僕のデスクの上に勢いよく着地した。
続いて聞こえてきたのは、少しだけ荒くなった吐息の音。
「見ーつけた! なーんだ、アサミ君、ここに隠れてたんだ!」
喉に詰まりかけたチョコレートミルクを、僕は必死で飲み込んだ。
振り返ると、そこには窓からの風に髪を優しく揺らせたハナシが立っていた。
眩しいほどの満面の笑みを浮かべ、制服をきちんとなびかせた彼女からは、ほのかに甘い桜の香りがふわりと漂ってくる。
その瞬間、教室の中の空気があからさまに変色した。
さっきまで前方の席で楽しそうに喋っていたクラスメイトたちが、ぴたりと口を噤む。
教室の半数以上の視線が、一斉にこの部屋の隅っこ——僕の席へと突き刺さった。
あちこちから、困惑混じりのひそひそ話が漏れ聞こえてくる。
どうして学校一の人気女子が、あんな陰気なやつの机にいるんだ……?
僕は肩をすぼめ、身を焼くような その熱視線から少しでも逃れようと、そっと椅子を後ろへ引いた。
「ハ、ハナシさん……何か用……?」
「昨日、図書室で言ったでしょ? アサミ君とたくさんお話ししたいって!」
気まずさなど微塵も感じていない様子で、彼女はあっけらかんと言い放った。
飲食の席を確保するかのように、許可を取ることもなく隣の空いている席から椅子を引き寄せると、僕の目の前に堂々と腰掛けた。
「手に取ったお弁当、見たらわかるでしょ? それにさ、アサミ君っていつも一人でしょ? ずっと一人でお昼食べるの、寂しくないの?」
「僕は……一人でいる時間をすごく楽しんでるんだけど……」
蚊の鳴くような声で、ぼそりと呟く。
「嘘だね!」
ハナシはくすくすと嬉しそうに笑った。
その鈴を転がすような笑い声は、なぜかとても自然で、まっすぐに胸に響く。
「今日から、私がお弁当のパートナーに決定! 反論は一切受け付けませーん!」
そう宣言すると、彼女はお弁当箱のふたを開けた。
中には、鮮やかな色合いのおかずとご飯が綺麗に敷き詰められている。
彼女は箸でタコさんウインナーをひょいとつまみ上げると、それを僕の目の前へまっすぐに差し出してきた。
「ほら、口あけて? 今日ちょっと作りすぎちゃってさ」
目をキラキラと輝かせながら、彼女は微笑む。
瞳の奥の光が、あまりにも眩しい。
目の前にいる彼女は、まるで一切の濁りもない純粋な『宝石』そのものだ。
漆黒の『黒い紙』のように暗く沈んだ僕とは、何もかもが真逆だった。
「じ、自分で食べられるよ、ハナシさん。それに、こんなの目立ちすぎる……」
パニックになりながら僕は言った。
教室の向こう側から飛んでくる男子生徒たちの鋭い視線のせいで、顔が急速に熱くなっていくのが分かる。
もし視線で人が殺せるなら、僕は今ごろ一瞬で灰になって散っているはずだ。
「遠慮しないで! ほら、あーん」
身を乗り出すようにして、彼女はさらに距離を詰めてくる。
顔と顔の距離があまりにも近すぎて、澄み切った彼女の瞳の中に、青ざめて動揺する自分の姿がはっきりと映り込んでいた。
周囲の視線という名の圧力と、あまりの恥ずかしさに耐えきれず、僕はついに降参した。
ぎこちなく口を開け、差し出されたウインナーを口に含む。
「よしっ! どう? 美味しい?」
両手を顎に添えて、僕が噛み砕くのをワクワクした様子で待っている。
香ばしくて、少し甘くて……正直に言って、ものすごく美味しかった。
けれど、僕の心臓をこれほど激しく跳ねさせているのは食べ物の味ではない。
目の前の少女が、僕が食べる姿を見ただけで、こんなにも嬉しそうに満足げな笑顔を浮かべているという現実そのものだった。
僕は食べ物をゆっくりと飲み込み、耳まで真っ赤に染まった顔を隠すように深くうつむいた。
心の中で、僕はただ悲鳴を上げ、祈ることしかできなかった。
神様……お願いですから、僕の静かで平穏な日常を返してください。
それが無理なら……せめてこの心臓のうるさい高鳴りだけでも、今すぐ止めてください……。
本当に、頼みますから。
普段なら、一時間目が終わったあとの休み時間は、僕の人生において最も平穏で愛おしい時間だ。
窓際のいちばん後ろの席に静かに腰掛け、紙パックのチョコレートミルクを少しずつ口にしながら、ぼんやりとグラウンドを眺める。
誰からも話しかけられず、誰も僕のことなんて気にかけない。僕はその静けさを何よりも愛していた。
西条アサミという人間にとって、「モブ」でいることこそが最高の安寧なのだ。
自分の世界に深く没頭したい者にとって、この現実は少しばかり騒がしすぎる。
だが、僕が苦心して築き上げてきたその平穏は、ほんの数秒のうちに木端微塵に打ち砕かれた。
ドカン!
ピンク色の可愛らしいお弁当箱が、僕のデスクの上に勢いよく着地した。
続いて聞こえてきたのは、少しだけ荒くなった吐息の音。
「見ーつけた! なーんだ、アサミ君、ここに隠れてたんだ!」
喉に詰まりかけたチョコレートミルクを、僕は必死で飲み込んだ。
振り返ると、そこには窓からの風に髪を優しく揺らせたハナシが立っていた。
眩しいほどの満面の笑みを浮かべ、制服をきちんとなびかせた彼女からは、ほのかに甘い桜の香りがふわりと漂ってくる。
その瞬間、教室の中の空気があからさまに変色した。
さっきまで前方の席で楽しそうに喋っていたクラスメイトたちが、ぴたりと口を噤む。
教室の半数以上の視線が、一斉にこの部屋の隅っこ——僕の席へと突き刺さった。
あちこちから、困惑混じりのひそひそ話が漏れ聞こえてくる。
どうして学校一の人気女子が、あんな陰気なやつの机にいるんだ……?
僕は肩をすぼめ、身を焼くような その熱視線から少しでも逃れようと、そっと椅子を後ろへ引いた。
「ハ、ハナシさん……何か用……?」
「昨日、図書室で言ったでしょ? アサミ君とたくさんお話ししたいって!」
気まずさなど微塵も感じていない様子で、彼女はあっけらかんと言い放った。
飲食の席を確保するかのように、許可を取ることもなく隣の空いている席から椅子を引き寄せると、僕の目の前に堂々と腰掛けた。
「手に取ったお弁当、見たらわかるでしょ? それにさ、アサミ君っていつも一人でしょ? ずっと一人でお昼食べるの、寂しくないの?」
「僕は……一人でいる時間をすごく楽しんでるんだけど……」
蚊の鳴くような声で、ぼそりと呟く。
「嘘だね!」
ハナシはくすくすと嬉しそうに笑った。
その鈴を転がすような笑い声は、なぜかとても自然で、まっすぐに胸に響く。
「今日から、私がお弁当のパートナーに決定! 反論は一切受け付けませーん!」
そう宣言すると、彼女はお弁当箱のふたを開けた。
中には、鮮やかな色合いのおかずとご飯が綺麗に敷き詰められている。
彼女は箸でタコさんウインナーをひょいとつまみ上げると、それを僕の目の前へまっすぐに差し出してきた。
「ほら、口あけて? 今日ちょっと作りすぎちゃってさ」
目をキラキラと輝かせながら、彼女は微笑む。
瞳の奥の光が、あまりにも眩しい。
目の前にいる彼女は、まるで一切の濁りもない純粋な『宝石』そのものだ。
漆黒の『黒い紙』のように暗く沈んだ僕とは、何もかもが真逆だった。
「じ、自分で食べられるよ、ハナシさん。それに、こんなの目立ちすぎる……」
パニックになりながら僕は言った。
教室の向こう側から飛んでくる男子生徒たちの鋭い視線のせいで、顔が急速に熱くなっていくのが分かる。
もし視線で人が殺せるなら、僕は今ごろ一瞬で灰になって散っているはずだ。
「遠慮しないで! ほら、あーん」
身を乗り出すようにして、彼女はさらに距離を詰めてくる。
顔と顔の距離があまりにも近すぎて、澄み切った彼女の瞳の中に、青ざめて動揺する自分の姿がはっきりと映り込んでいた。
周囲の視線という名の圧力と、あまりの恥ずかしさに耐えきれず、僕はついに降参した。
ぎこちなく口を開け、差し出されたウインナーを口に含む。
「よしっ! どう? 美味しい?」
両手を顎に添えて、僕が噛み砕くのをワクワクした様子で待っている。
香ばしくて、少し甘くて……正直に言って、ものすごく美味しかった。
けれど、僕の心臓をこれほど激しく跳ねさせているのは食べ物の味ではない。
目の前の少女が、僕が食べる姿を見ただけで、こんなにも嬉しそうに満足げな笑顔を浮かべているという現実そのものだった。
僕は食べ物をゆっくりと飲み込み、耳まで真っ赤に染まった顔を隠すように深くうつむいた。
心の中で、僕はただ悲鳴を上げ、祈ることしかできなかった。
神様……お願いですから、僕の静かで平穏な日常を返してください。
それが無理なら……せめてこの心臓のうるさい高鳴りだけでも、今すぐ止めてください……。
本当に、頼みますから。
